アリスティード=ロア・ファイエット
リュシエンヌの洗礼が先日無事に終わった。
スキルがないのではないかと不安そうだったリュシエンヌだが、その数はアリスティードと同じ三つであった。
それにここ数百年現れなかった加護持ちであることが判明した。
リュシエンヌが祈りを捧げた時、自分が行った時よりもずっと強い光に包まれ、まるで泉全体が輝いているようだった。
女神像も、それに身を寄せるリュシエンヌも、光の中に立つ姿は清らかで、神々しく、ハッと息を呑むほどに美しかった。
スキルが三つあるということも誇らしかったが、それ以上に可愛い妹が女神の加護を得ていることに納得もした。
屋敷の誰からも可愛がられ、愛されるリュシエンヌに女神の加護は相応のものだと感じられたのだ。
加護とスキルの内容は伏せられ、公にはスキルを三つ保持していることだけが発表された。
貴族の中には魔力のないリュシエンヌを嘲笑する者もいるようだが、貴族が生活していく上で魔法を使うことの方が少ないため、魔力の有無はあまり関係ないとアリスティードは考えている。
貴族や王族は基本的に使用人達が身の回りの世話や支度をするし、護衛もいる。
自分で火を熾すことも、洗濯をすることも、自身の身を守ることもそうない。
むしろ平民や使用人達の方が日々の生活で魔法を使っているだろう。
貴族も王族も、戦争や領地開発、決闘でもしない限りは滅多に魔力を使うことはなく、精々魔法を学ぶ際に使用されるくらいか。
それならば魔力の有無など大した問題ではない。
それよりも加護を授かったことの方が重要だ。
誰もが持っている魔力は確かにないが、それ以上に女神の愛を授かっている方がずっと特別で、ずっと尊いものである。
クーデターからたった五年で国の立て直しが進んだのも、もしかしたら加護を持つリュシエンヌがいたからかもしれない。
歴史の授業でこの国の過去から現在までを学んだが、年代表を見た時にも、ここ数年、この国が飢饉に見舞われたことはなかった。
もしこれもリュシエンヌの存在のおかげだったとしたら、旧王家の行いの中で唯一誇ることが出来るものだろうとアリスティードは思っている。
……実際感謝すべきはリュシエンヌの実母だろう。
妊娠が判明した際に、王に伝えずこっそりと堕ろすことも出来たはずだ。
だがリュシエンヌの実母は出産を選んだ。
結果的に、その判断は国のためになり、アリスティードは大事にしたいと思える家族が増えることになった。
廊下を歩きながらふと窓の外を見れば、中庭を散歩する妹が目についた。
相変わらず傍にはルフェーヴルが付き添っており、二人は仲良さそうに手を繋いで歩いているようだ。
リュシエンヌはニコニコと無邪気な笑顔を浮かべて花を見たり、ルフェーヴルを見上げたりして何やら話しており、それにルフェーヴルも微笑を浮かべて反応していた。
……あいつはいつも気の抜けた笑みばかり浮かべているくせに、リュシエンヌにだけはちゃんとした笑みを向けるんだよな。
他の人間には貼り付けたように同じ笑みしか見せないのに、妹にだけは、明らかに違う笑みを浮かべるのだ。
それだけルフェーヴルはリュシエンヌに心を許しているのだろう。
リュシエンヌも、ルフェーヴルにだけは何の遠慮もない。
菓子を食べさせ合うのも、抱き着くのも、十歳になった今でも抱き上げるのも、頬同士を合わせるのも。
全てルフェーヴル=ニコルソンのみが許されたことだ。
楽しげな二人の後ろに侍女の一人が控えている。
ふと二年前の洗礼した日のことを思い出す。
三つのスキルがあることが分かり、興奮して、なかなか眠れなかったのでよく覚えている。
その日の夜、アリスティードは夢を見た。
とても、とても長い夢だった。
夢の中のアリスティードはリュシエンヌとは仲が悪く、義妹の存在を疎み、嫌い、旧王家の血筋を憎んですらいた。
そして夢の中のリュシエンヌは今のリュシエンヌとは似ても似つかない性格だった。
我が儘で、贅沢が好きで、旧王家のような派手さが敬遠される風潮の中でゴテゴテと着飾っていた。
顔立ちも現実のリュシエンヌと違ってキツく、やや濃い化粧を施し、豪奢なドレスを好んでいたようだった。
アリスティードはそれら全てが気に食わなかった。
旧王族と同じ振る舞いだと感じた。
そんな義妹が猫撫で声で「お兄様」と自分を呼ぶ度に、華奢な手が腕に触れてくる度に、酷く不愉快な気持ちになる。
だから夢の中のアリスティードは義妹が大嫌いだった。
夢のリュシエンヌの傍にはルフェーヴルどころか、使用人の侍女以外は誰もいなかった。
アリスティードの傍にはロイドウェルの他に数名の側近候補達がいた。
そのままアリスティードとリュシエンヌは成長し、やがて学院へ入学する。
