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それぞれの道

* * * * *







 王女様が初めてうちの孤児院に来てから、大体一年が経った。


 最初はアリスティードと一緒に来ていた王女だったけど、チビ達に懐かれ、俺みたいな年上の奴らともそれなりに話す回数が増えると、一人で来るようになった。


 ……まあ、一人って言ってもあのおっかない従者もいるし、護衛の騎士達もいるけど。


 王女様は他の孤児院も回ってるそうで、毎回うちに来られるわけじゃない。


 それでも来る時には食材や、売り物を作るのに必要な布や糸なんかを寄付してくれているらしい。


 貴族向けのハンカチを作るには刺繍の技術が必要だからと、自分や侍女達が刺繍したハンカチや小物を、お手本として持ってきてくれることもあった。


 女子達は裁縫を学び、刺繍の入ったハンカチを作るため、お手本となるものがあるとデザインなども含めて色々と学べるそうだ。


 俺達が作ったクッキーを買って帰ることもある。


 沢山のそれは、王女様の住む宮の使用人達に分けたり、王女様が食べたりする。


 一国の王女様が孤児院の子供が作った地味なクッキーなんて食べるのかと驚いたものだ。


 アリスティードはあまり甘いものを食べないので、あっちは売るのを手伝ってくれたりしたが、自分が買っていくことはなかった。


 王女様も買うことは少ない。


 その代わりに、どうすれば安くてももっと美味しく作れるか、どうすればもっと貴族達が買ってくれるのか、そういったことを一緒に考えてくれた。


 ナッツを毎月大量に買う代わりに少し値引きしてもらうよう店に頼んだおかげで孤児院への実入りが僅かに増えたし、クッキーを包む袋を安いガサガサの紙袋をやめ、明るい色の布で包んでリボンで口を結んで見た目を変えたら、貴族やちょっと裕福な人々がよく買ってくれるようにもなった。


