ファイエットのお転婆姫
クーデターから二年が経った。
わたしは七歳に、お兄様は九歳になり、勉強も日々段々と難しいものに変化している。
お兄様は成長が早いらしくグングンと背が伸びた。
リニアさんがお兄様のことを「同年代の方よりも大きいです」と言っていたので、実際そうなのだろう。
原作でもお兄様は長身だった。
かく言うわたしも二年で背が伸びた。
五歳の時は周りから「歳の割に小さい」と評されていたけれど、この二年の間、よく寝てよく食べて、健康的な生活を送れるようになったおかげでわたしの体はそれまでの分を取り戻すかのごとく成長した。
今では年相応の身長になった。
ただ細身なのは相変わらずだ。
原作のリュシエンヌはヒロインちゃんよりも背が高かったので、わたしもこのままいけば、同じように成長するだろう。
最近はダンスのレッスンも始まり、体を動かすことが増えたけれど、それはそれで楽しい。
身長差の問題でダンスの相手はもっぱらお兄様である。
ルルとだと、どうしても身長差がありすぎて上手く踊れない。
お兄様はそれまであまり好きではないと言っていたダンスレッスンも、わたしが相手になると聞いてからは、欠かさず付き合ってくれるようになった。
どうやらお兄様はダンスレッスンで一人で踊るのが嫌だったらしい。
わたしが相手になってからはきちんとレッスンに出てくれると先生が漏らしていた。
そしてお兄様もわたしも、家庭教師は変わらずミハイル先生が受け持ってくれている。
今はこの国と周辺諸国の歴史について勉強したり、現在いる貴族の名前と家柄の関係を覚えたり、法律について学んだりして、どれも意外と面白い。
算術については今はもうお兄様と同じところまで学んでいて、お兄様はわたしに追い越されないように、兄の威厳を保つために、今まで以上に猛勉強しているそうだ。
ミハイル先生がこっそり教えてくれた。
でも算術についてはわたしの方が出来ても仕方ないと思う。
何せ前世の記憶がある上に、前世の世界の方が算術は進んでいたらしく、この世界の算術はわたしからしたら復習しているような感覚だった。
それから刺繍も習い始めた。
本当は楽器も習っていたのだけれど、楽譜は読めるのに、いざ楽器を鳴らすと綺麗な音が全く出ないという謎の現象に見舞われた。
ピアノだと楽譜通りに弾けないし、ヴァイオリンはギコギコ鳴るし、ハープなんて一つの弦だけを鳴らすことが出来ない。
音楽の才能がないのか。
とにかく楽器という楽器は全く扱えない。
そのくせ、歌だけは綺麗に歌えるのだ。
音楽の先生は心底不思議がっていた。
お兄様は音楽の才もあるらしく、ピアノもヴァイオリンも先生お墨付きである。
そういうことで音楽の授業ではお兄様が演奏し、わたしが歌うという構図が出来上がりつつある。
そしてルルはと言うと、この二年で更に身長が伸びて、以前よりもずっと大人びた顔立ちになった。
しかし体はやはり細身で、ルルいわく「余計な筋肉は重くなるから邪魔なんだよぉ」とのことだった。
ルルはお屋敷のメイド達からの人気が高い。
元々中性的な美人だったけれど、大人っぽくなって、そこに男性的な要素が加わって美青年に成長したのだから当然の結果かもしれない。
それでもルルは必要以上にメイド達と関わることはせず、この二年間、ずっとわたしの傍にいてくれた。
「リュシー、またそんなところに登ってるのぉ?」
下から聞こえた声に視線を下げる。
足元の更に下にルルがいて、こちらを見上げている。
「だって風がきもちいいの」
この二年間でわたしも大分変わった。
最初の一年は大人しくしていたものの、あまりにわたしが物静かすぎて周りに「やりたいことを我慢しているのではないか?」と心配されたのだ。
