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四人のお茶会

 





 わたしは十四歳を迎えた。


 この一年、大きな事件もなく、王女としての公務をこなしながらお兄様から学院での勉強を教えてもらう日々が続いた。


 あっという間の一年だった。


 わたしより二つ上のミランダ様は、お兄様や婚約者のロイド様と共に二年生になった。


 ロイド様ことロイドウェルとの関係もこの数年で大分変わった。


 洗礼の日の夢のことを、わたしはロイド様にだけ話すことに決め、伝えたのだ。


 それについてはルルが「アルテミシア公爵子息にも話して味方に引き込んだ方がいいよぉ」と言い、確かに彼にも伝えておけば、ロイドウェルルートも潰せると思った。


 しかもロイド様はお兄様の夢の話も聞いていた。


 話をすると意外なほどすんなり受け入れられた。


 ただ意味深なことも言っていた。




「そうですか……。だからアレ・・はあのような、なるほど、そういうことですか……」




 その顔はどこかげんなりしていた。


 どうかしたのか訊いても、お兄様もロイド様も話してはくれなかった。


 それから夢について頻繁にやり取りするようになってからは、わたしも愛称で呼ぶ許可を得た。


 原作のリュシエンヌもロイド様を愛称で呼んでいたが、あれは確か許可を得ずに、勝手に呼んでいたものだった。


 原作のリュシエンヌと同じ呼び方になるのは少しどうかと思ったが、その話をした時のお兄様の嬉しそうな顔を見たら断れなかった。


 きっと、ずっと妹と親友の微妙な距離を気にかけてくれていたのだろう。


 わたしの一つ年上のエカチェリーナ様は入学して、お兄様と一緒に生徒会の役を引き受けているらしい。


 意外なことに、王族だからと生徒会長になることはなく、三年生の方が生徒会長を務め、お兄様は副生徒会長、ロイド様が会計、エカチェリーナ様が書記になっているそうだ。


 馬車に揺られながらお兄様の宮へ向かう。


 今日はお兄様の宮で、お兄様とエカチェリーナ様と、わたしと、そしてルルの四人だけのお茶会を行うことになっている。


 名目上は交流ということだ。


 王太子とその婚約者、王女とその婚約者。


 それぞれが互いを知るための場である。


 ……実際はそれぞれ知っているんだけどね。


 でも、実はこの四人でお茶会をするのは初めてだ。


 何せ全員予定を合わせるのが難しい。


 今回、ようやく決まったのだ。


 ……お兄様とエカチェリーナ様が公務以外で一緒にいるところを見るのも初かもしれない。


 きっと学院で同じ生徒会で顔を合わせているし、婚約者同士何度も会っているだろうけれど、わたしが目にするのはいつも公務の二人だ。


 だからちょっとだけ楽しみでもある。




「リュシー、嬉しそうだねぇ」




 隣のルルが言う。


 それに頷いた。




「うん、お兄様とエカチェリーナ様と、ルルの四人でって初めてでしょ? ルルもエカチェリーナ様も後数年もしたら家族になるんだし、みんなで仲良く出来たら嬉しいよ」




 ルルも、お兄様も、エカチェリーナ様も。


 全員わたしの好きな人だ。


 その好きな人同士の仲が良ければ当然嬉しい。




「ふぅん、そんなもん〜?」




 ルルはよく分からないという風に小首を傾げた。




「まあ、それでリュシーが喜ぶならいいけどねぇ」




 首を戻してルルが考えるようにそう言った。


 ……ルルは基本的に単独行動が好きみたいだから、複数人と仲良くするということ自体、あまり興味がないらしい。


 それでもわたしが喜ぶならと今回のお茶会も受け入れてくれたのだ。


 感謝の気持ちのままにルルに抱き着く。




「我が儘を聞いてくれてありがとう」




 ルルはお茶会や舞踏会といった社交に関心がない。


 色々覚えてくれるのも、婚約者兼侍従としてそれらに付き合ってくれるのも、わたしのため。




「どういたしましてぇ」




 ドレスに皺が寄らないようにそっと抱き返される。


 ガタゴトと揺れる馬車の中で、お兄様の宮に到着するまで、わたし達はそのまま過ごした。


 公務で忙しくなってからルルとの時間が減った。


 ルルが傍にいる時間は変わらないが、会話を交わしたり、まったりする時間がどうしても減る。


 公務中はルルは従者だったり婚約者だったりして、婚約者の時は話せるけど、侍従の立場の際はわたしから話しかけない限りは黙っていることが多い。


 特に人前ではそうだ。


 だから実を言うとちょっと寂しかった。


 夜にお喋りしていても、疲れているせいか気付くと寝てしまっていることも珍しくなくて、ルルは「仕方ないよぉ」と言ってくれるけれど、わたしはもっとルルと過ごしたい。


 べったりくっついて過ごしたい。


 ……ルル欠乏症である。


 馬車の揺れが減り、やがて停まる。


 御者が外側から扉を開ける。


 ルルが先に降りて、その手を借りてわたしも降りる。


 わたし達を出迎えたのはミハイル先生だった。




「王女殿下と男爵にご挨拶申し上げます」




 丁寧な礼を執り、顔を上げたミハイル先生がニコリと目尻を下げて笑った。




「お久しぶりです、ミハイル先生」


「お久しぶりですね、リュシエンヌ様」




 わたしがファイエット邸を出てから、ミハイル先生にはほぼ会っていなかった。


 正式に王太子であるお兄様の相談役という地位につき、日々、お兄様と政や法律について色々と議論を重ねているそうだ。


 ミハイル先生は博識で思慮深い人物なので、相談役にピッタリだっただろう。




「魔法式の新しい構築方法について聞き及んでおります。素晴らしい功績を挙げられましたね。公務にももう随分と慣れたとアリスティード様がよくおっしゃっておりました。本当に良き王女になられましたね」