アリスティードが勉学に励み、公務をこなし、王太子として、王族の一員として真面目に取り組んでいる横で、夢のリュシエンヌは相変わらず放課後や休日に茶会を催したり華美なドレスや宝飾品を購入したりと我が儘贅沢三昧な日々を過ごしていた。
頭はそれなりに良かったのか、成績はそこそこ上位にいたけれど、王族の成績と言うには少々足りないものだった。
夢ではリュシエンヌと親友のロイドウェルが婚約していたが、ロイドウェルも義妹に呆れ、あまり関心を持っていない風であった。
義兄と婚約者から関心を持たれていないと思ってもいないのか、それとも気にしていないのか、夢のリュシエンヌはアリスティードとロイドウェルにべったりで、二人はそれに辟易していた。
そんな中、アリスティードは一人の少女に惹かれる。
柔らかな金髪に夏の緑のように鮮やかな緑の瞳を持つ、非常に可愛らしい顔立ちの少女だった。
庶子で、男爵家の養女だという少女は明るく前向きで、貴族や平民に分け隔てなく接し、優しい性格で。
リュシエンヌに付きまとわれて疲れていたアリスティードの心が癒され、惹き寄せられるのは自然な流れであった。
少女と仲良くなり、親密な関係を築くのに時間はかからなかった。
親友はアリスティードと少女の関係を祝福してくれたが、リュシエンヌは烈火のごとく怒り狂った。
そしてアリスティードとロイドウェルの目が届かぬ場所で卑劣な虐めを行い始めた。
最初は子供の悪戯のような内容が、段々と酷くなり、虐めと言うには度の過ぎたものになっていく。
成績上位で歌も非常に上手かった少女は教師の推薦で豊穣祭の歌姫の一人として舞台に上がることになる。
そこで祈りの歌を見事歌い切った少女は光り輝き、何と女神の加護を授かるのだ。
加護を授かった少女は聖女と呼ばれた。
そしてアリスティードと少女の関係を知った父である王が、二人の関係を許すのである。
だが少女が怪我を負ったことでアリスティードとロイドウェルは虐めを知り、リュシエンヌを問い詰める。
しかしリュシエンヌは少女への虐めを責められても反省せず、それどころか少女に対する罵詈雑言を吐く始末だった。
アリスティードとロイドウェルは側近候補達と共に少女を守りながら学院生活を送る。
そしてアリスティードは王から少女との婚約を許される。
アリスティードとロイドウェルが卒業する。
その卒業記念パーティーで、アリスティード達はリュシエンヌのこれまでの行いを白日のもとに晒し、リュシエンヌとその取り巻き達を断罪した。
取り巻き達は側近候補達の婚約者であり、婚約が破棄されることはなかったが、婚約者達は謹慎を言い渡された。
リュシエンヌはあまりにも酷い虐めを行ったことと、これまでにもアリスティードやロイドウェルに近付いた女性に同じことを行っていたことが露呈し、その非道な振る舞いと罪は王族にあるまじきものだと判断される。
学院を退学し、北の修道院へ送られた。
そして数年後、王の命により毒を与えられ、表向きは病死として発表される。
アリスティードは少女と婚約し、やがて結婚して、子供にも恵まれ、王太子として活躍する。
そこまで進むと暗転し、学院時代に戻される。
アリスティードと少女は恋仲ではなく友人となり、その後の虐めの展開は同じだが、少女は加護を得ず、リュシエンヌは卒業記念パーティーで断罪される。
そして学院を退学してロイドウェルと結婚するが、アルテミシア公爵領の別邸に半ば軟禁のように閉じ込められて、公の場から姿を消す。
それは王とアリスティードが了承したものだ。
アリスティードとロイドウェル、側近となった者達は少女と友人関係を築いたまま生きていく。
また視界が暗転し、学院時代へ戻される。
アリスティードと少女は恋仲で、二周目と同じような展開を迎えて卒業記念パーティーでリュシエンヌを断罪しようとするが、その前日に少女が暴漢に襲われてしまう。
心身共に傷を負った少女は身を引いてしまった。
アリスティード達が犯人を捕らえ、口を割らせると、リュシエンヌの指示であることが判明する。
そこでアリスティードがリュシエンヌを問い質すと、リュシエンヌは悪びれもなく肯定した。
あまりのことにアリスティードは怒りに身を任せて義妹を切りつけ、それを知った王は、病にかかったとしてリュシエンヌを休学させて王城の奥で秘密裏に治療させた。
しかしリュシエンヌの傷は治らず、寝たきりになってしまう。
卒業記念パーティーではリュシエンヌを抜いた者達が断罪される。
卒業後もロイドウェルにリュシエンヌは降嫁させず、やがてリュシエンヌは衰弱して息を引き取った。
アリスティードもロイドウェルもそれぞれの地位と立場に見合った婚約者をあてがわれ、結婚するが、アリスティードの心は少女を思い続けたまま。
そこで暗転し、目が覚めた。