わたしとしては別に我慢はしていなかった。
お兄様に庭や温室に引っ張り出されて、子供が一日中部屋にこもって読書をして過ごしているのは確かに少し変かもしれないと考え直した。
それから、わたしは少しずつ活動的になっていった。
いきなりだとそれはそれで疑われそうだったので、まずはお屋敷の中を歩き回ってみたり、遊戯室でちょっと派手に遊んでみたり、少しずつ外へ出ることに慣れていくようにした。
わたしが子供らしい振る舞いをするとお屋敷のみんなも、お父様も、お兄様も、何だかホッとしたような顔をする。
前世のわたしは割と活動的なタイプだったので、一度開放感を味わえば、後はもう自然に振る舞えた。
たまに廊下を走ると「淑女は走ってはいけませんよ」と誰かに注意されることはあるが、言葉とは裏腹に柔らかな声なので、わたしはいつも「はぁい」と返事をしながら駆けていく。
でも走っていって抱き着くのはルルだけだ。
「この前落ちそうになったのに懲りないねぇ」
「あれはお兄様がドレスのすそをつかんだから」
「まぁね、あれはアリスティードが悪かったねぇ」
最近、わたしはよく高い場所に上る。
木や屋根の上は風が心地好くて、空が広くて、門の向こうの街並みがよく見えるからだ。
時々ルルと兄妹のふりをして街に出ているけれど、そんなに頻度は多くない。
人混みに行くととても疲れてしまうから。
ルルが飛び上がって一番下の枝を掴むと、ひょいと器用に登り、わたしの横に腰を下ろした。
「でもさぁ、ドレスで登ると下にいる人にスカートの中見えちゃうよぉ?」
「どうせ生地がいっぱいあって見えないし、べつにいいよ」
それに見えたとしてもドロワーズだ。
あんなものわたしからしたら、フリフリの半ズボンみたいなものである。
ルルが「リュシーはそういうとこサッパリしてるよねぇ」と笑った。
「そうそう、メイド長からお菓子もらって来たんだぁ」
そう言って、ルルが懐からハンカチで包んだものを取り出した。
膝の上に広げられたハンカチには美味しそうな艶のある焼き菓子がいくつか乗っている。
そのどれもがわたしの好きなお菓子だった。
「わぁ、おいしそう!」
差し出された焼き菓子にぱくりとかじりつく。
芋を使ったその焼き菓子は甘くて、香ばしくて、ほろほろとした食感がとてもいい。
「美味しい〜?」
「おいしい!」
「良かったねぇ」
わたしが活発的になり、木に登るようになると、ルルはこうやってお菓子を持ってくるようになった。
最初はリニアさんもメルティさんも「木の上で食べるなんて」と顔を青くしていたが、運動することで食事量が増えてからはあまりしつこく言われなくなった。
それにもし落ちそうになってもルルならば風魔法でわたしを掬い上げてくれる。
だから今は自由に木に登っている。
お父様は「怪我しないように」と苦笑していた。
そしてお兄様は反対派である。
もしも落ちて怪我をしたらと思うと、見ているだけでも不安なのだそうだ。
一応、お兄様の心配に配慮して、あまり高すぎる木には登らないようにしている。
そして木以外にもベランダ伝いに屋根に登ることもあるのだが、ルルはわたしがどこにいても必ず迎えに来てくれる。
ずっと不思議だったけど、実はニコに魔石が入っていて、その魔石につけられた魔法でルルにはわたしの居場所が分かるらしい。
活発になってから、ニコはわたしが背負えるように背中に腕を通す部分が縫い付けられたため、七歳になった現在は毎日ニコを背中にくっつけている。
走り回ることもあるので、両手が使えるようにリニアさんがそうしてくれたのだ。
「……リュシーは大きくなったねぇ」
焼き菓子を食べているとルルに頭を撫でられた。
