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謀られた罪(1)

 






 それから五日後。


 わたしは今まで通り、裕福な商家の娘という格好でいつもと同じように街へ出た。


 ルルも兄のふりをして手を繋いでいる。


 護衛の騎士も二人いるが、今回は誘拐の件を伝えてあり、あえて普段通りにしてもらうようにお願いしてある。


 このままだとわたしが攫われ難いため、適当なところで逸れたふりをすることになった。


 勿論、ただのふりなので、実際にはルルがスキルで姿を消して傍にいるのだが。


 教会派の貴族にはしっかりわたしが今日出掛ける情報は伝わっており、彼らも予定通り、今日わたしを誘拐する気でいるそうだ。


 いくつかの屋台を見て回り、人通りの多い時間になった頃、ルルの手がギュッとわたしの手を握る。


 作戦を開始する合図である。


 わたしは適当に離れた場所にある屋台へ目を向けた。


 わたしの手を握るルルの手の力が弱くなる。


 そこでわたしは屋台の物に釣られたようにパッと駆け出した。




「リュシーっ?」




 ルルの焦ったような声がする。


 騎士達も「お嬢様!」と呼んだが、どちらも演技が上手く、本当に焦っている風に聞こえた。


 ざわざわとした声に掻き消されて聞こえなかったふりをして、そのまま人混みの中を駆けて行った。


 ルルと騎士達は人混みに流されるように離れていく。


 けれど、それもやはりふりである。


 離れた場所にある屋台へ辿り着き、並べられた商品を眺める。


 庶民向けの値段の安い可愛らしいアクセサリーが並んでおり、わたしはそれに見入っているふりをする。


 そうするとすぐに後ろに気配を感じた。


 振り向かなくても分かる。ルルだ。


 しばらく商品を眺めた後に、今度は別の屋台へ向かい、同様に商品を眺める。


 それから、ふと気付いたように振り返った。




「……ルル……?」




 辺りを見回し、屋台から離れてふらふらと歩き出す。


 誰かを探すようにキョロキョロと視線を彷徨わせながら、人気のない方へ歩いていく。


 本当は後ろにルルがついて来ている。


 おかしそうに目を細めて歩くルルに釣られて笑ってしまわないように、口元に手を添えて不安そうな顔をする。


 やがて人混みを避けるように脇道に逸れる。


 人の全くない路地の奥へ進み、適当な角を曲がって大通りから見えない位置で立ち止まって屈み込んだ。




「……どうしよう……」




 泣くのを我慢するふりで俯く。


 これなら人攫いも近付きやすいだろう。


 そうして「帰らなきゃ……お兄様、お父様……」と呟いて、欠伸を何度か噛み殺せば涙が一滴落ちる。


 十分ほどそうして蹲っていると足音がした。


 視界に大人の大きなブーツが映り込み、不思議そうな顔で見上げた。


 次の瞬間、バサリと何かが被せられる。




「きゃ、」




 上げかけた悲鳴はすぐに途切れた。


 いくら声を出そうとしても音にならない。


 ……これ、魔法だ……!


