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ロイドウェル=アルテミシア(1)

 





 八歳になったある日。


 お兄様が酷く真面目な顔でこう言った。




「僕の親友を紹介したいんだが、家に招いた時に会ってもらえないか?」




 何故かとても深刻そうな表情だったが、わたしはよく分からないものの頷いた。




「はい、お兄様がわたしにしょうかいしてもいいと思われる方でしたらかまいません」


「そうか」




 了承したわたしにお兄様がホッとする。


 もしかしてわたしが拒否するかもしれないと思っていたのかもしれない。


 実際、わたしはお屋敷の外の人達とあまり接する機会もなく、積極的に外出するわけでもない。


 お兄様の下に何度もお客様が来ていたが、わたしが会うこともなかった。


 ただいつもお兄様の御友人が来ているという話は聞いていたので、恐らく今回紹介されるのはその御友人ではないかと思う。




「穏やかな奴だから怖くないぞ」




 お兄様のその言葉に頷いた。


 先に名前を聞いておけば良かったと後悔したのは紹介されてからのことだった。








* * * * *







 それから三日後の午後。


 お屋敷にお客様が訪れた。


 先に応接室でお兄様と共に待っていると、オリバーさんに案内されてお客様がやって来た。


 歳はお兄様とそう変わらないくらいに見える。


 明るい金髪に同色の瞳、穏やかそうに微笑を浮かべた顔は端正で、目尻がやや下がっているからか人が良さそうだ。


 お兄様が氷のようなイメージならば、その人物は柔らかな日差しのようなイメージと言うか。


 とにかくお兄様とは正反対な雰囲気だった。




「紹介しよう。僕の親友であり、幼馴染でもある、ロイドだ。ロイド、こっちは僕の妹のリュシエンヌだ」




 挨拶の後にお兄様が紹介してくれた。


 その御友人が礼を執る。




「第一王女殿下にご挨拶申し上げます。アルテミシア公爵家が次男ロイドウェル=アルテミシアです。王女殿下のことはアリスティード殿下よりよくお伺いしておりましたが、お会いするのは今日が初めてですね」




 にこ、と人好きのする笑みをその人物は浮かべた。


 わたしは名前を聞いた瞬間、衝撃を受けた。


 それでも何とか微笑んで頷き返す。




「はじめまして、リュシエンヌ=ラ・ファイエットです。いつもお兄様のところにいらしていたのはアルテミシア様でしょうか?」


「はい、その通りです。今日お会い出来て光栄です」


「わたしこそ、お兄様のしんゆうである方にお会いできてうれしいです」




 喋りながらも頭の中は混乱していた。


 ロイドウェル=アルテミシア公爵子息。


 原作の乙女ゲームの登場人物であり攻略対象の一人で、原作ではリュシエンヌの婚約者になっていた人物だ。


 一見物腰穏やかで紳士的なキャラクターだが、性格は実は腹黒で、誠実なアリスティードの傍らで補佐役のような立ち位置だったはずだ。


 リュシエンヌにも優しく接していたが、内心では我が儘贅沢三昧な婚約者に呆れ、義務だけで付き合っていた。


 ちなみにヒロインちゃんがお兄様ルートに入ると、ヒロインちゃんを諦めてお兄様との仲を応援してくれる。


 ロイドウェルとの好感度の方が高いと逆にお兄様がロイドウェルとヒロインちゃんの仲を応援してくれる。


 この二人のルートではリュシエンヌが悪役だ。


 お兄様ルートのハッピーエンドだとリュシエンヌはヒロインちゃんを始めとした複数の女生徒達への傍若無人な振る舞いや酷い虐めの報いを受け、学院を退学させられてアルテミシア公爵家に降嫁させられる。


 トゥルーエンドでもリュシエンヌはハッピーエンドと同じで、バッドエンドの場合は病にかかったとして降嫁せずに数年後、病死として処理されてしまう。


 ちなみにトゥルーエンドはヒロインちゃんと攻略対象は友人関係で終わる。


 バッドエンドではリュシエンヌが雇った荒くれ者にヒロインちゃんが襲われて、それにより、ヒロインちゃんが身を引いてしまうのだ。


 アリスティードはそれを知り、リュシエンヌを問い詰め、事実であることが分かると激情に任せて剣で切りつけてしまう。


 それを隠すためにリュシエンヌは病として城の奥で治療を施されるが寝たきりになり、数年後に衰弱死するのである。


 アリスティードはその後、有力な公爵家の令嬢と結婚するがヒロインちゃんを忘れられなかったという描写で終わる。




「どうだ、リュシエンヌは可愛いだろう?」


「そうだね、僕にもこんな妹がいたら良かったのにって思うよ。うちは男兄弟ばかりだから」


「リュシエンヌはやらないぞ」


「あはは、アリスティードはすっかりお兄さんになったよね」




 そしてこのロイドウェルルートはもっと酷い。


 ハッピーエンドではヒロインちゃんと結婚し、トゥルーとバッドはお兄様と同じ展開である。


 しかしリュシエンヌの扱いが変わる。


 ハッピーエンドでは虐めの報いを受けて修道院へ入れられるが数年後に病死、トゥルーではアルテミシア家に降嫁するもほぼ監禁状態で二度と公の場に出ることはなく、バッドエンドではリュシエンヌはロイドウェルの手の者によって毒を盛られて死ぬ。