大きく、と言ってもまだ年相応だ。
「まだまだ大きくなるよ」
「そうだろうねぇ」
「ルルにつり合うくらい大きくなるし、キレイになるから、もうちょっと待ってて」
毎日よく食べて、よく寝て、よく遊んで。
わたしはすくすく成長している。
原作のリュシエンヌと同じように育てば、スラリとした細身の長身になる。
それも出るところは出て、引っ込むところは引っ込んだ、ややキツい顔立ちの美女に。
……でも顔はあんまり似てない気がする。
確かに七歳になった今、ガリガリに痩せていたのが解消されて綺麗めの可愛い顔立ちではある。
でもやや垂れ目で、原作のリュシエンヌのようにつり気味の気の強そうな顔立ちではない。
ルルがクスクスと笑った。
「楽しみにしてるねぇ」
最後の焼き菓子をルルに差し出す。
今度はルルが、わたしの差し出した焼き菓子にかじりつき、片手で口の中にそれを押し込んだ。
「さぁて、そろそろ降りよっかぁ?」
焼き菓子を咀嚼し、飲み込んだルルが言う。
空は大分前からオレンジ色に染まっていたけれど、東の方からゆっくりと藍色が侵食し始めている。
暗くなる前に降りた方が良さそうだ。
ルルの言葉に頷いた。
「うん、そうだね」
ルルはわたしに腕を回すと抱え上げ、するりと枝から降りる。
そうしてストンと地面に着地してわたしを降ろす。
降ろしたわたしのドレスを軽く叩いて汚れを落とし、整え、満足そうな顔をした。
「部屋に戻ろうかぁ」
差し出された手に自分の手を重ねる。
「うん」
わたしが歩き出すとルルもゆったりとした歩調で動き出す。
身長差はあるので歩幅も違うが、ルルはいつも、わたしのために歩調を合わせてくれる。
「あ、さっきのお菓子は侍女達には秘密だよぉ」
「分かった」
あのお菓子はこっそりもらって来たらしい。
時々、メイド長がティータイムとは別にお菓子を作ってくれることがある。
そういう時、メイド長は作ったお菓子をルル経由でくれるのだ。
あまり食べすぎると食事が入らないので、リニアさんとメルティさんには秘密なのだ。
……まあ、それも公然の秘密だけどね。
わたしがこっそりおやつをもらっていることを多分二人は知っていて、でも目につかない限りは見逃してくれているのだと思う。
……太らないよう気を付けよう。
ルルと二人で手を繋ぎながらお屋敷の中へ戻る。
* * * * *
夕食の時間に近くなり、アリスティードは食堂へ向かう。
この二年で更に身長が伸び、まだ幼さの強く残る顔立ちではあるが、その鋭い眼差しはどこか近寄り難い雰囲気があった。
伸びた黒髪は真っ直ぐで艶があり、首の後ろで一つに纏められている。
廊下を歩いていたアリスティードは背後から聞こえた自分を呼ぶ声に足を止めた。
「お兄様!」
可愛らしい声にアリスティードは青色の瞳を緩め、振り返る。
侍従のルフェーヴルと手を繋いで歩いてくる妹に、アリスティードは微笑んだ。
「リュシエンヌ」
温かみのあるダークブラウンの長い髪は艶やかで、癖毛なのか少し波打って、歩く度に微かに風をはらんでふわっと揺れている。
パッチリとした瞳は神秘的な琥珀で、アリスティードの青い瞳とは違い、柔らかな色だ。やや垂れ目で可愛らしい顔立ちをしているけれど、成長してきて、段々とそこに綺麗さも加わってきた気がする。
初めて会った時に比べてここでの暮らしにも慣れたのか、最近は活発的で日に当たるようになったため、侍女達が肌や髪の手入れに殊更力を入れているらしい。
色白で、細身で、可愛い妹である。
屋敷の誰もが「将来美人になる」と口を揃えて言っており、アリスティードもそうだろうなと思っている。
「食堂までいっしょに行きましょう」
「ああ、そうだな」
