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男爵と鉱山

 





 あの教会の事件以外は何事もなく時は過ぎて。


 わたしは十一歳になり、あっという間に十二歳目前になった。


 十二歳からは王族として公務に出なければならない。


 王族としての教育を早めに始めたおかげで不安はないが、それでも、心配することは多い。


 旧王家の血筋のわたしを周囲が受け入れてくれるか。


 新王家の一員として認められるか。


 きちんと公務をこなせるか。


 色々と気になる部分がある。


 もうすぐわたしは十二歳になる。


 初めての公務はお兄様の時と同じく、十二歳の誕生日を祝うパーティーという名の舞踏会だ。


 お兄様も十二歳の誕生日に王家主催の大きな舞踏会が開かれ、それが初めての公務だった。


 その翌日にお屋敷で誕生日パーティーもした。


 まだパートナーのいないお兄様は一人で出たが、大勢の貴族の子息令嬢に囲まれて大変だったらしい。


 ……まあ、お兄様はあの外見だし、王太子だし、色んな人が縁を作ろうと集まったでしょうね。


 むしろお兄様は昼間に立太子の儀を執り行い、夜に誕生日と立太子のお祝いの舞踏会ということだったので、わたしよりも大変だったと思う。


 初の公務であり、舞踏会の主役となることもあって、当日に着るドレスや身に付ける装飾品にはかなりお金がかけられた。


 派手さはないが品の良いドレスや装飾品だ。


 ドレスの色は柔らかな淡いパステルグリーンで、装飾品は瞳に合わせて金で統一されている。


 そしてこの公務にはもう二つ重要なことがある。


 一つは、わたしとルルの婚約発表だ。


 入場とファーストダンスはお兄様と踊るけれど、その次のダンスはルルと二度踊ることが決まっていた。


 同じ相手と二度続けて踊るというのは、貴族の常識では恋人や婚約者に限られており、夫婦になると三度続けて踊ることが出来るようになる。


 二度続けてルルと踊る。


 つまり、この人は恋人か婚約者ですよと周知させるための一種のパフォーマンスである。


 そう習ってからはルルと続けて踊ることをずっと夢見てきた。


 ……練習では何度も踊ってるけど。


 練習と本番はやはり違う。


 退場時はルルと一緒に、ということになった。


 全体の流れでは貴族達が入場し、最後に王族であるわたし達が入場、お父様が挨拶してわたしの紹介と婚約を発表し、お兄様とルルと踊ったら、貴族達がわたし達への挨拶をしに来て、後は時間になるまで好きに過ごせば良いそうだ。


 好きに過ごすと言っても、恐らく高位貴族達やその子息令嬢に話しかけられるだろうからのんびりは出来ないらしい。




「いざとなれば『初めての夜会で疲れた』とでも言って席で休んでいれば良い。王族の席に戻れば近付いて来る者もいないだろう」




 既に経験済みのお兄様がそう苦笑していた。




「お兄様もそうしたんですか?」


「ああ、初めての公務では身動き出来ないんじゃないかと思うくらい囲まれて大変だった」


「そうなのですね……」




 と、いうことであった。


 二つ目の重要なことは、継承権についてだ。


 わたしが王位継承権を放棄することを、正式に公の場で発表するのである。


 お兄様が王太子として二年間、立派に公務をこなし、着実に足場を固めているので、対抗馬になりえるわたしが正式に継承権を手放せば、お兄様を脅かす者はいない。


 継承権の放棄をすれば『自分よりもお兄様の方が王太子に相応しい』『王位に興味はない』というわたしの意思表示にもなる。


 初めての公務に色々詰め込みすぎだとは思わなくもないけれど、貴族達に最初に広めておかなければならないことなので仕方がない。


 きっと貴族達はわたしの誕生日よりも婚約と継承権の放棄の方に意識が向くだろう。


 でも、誕生日に婚約出来るのは嬉しい。


 お父様が「婚約証明書には当日の日付を記入しておいた」と言ってくれたので、十二歳からはルルがわたしの婚約者となる。


 堂々と一緒にいても問題ないのだ。


 そう思えば初の公務にも気合が入る。


 オリバーさんがお父様から届いた手紙を持って来てくれたが、筒状のもので、ルルにも何やら同じ形の物が二つ渡された。




「それなぁに?」




 わたしが問うとオリバーさんが訳知り顔でニコニコしながら「ニコルソンにお訊きになってみてください」と言って、一礼すると去っていった。


 ルルが受け取った筒状の二つのうちの一つを持つと、それを纏めている封をナイフで切り、紐を外して開けた。大きな書状だった。


 素早く内容を確認したルルがニコ、と笑う。




「見てもいいよぉ」




 差し出された書状を受け取った。


 その内容を読む。


 ………………えっ?!