 特に貴族向けに布に刺繍をしたら、以前の倍近く売れている。


 今、貴族の間ではリボンやレースが流行っているらしく、クッキーの包みにリボンを使っているのが良いと褒められたこともある。


 それらは王女様の発案だった。


 俺の中で、王女様が憧れの人物になるのに時間はかからなかった。


 恋愛の好きとかじゃなくて、人として尊敬出来るし、良い奴だなって思っている。


 王女様は来年、学院に入学するそうだ。


 学院は昔は貴族だけしか通えなかったらしいが、今は優秀であれば平民でも入学出来る。


 奨学金という制度があり、何かで優秀な成績を持つ生徒は入学金や支度金が免除されるのだという。




「先生、俺、学院に通いたい!」




 院長先生に言うと、先生は朗らかに笑った。




「そういえばケインは昔から運動が得意だったわね」




 元々、俺は騎士になりたかった。


 だから毎日体を動かして、鍛えて、時々街の巡回に来る騎士達に剣の指導もしてもらっていた。


 まだまだ騎士になるには難しいだろうけれど、アリスティードも褒めてくれるくらいには剣を扱える。




「ああ、剣の腕をもっと磨いて、それで入学したいんだ。奨学金で入れば孤児院に負担はかからない!」




 それに学院を卒業すると就職に有利だ。


 学院で騎士として剣を磨いて、その後、騎士見習いになり、正式な騎士になる道だってある。


 騎士になれば安定した収入が入り、年の離れた妹を養うことも、世話になったこの孤児院へ恩返しをすることも出来る。




「そうね、でも、そういう子はきっと多いわ。あなたはとても努力しないと入れないかもしれない。……それでも入学したい気持ちは変わらないかしら?」




 先生はいつもと変わらない穏やかさで、でも、真っ直ぐに俺を見た。


 それに強く頷き返す。




「変わらないっ。努力も出来ない奴は騎士になるなんてそれこそ無理だ! 俺は出来るまで、なれるまで、何度でも努力する! 諦めない!!」




 先生の目を見据えて言えば、先生が微笑んだ。




「そう、分かったわ。そこまで言うなら、知り合いの引退した騎士にあなたを鍛えてもらえるようお願いしてみましょう」




 先生の言葉に俺は飛び上がった。




「先生、ありがとう!!」




 騎士に教えてもらえるなんてすごいことだ。


 でも先生が真面目な顔で言う。




「その方はとても厳しい方ですからね。あなたが努力をやめたり、手を抜いたりしたら、教えてもらえなくなるかもしれません」


「そんなことしない!」


「そうですね、あなたはやんちゃ過ぎるところはありますが、根は真面目ですから」




「きっと大丈夫でしょう」と先生がふっと目を細めた。




「頑張るのですよ」


「はい!」


「ですが騎士は健康な体が命です。無理をして、体を壊してはいけませんよ」


「ああ、気を付ける!」




 学院に入学して、学び、卒業後に見習いになって、やがては騎士になる。


 ……その時にアリスティードや王女様を守れるくらい強くなりたい。


 王家への忠誠心なんて難しい話じゃない。


 友人達を守れるくらい強くなりたい。


 ケインは拳を強く握り締めて、自分の目指す道の先にあるものを想像したのだった。







* * * * * *








 今しがた届いた手紙を、レアンドル=ムーランは苦い思いで机の引き出しに仕舞った。


 差出人は数年前から友人関係のオリヴィエ=セリエールである。


 レアンドルには婚約者がいる。


 ムーラン伯爵家当主である父が選んだ、同じく伯爵家の令嬢は、貴族の令嬢らしい少女だった。


 淑やかで、物静かで、控えめな少女。


 剣どころかティーカップよりも重い物など持ったことがないのではないかと思うほど細い指、外に出ていないのか全く焼けていない白い肌、手入れの行き届いた髪や肌は美しく、流行に乗ったドレスや髪飾り、施された化粧には一部の隙もない。


 令嬢自身に不満はない。


 貴族ならば政略結婚は当たり前だ。


 だが、伯爵令嬢との婚約と同時に、レアンドルは父親にこうも言われていた。




「婚約した以上、お前の妻となるのは婚約者のご令嬢だけだ。ご令嬢やその家、他の貴族の者達に勘繰られぬように、友人関係はきちんとするべきだ。同性ならばともかく、特定の異性とあまり親密になるものではない」




 それはオリヴィエのことだと分かった。




「彼女との関係はそのようなものではありません。ただの友人同士です、父上!」


「口では何とでも言える。婚約は絶対だ。婚約者がいながら、結婚前から特定の令嬢と親密な関係にあったなどと醜聞でしかない」


「ですから、オリヴィエとは──……」


「婚約者でない令嬢の名を呼び捨てにするな! どこで誰が聞いているかもしれんのだぞ?」




 家の政略で婚約したが、確かにレアンドルはオリヴィエ=セリエール男爵令嬢を少なからず想ってしまっていた。


 明るく、優しく、活発で、貴族の令嬢にしては少々庶民的だが、その裏表のないところが好感が持てる。


 あの明るさに触れてしまうと、貴族の令嬢のツンと澄ました態度はどうにも近寄りがたく感じてしまう。


 しかし確かに父の言うことは正しかった。


 本来、貴族の男女が名を呼び捨てにするのは親密な間柄の相手にだけするもので、許すものでもある。


 元は平民であったオリヴィエはその感覚が抜けなかったのか「オリヴィエでいいよ」と言った。


 そしてオリヴィエはレアンドルの名を呼び捨てた。


 きっと、その時にレアンドルの心は奪われてしまったのだろう。




「……分かりました。以後、気を付けます」




 それに言及したのは父だけではない。




「レアンドル、以前も言ったが婚約者を蔑ろにするような言動や、勘違いされるような行いは避けてくれ。お前が最近、婚約者でない特定の令嬢と街に頻繁に出掛けているという噂が流れているんだ」




 仕えるべき主君であるアリスティード殿下にまで言われ、レアンドルは苦渋の選択でオリヴィエと距離を取ることを決めた。




「家同士の契約すら守れない者を側近には出来ない」




 アリスティード殿下は眉を寄せて言った。


 怒っているのではなく、レアンドルのことを案じてくれているのだと、レアンドルにはすぐに分かった。


 だからオリヴィエに今後は連絡や会うことを控える旨を綴った手紙を送ると、婚約に対する祝福の言葉と共にとても残念だが仕方がないと了承する内容が書かれていた。


 だが、結局、レアンドルは初恋の少女を完全に突き放すことは出来なかった。


 冷たく感じられる淡々とした手紙を送ったせいか、返事で届けられた手紙のその悲しげに震える文字に、微かに滲んだ文字に、胸が痛んだ。


 仲良くなっておきながら、自分の都合で捨てるなんてレアンドルには無理だった。


 家族にバレないようにオリヴィエに友人の名を使って手紙を送るように頼むと、騙しているみたいで申し訳ないけれど友人と別れることにならなくて良かったと喜ぶ返事が届いた。