 王女に毒を盛ったロイドウェルは自身もその責任を負って自死し、ヒロインちゃんがロイドウェルの墓の前で泣くという終わりを迎える。


 ……うん、この二人のルートってリュシエンヌにとっては鬼門なんだよね。


 他の攻略対象のルートではリュシエンヌはロイドウェルと結婚する。


 お兄様とロイドウェルのルートではリュシエンヌが幸せになることはない。


 このゲーム、今思うとリュシエンヌに優しくない。


 ……虐待されて育った王女だよ?


 しかも養子先でも疎ましがられて、婚約者とも良好な関係を築けず、それでも数少ない心の拠り所だった兄や婚約者をヒロインちゃんに奪われた挙句にこの扱い。


 製作者はリュシエンヌに恨みでもあるの?


 リュシエンヌの方が可哀想なヒロインにすべきだったんじゃないだろうか。


 リュシエンヌがサンドバッグすぎる。


 思わずぶるりと震えると後ろから腕が回された。




「リュシー、大丈夫ぅ?」




 ルルの声にハッとする。


 ……そうだ、原作とは違う。


 わたしの婚約者はルルになることが確定しており、目の前にいるロイドウェルがその座に収まることはない。


 ルルの声に気付いたお兄様が振り向く。




「どうした?」




 心配そうな青い瞳が覗き込んでくる。


 ……ああ、それにお兄様との仲も原作とは違い良好だ。


 ルルがお兄様へ言う。




「多分、これ以上は無理だよぉ」




 ルルにひょいと抱き上げられる。


 それでも自分の体が微かに震えているのが分かった。




「すまない、ロイド。リュシエンヌは人見知りで……」


「いや、僕のことは気にしないで。王女殿下の御事情は父上から聞いて知っているから」


「そうか」




 お兄様とロイドウェルのやり取りが聞こえる。


 ロイドウェルの柔らかな声が少し怖い。




「ルフェーヴル、リュシエンヌを休ませてやってくれ」




 お兄様の心配そうな声がする。


 ルルが頷いたのかちょっと揺れた。




「もちろんそうさせてもらうよぉ」




 しっかりと背中に回された腕に安心する。


 それでもこのまま退室するのでは良くないと、顔を上げ、お兄様とロイドウェルの方を見る。




「ごめんなさい」




 相手に怯えるなんて失礼だ。


 だがロイドウェルは温和な笑みを浮かべた。




「殿下、どうぞお気になさらずに」




 でもロイドウェルルートを思い出したわたしには、彼の穏やかな笑みは信用ならなかった。


 何とか頷き返して「しつれいします」と言う。


 お兄様が頷き、ルルがわたしを抱えて応接室を出た。


 扉が閉まる音でホッと体の力が抜けた。


 ルルは廊下を早足で抜けて、わたしの部屋へ辿り着くと、手でリニアさんとメルティさんを下がらせた。


 そのままわたしを抱えてベッドへ腰掛けた。




「あいつが怖いの?」




 間延びしていない声で問われて頷き返す。




「お兄様のしんゆうを悪く言いたくないけど……」


「どんな感じに怖い?」


「わらってるけど、わらってない」




 そう、ロイドウェルはリュシエンヌの事情を知っていて原作のような扱いをするのだとしたら、とてもじゃないが近付きたいとは思えない。


 ルルがわたしを抱き締めた。




「大丈夫、オレが守ってあげる」




 ギュッとルルに抱き着く。


 とんでもない攻略対象がいたものだ。


 お兄様の親友だが、ロイドウェルとは極力、距離を置くことにしよう。








* * * * *








 足音が遠ざかってからロイドウェルは口を開いた。




「あの侍従は? 初めて見るね」




 幼い頃から何度も訪れているので、ファイエット邸で働く使用人達の顔はかなり覚えている。


 だが王女を抱えて出て行った侍従は初めて見る顔であった。


 アリスティードが「ああ」と扉から視線を外す。




「リュシエンヌを養子にした時に、父上が雇った侍従兼護衛だ。ああ見えてかなり強い」


「そうなんだ」


「悔しいけど、あいつが傍にいるならリュシエンヌは安全だろう」




 憮然とした表情で言う親友が意外だった。


 アリスティードは昔から優秀で、座学も剣術も、驚くほど早く吸収してきた。


 ロイドウェルも剣は学んでいるがアリスティードに勝てた試しがない。


 ファイエット家が新王家となった時も、ファイエット侯爵が王となることに不満はなかったし、アリスティードが次代の王になることはむしろ友人として誇らしかった。


