ルルとリュシーの家探し
* * * * *
十二歳になってから半年が経った。
エカチェリーナ様達とのお茶会も何度か重ね、つい先日はハーシア様の開いたお茶会にも参加した。
初めて会うご令嬢ばかりだったけれど、皆、ハーシア様やエカチェリーナ様、ミランダ様と親しくするだけあってきちんとした人達だった。
逆を言えば、そのお茶会で会わなかったご令嬢には気を付けなければならないということでもある。
……ううん、今日はそういうことを考えるのはなしにしよう。
今日は地味な臙脂色のドレスにくすんだ焦げ茶色のローブを着込んで、更に下にはレースで顔を隠している。
ルルと、結婚後に一緒に住む家を探すために王城から出ているのだ。
既に建っている家を購入するのか、これから新しく建てるのかも含めて決める予定だ。
それについては懐事情と相談である。
わざと目立たない格好なのは、街にあるという、ルルが家について相談出来る人物に会うためだ。
ただどこに行く予定なのかは聞いていない。
ルルが御者に目的地の住所を告げた時、御者も騎士達も顔を強張らせたのが少し気になる。
「あ、着いたみたいだねぇ」
馬車の揺れが収まり、停車する。
扉が外から開かれてまずは私服の騎士達が降りて、それからルルが、ルルの手を借りてわたしが降りる。
降りてから辺りを見回した。
……うん、どう見ても危ない場所だ。
昼間でも薄暗い大通りから外れた道。
多分、あまり大きな声で言えないだろう職業についていそうな男性達が脇の路地に箱を置いて、そこに腰掛けて
今日のルルは久し振りに顔を布で隠している。
服は一般人らしいラフな格好だけどね。
「こんなところに家を相談出来る人がいるの?」
「いるよぉ。仕事が早くて情報を漏らさない、そこそこ信用出来る人間がねぇ」
とてもそんな人がいそうな雰囲気ではない。
……それってもしかして。
「闇ギルドの人だったりする?」
「うん、そうだよぉ。よく分かったねぇ」
「……おお……」
偉い偉いとフードの上から軽く頭を撫でられる。
わたしは感嘆とも驚愕ともつかない声が漏れた。
それ、お父様に話してあるのだろうか。
チラと騎士達を見ると首を振られた。
……あ、これ許可取ってないやつだ。
多分いつも通り「街に出て家探してくる〜」みたいな軽いノリで話して、お父様もどこかの商家に行くと勘違いしたやつだ。
闇ギルドに行くと分かってたら、絶対にもっと護衛をつけただろうし、そもそも行くこと自体を許してはくれなかったと思う。
「わたし、入っても大丈夫?」
明らかに子供の背丈のわたしだ。
入ったら即座に叩き出されるとか、誰かに絡まれるとか、そういうことになりそうである。
でもルルは軽い調子で頷いた。
「オレがいるから大丈夫だよぉ」
「そっか……」
ちょっと不安である。
「ルル、手を繋いでもいい?」
ルルが「いいよぉ」と手を差し出してくれる。
それをしっかり握る。
そうしてルルとわたしと二人の護衛騎士の四人で、闇ギルドの扉を開けたのである。
……酒場、かな?