 慌ててルルを見上げれば頷き返される。




「オレ、男爵になっちゃった〜」




 ふわっとルルが嬉しそうに笑う。


 書状をもう一度読み直す。


 仰々しい言葉で綴られているが、要約すると、七年前のクーデターでの協力で成功へと導いた功績と王女の保護、そしてこの七年間献身的に王女へ仕えて守護した功績により、男爵位を授けるというものだった。


 領地はないが、爵位と共にそれなりに金額の報奨金が与えられるそうだ。


 これでルルも貴族の仲間入りである。


 そして貴族になることで、身分差は相変わらずあるけれど、王女であるわたしを降嫁させることが可能になった。




「でもこれでリュシーをお嫁さんに出来るねぇ」




「そうじゃなくてもお嫁さんにもらうつもりだったけどぉ」とルルが書状を覗き込んだ。


 報奨金の額が書かれた部分を指でなぞり、満足そうに頷いている。




「いいねぇ、貯金が増えた」




 ルルはわたしとの結婚を考えて、ずっと前から貯金してくれている。


 それを知ってからは、わたしもお父様やオリバーさんに何かお金を稼ぐ方法はないかと訊いてみた。


 当然、王女が働くことは許されないし、割り当てられたお金を貯金に回すなんて民の血税なのでそれこそ出来ない。


 その代わりに嫁ぐ際の持参金を出来る限り増やしてくれることが決まった。


 わたしが継承権や王族が得られる領地を断ったことも理由の一つだろう。


 書状をルルへ返し、今度はわたしも自分宛ての書状の封を切った。


 丸められた書状を広げる。


 ……婚約証明書の写し?


 少し前にサインをした書類のうちの一枚だ。


 ルルが「こっちも同じのだねぇ」と言う。


 三枚書いたものを、一枚は国が保管し、残りの二枚

婚約した家がそれぞれ保管するという決まりが上文に書かれている。


 それから婚約にあたっての禁則事項。


 簡単に言えばお互いに浮気はダメですよとか、婚前交渉はいけませんよとか、そういうことである。


 あとは婚姻後について書かれていた。


 婚姻後、わたしは男爵夫人になること、持参金や嫁入り道具を王家が持たせること、国が所有する鉱山の一つを嫁入り道具とすること──……。




「鉱山っ?!」




 そんなものを嫁入り道具に数えていいものなのか。




「鉱山なんて貰っても困るよ……」


「ああ、それねぇ、国が管理するけど所有者だけリュシーに名義変更して、収入の二割を管理費として国が、八割をリュシーが受け取ることになるらしいよぉ」


「……何でルルは知ってるの?」




 わたしは何も聞いてない。


 ルルが小首を傾げる。




「聞いたから? 本来は王族が結婚する時に領地が与えられることが多いんだけど、リュシー、断ったでしょ? だから代わりになるものをって王サマが考えたらしいよぉ」




 しかもこちらが八割も貰えるなんてすごい。


 管理してもらえるなら実質、わたしはただお金を受け取るだけということだ。


 わたし自身は何の功績もないし、王族としてもまだ何一つやっていないのに、こんなに好条件の結婚でいいのだろうか。


 うーん、と悩みながら書類の続きを読む。


 ……侍女二名を付き人として婚家に連れて行く?




「ここに侍女二名を結婚先の家に連れて行くことが出来るって書いてあるけど、もしかして、リニアさんとメルティさん?」




 書状を示しながら問いかけると、控えていた二人が頷いた。




「はい、そうでございます」


「私共は死ぬまで姫様にお仕えする所存です」




「どうぞ、お連れください」と異口同音に言われる。


 ルルを見上げれば頷き返された。




「この二人は連れて行ってもいいよぉ。オレがいない時に一人ぼっちは寂しいだろうし、身の回りの世話をする人間も必要だろうしねぇ」




 わたしは嬉しくて、書状をテーブルに置いてからルルに抱き着いた。




「ルル、ありがとう!」




 一応、身の回りのことは最低限、自分でも出来るように努力したけど、自分では難しいことが多くて、結婚後は無理かなと思うこともあった。


 だからこれはとても嬉しかった。


 でも、と気付いてハッとする。




「その、本当にいいの? もしわたしと一緒に来たら、多分、二人とも結婚出来ないと思う……」




 けれどリニアさんもメルティさんも微笑んだ。




「構いません。元より私は結婚したくなかったので、願ってもないお話なのです」


「私も、姫様の侍女は辞めたくないので結婚しません。楽しく働けて、実家にも仕送りが出来て、私にとっては最高のお仕事です」




 二人とも何かしら事情があるにしろ、自分から進んでついて来てくれるというのであればとても助かる。


 わたしはルルから離れると二人に近付き、それぞれの手を取った。


 感謝の気持ちを込めて二人を見る。




「リニアさん、メルティさん、ありがとう。ここに来た時から色々助けてくれた二人がついて来てくれるのはとても嬉しいし、すごく心強い」




 二人もキュッと手を握り返してくれた。




「これからもよろしくね」




 この二人とオリバーさんなど、この七年間で言葉を崩して話せる人が増えた。


 このお屋敷の人は大半がそうだ。


 お父様とお兄様には「私達にもそうして欲しい」と言われたけれど、二人のことは尊敬しているのと、わたしよりも立場が上だから、そのままの言葉遣いである。


 それでもきちんと家族だと思っていると説明すれば、二人はそれ以上は何も言わなかった。


 使用人のみんなに言葉を崩したのは、ミハイル先生に「使用人にあまり丁寧な言葉遣いをすると、王女殿下を軽視する貴族も出てくるかもしれませんので」と注意されたこともそうだ。


