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孤児院の慰問(2)

 



 それから色々と教えてもらった。


 孤児院での子供達の様子、どのように教育しているか、どの程度まで教えているか、何を作って売っているか。


 今日一日だけで全て聞くのは難しい。


 それでもフィース様は出来る限り分かりやすく、孤児院にとって不都合なことや恥ずかしいことも包み隠さず話してくれた。


 わたしが思っているよりも孤児院はずっと複雑で不安定な環境だった。




「よろしければ子供達と話してみますか?」




 フィース様の申し出にわたしは目を丸くした。


 きっとレース越しで分からないだろうが。




「……いいのですか?」


「ええ、王太子殿下はいつも子供達と遊んでくださるので人気者なのですよ。子供達もいつもとても喜んでいます」


「いや、それは私が勝手にしていることで……」




 お兄様を見ると「私も気分転換になるから……」と珍しく気恥ずかしそうに頭を掻いていた。


 王太子になって以降、やんちゃさは鳴りを潜めていると思ったが、案外そうでもないらしい。


 ……お兄様、体を動かすのが好きだもんね。


 座学よりもダンスや剣の鍛練の方が生き生きしていた。でも勉強が嫌いというわけではないようだ。




「是非会ってみたいです」




 わたしの言葉にお兄様が心配そうに眉を寄せた。




「大丈夫か? その、子供達は貴族の子息令嬢とは全く違うぞ? かなりやんちゃな者ばかりだ」


「はい、分かっています。元より子供達に直接会ってみたいと思っておりましたので、今日のドレスも動きやすくて汚れてもいいものにしてあります」


「そうか」




 そこまで言えばお兄様は納得した風に頷いた。


 フィース様が案内してくれるということで、全員で部屋を後にする。


 あまり広くない孤児院なのですぐに子供の明るい声が聞こえてくる。


 建物を出て、庭先に出ると、子供達がわっと声を上げて駆け寄ってきた。


 ……お兄様ったら本当に大人気ね。


 子供達はみんなお兄様に集まった。




「おーたいしさまー!」


「おーじさま、またきたの?」


「きょうもかたぐるまして!」


「ねえねえ、またおもしろいおはなししてー」




 特に小さな子達がお兄様に抱き着くように寄ってきて、お兄様は身動きが出来なくなっていた。


 だけど護衛の騎士達が動かないので、恐らく、これがここでの普通なのだろう。


 お兄様の従者が子供によじ登られて苦笑している。




「久しぶりだな、元気だったか?」




 お兄様の言葉に子供達が「げんきだよ!」「げんきー!」と明るい声で返事をする。




「今日は私の妹も一緒なんだ」




 お兄様がわたしに振り返ったことで、子供達の視線がわたしへ移る。


 わたしは出来るだけ柔らかな笑顔を心がけた。




「初めまして、リュシエンヌです」




 そう言ってみたけれど、子供達はシンと静まり返ってしまった。


 やはり突然現れた人間は警戒してしまうのだろう。


 もしダメなら遠目に眺めるだけにした方がいいかもしれないと思っていると、女の子が近付いてきた。


 まだ四、五歳くらいの子だ。


 目線を合わせるために屈むとジッと見つめられる。




「……おひめさま?」




 問いかけるようなそれに頷いた。




「ええ、そうよ」


「おーじさまのいもうと? おーじさまはおひめさまのおにいちゃん?」


「ええ、お兄様はわたしのお兄様なの」




 女の子がにぱ、と笑った。




「わたしもいもうと! あっちがおにいちゃん!」




 そう言ってお兄様から少し離れた場所に立つ男の子を指差した。


 なるほど、兄妹というだけあって髪も瞳の色も同じで、よく見るとぱっちりした目元がそっくりだ。




「そうなの、カッコイイお兄様ね」




 その子のお兄さんはお兄様より少し背が低いけれど、精悍な顔立ちをしていた。


 女の子が大きく頷く。



「うん、かっこいい! おにいちゃんだいすき!」


「あら、わたしと一緒だわ」


「おひめさまもおにいちゃんすき?」




 その問いにわたしも頷き返す。




「ええ、たった一人の大事なお兄様よ」