 ガサゴソと暴れるけれど、視界はくすんだ焦げ茶色一色で、顔に当たるそれはチクチクした。


 腕を掴まれて縄で縛られる感じがした。


 そうして恐らく質の悪い大きな袋に無理やり収められる。


 暴れながらも、持ち上げられて感じる揺れから、移動させられているのが分かった。


 ごろんとどこかに転がされる。


 しばらく暴れ、段々と動きを鈍くして、やがて静かになる。


 ガタゴトと揺れるが、どうにも直接地面のおうとつを感じるので、もしかしたら荷馬車みたいなものに放り込まれているのかもしれない。


 わたしが静かになると、そっと触れられる感触があった。


 ……大丈夫、ルルが傍にいる。


 それが分かるから怖くない。


 ……でもこの袋の感触は痛い。


 硬い生地の袋は頑丈らしく、暴れながら破いてみようとしてもダメだった。


 むしろ擦れた手の方が少し痛い。


 顔に触れている部分がチクチクして、きっと、頬には袋の跡がついてしまっているだろう。


 ……みんなが気にしそうだな。


 疲れた風にぐったりしてみる。


 腰辺りに触れたルルの手は載せられたままだ。


 どれくらいそうしていたか分からないが、結構な時間揺られていたが、ふと声がした。




「そこの馬車、止まれ!」




 微かにだがそう聞こえた。


 馬車が止まる。




「へぇ、何でしょう?」




 気の弱そうな声がした。




「そんな大きな荷馬車で何を運んでいる?」




 近付いてくる足音が聞こえた。




「食材を契約しているレストランまで運んでいるんですよ。いや、種類も量も多くて、これくらいの馬車でないと運べないんでさぁ」


「……中身を検めさせてもらっても?」


「ええ? それは困りますよぉ。食材は鮮度が命なんです! そんなことしているうちに食材が傷んでしまいますよ!」




「ちょっと!」と制止する声がする。


 がた、とやや離れた場所で音がした。


 ルルの手が離れる。


 そこで目一杯の力で暴れる。


 ごつん、と足が何かにぶつかった。




「何の音だ?」




 ガサガサと音と振動がする。


 わたしが暴れると「なんてことだ!」と声がした。




「子供が袋に詰められている!」




 遠くから「何だって?!」「貴様ら人攫いか!」とざわめく声がして、ガタガタと荷馬車が揺れる。


 どうやら剣を交えているのか甲高い音が響く。


 そして袋の口が開けられた。




「ぷはっ!」




 わたしが顔を出せば、目の前には白い騎士服らしきものを身に纏った男性がいた。




「君、大丈夫か?」




 わたしは伸ばされた手にびくりと震える。


 すると男性が痛ましそうに眉を下げた。




「もう大丈夫だ。我々は女神イシースに仕える聖騎士だ。君を傷付けるつもりはない」




 差し出された手と男性の顔を交互に見て、そっとその手を取る。


 男性は微笑むと怯えさせないためか、そっとわたしの頭に上着をかけると、丁寧な動作でわたしを抱き上げた。


 そうして荷馬車の外に出た。


 上着で周りは見えないが、血の臭いがしないので、恐らく誰かが死んだということはないのだろう。




「……どこに行くの?」




 不安そうな顔で尋ねれば聖騎士は「教会だよ」と言った。


 そうして、始めから用意してあったように、わたしを抱えたまま馬車に乗り込んだ。


 人攫いもこの聖騎士達もグルである。


 もし人攫い達が本当に口封じのために殺されたらと焦ったけれど、彼らは上手く逃げたらしい。


 どうせこの後すぐにお父様やお兄様の率いる騎士達に捕縛されるのだが。


 怯えるようにブルブルと体を震わせてると、安心させるためか、背中を撫でられる。


 だがその感触が不愉快で更にぶるりと震える。


 ……誘拐犯の仲間のくせに。


 それでも我慢して撫でられながら、少しずつ体の震えを抑えていく。


 やがて馬車が止まった。


 扉が開き、抱えられたまま馬車から降りる。


 チラと見えたが、数日前に入った正面入り口ではなく、裏口か何か、目立たない場所だった。


 わたしを抱えた聖騎士を迎えるように教会の扉が開かれ、すぐに閉じる。


 ルルが入れないかもと思わず扉を見れば、上から音もなく降りてきた。


 ちょっとビックリして体が強張ったわたしに勘違いしたのか聖騎士が言う。




「ほら、ここは教会だ。もう人攫いはいない」




 歩きながら壁に飾ってある絵画を目で示す。


 それにホッとした表情を見せれば、その聖騎士もどこか安心した顔をする。


 そして廊下を進み、ある扉に辿り着く。


 扉の左右にはわたしを抱いている人と同じ格好をした男性、聖騎士が二人立っている。


 わたしを見て片方が扉を開けた。


 中に入るとなかなかに豪華な造りだった。


 派手さはないけれど、彫刻や金が随所にあしらわれ、明らかに位の高い人をもてなす部屋である。


 ……わたし、まだ名前すら言ってないのに。


 あからさま過ぎないだろうか。


 わたし、商家の娘って格好なのだけれど。


 そしてそこにいる人物に半眼になった。




「うん? ……おお、もしやあなた様は第一王女殿下ではございませんか?!」




 ソファーから立ち上がった司祭がわざとらしいほど驚いた様子で声を上げた。


 司祭の後ろには二人の女性が控えている。


 太っているせいか、司祭の仕草はコミカルに見えたが、それが余計にイラッとくる。


 それでもわたしは怯えたふりをする。




「誰……?」




 司祭の眉が一瞬ピクリと動いた。




「お忘れでございますか、殿下! 先日の洗礼の儀で担当させていただきました、ハロルド=フリューゲルにございます!」