ただ少し活発すぎて怪我をしないか心配ではある。
……ルフェーヴルがいれば大丈夫だろうが。
横に並んだリュシエンヌがにこりと笑う。
この二年で妹は表情も豊かになったし、年相応に遊ぶようになったし、明るくなった。
元々頭が良いのか授業も熱心に受けている。
算術などは兄のアリスティードと同じところまで追いついてしまい、兄の威厳を保つために、アリスティードは更に勉強に力を注いでいる。
そのおかげか同年代の子供より、アリスティードは勉強が進んでいる。
張り合うというわけではないが、やはり、共に学ぶ相手がいる方がやり甲斐がある。
「明日のお兄様のごよていは?」
「午前中はミハイル先生の授業で、午後は騎士団のところで剣の訓練だな」
リュシエンヌが目を輝かせた。
「ごご、見に行ってもいいですか?」
キラキラとした琥珀の瞳に苦笑する。
「それは構わないが、この間みたいに木剣で遊ばないと約束出来るならな」
前回、木剣を持ってみたいと言い出したリュシエンヌがそれを振り回して遊んだのは記憶に新しい。
別に木剣を持つこと自体は構わないのだが、きちんと剣術を学んでいないリュシエンヌの木剣の振り回し方は危なっかしい。
木登りで腕力や握力がついているのか意外と軽々と持っていたが、そのまま騎士達を追いかけ回したのは困ったものだ。
あれでは騎士達が鍛錬出来ない。
しかし騎士達の方は喜んでいた。
七歳の可愛い女の子が木剣を持ってパタパタと追いかけてくる様に和んでいるようだった。
リュシエンヌの足の早さに合わせて走ったり、たまに木剣同士を打ち合わせたり、良い遊び相手になってくれてはいたが。
「ええ〜」
リュシエンヌが残念そうな声を上げる。
「あれでは騎士達が鍛錬出来ないだろう?」
「……分かりました」
さすがに前回のことを思い出したのか、リュシエンヌは少しばつが悪そうに頷いた。
その頭を撫でてやる。
「別に遊ぶなというわけじゃない。騎士達もリュシエンヌと交流出来て喜んでいたしな」
それにリュシエンヌが年相応の明るさを見せるようになり、父もアリスティードも安堵したのだ。
物分りが良いのはいいが、良すぎて不安になることもあった。
だからリュシエンヌが活発に動き回ることについては、アリスティードも怒ることはない。
何よりそれで物を壊したり、使用人に迷惑をかけたりといったことがない辺り、本来は思慮深いのだろう。
成長すれば嫌でも淑女らしさを求められるのだ。
今のうちに目一杯遊んでおけばいい。
「そうだ、リュシエンヌが来るなら、明日はルフェーヴルにも手合わせしてもらうからな?」
リュシエンヌと手を繋いだまま黙って歩いているルフェーヴルへ、アリスティードは視線を向ける。
「ん〜? いいよぉ?」
このふらふらした男は正直いけ好かないが、アリスティードはその強さを認めているし、リュシエンヌを大事にしてくれていることも評価している。
いまだに騎士達はルフェーヴルに勝てていない。
アリスティードもルフェーヴルと剣を交えるようになり、その強さを思い知った。
剣だけでなく魔法も使いこなす。
父が何故リュシエンヌの傍にルフェーヴルを置いたのか、改めて理解し、そしてその強さはアリスティードの目指すところでもあった。
「ルルがたたかってるところ、見るの好き」
「かっこいい」とリュシエンヌが言う。
ルフェーヴルが嬉しそうに目を細めた。
「じゃあ明日は頑張っちゃおうかなぁ」
「……程々にしてくれ」
ルフェーヴルに本気を出されたら誰も敵わない。
苦い顔で言ったアリスティードにルフェーヴルが「分かってるよぉ」と答える。
リュシエンヌがおかしそうに小さく笑っていた。
それにアリスティードも微笑んだ。