 その後も、オリヴィエに友人の名を使ってもらい、レアンドルは手紙のやり取りを続けた。


 婚約者への対応でオリヴィエと会う時間はないが、それでも、届く手紙の中にあるオリヴィエの健気な言葉に何度も励まされた。


 同時にオリヴィエが自分を友人としか見ていないことに切なくなった。


 しかし関係を断つ勇気はレアンドルにはなかった。


 週に一度か、月に二、三度の手紙のやり取りだけがレアンドルの傷付いた心を癒してくれる。


 婚約者のことは大事にするつもりだ。


 政略結婚の相手というのは向こうも同じである。


 愛や恋がなくとも、何れは夫婦として穏やかな時間を過ごせるように、レアンドルは歩み寄りたいと考えていた。


 ……それでも、今だけは……。


 初恋の少女オリヴィエとの関係を終えることは、レアンドルには身を切られるような苦しみで、レアンドルは踏み出すことは出来なかった。


 ……早く夜になれ。


 使用人の目を盗んで読む時間が待ち遠しい。


 こんなことをずっと続けられるはずがないとレアンドルも理解している。


 婚約者に対して不義理なことをしている自覚もある。


 ……手紙は学院までだ。


 卒業後は、完全にオリヴィエとの関係は断つ。


 それまで婚約者を蔑ろにしないように気を付けながら、レアンドルはオリヴィエと密かに連絡を取り続けたのだった。







* * * * * *








 アンリ=ロチエはぼんやりと庭を眺めていた。


 ロチエ公爵家の長男であり、唯一の男児であるアンリだが、その性格は引っ込み思案で気の弱いものだった。


 貴族の中にはあまりに気弱なアンリを馬鹿にする者もいる。


 でもそれも仕方がないとアンリは考えていた。


 自分が公爵家の次期当主なんて似合わない。


 気の強い父親に何故似なかったのかと悲しくなる。


 どんなに努力しても、アンリの性格はなかなか治らなかった。


 それどころか父親にあれをやってみろ、これをやってみろ、と度胸試しのようなことをさせられ、余計にアンリは怖がりになってしまった。


 王太子であり、友人であるアリスティード殿下はアンリの怖がりな部分や臆病さは「思慮深さでもある」と受け入れてくれた。


 勉強だけは昔から得意で、そのおかげでアリスティード殿下の側近になれるのだから、悪いことばかりではない。


 そう思っていたアンリは一人の少女に出会った。


 オリヴィエ=セリエール男爵令嬢。


 アンリと正反対で明るく、活発で、でも優しい少女だった。


 男のくせにビクビクおどおどしているアンリを見ても馬鹿にせず、笑いかけてくれた。


 本屋で出会った、やや庶民的な女の子。


 でもアンリにはその裏表のない態度が良かった。


 アンリの悩みを聞いてくれるし、性格のことも否定でずに「きっとアンリは繊細なんだよ」と慰めてくれた。


 だからアンリがオリヴィエを好きになるのに時間はかからなかった。


でも、父であるロチエ公爵が婚約者を決めてしまった。


 侯爵令嬢で、剣を扱うのが好きな、美しいけれど非常に気の強い、ロチエ公爵のような令嬢だった。


 背も高く、威圧感のある令嬢がアンリは苦手で、婚約が結ばれた後も最低限にしか顔を合わせていない。


 アリスティード殿下が困ったように問う。




「アンリ、婚約者とはどうだ?」




 アリスティード殿下に言われたことを思い出し、憂鬱な気持ちになる。




「それが、その、婚約者のご令嬢がちょっと怖くて……」


「そうか。確か剣の腕前が素晴らしいと聞いたことがあったが、それで苦手なのか?」


「いえ、あの、僕よりも背が高くて、威圧感が……あるんです……」




 言いながら情けなくなってくる。


 もし、もし婚約者が今の婚約者ではなくオリヴィエだったなら、きっとアンリは婚約者と仲良くなれただろう。


 オリヴィエではないにしても、もう少し穏やかなご令嬢だったならと思わずにはいられない。




「一度きちんと話してみてはどうだ? 私も何度か話したことがあるが、あのご令嬢は見た目や趣味のせいで誤解されやすいが、性格は優しいぞ」


「はあ……、でも、目の前にすると言葉が出て来なくて……」




 そう返すとアリスティード殿下が眉を下げた。




「頼むから婚約者ときちんと話し合ってくれ。レアンドルにも伝えたが、家同士の契約である婚約ですら守れない者を側近にはしておけないんだ」


「はい……」


「私はお前を側近から外したくない。だから、もう少しだけ頑張ってくれないか?」




 アリスティード殿下の言葉にアンリは震えた。


 側近になれなければ、アンリなど、きっとどの貴族達からも馬鹿にされてしまうだろう。


 ……殿下に見放されたら僕は終わりだ。


 アンリは生唾を呑みながら、アリスティード殿下へ精一杯深く頷き返したのだった。








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