入ると途端にアルコール独特の臭いがする。
薄暗い店内には人影がいくつもあったけれど、全員の視線がこちらに突き刺さる。
ギュッとルルの手を握ると握り返された。
歩き出すルルにつられてわたしも歩を進める。
四人で酒場のカウンターに向かう。
「マスタァ、久し振りぃ」
カウンターの中にいた大柄な男性が振り返る。
ルルを見るとニッと口角を引き上げた。
「何だ、お前か。下から入ってくるなんて珍しいじゃないか」
「うん、今日は連れがいるからねぇ」
「連れ?」
男性が今気付いた様子でわたしと騎士達を見た。
「お前さんがそんな大所帯でいるなんて初めて見たぜ。明日は槍でも降るのかねぇ」
目を丸くして見つめられる。
俯くと、ルルがわたしを隠すように一歩前に出る。
「うるさいなぁ」と珍しくルルが鬱陶しそうな声を出した。
その声は普段のものよりも平坦で温度がない。
「それより上に行きたいんだけどいいよねぇ?」
男性がわたし達を見て「連れて行っていいのは横のおチビさんだけだ」と言った。
騎士達が何か言う前にルルが手で制する。
「あんたらはここで酒でも飲んで待っててよぉ」と頭上から声がした。
騎士の「しかし……」という言葉は最後まで続かずに途切れた。
ルルから冷たい空気が漂ってくる。
これが殺気というものだと気付いたのはつい最近のことだが、この殺気、なかなかに落ち着かない気分になるものなのだ。
自分に向けられていないだけでもそうなのに、騎士達は真正面からそれを向けられて口を噤んでしまう。
「どっちみちあんたらじゃあ入れないしねぇ」
ルルが空いた手でカウンターの上に銀貨を数枚置いた。
「ここで、待ってよ。……ね?」
うっそりと笑ったルルに騎士達が苦い顔をする。
だからわたしも大丈夫だと頷いた。
わたしが頷いたので、騎士達もそれ以上は言うことはなかったけれど、不満そうだった。
……ごめんなさい。
ルルに手を引かれて奥の階段を上っていく。
薄暗くてギリギリ足元が見えるかどうかといった感じだったので、どうしてもわたしの歩みが遅くなる。
それに気付いたルルがわたしを見下ろした。
「足元見える〜?」
「……何とか見える」
「ん〜、転びそうだねぇ」
踊り場で立ち止まったルルが屈み込み、ひょいとわたしを抱え上げた。
もう十二歳なのでかなり成長しているし重いのに、それを感じさせない軽い動作だ。
わたしを横抱きに抱えると暗い階段を上っていく。
途中、二階に上がった際に明らかに強面の男性達に睨まれたけど、ルルが「やっほぉ」と挨拶すると慌てた様子で礼儀正しくなった。
……さすが闇ギルドで三本の指に入る立場である。
階段を上ってもルルはわたしを下ろさず進んだ。
すれ違う人の数は少ないが、皆一様にルルに礼儀正しく接し、そして抱えられたわたしの存在を気にしていた。
暗殺者がいきなり子供だと分かる人間を抱えて現れたら誰だって驚くだろう。
でも誰も問いかけないのはルルから漂う威圧感みたいなもののせいかもしれない。
それなのにわたしと目が合うと、いつもの緩い笑みを目元に浮かべるのだ。
……本当にわたしは特別扱いなんだなあ。
嬉しいような、恥ずかしいような、やっぱりすごく嬉しい気持ちになる。
そうして階段を上り終えると人気のない廊下を進み、人影の立つ扉へ向かっていった。
扉の前に立つ人は今のわたしと同じようにローブで顔や体を隠している。
ルルが正面に立つとローブの人は首を振った。
するとルルが小さく舌打ちする。
……え、ルルの舌打ちなんて初めて聞いた。
「リュシー、こいつに顔をみせてやってぇ」
わたしはフードを下ろして、顔にかかっていたレースも上げて、素顔を晒す。
するとローブの人が今度は頷いた。
レースとフードを元に戻す。
ローブの人が扉を何度か叩き、中からベルの音がすると、ローブの人が扉を開けた。
わたしを抱えたままルルが中へ入った。
「ルフェーヴル、また何かご入用です、か……」
中にいた人物がわたしを抱えるルルを見て目を丸くする。
扉の閉まる音が妙に大きく響く。
扉が完全に閉まるとルルが動き、わたしを一人がけのソファーにゆっくりと下ろす。
長い髪に眼鏡をかけたその男性が「あなたまさか……」と信じられないと言いたげな顔でルルを見る。
「家が欲しいんだぁ」
ルルがわたしのフードを外して、レースをそっと持ち上げる。
男性はわたしと目が合うと立ち上がった。
「王女殿下、」
礼を執ろうとするのを咄嗟に手で制する。
「わたしは人目を忍んでここに来ています」
「かしこまりました」
男性が顔を上げる。
