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孤児院の慰問(3)

 






「ああ、楽しかった……!」




 帰りの馬車の中で思わず伸びをしてしまう。


 シンプルなものとは言ってもドレスは皺だらけだし、スカート部分は土で薄っすら汚れてしまっている。


 洗濯してくれるメイドには申し訳ないが、久しぶりに駆け回って、声を上げてはしゃいで楽しかった。


 十二歳で公務に出るようになってからはそのようなことは全くしなかったので、ファイエット邸にいた頃を思い出して少し懐かしかった。


 ファイエット邸では駆け回って、木や屋根に登って、子供らしくいられた。


 孤児院の子供達は早い段階で自立を促される。


 それでも子供でいられる時はちゃんとあった。




「リュシエンヌがあんなに駆け回っているのは久しぶりに見たな」




 そう言ったお兄様の服も少し土埃で汚れていた。




「ふふ、だって最近はダンス以外で体を動かすことがなかったんです。だから嬉しくて」


「……そうか、リュシエンヌは魔法は座学だったな」


「はい、それだけは残念ですが」




 魔法については勉強を続けている。


 ただ魔力がないので実技もない。


 魔法の属性や魔法式、詠唱について学んでいる。


 わたしが詠唱を口に出しても魔法は発動しない。


 分かってはいるけど少し残念だ。




「今日はフィース様からお話が聞けましたし、子供達と遊ぶのも楽しかったです」




 考えてみると誰かと遊んだのは初めてだった。


 お兄様とは一緒に散歩をしたり、剣の鍛錬を見学したりしたが、駆け回って遊んだ記憶はない。


 騎士達の訓練に突撃したこともあったけれど、あれは遊ぶというよりかは、構ってもらったという方が近い。


 ルルは常に傍にいてくれた。


 でもわたしもルルと遊ぼうとは思わなかったので、大体、いつも一人遊びだった。


 それに不満もなかったけれど。




「今後も慰問は出来そうか?」




 お兄様の問いに頷き返す。




「はい、大丈夫です」


「それは良かった。まあ、最初のうちは私と一緒に回って行こう。皆が顔を覚えてくれたら一人で行けば良い」




 それでもすぐに一人で、と言わないのがお兄様らしい。


 その心遣いがくすぐったいけど嬉しかった。




「だが孤児院ではレースを外した方が良さそうだな。顔が見えないと子供達は警戒する」




 確かに最初は子供達に警戒された。


 何故目を隠しているのかも訊かれた。




「そうですね、孤児院の子供達はこの目を見ても大丈夫そうでした。次からは外して行こうと思います」




 遊んでいる最中にレースが翻っても子供達は全くわたしの瞳を気にする素振りを見せなかった。


 それどころか綺麗だと言ってくれた子もいた。




「ああ、きっと誰も気にしないだろう」




 お兄様も同じ考えらしい。




「最近は貴族のお茶会でも外す機会が増えました。もしかしたら、本当は、もう外してもいいのかもしれませんね……」




 他人を不愉快にさせないように。


 つらい記憶を掘り起こさないように。


 でもあれから八年が経った。


 八年しかとも言えるし、八年もとも言える。


 その八年で国は建て直されて豊かになった。


 まだ前王を恨む者はいるだろう。


 旧王家を許せないと思う人々もいる。


 ……でも、もういいのかもしれない。




「ルル、レースを外してくれる?」




 横にいたルルが覗き込んでくる。




「いいのぉ?」




 その灰色の瞳が気遣わしげにレース越しに見つめてくる。


 だから深く頷いた。




「うん、いいの」




 ルルの手が伸びて、そっとレースを持ち上げた。


 持ち上げたレースが後頭部へ流される。


 視界が明るく鮮明になる。


 誰かのためだとか言うのはもうやめよう。


 このレースは本当は、多分、わたしがしたかったんだ。


 理由をつけていたけれど、わたしは他人が怖かったのだと思う。


 ルルと、お兄様と、お父様と、ファイエットのみんな以外が怖かったのだ。


 だけどずっとそのままではいられない。


 もう怯えて過ごすのはやめよう。


 例え誰かがこの瞳を嫌ったとしても構わない。


 旧王家の証だと指差されても堂々としよう。




「わたし、もう隠れない」




 今日の子供達の笑顔を見て思ったのだ。


 レース越しではなく直に見たい。


 レースはわたしを視線から守ってくれるけれど、同時に世界を不鮮明にしてしまう。


 わたしの世界で一番はルルだけ。


 それは変わらない。


 でももう少しだけ世界を見てみたい。


