作戦会議
洗礼から一週間ほど経った後。
お父様がファイエット邸に帰って来た。
前日に「話し合わなければならない重要な件がある」と手紙で連絡が届いていたので、わたしもお兄様も特に驚くことなくお父様を出迎えた。
オリバーさんにも連絡がいっていて、使用人達は久しぶりの主人の帰宅に僅かに浮き足立っているような雰囲気があった。
それでも表向きはビシッと仕事をこなしていて、いつも綺麗だけど更に丹念に磨かれた床や家具からその気持ちは伝わっている。
馬車から降りたお父様にお兄様と共に近寄る。
「父上、おかえりなさい」
「おかえりなさい」
お父様はお兄様とわたしの頭を一撫でする。
「ああ、今戻った」
その視線がオリバーさんへ向けられる。
オリバーさんは「万事恙無く、両殿下はお健やかに過ごされておりました」と答えた。
それにお父様が「そうか」と頷き返す。
「青薔薇の間にティータイムの準備をさせています。詳しい話はそちらでしましょう」
お兄様の言葉で、わたし達はお屋敷の中へ入る。
控えていた使用人達が礼を執り「おかえりなさいませ」とお父様を出迎えた。
お父様の上着をオリバーさんが受け取り、お父様、お兄様、ルルにエスコートされたわたしの順に歩き、家族用のサロンへ向かう。
三階にあるので少々歩くのが大変だが、重要な話ならば、上階で話すべきだ。
お父様は途中で着替えるために分かれ、お兄様とわたしは先に青薔薇の間へ行く。
名前の通り部屋全体が青薔薇をモチーフにしたもので統一されているため、そう呼ばれている。
青薔薇の間に到着し、お兄様が扉を開ける。
中には既にいつでもティータイムが始められるように色取り取りの目にも楽しいお菓子や軽食、一口大のケーキなどがケーキスタンドに載せられて置かれていた。
他にも並んだお菓子は三人でも食べきれない。
きっと厨房の人達も張り切ったんだろう。
三人がけのソファーにお兄様と並んで座り、ルルはわたしの斜め後ろに控えて立った。
ティータイムの準備を整えたリニアさんとメルティさんが、わたし達の前に淹れたばかりの紅茶が注がれたティーカップを置く。
「ありがとう」
「ありがとうございます」
お兄様と一緒にお礼を言って口をつける。
わたしが誰に対しても感謝の言葉を伝えているうちに、お兄様も自然と同じように感謝の言葉を口にするようになった。
後からメルティさんに「貴族の方が使用人に感謝の言葉を口にされるのは珍しいことなんですよ」と嬉しそうに教えてくれた。
貴族の大半は使用人を物みたいに思っていて、家の一部のように考えているらしい。
だから何かをしても感謝することはないそうだ。
……どっちも同じ人間なのにね。
そんなことを考えていると、お父様が部屋に入ってきて、わたし達の向かい側にあるソファーへ腰を下ろした。
リニアさんがスッとティーカップを置く。
お父様もそれを一口飲み、小さく息を吐いた。
やはり国王ともなればどこにいても気が張るのだろう。
こうして自宅に戻ってきて肩の力が少し抜けているように見える。
「最近、アリスティードとリュシエンヌはどうだ? リュシエンヌは授業が大分進んでいると聞いたが。それにアリスティードも公務が始まって何かと忙しいだろう」
お父様の言葉に揃って頷いた。
「公務をしながら本格的に王太子としての教育が始まりましたが、日々新しいことを学べてやりがいがあります」
「そうか、重責に感じるかもしれないが、皆お前に期待しているのだろうな」
「私はそれに応えたいと思っています」
お兄様は学院に入学するまでに受けるべき教育を既に終えて、公務が始まるのと同時に、王太子の教育を受けるようになった。
帝王学だけでなく周辺国の礼儀作法や常識、外交に関わることなど内容は様々らしい。
優秀と言われたお兄様ですら少々苦戦してるそうだが、それでも、毎日楽しそうな様子を見る限り、本当にやりがいを感じているのだろう。
お父様が微笑んだ。
「それは頼もしいな。……リュシエンヌもそろそろ教育を終えるそうだな?」
お父様に見つめられて頷いた。
「はい、先生方がおっしゃるには今年中には教育を終えられるとのことでした」
「お前は昔から学ぶことが好きだったから不思議はない。その後は王族としての教育に移行しても問題ないか? そうなれば登城することになるが……」
「はい、大丈夫です。よろしくお願いします」
横にいたお兄様が「リュシエンヌは私よりも優秀かもしれないな」と誇らしげに頷いたが、わたしには前世の記憶もあるため、そのおかげという部分も大きい。
お兄様にそっと頭を撫でられる。
それに登城出来るようになれば、お兄様と共に行くことになるだろう。
登城にはルルも一緒だから怖くない。
この五年の間にわたしが住んでいた後宮は取り壊され、現在は庭園になっているそうだ。
もう嫌な記憶の残る場所はない。
そう思えば王城に行くのも嫌ではないのだ。
それぞれケーキスタンドから菓子を取り、食べ、一息吐いた。
「人払いを」
お父様の言葉に控えていたオリバーさんを始めとして、リニアさんやメルティさんが一礼して部屋を出て行った。
「さて、今日戻って来たのはリュシエンヌに関することだ。先日、教会に洗礼を受けに行ったことが発端なのだが──……」
お父様の話によるとこういうことであった。