「お嬢様、当ギルドへようこそ」
その表情に焦りはない。
「こいつはアサド。ここのギルド長だよぉ」
「アサド=ヴァルグセインと申します」
ソファーの背もたれに寄りかかるように座ったルルが紹介し、闇ギルドのギルド長が名乗った。
わたしは頷き返す。
「リュシエンヌです」
家名まで名乗る必要はないだろう。
どうせもう身元は分かっているのだから。
手で座るように示せばギルド長は椅子に腰を戻した。
「それで、家が欲しいという話でしたか?」
驚いていてもきちんと話は聞いていたようだ。
「そうだよぉ、結婚後にオレ達が住む家が欲しいんだよねぇ。あと使用人も何人か要るかなぁ」
ギルド長が首を傾げた。
「結婚と言っても後四年は先でしょう? まだ早いのではありませんか?」
「いやいや〜、オレ達が住むんだよぉ? 早めに準備して完璧な巣作りしておかなきゃ困るしぃ、使用人だけでも先に住まわせて土地の人間に馴染ませておくのは基本でしょ〜?」
「それは間諜の話だと思いますが……。どのような条件の場所や建物が良いんですか?」
「ん〜」とルルが考える仕草をする。
「まずはぁ、部屋数が多い方がいいなぁ。外から建物の中が見えない程度には庭も欲しいしぃ、外と隔てるための高めの壁と門も必要だねぇ。使用人の住む場所も必要だよねぇ。それで王都から少し離れた場所がいいなぁ。オレ仕事続けるからぁ」
ギルド長がホッとした顔をする。
「あなたに辞められると困るので助かりますよ」
「あはは、オレ稼ぎ頭の一人だもんねぇ」
「ええ」
……へえ、そうなんだ。
でもルルは今はわたしの侍従をしてるから、夜しか働いていないと聞いたけど。
それでも結構稼げているのだろうか。
そんなことを考えているとギルド長がこちらを見た。
「お嬢様は何かご希望などございますか?」
……希望かあ。
「街から少し離れていると嬉しいです」
ギルド長が目を瞬かせた。
「よろしいのですか? 外出時に少々不便かと存じますが」
「はい、喧騒から離れたいです。ルルと二人、お家でゆっくり、周りを気にせずに暮らしたいので」
「そうですか。……ふむ……」
ギルド長が立ち上がると本棚に歩み寄り、そこに置かれていた大きな箱を取るとこちらへやって来る。
テーブルの上に箱を置いて蓋を開ける。
中には沢山の紙の束が入っていた。
そこから束を取り出し、そのうちの一つの束を置くと他の束を箱の中へ戻す。
そうして残った束を纏めている紐を解き、何枚かの紙をテーブルへ広げていった。
「候補に良さそうな建物と土地が四つあります。既に建物がある物件三箇所と、土地のみが一箇所ですね」
わたしとルルとで紙を覗き込む。
「元からある建物と新しく建てるのどっちがい〜い?」
「今ある建物でいいよ。古ければ修繕したり改築したりすればいいし、新しく建てるよりも安く済めば、その分を別のことに回せるから」
「そうだねぇ」
土地だけの書類をギルド長が外す。
他のものは土地と建物が両方あるようだ。
貴族の別邸だったもの、豪商が住んでいたもの、商業ギルドが元々使っていたもの。この三つだ。
建物の見取り図も書かれている。
部屋数で言うと商業ギルドの建物だが、応接室などが多く、一つ一つの部屋はそれほど大きくはない。
豪商の屋敷はそこそこに部屋があるけれど、庭がやや狭く、屋敷を売り払ってからの年数が大分経っている。
最後のものは、やはり貴族の屋敷だけあってなかなかに良さそうである。部屋数もあり、一つ一つの部屋も広く、売り払われてまだ半年ほどだ。
「ここが気になるね」
貴族の屋敷の見取り図を手に取る。
ルルがわたしの手元を覗き込んだ。
「良さそうだねぇ」
「うん、街からもちょっと離れてる」
王都の西にある街の外れだ。
「そちらの建物は周囲を木々に囲まれており、民家もないのでとても静かな場所です」
「何で売り払われたの〜?」
「療養していた貴族の奥方が快方に向かったので本邸へ帰ったからです。ああ、病気ではなく、精神的な病での療養だったそうですよ。奥方がもうその屋敷に戻りたくないと言って売り払ったという経緯ですね」
「ふぅん」
ルルに視線を向けられて頷き返す。
ここなら良さそうだ。
ルルもそう思ったのか頷き返される。
「じゃあここにしようかなぁ」
ギルド長が「見に行かなくて良いのですか?」と訊いてきた。
「リュシーはそう簡単に出かけられないからねぇ。それに気に入らなかったら改装を頼むから、その時はよろしくぅ」
「なるほど、分かりました」
「とりあえず契約金は渡しとくねぇ」
ルルが懐から取り出した袋をテーブルへ置く。