 ミハイル先生の言葉に頷き返す。




「ありがとうございます。先生もお兄様の相談役に抜擢されてお忙しいでしょう?」


「ええ、まあ。ですが日々、やり甲斐を感じておりますよ」


「そうなんですね」




 お兄様のことだから、疑問や腑に落ちない点があればミハイル先生と納得するまで話し合うのだろう。


 ミハイル先生も真面目な方なので、きっと時間の許す限り、お兄様と議論をしているに違いない。




「ニコルソン男爵も、遅ればせながら男爵位の授爵お祝い申し上げます」


「どうもぉ」




 相変わらずなルルの態度にミハイル先生は苦笑するだけだった。


 昔からこうだったから、公の場でない限りはわりと見逃してくれるようになった。




「さあ、どうぞ中へ。あまり立ち話をしていると待ちかねたアリスティード様とクリューガー公爵令嬢が迎えに来てしまいますからね」




 クス、とミハイル先生が笑いながら、宮の中へわたし達を招き入れる。


 お兄様の宮はわたしの宮と似ている。


 つまりファイエット邸と似た内装なのだ。


 それもあってお兄様の宮に来ても緊張したり、落ち着かなかったりといったこともなく、毎回まったりさせてもらっている。


 建物を抜けて庭園へ出る。


 白い花の咲き乱れる庭園を進み、中央にある東屋に辿り着くと、そこには既にお兄様とエカチェリーナ様が待っていた。




「ミハイル、案内ご苦労だったな」




 ミハイル先生は微笑むと一つ頷いて下がっていった。




「リュシエンヌもルフェーヴルも中へ入って座ると良い」




 手招かれ、東屋の中へ入る。


 日陰はほどよくヒンヤリしとして、そよ風が通り抜けると心地良く感じられた。


 お兄様の横にはエカチェリーナ様がいる。




「今日はお招きくださりありがとうございます、お兄様。エカチェリーナ様もご機嫌よう」




 お兄様とエカチェリーナ様が同時に頷いた。




「ご機嫌よう、リュシエンヌ様」




 その顔は嬉しそうだ。


 テーブルの上には既にケーキスタンドなどお菓子や軽食が並んでおり、ティーポットとカップも置かれていた。


 お兄様が自ずから紅茶を淹れてくれる。


 椅子に腰掛ければ、わたしとルルの前にカップとソーサーが並べられる。


 お礼を述べてから口をつけた。




「いつも思いますが、お兄様は本当にお茶を入れるのがお上手ですね」




 リニアさんやメルティさんが淹れてくれるものと遜色ないほど美味しい。




「いちいち使用人を呼ぶくらいなら自分で淹れた方が早いからな」




 エカチェリーナ様もカップに口をつける。




「生徒会でもアリスティード様が一番紅茶を淹れるのがお上手なのですわ。わたくしも淹れますが、殿下のものには及びませんの」




 おほほ、と愉快そうにエカチェリーナ様が笑い、お兄様が「だから生徒会で茶を淹れるのは私の仕事なんだ」とおどけるように肩を竦めてみせた。


 二人はお互いに気安い雰囲気だ。


 多分、馬が合うのだろう。


 お兄様もエカチェリーナ様も気負った感じがない。




「そうなのですね。私も早く入学して、学院を見て回ってみたいです」




 お兄様やエカチェリーナ様達が通う学院。


 そして原作の舞台となる場所。




「その時はわたくしがご案内しますわ」


「その時はわたしが案内しよう」




 エカチェリーナ様とお兄様の声が被った。


 そして互いに顔を見合わせると、弾けるように二人分の笑い声が響く。




「あら、ではその時は二人で行いましょう」


「そうだな、二人でリュシエンヌを案内するか」




 二人の間に恋愛感情はないのだろう。


 だが確実に信頼関係を築けているようだ。


 それが分かって安心する。


 きっとこの二人なら支え合い、切磋琢磨し、お互いに良き伴侶として付き合っていけるのではないか。




「アリスティードとクリューガー公爵令嬢は随分仲良くなったねぇ」




 ルルの言葉に二人がこちらを見やる。




「それは当然ですわ」


「そうだな、私達にはリュシエンヌという共通の守るべき者がいて、やがては国を背負っていく者同士だからな」


「同じ目的や目標を持っているのですもの、親しくなるのは自然なことでしょう」




 ルルが「ん〜」とまた首を傾げる。




「でも対立することもあるでしょぉ?」


「まあな、意見の違いや考え方の違いでぶつかることも少なくない」




 わたしの取り皿に、わたしの好きなものを選んで取りながら、ルルが不思議そうに問う。




