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4日目

 






 パチリと目を覚ます。


 起き上がって周りを見回すけれど、物置部屋の中に人影はなく、朝日が小さな窓から差し込んでいる。


 あの後、いつの間にか寝てしまったらしい。


 両手で顔を覆う。


 ……びっっっくりしたぁあああっ!!!


 心の中で叫ぶ。


 何あれナニアレなにあれ!!


 ルフェーヴル=ニコルソンってヤンデレ?!


 お前も殺して俺も死ぬとか、手に入らないなら俺の手で殺してやるとか、そういう地雷系じゃない方のヤンデレじゃん!!


 お前の命は俺のものな執着系ヤンデレじゃん!!




「あああ、でもわたしの方がじゅうしょうかも……」




 リュシエンヌはそれを喜んでいた。


 彼になら殺されてもいいと心から思っている。


 そしてわたしもそのことに恐怖心が湧かない。


 それどころか最期は一人じゃないということにとても安心していて、不覚にも嬉しいと感じてしまった。


 よく覚えてないけどわたしは一度死んでる。


 だからなのか死ぬのは全然怖くない。


 でも最期に一人になるのは凄く嫌だと思う。


 自分でも何でか分からないが、多分、前のわたしは死ぬ時に一人ぼっちだったんじゃないだろうか。


 その記憶がなくても今のわたしは感覚的なもので怖いとか嫌だとか覚えているのかもしれない。


 リュシエンヌは死を体験していないはずだから、これはわたしの意識の方が強い。


 ……まあ、記憶を取り戻してからはリュシエンヌの記憶は他人のものみたいな感じだしね。


 ただ感情は同一化してきてる気がする。


 最初は「リュシエンヌ」と「わたし」の意識が分かれている感覚があったけれど、この数日で大分、わたし達の感情や思考は混ざりつつある。


 わたしの部分が基本的に多いがリュシエンヌの部分が強いところも存在していて、特に感情に関してはリュシエンヌの方が強い。


 思考なんかはリュシエンヌより長生きしていたわたしの方が強い。


 そもそも体が子供だからか感情に引っ張られてる。




「……なまえ、呼びたいな……」




 彼の名前をわたしは知っている。


 でも彼は一度も名乗ってくれたことがない。


 だから彼の名前を呼ぶことは出来ない。


 それが少し寂しい、なんて──……。




「やっぱりじゅうしょうだ……」




 顔を覆って俯いていると足音が聞こえた。


 ……彼、ではないよね?


 彼はいつも音もなく現れる。


 そしていつだって音を立てない。


 話す時も囁くように声を落としている。


 じゃあこの足音は誰?


 両手を離して顔を上げるのと、扉が無遠慮に開かれるのは同時だった。


 扉を開けたのはメイドだった。


 見覚えのない──元より後宮で働くメイドや侍女は多いのでリュシエンヌは顔どころか名前も知らない人々ばかりだ──そのメイドはボロボロの毛布の上に座っているわたしを見て鼻で笑った。