 ルルが見ている世界を、ルルがいる世界を、わたしの目線で見てみたい。


 結婚するまででいい。


 外の世界に触れたいと思った。


 ルルが困ったように眉を下げる。




「オレから離れない?」




 灰色の瞳が不安そうに揺れた気がした。


 ルルに抱き着く。




「わたしの居場所はルルのところだよ」


「……そっかぁ」




 頭上から溜め息のような声が聞こえる。




「残りの三年間だけ、外の世界に触れてもいい?」




 見上げた先でルルが苦笑する。




「オレってばリュシーのオネガイに弱いんだよねぇ」




「仕方ないなぁ」と言うルルをギュッと抱き締める。


 目一杯の感謝の気持ちを込めた。


 ルルの腕がしっかりとわたしを抱き返す。




「三年だけ、ね?」


「うんっ」




 こほん、と向かい側から咳払いが聞こえた。




「とにかくリュシエンヌはレースをやめるんだな?」




 お兄様の問いかけに頷く。




「はい」


「では父上にも伝えるように。それからエカチェリーナ達にも。……きっと皆、喜ぶだろう」




 ふっとお兄様の青い瞳が和らぐ。


 ……そうだといいな。


 エカチェリーナ様達とのお茶会では既にレースをせずに過ごしていたが、今後は全ての公務でも素顔を隠すことはしない。


 最初はすごく注目されるだろう。


 でもそれはレースをつけていた時も同じだ。


 この瞳に自信を持ったわけではない。


 むしろ今でも琥珀の瞳なんて要らなかったと思う。


 だけど後ろ向きになるのはやめよう。


 レースで顔を隠さず、胸を張ろう。


 ルルの隣で真っ直ぐに立ちたい。


 お兄様の妹として顔を上げたい。


 綺麗だと言ってくれた子の言葉が背を押してくれる。


 ……わたしもこの目を愛してあげよう。


 すぐには難しいけれど。


 いつか、きっと好きになれると思う。








* * * * *








 クリューガー公爵邸の一室。


 自室の机に向かい、届いたばかりの手紙の封を切り、便箋を取り出してエカチェリーナはそれを読んだ。


 やや丸みを帯びた細く繊細な文字が便箋に綴られている。


 手短な季節の挨拶に、前回の手紙の返事、そうして喜ばしいことが書かれていた。


 友人であり、何れ義理の妹になるであろう王女殿下がレースで顔を隠すのをやめるという。


 エカチェリーナは大賛成である。


 元々、王女の琥珀の瞳は美しいので人目を集めてしまうものの、貴族達の中で、その瞳に否定的な者は少なかった。


 確かに前国王を思い出すと言う人間もいたが、だからと言って王女殿下を嫌う理由にはならないし、王女も旧王家の被害者であるという認識は貴族達の間で広まっている。


 王女の受けた虐待は全てではないが、大まかに広まっており、ほとんどの貴族はむしろ同情的だった。


 王女がレースで顔を隠すのは、もしや虐待で受けた傷を隠しているのでは、などという噂まで流れ始めていた。


 だからこそやめる時期としては丁度良い。




「それにお顔を隠すなんて勿体ないわ」




 王女殿下は美しい。


 ご本人はさほどご自分の外見に興味がないようなのだけれど、繊細で美しいお顔立ちに垂れ目が少し大人っぽい雰囲気を醸し出しており、琥珀の瞳が人目を惹く。


 背も同年代の子より高く、華奢で、落ち着いた性格だけど、どこか不安定な危うさもある。


 その危うさを守ってあげたくなるのだ。


 もしもエカチェリーナが男であったなら求婚していたかもしれない。


 王太子であり、彼女の義兄であるアリスティード殿下が心を奪われたのは納得だった。


 お茶会で何度も見ているが、その素顔を皆に見せれば、きっとリュシエンヌ様は有名な王女になるだろう。


 王族という身分でありながら彼女は謙虚だ。




「ああ、でも本当に良かったわ」




 王女がいつまでも顔を隠し続けるのは難しい。


 病でもないのに顔を隠し続ければ、貴族達から疑念を持たれてしまう。


 むしろこの一年ほど顔を隠していたことでリュシエンヌ様のお顔について色々な憶測も流れたものだ。


 親しい者や間近で関わった者はレース越しに顔を見ているため噂など興味を示さないが、噂好きな鳥達はこっそりと話題にしていた。


 この一年ほどでリュシエンヌ様のお顔に対する興味や期待は格段に上がっている。


 ここでリュシエンヌ様がそのお顔をお見せになることで、噂は消え、美しいお顔に貴族達から称賛の声が上がるのは間違いない。


 何とかして婚約者に成り代わろうとする者も出るかもしれない。


 ……でもはそのような者を許さないでしょうね。


 最初、情報を得た時は冗談かと思った。


 王女殿下の婚約者が闇ギルドで上位二位に位置付けられた凄腕の暗殺者だなんて、普通は考えない。