あの時、わたしの洗礼を見守っていた大司祭様と司祭様がいたが、司祭様の方が良からぬことを企てているらしい。
まず、教会というのは一枚岩ではなく、内情は平民と教会派の貴族とで二分しているそうだ。
平民側はほとんどが信仰深い者達で、本来の教会の役目を果たすために聖職者として働いている。
だが貴族達は違う。
かつて王族よりも教会の方が権力を有していた時代があり、彼らはいまだに、その頃の栄華を夢見ている。
お父様が国王になった後に教会内部でもある程度の不正を正すことは出来たが、腐敗の温床全てを取り除くことは出来なかった。
司祭様もその貴族の一派らしい。
そうして、本来ならば他者のスキルやステータスに関する情報は本人の許可なく口外してはいけないのだが、どうやらあの司祭様は他の教会派の貴族達にわたしが加護持ちであることを教えてしまった。
しかも、教会派の貴族達はわたしを自分達の側に引き入れ、お父様やお兄様の対抗馬として立たせ、女王にさせるつもりなのだそうだ。
正統な王家の血筋、琥珀の瞳、魔力はないがスキルは三つあり、女神イシースの加護を授かっている。
信仰心の篤い平民達は加護を持つわたしを支持するだろうと考えた。
お父様は当然わたしを女王に据えるなどという馬鹿げたことを許すつもりはないようだ。
「あの、お父様、少しよろしいですか?」
わたしは思わず話の途中で口を挟んでしまった。
しかしお父様は怒らずにわたしへ視線を向ける。
「どうした?」
「わたしの加護について口外しているのであれば、それを理由に今すぐにでも捕まえられるのではないでしょうか?」
「ああ、そうだ。だがそれではリュシエンヌの加護を口外したフリューゲルしか捕縛出来ない。私はこれを機に教会内も一掃したいと思っている」
「そうなのですね」
だからすぐに捕まえに行かないのか。
「それにしても、彼らは王位の継承を安易に考えているように感じます。わたしは後二年したら王位継承権を放棄するけれど、民から嫌われている旧王家の血筋です。例え加護を持っていても、長い間、苦しい思いをさせられた旧王家の血筋の人間を簡単に許して受け入れるとは思いません」
それどころか、わたしが王位についた途端に反勢力が出てきて、あっという間に簒奪されるだろう。
ハッキリ言って旧王家と同じ末路しか見えない。
「ああ、継承権の放棄については公にしていないが、きちんと調べれば分かっただろう。それに血筋に関してもそうだ。民と距離の近い教会という立場でありながら、民の心を全く理解していない」
侯爵であるお父様が国王となったのだって、公爵家では旧王家と血筋が近過ぎるから、何代も王家の血の入っていないファイエット侯爵に白羽の矢が立ったのだ。
それに、そこにわたしの意思は考慮されていない。
わたしは王位につきたくないし、目立ってルルと結婚出来なくなったら嫌だし、それに──……。
「わたしが教会側につく理由がありません」
今まで教会と関わりもないし、わたしは正直、それほど信仰心の篤い人間でもない。
お父様が溜め息混じりに言う。
「彼らはお前を誘拐する気らしい」
「なんだって?」
お父様の言葉にお兄様の目が鋭くなる。
後ろにいるルルが「ふぅん?」と呟く。
その声がいつもと変わらない声音なのがちょっと怖い。
ルルって怒ってる時も笑ってることがあるから。
「でもわたしは誘拐されたからといって言うことを聞くつもりはありません。怖い思いをさせる相手の味方になろうと思う人は少ないと思います」
まず誘拐されること自体がないだろうが、もし誘拐されたとしても、自分を攫った相手の言うことを素直に聞くことはない。
「人攫いにリュシエンヌを攫わせ、それを聖騎士に助けさせて恩を感じたところで、保護という名目で教会に招き、贅沢をさせたり見目の良い者を侍らせたりさせるつもりのようだ」
わたしとお兄様は思わず押し黙った。
王女として十分贅沢な暮らしをさせてもらっているし、ハッキリ言って、見目の良い者ならルルやお兄様が傍にいる。
つまるところ、教会の目論見なんて無駄なのだ。
第一お兄様と張り合って、もし失敗したらわたしは幽閉されるか王族直轄の領地のどこかに飛ばされるだろう。
そんな危険を冒すよりも、王女として過ごした方が絶対にいいに決まっている。
お父様が王の間は王女として、お兄様が王となった暁には王妹としての地位が約束されてるのに、何だってわざわざそんな面倒で危ない橋を渡るものか。
「わたし、既にどちらもあると思うんですが……」
目の前の豪華なティータイム用の菓子達を見て、ルルとお兄様へ視線を移す。
お父様とお兄様が苦笑した。
「王女に関する情報が少なくて知らないのだろう」
「そうでしょうね」
お父様が軽食に手を伸ばす。
「そのくせ、リュシエンヌがこっそり市井に出ているという情報は掴んでいるようだ。その時に誘拐する予定を立てているらしい」
「その情報網をもう少し上手く扱えれば、もっとリュシエンヌについて調べられたでしょうに」
「所詮はその程度の者ということだ」
辛辣なお父様の言葉にお兄様は「そのようですね」と同意した。
「その件についてだが、リュシエンヌの協力を得たい」
「わたしの協力ですか?」
お父様が申し訳なさそうに眉を下げた。
わたしは小首を傾げる。
……何だろう?