 何も言わずに物置部屋にズカズカと踏み入り、わたしの腕を掴むと、無理やり引っ張り上げた。


 一瞬腕が痛んだが、メイドはわたしが立ち上がると強く掴んだ腕を引っ張り歩かせようとする。


 試しに少しばかり足を踏ん張らせて抵抗すると腕を掴む手に力がこもり、爪が肌に刺さる。




「王妃様方をお待たせするわけにはいかないのよ。さっさと歩きなさい愚図」




 おお、随分気の強いメイドだ。


 驚きのあまり踏ん張ることをやめてしまい、ズルズルと引っ張られて物置部屋から移動させられる。


 今までメイドや侍女達に無視されたり陰で嘲笑われたりすることはあったが、面と向かって罵倒されたのは初めてだ。


 ある種の新鮮味を感じているうちに連れて来られたのは、王妃がよく好んで使っている部屋だった。


 メイドはわたしの腕を離すと自分の服を整え、扉を軽くノックする。


 中から誰何の声がして、メイドは先ほどわたしに向けたものより幾分高い声でハキハキと答えた。


 許可が出て、メイドが扉を開ける。


 開いた扉の向こうはギラギラした部屋だ。


 部屋中に彫刻や金細工、宝石などがあしらわれ、毛足の長い絨毯が敷かれ、重厚な家具が置かれており、壁には美しい絵画があちこちに飾られている。


 その部屋の真ん中のソファーに王妃がいた。


 左右のソファーには王妃の子供達が座っていた。


 わたしから見て右手に第一王女と第二王女、左手に第一王子という配置で、テーブルの上には豪華で美味しそうなお菓子が所狭しと並べられている。




「さっさと下がりなさい」




 わたしを部屋に押し込んだメイドは王妃付きの侍女にそう言われ、明らかにがっかりしたような様子で下がっていった。


 扉が閉まると第二王女がクスクスと笑った。




「今のメイドの顔、面白かった!」




 それに第一王子と第一王女も耐え切れないといった風に小さく吹き出した。




「何かもらえると思ったのかもね」


「あはは! バッカじゃないの? ただのメイドなんかに私達が何かあげるなんてありえないわ!」




 キャハハと子供特有の高い笑い声が響く。


 王妃はそんな子供達に微笑んだ。




「ああいう者はよくいるわ。大して何もしていないのに褒美ばかりねだるのよ。甘い態度を見せないよう、あなた達もお気を付けなさい」




 そんな言葉に王子、王女達は元気良く返事をする。


 ……わたし何のために連れて来られたの?