 言いながら無遠慮に近付いて来る。


 わたしは「あの時の司祭様……?」と言いつつ、怯えたように聖騎士の服を掴む。


 するとそれに気付いたのか司祭の足が止まった。




「おっと、失礼いたしました」




 司祭が大きな仕草で一礼し、数歩下がる。


 ……司祭というより道化師みたいな動きね。


 聖騎士がわたしを一人がけのソファーにそっと下ろし、扉の傍まで下がった。


 司祭はわたしの斜め前のソファーへ腰掛ける。


 とりあえず何も知らないふりをしておこう。




「人攫いに遭った少女を保護したと連絡があって心配しておりましたが、まさか殿下でいらっしゃるとは、私めも本当に驚きました」




 ものすごく白々しい。


 これが本当にただの平民の子だったとしたら、ここまで高待遇になどしないだろう。




「その、お忍びで時折街に出ているのです。王族として、民の暮らしを知らないのは恥ずべきことなので」


「何と! そのお歳で既に王族としての自覚と尊厳をお持ちでおられるとは、王家に仕える者として、女神イシースに仕える者として尊敬いたします!」


「いえ、そんなことは……」




 いちいちヨイショしてくるのも鬱陶しい。




「あの、そちらの方々は……?」




 ずっと司祭の後ろで控えている女性達に視線を向ければ、思い出したように「おお、そうでした」と司祭が手を叩いた。




「こちらの者達が殿下の傷の具合を確認いたします。もし万が一、お怪我をなされていた場合はすぐに治癒魔法をおかけしましょう」




 まずわたしに治癒魔法は効かないけどね。




「わたしは怪我をしておりません」


「いえいえ、もしそうであったとしても殿下のお立場上、誘拐されたなどと話が広がれば良からぬ噂を立てる者も出てくるやもしれません! その際には教会が『王女殿下は傷一つ負わなかった』と証言することで、不名誉な噂を払拭することが出来るのです!」


「……分かりました」




 頷けば、女性達が動き、隣室へ誘われる。


 ルルもついて来た。


 そうして女性二人とわたし、そして彼女達には見えていないだろうルルの四人だけの部屋で、体を確認された。


 ドレスを脱がせられ、女性達が身体中を確認し、そしてまたドレスを着せられる。


 その間、ルルが鋭い眼差しで女性達の動きを監視していた。


 羞恥心なんてものはない。


 コルセットとドロワーズがあればわたしとしては十分服を身に纏っている感覚なので、ルルにその姿を見られたところで何ともない。


 手間のかかるドレスを着直して、先ほどの部屋に戻ると、司祭が待っていた。


 女性達が声を揃えて「傷は一つもございませんでした」と告げたことで司祭があからさまにホッとする。




「それは良うございました! 殿下のお体に傷などつきましたら、それこそ一大事でございましょう!」




 その傷がつくかもしれない一大事の人攫いをけしかけたのはあなたですけどね。


 わたしは元の一人がけのソファーへ座る。




「申し訳ありませんが、ファイエット邸に連絡を入れていただけますか? 途中で付き人や騎士達とも逸れてしまい、きっと皆が心配していると思うのです」


「ええ、ええ、もちろんお伝えいたしましょう! そこのお前、すぐにファイエット邸に伝令を走らせよ!」




 女性が「かしこまりました」と頭を下げ、静かに退室していった。


 司祭が妙にニコニコとした顔で両手を擦った。




「このままでは殿下もお暇でしょう。迎えの者がいらっしゃるまで私めが精一杯、尽くさせていただきます」


「尽くす?」


「はい、このように」




 司祭が大きく手を叩くと、廊下の方の扉が開き、様々な人々が入ってくる。


 綺麗に盛られた果物が並んだガラスの大皿を持った女性。


 色取り取りの菓子や軽食が載った豪華なティースタンドとティーセットを運んできた男性。


 ティースタンド以外のお菓子が並べられたお皿を運んでくる女性達。


 何故か花が沢山活けられた花瓶がいくつも壁際に飾られる。


 正直、甘い花の匂いが充満して鬱陶しい。


 こんなに匂いが強い花があっては、お菓子などの匂いや味が楽しめないではないか。


 そんなことも気付いていないらしい。


 最後にやたら顔立ちの整った若い男性達が入って来て、当たり前のようにわたしの周りに集まった。




「王女殿下、お会い出来て光栄に存じます」


「どうか一時、殿下のお側に侍る栄誉を賜りたく」


「束の間の休息をどうか我らとお過ごしください」


「ああ、殿下は何とお美しくあらせられるのでしょう」


「我々など殿下の美貌の前には霞んでしまいます」




 練習でもしたのかというくらい、それぞれが順番に喋っていく。


 全員まだ十代半ばか後半ほどの男性というよりかは少年と青年の中間といった感じの者ばかりなのは、わたしがまだ十歳だからか。


 代わる代わる手の甲に口付ける仕草をされて、内心はげんなりしつつ、表向きは「まあ……」と恥ずかしそうに微笑んでおく。


 司祭が視界の隅でニヤリと口角を引き上げるのが見えたが、気付かないふりをした。


 そうしてしばらくの間、わたしは美少年──美青年?──達にこれでもかと美辞麗句を並べ立てられ、持ち上げられ、甲斐甲斐しく世話をされることとなった。


 ただし彼らには見えていないだろうルルが、それを目細めて眺めているのがある種のホラーだった。


 今まで見たことがないくらい冷たい眼差しでわたしの周りにいる者達を見ている。


 ……あの視線がわたしに向けられなくて良かった。


 見えていないのがちょっとだけ羨ましい。





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