 ただ呼び捨てだけはどうにも慣れなくて、お屋敷の中だけは「さん」付けで呼んでいる。


 リニアさんとメルティさんが笑う。




「はい、今後ともよろしくお願いいたします」


「精一杯お仕えさせていただきますっ」




 二人の笑みにわたしも笑い返す。


 それからそっと手を離して元のソファーへ戻り、婚約証明書を手に取った。


 確かに書類にも鉱山について書かれていた。


 そうして最後に、この婚約は破棄及び解消は許されないものとする、と書かれていた。


 しかもどちらかが死別しても婚約は継続するとまで続いていて、わたしは目を丸くした。




「……最後の文、もしかしてルルが押し込んだ?」




 ルルがニコ、と笑った。




「だってリュシーはオレ以外のお嫁さんにはならないでしょ? それにもしオレがうっかり死んじゃってもリュシーが他の奴に取られなくて済むしぃ?」




 ……あ、そうか。


 わたしは当たり前に思っていたけど、ルルの本業は暗殺者で、それをまだ続けている。


 もしかしたらということがありえるのだ。


 わたしはルルが原作ゲームの隠しキャラでファンディスクに出ると知っているから、公開された立ち絵の歳まで問題なく生きていると分かる。


 でもルルや他の人はそうではない。


 だから素直に頷き返した。




「そうだね。ルルには絶対に死んで欲しくないけど、もし何かあってルル以外の人と結婚するなんて、それも絶対に嫌」




 ルルが生きていても死んでいても関係ない。


 わたしにとってはルルだけが一番で、ルルだけが良くて、ルル以外なんて考えられないし、考えたくもない。


 この婚約証明書はわたしを縛る鎖だ。


 ルルから離れないように、ルルだけを見ていろと、そう言っている。


 だけど逆に考えることも出来る。


 これでルルはわたしにずっと縛られる。


 書かれている日付を迎えた瞬間、わたしとルルは互いだけを唯一として、互いだけに縛られる。




「ルルと一緒にいられるなら、喜んでわたしの一生をあげる」




 ルルの手が伸びてわたしの頬に触れる。


 細くて、筋張っていて、実は大きな手の平が片頬を包み、目元を優しく親指の腹で撫でられる。




「ありがとぉ。代わりにオレの残りの人生はリュシーにあげるねぇ」


「これまでの人生は?」




 一生じゃないのかと問えばルルが珍しく困ったように眉を下げて笑った。




「これまでの人生は結婚したら全部あげるねぇ」




「リュシーに嫌われたくないしぃ」と続けられる。


 それにわたしは目を丸くした。




「ルルのことを嫌いになったりしないよ」


「……本当に?」


「うん、だってわたしの世界で、わたしの命よりも大事で、何よりも大好きなのがルルだから。もしかしたら驚くことはあるかもしれないけど、嫌いにならないよ」




 きっと、ルルが言ったら嫌われると思ってることは本業の暗殺者の件だと思う。


 ……わたしだってルルに秘密にしてることがある。


 前世の記憶やこの世界がゲームと類似したものであるということは、まだ誰にも話せていない。


 でも本当はルルに話したい。


 他の誰でもないルルには隠し事はしたくない。


 だから正式に婚約したら、全て、包み隠さずに話したいとずっと考えていた。


 だけど婚約を破棄も解消も出来ない状況で言うのは卑怯なことかもしれない。


 それでもルルが離れていかないという状況でなければ、多分わたしは話すことが出来ない。


 わたしは臆病だから。




「そっかぁ」




 周りから見たらルルがわたしに物凄く執着してるように見えるかもしれない。


 実際は、わたしも同じくらい、ルルに執着してるし、依存してる。




「もしわたしがルルを嫌いになったら殺して。ルル以外を好きになったリュシエンヌわたしはもうわたしじゃないから。それに死ぬならルルの手で死にたいの」




 これが恋や愛じゃなくても構わない。


 執着や依存で何が悪い。


 その形が周りと少し違って歪でも、相手を強く想い、相手を欲しいと強く請い願うという点は同じだ。


 ルルが懐かしそうに目を細めた。


 


「うん、分かった」




 そう言ったルルは満面の笑みだった。







 ────第2章:成長編(完)────

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