謀られた罪(3)
あの日、司祭達が教会の一室に密かに集い、話し合っていた内容を聞き、マッカーソンが顔を赤くしたり青くしたりしている。
教会の人間としての怒りと羞恥と、そして王位の簒奪という企みに愕然としている風であった。
マッカーソンも、フリューゲルが野心家であることは気付いていた。
だが、まさかそこまでして地位や名誉を欲しがっているとは思いもしなかった。
平民出身でコツコツと真面目に生きて現在の地位に落ち着いたマッカーソンからすると、その権力への執着とでも言うべき行いは共感出来なかった。
むしろ女神イシースに仕える同じ教会の人間として許し難い行為であった。
他者のステータスの口外は教会内でも国でも重罪である。
それだけでも大ごとであるのに、フリューゲルは王位の簒奪などという夢を見てしまった。
黒騎士が報告を終えるとベルナールが頷く。
「どうだ、何か間違っているところはあったか?」
顔面蒼白の司祭達にベルナールは問うた。
「それから、貴様らが雇った人攫いなら既にこちらで捕縛済みだ」
そう告げれば、司祭達が平伏し、先ほどよりも強く床に額を擦り付けて謝罪の言葉と慈悲を乞い出した。
しかしフリューゲルだけはギリリと歯軋りをする。
それまでの媚びを売るような雰囲気が消えた。
ギロリとフリューゲルの瞳がベルナールを睨み付ける。
「フン、知られてしまっていたなら仕方ありませんな」
その不遜な態度に騎士達が眉を寄せる。
フリューゲルは己の顎髭を撫でた。
「しかしですぞ、陛下、私めはまだ何もしておりません。殿下の誘拐には関わりましたが、その捕縛した人攫いとやらは私は雇った者ではありません」
床に座ったまま堂々とフリューゲルはベルナールを「それに、」と見た。
「私めは正しい道に戻そうとしただけでございます。正当な血筋を持つ王位継承者に正しく王冠を戴いてもらいたかっただけなのです」
遠回しに「お前は正当な王位継承者ではない」と言われたベルナールは小さく笑みを浮かべた。
「つまり、私が王位についたのは誤っていると言いたいわけか?」
「ええ、その通りです。本来ならば旧王家の血筋を引く王女殿下が王となるべきです。あのステータスもそのためにあるのではないでしょうか」
「だからと言って貴様の罪は消えん」
「では、陛下はいかがですか? クーデターにより旧王家から王位を簒奪し、その座に収まっているあなた様こそ反逆で罰せられるべきではありませんか?」
ベルナールは突然はははと笑い出した。
フリューゲルの「私は正しいことを言った!」という自信に満ちあふれた顔がおかしかった。
確かにフリューゲルの言葉は一理ある。
ベルナールもまた簒奪者であるからだ。
だが、ベルナールとフリューゲルでは決定的に違うものがあった。
「ハロルド=フリューゲル」
笑いを収めたベルナールが呼ぶ。
「貴様こそ勘違いをしている」
「何ですと?」
フリューゲルが訝しげに眉を寄せた。
「確かに私はクーデターの先頭となり、旧王家から王位を簒奪し、この座についた。今でもそれは間違いであったのではないかと思うこともある」
「では!」
「しかし、私はもう王位についた。フリューゲルよ、歴史とは常に勝者の記録であり、敗者は歴史の闇に消える。それがこの世の常だ。そして貴様は私に負けたのだ」
「いいえ! いいえ、私は負けてなどおりません! 王女殿下こそが正しき王、正しき道なのです! 教会は王女殿下が王位につくことを望む!!」
フリューゲルの言葉にマッカーソンが悲鳴にような声を上げた。
「そのようなことを教会は望んでおりません!!」
だがフリューゲルがマッカーソンを睨む。
「黙れ愚か者! お前のような向上心のない者達のせいで教会の権威は失墜したのだぞ?!」
