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6日目(1)

 






 翌日、目を覚ますとお腹が鳴った。


 口内を火傷したのでさすがにちょっと食事を控えていたけれど、そろそろ空腹である。


 立ち上がり、毛布を出て物置部屋の奥にある机の一番下の引き出しを開ける。


 その奥にある包みを取り出した。


 彼、ルルからもらったものだ。


 それを下着の隙間に挟み込む。


 物置部屋を出て井戸へ向かった。


 メイド達が忙しそうにしていたため、そっとバレないように建物の外へ出た。


 井戸へ辿り着き、水を汲む。


 まずは寝起きで乾いた喉を潤した。


 それから近くの木々の茂みに隠れて、持ってきた包みを服の下から引っ張り出して開ける。


 誰かに見られたら絶対に取り上げられる。


 包みから甘い香りのするそれを一枚出す。


 まだ口の中はただれているので端っこを口に含み、唾液でふやけるのを待つ。


 ただ味はあまり分からない。


 甘い匂いはしているが、火傷した舌は味覚を感じ難くなっているようだ。


 それを残念に思いながら少しずつかじる。


 ……それにしてもルルが名前を教えてくれた。


 本名じゃなくて愛称なのは、それなりにわたしのことを気に入ってくれているってことでいいのだろうか。


 ファンディスク発売前に死んだのが悔やまれる。


 まあでもゲームはゲームだ。


 わたしもルルもここで生きている。


 失敗したらロードでやり直せる世界じゃない。


 みんな、ちゃんと人間で、生きてるんだ。


 ゲームそっくりな世界だけど、それだけ。


 実際、わたしはルルと仲良くなれたけど、原作ゲームではリュシエンヌに暗殺者の知り合いがいるという描写はなかった。


 つまり、ここは似ているだけの別の世界って考えていた方がいい。


 わたしはただ生き延びることを目指す。


 原作まではまだ十年は時間がある。


 何よりわたしの記憶が戻った時点でリュシエンヌはゲームのリュシエンヌとは違う。


 原作のようなことは起きない。多分。




「こんなところにいたぁ」




 空気が微かに揺れるような感じがして、ルルがわたしの横にひょいと降り立った。


 そうして目線を合わせるように屈む。




「おはよう、ルル」




 食べ物から口を離して挨拶をする。


 ルルが目を細めた。




「おはよぉ、って言ってももう昼過ぎだけどねぇ」


「いいの。おきて初めて会ったらおはようなの」


「そうなんだぁ?」




 もそもそと食事をするわたしの横で、ルルはどこにも行かずに付き合ってくれている。


 何が楽しいのかジッとわたしを眺めていた。


 わたしは見守られながら食事を続ける。


 そろそろ喉が渇いてきたなと思うと目の前に何かが差し出される。




「はい、お水〜」




 平たい容れ物を受け取り、口をつける。


 フタはルルが持っているらしく、中の水で口の中のものを流し込む。


 もう一口水を飲んでから返す。




「お水ありがとう」


「どういたしましてぇ」




 返した容れ物をルルは受け取ったけれど、フタを閉めずに手に持ったままだ。


 もしかしてわたしがまた飲むかもしれないから持っていてくれてる?


 また食べ物の端っこを口に含む。


 そうすると当然だがお喋りは出来ない。


 ルルは沈黙をあまり気にしないらしい。


 茂みに隠れたわたしとルルの二人で静かに座って過ごす。


 一枚食べ切ると褒めるように頭を撫でられた。


 それに押されるように二枚目に手をつける。


 でも二枚目を食べ切るのは難しそうだ。


 横向きに両手に持ち、力をこめる。




「ふっ!」




 ……割れない。


 確かにかなり固いしなぁ。


 逆に手の平が痛くなった。


 横から伸びてきた手がひょいとわたしの手の中のものを取った。


 目の前でそれがパキリと割られる。


 凄い、片手で割った!


 両手をくっつけて差し出せば、手の平の上に二つに割れた食べ物が落ちてくる。




「ありがとう」




 ルルが首を捻った。




「リュシエンヌはすぐにお礼を言うよねぇ」




 心底不思議そうな声音だった。




「なにかしてもらったら『ありがとう』だし、悪いことしたら『ごめんなさい』しなきゃダメなんだよ」


「そっかぁ、そうかもねぇ」


「ルルは言わないの?」


「ん〜……」




 何やら思い出そうとするような仕草を見せたものの、ルルは「うん」と頷いた。


 暗殺者だし、悪いことも沢山してそうだし、お礼はともかく謝罪はあんまり口にしなさそう。


 まあ、感謝の言葉も謝罪の言葉も自発的にするから意味があるのであって、ここでわたしが注意したところで意味はない。




「オレは仕事で良いことも悪いこともするから、いちいち『ありがとう』も『ごめん』も言わないかなぁ」


「そっか」




 だろうね、という感じ。




「……怒らないの?」




 こちらの様子を窺うようにルルが言う。


 あ、一応何かしらの自覚はあるんだ?