 女の子がニコニコ笑う。


 その子のおかげで他の子供達も近付いてくる。




「うわあ、おひめさま?」


「おーたいしさまのいもうと?」


「にてなーい」


「どれすきれい!」




 近付いてきた子達がドレスのスカートに触る。


 外で遊んでいた子達なので、その手は少し土で汚れていたけれど、それが逆に微笑ましい。


 ……やっぱりこのドレスで正解ね。


 子供は初めて見たものを触りたがる。


 わたしは好きなようにドレスを触らせた。




「なんでめをかくしてるのー?」




 別の子が訊いてくる。




「わたしの目はあんまり見せない方がいいの。見た人に嫌な思いをさせたくないから」


「へんなめなの?」


「そうね、変というか、珍しいの」




 子供達は「そっか〜」「へえ〜」と言う。


 これくらいの子達は前王のことを知らない年齢だ。


 でも例えば、お兄様やわたしから距離を置いている子供達は、きっと王族が何なのか分かっている。


 だから小さな子達のように不用意に近付かない。


 それでもわたしに小さな子達が移ったため、動けるようになったお兄様に近付く子もそれなりにいる。


「相変わらずキラキラしてるなあ」「最近忙しかったのか?」「まあ、色々あってな」と聞こえる会話から親しさを感じる。




「ねえねえ、おひめさまもあそぼー? おいかけっこしようよ!」




 男の子がわたしの手を掴む。


 他の女の子がそれを止めた。




「おひめさまははしったりしないんだよ! あそぶなら、ほんをよんでもらうほうがいいよ!」


「えー! ぼくはおいかけっこしたーい!」


「そんなことおひめさまはしないの!」




 女の子と男の子がお互いに頬を膨らませる。


 可愛らしいそれに思わず笑みが浮かんだ。




「じゃあ両方しましょう? まずは本を読んで、その後に追いかけっこをするの」




 男の子が喜び、女の子が目を丸くした。




「おひめさま、はしれるの?」


「ええ、普段は走らないけど、お姫様も走れるのよ。でもこれは秘密。普段は走っちゃいけないから」


「そうなんだ! わかった、ひみつね!」




 女の子も嬉しそうに笑った。




「さあ、好きな本を持ってきて。でも二冊だけ。遊ぶ時間がなくなっちゃうから」


「はーい!」


「もってくる!」




 子供達の三分の一くらいが駆けて行った。


 ……二冊以上持って来そうね。


 待っている間に残った子供達と日陰に移動する。


 ルルが地面にハンカチを敷いてくれて、感謝しつつ、その上に座る。


 そしてわたしの傍に座ったルルにも子供が纏わり付いて、その長身の肩に登ろうとして、ルルにべりっと引き剥がされていた。


 子供はそれが面白かったようで、何度も引っ付いては引き剥がされて、笑っている。


 当のルルは少し鬱陶しそうにしていた。




「ほんもってきたー!」


「これよんでー!」




 と本を手に子供達が戻ってくる。


 その手には意外にも二冊だけ抱えられていた。








* * * * *









 孤児院の庭に少女の声が響く。


 高く澄んだ、けれど落ち着いたよく通る声だ。


 孤児院うちのチビ達がその声の主の周囲を取り囲み、珍しく黙って読み聞かせに耳を傾けている。


 中にはウトウトと眠りかけているのもいた。


 少女、いや、王女の声はゆったりとして聞き取りやすく、何となく耳を傾けてしまう。


 先ほどまで話していたアリスティードも妹である王女の読み聞かせを聞いているようだった。




「なあ、何で王女様は目を隠してるんだ? 別に目の色が珍しくたって隠すほどじゃないだろ?」




 アリスティードへ声をかける。


 妹が気になるのかアリスティードは視線をそちらへ向けたまま、少しばかり目を細めた。


 どこか寂しげな、悲しげな、そんな表情である。




「リュシエンヌは琥珀の瞳なんだ」


「……それって旧王家の、王族の証だっけ?」


「そうだ」




 琥珀の瞳と聞いて、想像してみる。


 宝石の琥珀のようなものなのだろうか?


 王族特有ということはキラキラギラギラした、宝石みたいな派手な色合いかもしれない。


 でもそれが隠すほどのことか?