目覚めたアリスティードは酷く汗をかいていた。
何より、夢だと言うのに不思議なほど鮮明に記憶に残り、二年経った今でもハッキリと思い出せるのだ。
洗礼日に見る夢は特別だと信じられ、女神が過去や現在、未来を夢に見せるとも、その人物の心を見せるとも言われている。
もしもあれが起こり得たかもしれない未来だとしたら、とんでもない、とアリスティードは顔を顰めた。
大事な妹を修道院送りにしたり、他領に軟禁させたり、切りつけて殺すなどと。
何より現実のリュシエンヌは夢のリュシエンヌと全く違うし、アリスティードとの仲も非常に良好である。
それにリュシエンヌは虐げられた過去のせいか、人を傷付けることや衝突を避け、穏やかで優しく、前向きな性格だ。
そう、あの夢の中の少女のように。
だから目覚めたアリスティードは少女のことを思い出しても好意は湧かなかった。
リュシエンヌに性格は似ているが、リュシエンヌの方がアリスティードには好ましく感じた。
兄の欲目もあるが、貴族という身分であまり天真爛漫過ぎても困る。
リュシエンヌのように思慮深い方が良い。
それに十歳になったリュシエンヌは更に美しく、可愛らしくなり、しかし夢の中のような贅沢や我が儘はなく、我が妹ながら良い子に育っている。
少々お転婆なところは愛嬌とも言える。
それも家族や使用人達の前でのことで、ミハイル先生以外の教師達の前では淑やかに過ごしている。
あの夢のようなことをリュシエンヌがするはずがない。
傷付けられることも、傷付けることにも敏感な、繊細な女の子なのだ。
リュシエンヌの気に障ることがあるとすれば、恐らくルフェーヴルに関することだけである。
そしてそのルフェーヴルはリュシエンヌ以外に関心がない。
決して夢のような未来はありえないのだ。
……だけどもし、私達の仲が悪かったら……。
あれはきっと、アリスティードがリュシエンヌを拒絶し、知ろうとしなかった未来なのだろう。
現実のアリスティードからしたら、夢の中の自分を殴りつけてやりたいほどだ。
虐待されて育った少女を一方的に嫌悪し、憎み、冷たく突き放すなんて。
夢のリュシエンヌは義兄のアリスティードと、婚約者のロイドウェルにべったりだった。
多分、二人を心の拠り所にしていたのだ。
歳が近く、どちらも近しい関係で。
もしかしたら虐待されていたからこそ、新しい家族や、何れ家族となる相手と親しくなりたかったのだろう。
アリスティード達から邪険に扱われても平然としていたが、本当は傷付いていたかもしれない。
少女を虐めたのは、その場所は自分のものだと思ったからだとしたら、リュシエンヌだけが悪いとは思えない。
むしろ悪いのはアリスティードを始めとした周囲、その環境である。
養子として迎え入れておきながら、拒絶する。
何て身勝手で一方的なものだろう。
夢のリュシエンヌが我が儘で贅沢ばかりしていたのも、その原因はアリスティード達にあるのではないか。
……夢の中の私はそれに気付きもしなかった。
目が覚めてから考えたが、夢のリュシエンヌの凶行は恐らく後宮で育った時に受けたものを真似たのだろう。
自分の経験の中で最もつらく、苦しく、悲しいと感じることを行うことで、少女をアリスティード達から引き離そうとした。
そう思うと夢のリュシエンヌが哀れでならない。
愛情を知らず、人の温もりを知らず、飾りの王女として育てられる。
生活には困らないが、愛情を受けられない。
それもまた一種の虐待なのではないか。
不意に窓の外のリュシエンヌが振り向いた。
アリスティードを見つけると、笑って小さな手を振ってくる。
アリスティードも笑みを浮かべて手を振り返す。
……私はリュシエンヌを守る。
どんな時でもあの子の味方でいたい。
リュシエンヌはアリスティードの妹で、アリスティードはリュシエンヌの兄なのだ。
あのような未来は絶対に迎えさせない。
父には夢を見てから一月ほど後に話した。
一月の間、話すか悩んだが、ただの夢と言い切るにはあまりにも現実的過ぎるものだった。
父はアリスティードの話を笑うことなく最後まで聞き、そうならないように、お互いにリュシエンヌへの接し方を今一度見直して、出来るだけ愛情深く接するようにした。
アリスティードもそうだが、父であるベルナールもリュシエンヌを実の娘のように可愛がっていたため、どちらも反対することはなかった。
リュシエンヌの洗礼を機に、ロイドウェルにも夢について話すつもりである。
ロイドウェルとリュシエンヌの仲は相変わらず微妙だが、それでも、話せば分かってくれるだろう。
もしダメだったとしてもアリスティードは父と共にリュシエンヌを守るだけだ。
……大事な妹に悲惨な未来を歩かせるものか。
振り返した手を下ろし、アリスティードは真っ直ぐに前を見据えて歩き出した。