 わたしは手の中の二つに割れた食べ物を見る。


 その片方をルルに差し出した。




「おこらないよ。だって『ありがとう』も『ごめんなさい』も自分が言いたいときに言うものだもん。ルルが言いたいときに言えばいいと思う」




 ルルは目を瞬かせ、食べ物を受け取った。


 自分の手の中のそれとわたしの顔を交互に見て、それから声もなく笑った。




「リュシエンヌは変わってるよねぇ」




 そう言い、顔を隠すように巻いたマフラーみたいなものの下に食べ物を差し込んだ。


 布を下げたりはしないんだね。


 ちょっと顔が見られるかもしれないと考えていたので残念だったが、見せたくないものを無理に見るつもりもない。


 ガリ、バキ、と噛み砕く音がする。


 うわ、この固いやつ普通に食べてる。


 わたしは真似をせず、残った欠片の一部を口に含んでふやけるのを待った。




「リュシエンヌはここを出られるとしたら何がしたい?」




 唐突な質問に考える。


 美味しいものは食べたいけど、リュシエンヌの体ではあんまり食べられないし。


 服も着られれば豪華なものじゃなくていい。


 ここでは寝ようと思えば好きなだけ寝られる。


 外に出たければ井戸へ行けばいい。


 そもそも外に出たとしてもわたしはやりたいことってあるのだろうか?


 押し黙ったわたしにルルが首を傾げた。




「したいこと、ないのぉ?」




 うん、とそれに頷き返す。




「ふぅん? 欲しいものは?」


「口がいたいのなおしたい」


「そういう意味じゃないんだけどぉ、それも欲しいものになるかもねぇ」




 とにかく口内の火傷は問題だ。


 食べ物を食べ難いのは嫌だ。


 それに地味に痛い。


 味が分かり難いのもつらい。




「そういえば、体の傷はまだ痛い〜?」




 口に食べ物を咥えたまま腕を動かしてみる。


 うーん、まだ痛いかな。


 食べ物を手に戻す。




「いたい」




 ルルが目を細めた。


 少し不機嫌そうな感じがした。




「夜に痛み止めあげる」


「よる?」


「飲むと眠くなっちゃうから。誰かに呼ばれた時に起きられないと怪しまれるよぉ」


「わかった」




 王妃達は気まぐれにわたしを呼んで暴力を振るったり、意味のない仕事をさせたりする時がある。


 確かに呼ばれた時に起きなかったら不審がられるだろう。


 ルルが会いに来てくれているのは秘密だから。


 頷いたわたしの頬にルルの手が伸びる。


 指が口元を拭った。




「砂糖ついてるぅ」




 ハードビスケットのようなこの食べ物は周りに砂糖がまぶしてあるので、それが口の周りにもついてしまっていたようだ。


 手袋をつけた手の指に砂糖がついている。


 口元に差し出された指をぺろりと舐めた。


 うん、砂糖だから甘い。


 喉が渇いた時のために用意しておいた井戸の水は無駄になってしまったけれど、まあいいか。


 わたしが食べ終わるとルルはもう一度わたしの頭を撫でて、音もなく姿を消した。


 ……結局、ルルは何しに来たんだろう?