「いいえ、教会の権威も尊厳も失墜しておりません! あなたの言い分では信仰心を利用し、民を扇動して内乱を起こそうとしているのですよ?!」
「それのどこが悪い!!」
それにマッカーソンは絶句した。
もしも民を扇動し、暴動を起こせば、せっかくこの五年間で落ち着いてきた国内をまた混乱に陥れてしまう。
王位を巡る争いで内戦が起こることも珍しくない。
そうなれば、騎士も民も傷付くこととなる。
少なくない血が流れるだろう。
マッカーソンは気付けばフリューゲルの頬をその痩せた手の平で打っていた。
「私利私欲のために民に血を流させようとするなど、聖職者にあるまじき行いだ!」
フリューゲルは突然の出来事に呆然とした。
ジンジンと痛む頬に、叩かれたのだと遅れて頭が理解する。
しかしフリューゲルが口を開く前にマッカーソンは更に言葉を浴びせていく。
「王女殿下のステータスについて口外するだけでは飽き足らず、まだ幼く尊い御身を攫い、傀儡の王に仕立て上げようとは人間のする所業ではない!」
怒りに眦を吊り上げたマッカーソンが振り返る。
「陛下、大司祭エイルズ=マッカーソンの名において、ハロルド=フリューゲルを破門いたします」
「なっ?!」
マッカーソンの言葉にフリューゲルが顔色を失くす。
基本的にこの国の民は全員、女神を信仰する教会の信徒である。
よほどの重罪人でなければ破門されることはない。
そして教会より破門された者は教会の法が適用されず、身を守る術を失うのと同意義だった。
教会の法があるから非人道的な扱いをされない。
教会の法は人々を守るための法だ。
罪人でも、信徒であれば、不必要に傷付けることは許されない。
教会の法に最も守られているのは教会派の貴族達であるが、フリューゲルはたった今、破門された。
これからフリューゲルは国の法に委ねられる。
破門というリスクは大きい。
教会が見捨てるほど、人格に難があり、重い罪を犯したと言っているようなものだ。
「それから、そちらの四人も破門し、今回の件に関与した者達は厳正に対処いたします。殿下の誘拐に関わった者達はどうぞ国の法にて罰してください。そして彼らの動向に気付けなかった私にも罰をお与えください」
ベルナールへ向かって、マッカーソンは深々と頭を下げる。
破門と言われた四人の司祭達ががっくりと肩を落とす。
フリューゲルが騒いだが、騎士が軽く威圧すると押し黙った。
「この件は王家が預かるが、大司祭よ、あなたに罪はない。むしろあなたのような人が教会には必要だろう」
ソファーから立ち上がったベルナールは、マッカーソンの肩をぽんと優しく叩いた。
「これからも民のため、国のために、女神イシースへの信仰を忘れず励んで欲しい」
マッカーソンはハッと顔をあげると、泣きそうな顔で何とか微笑んだ。
そして手を組み、ベルナールへ感謝を捧げた。
「ああ、何と……。ありがとうございます。その信用に恥じぬよう、女神イシースへ、民へのよりいっそうの奉仕をさせていただきます」
「ああ、期待している」
ベルナールはフリューゲル達を捕縛するよう騎士達に命じ、彼らは魔封じの手枷をつけられ、その上から縄で縛られていった。
それでもフリューゲルが喚く。
「私は諦めんぞ! 王女殿下こそ王位に相応しく、殿下もそれを望んでいらっしゃるのだ!!」
それにベルナールが溜め息をこぼす。
「貴様は本当に自分の都合の良いようにしか物事を考えていないな。……残念だがリュシエンヌは王位に興味がない。それどころか十二歳になった暁には継承権を放棄するとまで言い切った」
「だからリュシエンヌが王位につくことなどありえないのだ」とベルナールが嗤う。
フリューゲルは目を見開き、首を振る。
「そんなはずはない!」と叫びながら連行されていく太った背中をベルナールは見送った。
あれらはこれから国の法律により、裁判にかけられるが、十中八九重罪と判断されるだろう。