 アリスティードが不意に視線を俺に向けた。




「前国王も琥珀の瞳だった」


「そうなのか?」




 前国王と言っても思い出せない。




「ああ。……リュシエンヌは自分の瞳のせいで、人々が旧王家を、その行いを、苦痛だった時間を思い出させたくないそうだ」




 旧王家がクーデターにより消えたのは八年前。


 当時の俺は五歳だった。


 妹はまだ生まれていなかったが、母親と、ボロボロの隙間風が入る家で日々食べる物を得るのに苦労しながら過ごしていた記憶がある。


 何も食べられない日も多かった。


 それでも母親は自分に出来るだけ食べ物をくれて、自分はいつも後回しにするような人だった。


 優しい人だった。


 でもそのせいで体が弱かった。


 妹を産むと母は亡くなり、義理の父はあっさり自分と我が子のはずの妹を捨てた。


 幸い、妹は自分と同様に母親そっくりだった。


 だからまだ父親が違うことは伏せている。


 もう少し大人になったら話すつもりだ。


 ……あの貧しい頃は思い出したくない。


 父親は税を払うために無理をしすぎて死んだ。


 死んだ父親の給金は全て税に持っていかれた。


 葬儀を行うことも出来ず、教会の管理する墓地でひっそりと別れを告げた。


 食べる物もなくて、毎日腹が痛くなるほど空腹で、母親が何とか働いていたが、半分近く税として奪われた。


 どうしても空腹で眠れない日は木の棒をかじって我慢したこともあった。




「そんなに前の国王に似てるのか?」




 アリスティードが首を振る。




「いや、絵姿を見たが顔立ちはあまり似ていない。瞳もリュシエンヌの方が美しい。しかし瞳の色の違いなんて、見比べないと分からないだろう?」


「だから隠すのか」


「貴族のお茶会では最近は外すことも増えている。けれど、国民はリュシエンヌの瞳を見慣れていない」




 俺くらいならまだしも、大人は多分、前の国王をよく覚えているだろう。


 同じ瞳を見て黙っていられない奴もいるかもしれない。


 同じ瞳を見て、昔を思い出す奴もいるかもしれない。


 王女様なのに顔を隠さないといけないなんて……。




「なんていうか、苦労してるんだな。お前の妹も」




 アリスティードが驚いたように俺を見た。


 そして困ったように笑った。




「ああ、リュシエンヌは五歳まで後宮で育ったが、決して良い暮らしではなかった。貧民街の子供よりも酷かったそうだ」


「王女なのにか?」


「母親は出産後に亡くなり、父親である国王は関心がなく、王妃に虐待されていた」


「おいおい、そういうこと話していいのか?」


「貴族なら誰でも知っていることだ」




 思わず王女を見る。


 読み聞かせを終えて、チビ達と一緒に立ち上がるところだった。


 自分は虐待されなかったが、それでも、王女様も自分と同じく母親を亡くし、父親に捨てられたのかと思うと少しばかり親近感が湧いた。


 チビ達にくっつかれても嫌そうな気配はなく、そのレースの下から覗く口元は穏やかに微笑んでいる。




「さあ、本を読み終わったから次は追いかけっこね? 誰が捕まえる役をしましょうか?」




 優しい響きの声だ。


 チビ達のためにゆっくり話しているのが分かる。




「ぼくにげる!」


「わたしもー!」


「おひめさまがおいかけるやくー!」




 きゃーっと声を上げながらチビ達が散る。


 王女様の返事すら待っちゃくれない。


 ふふ、と王女様が笑う。




「あら、わたしが捕まえる役なのね」




 その声はどこか楽しげだ。




「じゃあ十数えるわよ? 一、二、三────……十! さあ、行くわよ!」




 王女様がやや声を張り上げて駆け出した。


 意外にも軽やかに駆け出して、チビ達が近付いてくる王女様にきゃいきゃいと騒ぎながら逃げていく。


 王女様は手加減してるのだろう。


 チビ達の後ろをゆっくりと追いかけている。


 ひら、と目元を覆うレースが風にひらめく。


 その隙間から見えた瞳は、綺麗だった。


 ……なんだよ、すっげぇ綺麗じゃん。


 どんなにギラギラした瞳かと思えば、まるで濃い蜂蜜を固めたようなキラキラしたものだった。


 なるほどあれは宝石みたいな瞳だ。


 琥珀という宝石はきっとあんな感じなのだろう。


 それに王女様の顔はとても整っていて美しかった。




「なあ、王女様!」




 気が付けば声をかけていた。




「あんたの目、すっげぇ綺麗だぞ!」




 王女が驚いたように俺へ振り返る。


 そして嬉しそうに笑った。


 目元は隠れていたけれど分かる。


 きっとあの綺麗な瞳を細めて笑っている。


 横からアリスティードに背中を叩かれた。



「私も混ぜてくれ!」




 アリスティードが妹へ駆けて行く。


 ドキドキと高鳴る胸に手を当てていると、先ほどまで王女様の斜め後ろに座っていた王女様の従者と目が合った。


 やけに整った顔の男がニコリと笑う。


 何故か寒気を感じて身震いした。




「ケインもやろう!」




 アリスティードの声にハッとする。




「ああ、今行く!」




 慌ててその従者から顔を背け、アリスティードへ向かって駆け出した。


 ……貴族の従者って怖いんだな。


 今後は王女様に気軽に声をかけるのはやめておこうとケインは心に決めたのだった。







 

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