 そして普段は後宮のどこにいるんだろう。


 桶の水を捨てて物置部屋へ戻る。


 部屋の扉を開けて隙間から中へ入り、扉を閉める。


 毛布の上へ寝転がった。


 ……外に出たらやりたいことかぁ。


 クーデターが起こればリュシエンヌは後宮ここを出ることになる。


 新しく王族となったファイエット家で第一王女として何不自由なく暮らせるはずだ。


 食事も、着る物も、寝る場所も、王女に相応しいものが用意されるだろう。


 やりたいことや欲しいものが思いつかなかった。


 ……でも、もし許されるなら……。


 後宮ここを出た後もルルに会いたい。


 わたしが、リュシエンヌが初めて名前を教えてもらった相手だから。


 誰よりも優しくしてくれた人だから。








* * * * *









 天井の裏を通り、ルフェーヴルは王妃のいる部屋へ移動した。


 相変わらず王妃はゴテゴテと着飾っており、絢爛豪華な部屋の中央で悠然と過ごしている。


 リュシエンヌがあんな味気ないビスケットを大事に食べていたというのに、同じ建物の中で、王妃は専属の料理人達が作った料理を楽しんでいた。


 王妃一人では食べ切れないほど多くの種類の料理がテーブルに並べられ、そこから食べたいものを食べたいだけ食べる。


 中には一口も手をつけられない皿もある。


 時間をかけて王妃はそれらの料理を食べるのだ。


 時には王子や王女達と共にすることもあるが、今日はどうやら一人で楽しみたい気分らしい。


 値の張るワインを飲み、高級な食材で作られた料理を食べ、他国から輸入した良質の絹のドレスを身に纏い、大粒の真珠や宝石の装飾品で身を飾る。


 王も、王妃も、側妃も、王子や王女達も、まるで示し合わせたように同じ贅沢をする。


 王城の外がどのような状態かなど考えもしない。


 王族が贅沢に溺れ、国庫を食い潰し、その分を国民から税金として取り上げ、払えなければ罪人扱いで酷いと処刑されてしまう。


 王都の民ですら裕福とは言えない暮らしなのだ。


 地方は貧しさに喘いでいるだろう。


 ……それも後少しで終わる。


 依頼主のベルナール=ファイエット侯爵が旗印となってこの状況に耐えかねた貴族達が、約一週間後、クーデターを起こす予定だ。


 依頼主は王権の簒奪を企てている。


 そして王族はリュシエンヌを除いて処刑される。


 リュシエンヌだけはその出自と生い立ちの状況から処刑を回避した。


 それもそれで憐れな話である。


 共に処刑された方が幸せなのかもしれない。


 しかしルフェーヴルはリュシエンヌを死なせるつもりも、殺させるつもりもなかった。


 もしリュシエンヌの処刑が決まったとしても、前日の夜に後宮から攫い出し、誰の目にも触れない場所へ閉じ込めるだけだ。


 ……報告しなければ良かったかなぁ。


 そうすれば依頼主や貴族達に気付かれずにリュシエンヌを自分のものに出来ただろう。


 ルフェーヴルはその点だけは少し後悔していた。




「この料理にこのワインは合わないわ!」




 王妃は怒りの滲んだ声で叫ぶように言い、給仕に中身の入ったグラスを投げつけた。


 中のワインが給仕の衣類を赤く染め、落ちたグラスはその足元で割れる。


 グラスを投げつけられた給仕は謝罪の言葉を口にすると、すぐに新しいものを用意するために下がった。


 部屋の端に控えていた別の使用人達がグラスの破片や溢れたワインの後片付けを行う。




「料理に合うワインくらいきちんと選べないのかしら。全く、せっかくの料理もワインも、合わなければ無意味じゃない」




 苛立った声で王妃が言う。


 誰かに向かって言ったわけではない言葉だが、控えていた侍女が「そうですね、さすが王妃様ですわ」と同意した。


 ……何がさすがなんだかねぇ。


 王妃が料理に合わないと投げたワインだが、それを選んだのは恐らく料理人だろう。


 料理に合うものを用意したはずだ。


 個人の嗜好や感じ方もあるけれど、料理人の選んだ酒が合わないと思うのは、王妃の舌の方が味を分かっていないのではないだろうか。


 新しいワインを持ってきたのは別の給仕だった。


 王妃はそのワインを飲むと目を細めた。




「そうよ、この味よ」




 満足そうに頷き、食事を再開する。


 見たところワインの色味は先ほど投げたグラスの中身と全く同じに見える。


 下がった給仕が一瞬、安堵の表情を見せた。


 ……この様子だとしばらくは動かなさそ〜。


 天井裏を伝って移動する。


 今のうちにリュシエンヌにあげる薬を買ってこよう。


 痛み止めの薬と、体に塗る軟膏と当て布、ただれてしまった口内を治すための薬草を使った飴が必要だ。


 飴はあまり美味しくないが、舐めることで薬草の成分が傷に効くし僅かに痛み止めの作用もあるので、嫌がっても食べさせるつもりだ。


 どれもそれなりに値の張る薬だ。


 だがルフェーヴルの収入で見れば、さほど高い買い物ではない。


 物を与えることでリュシエンヌが自分に懐くのであれば安いものだ。


 後宮を出て、敷地を抜け、城壁を越える。


 王都の屋根の上を駆けていく。


 隠密に長けたスキルや魔法を行使出来るルフェーヴルは誰に見つかることもなく、馴染みの薬屋へ向かったのだった。






* * * * *

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