他にもくだらない妄想を抱いている貴族達への見せしめにもなる。
……リュシエンヌは大丈夫だろうか。
十歳の娘が心配で、ベルナールは騎士達に指示を出してここを任せると、一足先に王城へ戻ることにした。
* * * * *
魔封じの手枷に縄で腕と体を縛られ、騎士達に引っ立てられて用意されていた馬車にフリューゲルは乗り込んだ。
馬車と言っても罪人用なので座席のクッションもなくただの板張りで、窓はなく、広さはあるが、他の司祭と共に入れられたので結果的には狭くなっていた。
頑丈な荷馬車と言った方がいいかもしれない。
本来ならば人生一度でも乗ることのないはずの馬車に押し込められ、その屈辱にフリューゲルは震えていた。
扉が閉められ、外から鍵をかけられる音がする。
すると、途端に司祭達がフリューゲルに詰め寄った。
「どうするんだ貴様!」
「そうじゃ、お前の言い出したことではないか!」
「ああ、我々はもう終わりだ……」
「貴様の言うことなんぞ聞くんじゃなかった!」
それぞれがそれぞれに喋るので、聞き取れたのはそれぐらいだったが、フリューゲルは鬱陶しそうに顔を背けた。
「何を言う。あなた方だって賛同したではないか。その時点で我々は共犯者でしょう」
「なっ、我々は貴様の言うことを聞いただけで……!」
「では、あなた方は私の部下でしたか? 違うでしょう。……失敗した以上はもうどうしようもない」
それよりも、フリューゲルはどうすれば少しでも減刑されるかと思考を巡らせていた。
王女の加護について口外したこともバレている。
王女を傀儡の女王としようとしたことも。
誘拐ですら──……。
だが誘拐に関してはフリューゲルは指示していない。
それに関しては他の司祭達に任せていたので、フリューゲルはその責任を問われても実行犯よりかは軽いはずだ。
問題は破門になった影響である。
国の法には罰則が定められている。
それは基本的に罪が重く、それを軽減してくれるのが教会の法であるのだが、フリューゲルは破門されてしまった。
そうなると当然国の法だけが適用される。
このままでは全財産を没収された上に、鞭打ちを受け、最悪処刑されてしまう。
恐らく実家のフリューゲル家はハロルドを廃し、縁を切ることで家を守るだろう。
元よりフリューゲル自身も家に頼る気はない。
裁判では自身の弁舌に頼る他ない。
「くそっ、王女がもう少し御しやすければ良かったものを……」
ギリ、と爪を噛みながら考える。
破門された上に重罪人となれば死が待つのみ。
どうにかして処刑だけでも回避しなければ。
頭の中で目まぐるしく思考が回る。
「そうだ、王女が攫われたことを使えば、あるいは……」
失敗すれば完全に逃げ場はなくなる。
だが上手くいけば取り引きが出来るかもしれない。
他の司祭達のことなどどうでも良い。
自分さえ生き残れば、いい。
ガタゴトと酷く揺れる馬車の中で、フリューゲルだけはニヤリと口角を引き上げた。
* * * * *
王城にはリニアさんとメルティさんが先に来ており、わたしが到着するとすぐに出迎えてくれた。
メルティさんはちょっとだけ涙目だった。
リニアさんも心底ホッとした様子で、わたしは二人に申し訳ない気持ちになりながらも、無事だと笑ってみせた。
すぐにわたしは王宮専属医とその助手らしき女性達、そしてシスター姿の女性達に隣室で怪我がないかの確認をされた。
正直ちょっと恥ずかしい所まで見られたが、王族である以上、もし何かあっては大問題だからと我慢した。
さすがにその時はルルはついて来なかった。
体のどこにも怪我がないことを確認すると、専属医も助手の人達も、シスター姿の人達も全員安堵した様子で元の部屋にいたお兄様にも、怪我一つないことを告げた。