「本当なら代役を立てるべきなのだが、影の中に同じ背格好の子がいなくてな、信頼に足る家に頼むにしても誘拐されると分かっていて協力してくれる者もそういない。別の影を使おうにも幻影で姿を偽ったとして、攫われる際に触れられれば大きさが違うのですぐに気付かれてしまう」
……なるほど。
「囮になればいいんですね?」
「父上、それはあまりに危険です」
わたしとお兄様の声が重なった。
「分かっている。だが、リュシエンヌには隠密に長けたルフェーヴルがつくことが出来る。影も出来る限りの数をつけさせる。それに教会の貴族の中に幾人かこちら側の者がいるから、彼らが上手く動けば誘拐の件に噛ませられるだろう」
お父様が言いながらわたしの後ろへ視線を向ける。
僅かに揺れたので振り向けば、ソファーの背もたれにルルが寄りかかるように座っていた。
相変わらずへらりと笑っているけれど、その灰色の瞳は笑っていないような気がする。
「そしてこの件は箝口令を敷く。もしも漏れたとしたら、漏らした者を厳正に処罰し、リュシエンヌは傷一つ負っていないことを王家が、王である私が責任を持って証明する」
貴族や王族にとって女性の貞操とは重要で、正しい血筋の者を産むためにも結婚相手には純潔が求められる。
未婚の貴族女性は純潔を守らなければならない。
誘拐されたことで何か瑕疵が出来たのではないかという噂が流れれば、それは王女にとっては酷い侮辱となる。
普通の貴族であればそのようなことは口にしないが、全ての貴族が王家に忠誠心を持っているわけではない。
中には王家の権威を落とそうと、そのような噂を流して王女であるリュシエンヌを傷物扱いする者も出てくる可能性もある。
……まあ、ルルさえ分かってくれていれば他の人に何を言われてもどうでもいいんだけどね。
ルルがわたしを見下ろした。
「リュシーはどうなのぉ?」
三人の視線がわたしに集中する。
「協力してもいいって思ってるよ」
「危ない目に遭うかもしれないのにぃ?」
「うん、それでも、わたしに出来ることがあるならやりたい。勝手に女王に祭り上げられるのも嫌」
こういう時でないと恩返しも出来ないし。
わたしも、勝手にお兄様の対抗馬に立てられそうになっているなんて知ってちょっと腹が立っている。
だってお兄様の邪魔になりたくないというわたしの意思を全く無視したものだから。
「でもルルがいれば、絶対大丈夫でしょ?」
ジッと見上げればルルが眉を下げた。
「……仕方ないなぁ」
ルルがふっと緩く笑う。
優しく頭を撫でられた。
「そうだねぇ、オレはスキルで隠れられるからバレずに傍にいることも出来るよぉ」
「もしリュシエンヌが危険だと判断したら構わず連れ出せ。立ちはだかる者は容赦しなくていい」
お父様の言葉にルルがうっそりと笑う。
「言われなくてもそうするよぉ」
それから、お父様とお兄様とわたし、ルルの四人でどのような計画にするか話し合った。
相手の計画に乗りつつ、どのようにこちらに優位にするか、教会側に潜ませている者をどう動かすか、どの辺りで教会派の貴族達を捕縛するのか。
基本的にはわたしが誘拐され、教会に連れていかれた後に人攫い達を捕縛し、教会から保護したと連絡が来る前に王女を誘拐した容疑で押し入ることになる。
もし保護したと主張しても先に捕縛した人攫いと教会側に潜ませている者に証言させればいい。
そうしてわたしが外出するのは五日後に決定した。
その間に司祭様に情報を流すらしい。
……腹立つから様付けはやめよう。
洗礼日に見た太った司祭を思い出して、ちょっと不愉快になった。