男性はそれを手に取り、袋の口を僅かに開けて中身を確認すると頷いた。
「確かにいただきました」
「気に入ったら残りの金は払うよぉ」
「ええ、気に入らなければ契約金も返金しましょう。本契約の際はいくらかお安くいたしますよ。使用人の仲介料もね」
ルルが小首を傾げる。
「いいのぉ?」
「まあ、遅くなりましたが婚約祝いと思ってください。あなたには随分と稼がせていただいておりますので」
「そういうことねぇ。それならありがたく受け取っておこうかなぁ」
それからルルとギルド長が使用人の条件について話し合う。
条件は細かく指定すると結構あったけれど、最低限の条件は三つ。
一つ、戦闘が行えること。
一つ、口が固く必要以上に詮索して来ないこと。
一つ、隠密能力に長けていること。
以上である。
まず一つ目は、屋敷の守護とわたしの護衛を兼ねており、もしも誰かが侵入した際に戦えなければ困るからだ。
二つ目は、わたしやルルの情報を漏らさないことと、うるさくあれこれ訊いてこないことがいい。
三つ目は、わたしとルルが過ごす中であまり他者の気配を感じなくて済むようにするためと、わたしの目にあまり使用人が映らないようにしたいというルルの希望もある。
他の細かな条件はルルとわたしの我が儘が大きい。
闇ギルドが紹介する使用人はほぼ隠密能力や戦闘能力など何かしらの能力に長けた者らしいので、普通に商業ギルドなどに頼むよりずっと信頼性が高いそうだ。
「何なら現役を退いたジジババを引き抜いてもいいよぉ」
「おや、よろしいので?」
「うん、若い奴よりはジジババの方が安心出来るかなぁ。若い奴だとオレのお姫サマに惹かれちゃうかもしれないからさぁ」
「……そうですか」
一瞬、ギルド長が変なものを飲み込んだような顔をした。
でもルルとわたしを見て、納得した風に手元の紙にメモを取る。
先ほどからルルはギルド長と話しながら、わたしの頭を撫でたり、髪を手で梳いてみたり、とにかくわたしに触れ続けていた。
それを見るだけでルルがわたしに執着してるのはよく分かるだろう。
わたしがそれを好きにさせているから、わたしの意思も多分、伝わっていると思う。
ギルド長が苦笑する。
「あなたに執着出来るものが見つかって良かったですね。ガルムも喜ぶでしょう」
「どうかねぇ、あのクソジジイだからなぁ」
……ガルム、さん?
「誰?」
ルルに問うと珍しく眉を下げた。
困ったように笑う。
「オレの師匠でねぇ、ガルムって名前のジジイなんだけどさぁ、子供にも容赦ないとんでもないクソジジイなんだよぉ」
「ルルの師匠って、本業の?」
「そうだよぉ。暗殺とか隠密の技術はぜぇんぶ、そのジジイから教わったんだぁ」
それはそれで気になる人だ。
会ったらルルの幼少期とか訊いてみたい。
でもルルは嫌そうな顔をしている。
……あんまりお師匠さんが好きじゃないのかな?
しかし見上げた灰色の瞳には僅かに懐かしむような光があり、きっと、嫌いではないのだろう。
「まあ、ジジイのことはともかく、そういう現役辞めたばっかりの人間でもいいよぉ」
「ではそういった者達にも声をかけておきましょう」
「頼んだよぉ」
それで二人が頷き合った。
選んだ物件の見取り図は持って帰っていいそうで、ルルがそれを畳むと懐に仕舞う。
椅子の背もたれから立ち上がったルルが思い出したようにギルド長を見やる。
「そうだぁ、あと三つオネガイ」
ギルド長がテーブルに広げていた残りの書類を片付けながら、顔を上げる。
「はい、何でしょう?」
「ある程度はやってあると思うけどぉ、屋敷の修繕が一つ〜。それから本契約後に選んだ家具や調度品を屋敷に適当に持っていって欲しいので二つ」
「ああ、そうですね、そちらも承りました」
「最後にぃ──……」
ルルがうっそりと目を細める。
「屋敷の場所や主人なんかのオレ達に関わる情報は売らないでもらいたいんだよねぇ」
ルルもわたしもひっそりと暮らしたいのだ。
誰かに押しかけられるのは嫌だ。
「そうですね、その方が良いでしょう」
ギルド長が深く頷いた。
ふわ、とルルに抱き上げられる。
「それじゃ、よろしくぅ」
ご機嫌なルルの声にわたしも続ける。
「よろしくお願いします」
「はい、それではお気を付けてお帰りください」
ギルド長がニコリと微笑む。
ルルがわたしを抱えて背を向け、扉を蹴った。
すぐにフードの人物が外より扉を開ける。
「…………蹴るな」
その声は低いけれど女性の声だった。
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