「それでも仲良くしていられるのぉ?」




 お兄様が苦笑する。




「先に言っておくが、お前とリュシエンヌのように互いの全てを許容出来る方がむしろ珍しいぞ」


「それは分かってるけどさぁ」




 わたしの前にルルがお皿を置いてくれる。


「ありがとう」と言えばニコ、とルルが笑う。


 ルルの前にもお皿はあるけれど、こういう場でルルが何かを口にすることは滅多にない。




「オレも味方とか作らなきゃいけないかもなぁって考えてみたけどぉ、王サマとアリスティードがいれば、それ以上はいるのかなってさぁ」




 今度はわたしが首を傾げる。




「ルル、味方が欲しいの?」


「いいや? でも貴族社会って交流して、味方が多い方が何かと有利って感じがあるでしょぉ?」




 それは確かにそうだが。




「なるほどな。しかしお前がリュシエンヌ以外と仲良くするところなんて想像出来ないけどな」




 お兄様の言葉にエカチェリーナ様も苦笑する。




「そうですわね。ニコルソン男爵が他の方と交流を深めているのを目にすると、何故か不安になってしまうのよね」


「情報収集のためなのか、それとも暗殺目的かって勘繰ってしまうよな」


「ええ」




 ルルが心外だと言いたげな表情をする。




「オレ、こう見えても知り合い多いんだよぉ?」




 お兄様が「どうせ闇ギルド関連だろう」と言うとルルは「そりゃあねぇ」とけらけらと笑った。


 貴族の知り合いが多いより、闇ギルドの、裏社会の知り合いが多い方が怖いと思うのはわたしだけだろうか。




「でも貴族だってそれなりにいるよぉ」


「そうなのか?」


「元依頼人だけどねぇ」




 それって、つまるところはルルにこれまで仕事を依頼したことのある貴族達との繋がりのことか。


 エカチェリーナ様の笑みが微妙に引き攣る。




「もしやこれまでの仕事内容を盾にするのかしら?」




 ルルが「嫌だなぁ」と笑う。




「オレはこれでも暗殺者としての矜持はあるつもりだよぉ。仕事内容を漏らすなんて二流以下だねぇ」


「意外だな。闇ギルドなんて金さえ積めば情報は売り物になるだろう?」




 闇ギルドはどのようなものでも商品になる。


 情報も、金品も、人も、命も。


 価値が認められれば何だって。




「そうだけどぉ、しないよぉ。アリスティードはオレのこと何だと思ってるのぉ?」




 お兄様が真顔で答える。




「リュシエンヌ一筋で他人には容赦ない、得体の知れない暗殺者。掴み所がなくて不気味な時がある」


「その通りですわね」


「ひどぉい!」




 頷き合うお兄様とエカチェリーナ様に、ルルが「不気味って失礼でしょぉ?」とぼやく。


 ……うーん、でもそうだしなあ。


 しかしお兄様がルルを見た。




「それにしても、お前が私や父上を味方と思っていることに驚いた」


「アリスティードだってそうじゃないのぉ? 言うなればオレ達は『リュシエンヌを守る会』会員みたいなもんでしょ」


「そうだな」


「わたくしもそうですもの」




 ……何そのわたしを守る会って。




「いっそのこと本格的に会を立ち上げてしまうか?」




 お兄様が真顔で乱心している。


 エカチェリーナ様が「良い案ですわね」と同意した。


 助けを求めてルルを見上げたが、ルルも頷いた。




「いいねぇ。会に入るにはオレとアリスティードとクリューガー公爵令嬢の承認が必要ってことにして厳選すれば変なのも混じらないと思うよぉ」


「いや、待って! そんな会、要らないから! というよりわたしを守る会なんて恥ずかしいよ!!」




 思わず突っ込んでしまった。


 これは突っ込まざるを得ないだろう。


 でも三人が首を振る。




「何かあった時にリュシーの盾になる奴が増えるよぉ」


「こういうのは形があることが大事なんだ」


「ええ、それにリュシエンヌ様はご令嬢達からも慕われておりますのよ? きっと皆様加入してくださるわ」




 ……そういう問題じゃない。


 どうしてそんなに積極的なんだろうか。


 その後、何とか諦めてもらったけれど、出来ればそういうものは作らないで欲しいと思った。


 まさかお兄様とルルとエカチェリーナ様の三人だけで、こっそり同盟を作っていたことを、わたしは結婚後まで知らなかったのである。







 

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