 その経歴を知ってゾッとした。


 そんな人間と婚約するなんてと心配もした。


 けれど実際に見たリュシエンヌ様とは寄り添い、幸せそうで、反対の言葉など出て来なかった。


 そもそも反対していたらどうなったことか。


 今はリュシエンヌ様を守る盾として見逃されているけれど、もしも二人の仲を引き裂こうとすれば、迷わず殺される。


 ハーシア様もミランダ様も情報を得て、同じ結論に達したのか、リュシエンヌ様との様子を静観している。




「さて、リュシエンヌ様に悪い虫がつかないよう、更に気を引き締めてかからねばなりませんわね」




 友人として、将来の義理の姉として、王家に仕える者として。


 心穏やかにお過ごしいただきたい。


 さっそく返事の手紙を書きながら思う。


 ……これからはもっと忙しくなりそうね。


 王太子妃としての、王妃としての教育もある。


 それでもその忙しさを想像すると笑みが浮かぶのは、やり甲斐があるからだった。


 アリスティード殿下と燃えるような恋はないものの、互いに信頼を築き上げ、家族として尊重し、共に国を支える良き相方にはなれそうである。








* * * * *









 その後、わたしは宣言通り顔を隠すことをやめた。


 どうやらわたしの顔に関する憶測というか、噂がひっそりと流れていたようだ。


 実は虐待の傷を隠している。


 実は不美人である。


 実は琥珀の瞳ではない。


 実は他者と直に目を合わせるのを厭っている。


 そういった感じの、あまり良くない噂が流れていたそうだ。


 わたしと間近で言葉を交わした人々はそれが嘘だと知っているので、噂を否定してくれていた。


 噂の元は、王女であるわたしと接したことのない下位貴族達であった。


 お父様もお兄様も憤慨してくれたけれど、わたしは彼らの処罰はしないで欲しいとお願いした。


 顔を隠し続けていたわたしも悪い。


 これでは貴族達に疑念を持たれても仕方ない。


 でもこれからは顔を出すので、そういった噂もなくなるから、気にする必要はない。


 そう伝えれば二人は噂の元の人々への処罰はしないでくれた。


 でも主に噂を囁いていた人達は信用を失って、社交界では爪弾きに遭っているらしい。


 ……まあ、王女を侮辱していたわけだしね。


 さすがにまずいと思ったのか、彼ら彼女らとの付き合いを切った人々も多いそうだ。


 自業自得と言えばそうだが少し可哀想な気もする。


 ちなみにこれらの情報はエカチェリーナ様達が、わたしに関わる噂だったからと事の顛末を教えてくれたのだ。


 お兄様もルルも話さないだろうから、と。


 確かにお兄様もルルも噂について口にしなかった。


 きっとわたしが知る必要はないと思ったか、わたしが傷付くかもと心配してくれたのだろう。


 エカチェリーナ様は「何事も知らないより、知っていた方が良いものですわ」と言っていたし、それもそうだなと思う。


 でも黙っていたお兄様やルルが悪いということもない。


 ともかく、顔を出したことで良い方向に向かうことになった。


 琥珀の瞳を表立って悪く言う者もいない。




「人気者だねぇ」





 むしろお茶会などの社交のお誘いが増えた。


 ルルが不満そうに言う。


 最近、ルルとのんびりする時間が減ったからだ。




「王女だからだよ」




 手紙を書くわたしの手元をルルが後ろから覗き込み、招待状の内容を素早く読む。





「そっちに行くより、同じ日のこっちの侯爵家のパーティーに参加した方が良くなぁい? クリューガー公爵令嬢派の家でしょ〜?」


「そうだね、それにこの家はまだ誰かに紹介してもらったこともないし」


「じゃあ尚更行く必要はないねぇ」




 対抗しているのか偶然なのか、同じ侯爵という地位の家が二つ、それぞれパーティーを主催するらしい。


 ルルが指差した方の侯爵家はエカチェリーナ様から紹介されたことがあるので、もしどちらかに行くなら、こちらへ行くべきだろう。




「お断りと出席、両方の返事を書かないとね」




 ペンを手に取り机に向かう。


 沢山の手紙を確認し、返事を書き終えるまで、ルルは傍で見守ってくれていた。


 時々「その家とこの家は仲が悪いよぉ」「この家は旧王家では王族派だったから近付かない方がいいかもねぇ」「そっちの家はラエリア公爵家の分家だよぉ」と教えてくれる。


 ……ルルって色々知ってるけど、闇ギルドで仕入れてるのかな?


 ルルの謎が一つ増えた。


 でもルルのそういう部分を想像するのは面白い。


 得体の知れなさがルルらしかった。







* * * * *

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