戻ると、部屋にはお菓子や軽食が用意されており、リニアさんがミルクたっぷりの紅茶を淹れてくれたので、お兄様と一緒にそれらを食べながらお父様を待った。
ファイエット邸の料理もすごく美味しいと思っていたけれど、王城はやはりそれを上回る美味しさと繊細な見た目だった。
ルルの膝の上に抱っこされながら、隣にお兄様が座り、甲斐甲斐しく世話を焼かれる。
わたしもルルやお兄様が傍にいる安心感に浸りたくて、二人の好きなようにしてもらう。
「リュシエンヌはこの菓子が好きだろう?」
お兄様がお菓子や軽食をお皿に取り、ルルが一口大に切って口元へ運んでくれるのを食べる。
「はい、どうぞぉ」
こうしてルルに食べさせてもらうのは久しぶりだ。
ルルもそう感じているのか、灰色の瞳を緩く細めて、親鳥みたいにわたしに食べ物を与えている。
でもこれがまた良いタイミングで食べたい物をくれたり、飲み物を持たせてくれたりするので、非常に居心地が好い。
しばらくまったりと過ごしていると、部屋の扉が叩かれた。
リニアさんが出て、すぐに扉を開けると傍へ避けた。
その動きだけで来訪者がお父様なのだと分かったが、残念ながらルルの膝の上なのですぐに立つことが出来ない。
慌てて降りようとすれば、手で制される。
「そのままで良い」
お父様は専属医からわたしについて報告を受けると表情を緩めた。
傍に来てわたしの頭を一撫ですると、向かいの椅子に腰掛ける。
リニアさんが紅茶を淹れてお父様の前にそっと置く。
それをお父様は一口飲み、顔を上げた。
「フリューゲル達は捕縛した。彼らは貴族裁判を受けるが、恐らく重罪人として処刑されることになるだろう」
お父様の言葉にお兄様が「当然ですね」と頷く。
「国家機密の漏洩、王女のステータスの口外、簒奪を企てた罪、王女を攫い監禁した罪。重罪にならない方がおかしいです」
「ああ、全くだ」
お兄様にお父様も同意する。
でもわたしはあまり喜べない。
向こうが先に画策したとは言えど、わざとハメたのはこちらなのだ。
「あの、絶対に処刑になるのでしょうか? その、追放とかではダメですか?」
お父様とお兄様が目を瞬かせる。
「わたしが関わったことで処刑となるのは……。いえ、国として、法でそう定められているならば仕方ないことですが……」
「胸が痛むか?」
「……少し」
呆れられるだろうかとお父様を見れば、穏やかな表情でわたしを見ていた。
「一応、リュシエンヌの意向は伝えておこう。だが司祭達は全員教会を破門されたからな、処刑もありうる」
……破門?
お兄様が驚きの声を上げた。
「破門? いえ、でも、そうですね、そうなっても不思議はありません。むしろ今後こちらがやりやすくなって良いのでは?」
「マッカーソン殿にはその点、感謝しなければな」
「それはキッツいねぇ」
お兄様、お父様、ルルが頷き合う。
えっと、確かこの国の民は全員教会の使徒で、破門されると教会の法に守ってもらえなくなるんだっけ?
国の法は厳しい内容が多く、教会は罪人に対しても慈悲をかけるため、教会の法により情状酌量で罰が軽減されるのだ。
でも破門されたら教会の法は守ってくれない。
国の厳しい法の下で裁かれることになる。
それに教会が介入しないので、王家主体で今回の件について調査、判断を下すことが出来るのは大きいだろう。
「裁判にはわたしも出ますか?」
そう問えば、お父様が首を振った。
「いや、非公開のものだが国の中枢部の者達はいる。目立ちたくないなら出ない方が良い」
「分かりました」
即答したわたしにお父様が苦笑する。
「疲れただろう? この後は邸に戻り、ゆっくり休むと良い」
「ついでに気に入った菓子などがあれば包んで持って帰っても構わんぞ」と金の瞳を細め、冗談っぽく言う。
するとルルがメルティさんにいくつかのお菓子を包むように指示を出した。
それは全部、わたしの好みのお菓子だった。