 少々真っ直ぐすぎるところのあるアリスティードだが、彼が王となるならば、自分はその側近として彼の苦手な部分を補いたいと思った。


 しかしアリスティードから可愛い義妹が出来たと手紙をもらった時は目を疑ったものだ。


 親友は母親の件もあり、旧王家を嫌っていた。


 だから旧王家の生き残りの王女が義妹になり、かなり荒れるだろうと予想していたのに。


 予想に反してアリスティードは義妹の王女と仲良くやっているようだ。


 先ほどの様子を見るだけでよく分かる。


 まるで実の妹のように可愛がっている。




「王女殿下はいつもあんなに人見知りなの?」




 その王女は人見知りらしく、少し会話をした後に顔色を悪くしていた。


 アリスティードが首を横に振る。




「いや、手紙に書いているように普段はそうでもないが……。あまり外出もしないし、ファイエット家以外の者は怖いのかもしれない」


「そっか、そうだね」




 あの王女は前王が手を出した伯爵家の娘が産み落とした子供らしい。


 そして王妃が望んでも生むことの出来なかった琥珀の瞳を持っていたために虐待されて育ったという。


 アリスティードからの手紙では座学は自分に負けず劣らず優秀で、物分りが良く、養子に来た当初は引きこもって物静かだったが、現在は明るく活発だそうだ。


 だがあの様子を見る限り、人見知りなのだろう。


 虐待された記憶のせいかもしれない。


 少なくとも、アリスティードと王位を争えるような性格ではなさそうだ。




「でも会わせる人間には気を付けた方がいいよ。旧王家の血を引く王女殿下こそが正当な王位継承者だと思ってる者もいるみたいだし」




 今回、王女に会ったのはそれを確認するためだ。


 もしも旧王家の者達と同じような性格であれば。


 もしもアリスティードと王位を争う気であれば。


 ロイドウェルは婚約者に名乗り出るつもりだった。


 アリスティードの側近候補であるロイドウェルが早々に王女と婚約すれば、くだらない妄想をしている貴族達の牽制になる。


 王女は何れ降嫁すると言っているようなものだ。


 そうすれば、王家が王女に王位を継がせる気がないことが理解出来るだろう。


 親友が眉を顰めた。




「そんな者がいたとしても、リュシエンヌが王位につくことはない。本人が望んでいない」


「そうなの?」


「ああ、十二歳になったら継承権を放棄することで父上と話がついている。……それに十六歳を迎えたら結婚して王家を出る」


「え? 結婚って、誰と?」




 そのような話は聞いていない。


 自分が聞いていないということは、もしかしたら公爵である父も知らないかもしれない。


 驚くロイドウェルにアリスティードが苦笑した。




「さっき一緒にいた侍従とだ」




 更に予想外の言葉にロイドウェルは目を瞬かせた。





「えっと、あの侍従は実は貴族だったとか……?」


「いや、違う。今はまだ細かく説明は出来ないが、二人がそう望んで、父上がそれを了承している」


「そう、陛下が……」




 陛下が認めているということは、十二歳になったら王女はあの侍従と婚約するのだろう。




「十六歳で結婚したら王家を出て、恐らく、それ以降は表舞台からも姿を消すことになる」




 それはロイドウェルには願ってもないことだ。




「それは陛下のご意向?」


「いや、本人達の意思だ」




 アリスティードが苦虫を噛んだような顔をする。




「何というか、あの二人はお互いが一番なんだ。リュシエンヌはルフェーヴルがいればそれで良いし、ルフェーヴルもリュシエンヌを囲い込みたがってる」




 親友の話によると、王女と侍従はこの屋敷に来た時には既にそのような関係だったらしい。


 二人の間には深い信頼関係が築かれている。


 兄として慕われていても、兄として可愛がっていても、王女はあの侍従ほどアリスティードに心を傾けていない。


 王女の心の大半はあの侍従に向けられている。


 そして侍従の心もまた王女に向けられている。




「もしかしたら信頼というより、あれは執着や依存に近いのかもしれない」




 とにかく、王女と侍従が離れることは滅多にないらしい。


 確かに先ほど見た時も、ソファーに腰掛ける王女のすぐ傍らに侍従は立っていた。


 しかも何の許可もなく王女に触れていた。


 そうすることが当たり前のような動きだった。



 

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