 部屋に戻りたいなと思いながらぼんやりと立っていると、第一王女がわたしの存在を思い出したようにこちらを向いた。




「何してるのよ、犬! 王妃であるお母様や王族である私達の前で立ってるなんて無礼よ! 平伏ひれふしなさい!」




 高そうなティーカップが飛んできた。


 それが体に当たると床に落ちて割れる。


 幸い中身はなかったので火傷はしなかったけれど、ティーカップの破片が床に散らばってしまった。


 強い視線を感じて仕方なくその場に平伏する。


 破片がちょっと足や手の平に刺さって痛い。




「初めからそうすればいいのよ」




 おかしそうに第二王女が笑う。


 第一王子の声がした。




「僕達は寛大だから特別に褒美をあげる」




 ポトリと何かが目の前に落ちてくる。


 少し顔を上げて見れば、小さな焼き菓子がそのまま、ころりと床に転がっていた。


 放り投げたのか床に当たったと思しき部分が少しへこんだ歪な楕円形の、美しいキツネ色に焼けたお菓子だった。


 ……なるほど。


 床に投げて落としたこれを食べろということか。


 元々リュシエンヌは礼儀作法を全く学んでいないし、日本人だったわたしは地面に座ることくらい何てことはない。


 だけど床に投げ捨てられたものか。


 ああでも土の地面じゃないだけずっといい。


 というか後宮の、それも王族達がよく使う部屋なんかは特に念入りに掃除がされているから、床に落ちてもさほど汚く感じない。


 それに起きてから何も口にしていないから空腹なのは事実だった。




「犬なんだから口だけで食べるのよ」




 第一王女の声が降ってくる。


 床に跪いたまま、少しだけ前に動いて、床に落ちた焼き菓子に顔を寄せてかじりつく。


 まるで面白い見世物でも見たみたいに王妃や子供達はわたしを指差して笑っている。


 わたしもリュシエンヌも何も感じなかった。


 リュシエンヌにとってはこんなことよくある日常の出来事の一つであるし、わたしにとっても彼らのくだらなさに怒りすら湧いて来なかった。


 そう遠くない未来にクーデターが起こる。


 そうなれば王妃も子供達も処刑される。


 悲しいとも嬉しいとも感じないが、それまでのことだと思えば心に余裕が生まれた。


 ……あ、これ美味しい。


 モグモグと食べているとまたお菓子が投げられる。


 今度は頭に当たった。


 お菓子だから痛くない。


 それも口だけで咥えて食べる。




「菓子だけでは喉が渇くでしょう? そこの者、それに紅茶を淹れてやりなさい」




 王妃の声がして、少しすると侍女の一人が平たい皿をわたしの前へ置いた。


 あまり深さのないその平皿に紅茶が入っている。


 しかも湯気が立つくらい熱々で、明らかにわざと濃く淹れましたというような色だ。




「あら、どうしたの? まさかわたくしの出した紅茶が飲めないとは言わないわよねぇ?」




 冷めるまで待たせてはくれないようだ。


 覚悟を決めて顔を寄せる。


 顔に触れる湯気からしてかなり熱そうだ。


 舌をつけた。




「っ……!」




 やっぱり我慢しても熱いものは熱い。


 震えそうになる体を抑え、二度三度と紅茶を舐めるとあっという間に舌が火傷して感覚がなくなってしまった。


 熱くて、渋くて、苦くて、濃い紅茶だった。


 それでも何とか舐めて飲み干す。


 すると王妃からつまらなさそうな声がした。




「ふん、なんて卑しい子。まるで本当に獣のようだわ。部屋に戻してきてちょうだい。この部屋も獣臭くなってしまいそうだわ」




 自分達が連れて来させたくせに。


 侍女の一人がやはりわたしの腕を引っ張って無理に立たせると、引きずるように廊下へ連れ出される。


 そうして物置部屋まで引っ張ってくると、扉を開けて、わたしの背中を突き飛ばすように押した。


 床へ転んだわたしの背後で扉が閉まる。


 ……口の中が痛い。


 舌もヒリヒリするし、口内も火傷したのか頬の内側などの皮膚がただれてるような感じがする。


 これじゃあ食べ物も口に出来ない。


 それどころか水を入れるのも痛いかもしれない。


 ……でも火傷なら冷やさないと……。


 立ち上がり、扉をそっと開いて隙間から廊下の様子を窺う。


 あの侍女がいないことを確認して部屋を出ると、井戸へ向かって廊下をこっそり歩いて行く。


 その間も口の中が酷く痛んだ。


 何とか誰にも会わずに井戸へ辿り着き、水を汲み、それを口に含む。


 ……めちゃくちゃ痛い!!


 思わず桶の外に水を吐き出した。


 舌で舐め取って飲んだおかげか喉まではやられなかったみたいだけど、口内は全体的に火傷してしまったようだ。


 唇もヒリヒリしてきた気がする。


 それでも我慢して何度も口に水を入れる。


 繰り返し水でゆすいでいるうちにヒリヒリが治ってきたような感じがした。


 ただ口内の皮がただれているし、舌も感覚があまりなくて、物を食べることはしばらく無理そうだ。


 結局、桶いっぱいの水で口を冷やした。


 最後の二口ほどは飲んだ。


 桶を戻して物置部屋へ戻る。


 部屋の扉を開けて中に入り、扉を閉めて振り返ると、真後ろに彼が立っていた。


 伸びてきた手が顎を掴む。




「口、見せてぇ」




 言われた通りにそっと口を開ける。


 彼はその場に屈むとわたしの口を覗き込んだ。




「うわ、これは痛そ〜」




 ただれた口の中を見た彼が眉を寄せた。


 そうして何やら呪文のようなものを唱えると、その手に小さな氷がポロリと現れた。


 えっ、何それ? 魔法?


 あっ、そういえば魔法がある世界だった!


 原作のゲームでは魔法について触れられていたけれど、ゲーム進行でその要素はあまりないため、すっかり忘れてしまっていた。


 少しだけ水をかけたそれが口の中に入れられる。


 ヒンヤリと冷たい氷が熱を持った口内で溶けていく。


 あっという間に氷はなくなった。


 もう一度氷を生み出す彼に聞く。




「それ、まほう?」


「そうだよぉ。初めて見た?」




 また氷を差し出されたので頷きながら口に含む。


 魔法があるって便利そうだよね。


 何より魔法っていうだけで夢がある!




「でも君は使えないけどねぇ」




 何で?!




「だって君、魔力がないんだもん」


「……ないの?」


「全く。欠片も感じられないねぇ」




 ……そんなぁ……。


 がっくりと肩を落とすと頭を撫でられた。


 撫で慣れていないのかちょっとぎこちない動きで、頭の丸みを確かめるように触れている。


 そっか、だからリュシエンヌはヒロインちゃんに対して自ら手を下していたのか。


 魔法が使えないなら魔法で虐めることは出来ない。


 そう考えると原作のリュシエンヌってヒロインちゃんへの嫌がらせのためにせっせと色々してたんだろうなぁ。


 まあ、今のわたし、つまりリュシエンヌはそんなことしないけどね。


 ヒロインちゃんを虐めたらバッドエンドルートへの道が開かれちゃうだろうから、わたしは良い子でいるつもりだ。


 口の中の氷がなくなると彼が何かを取り出した。


 小さな瓶には綺麗な金色の液体が入っている。




「これ少しずつ口に入れて」




 ぽん、と瓶のコルクを外して渡される。


 瓶に口をつけて傾けると、とろりとした液体がゆっくりと口の中に落ちてくる。


 甘い。これ蜂蜜だ。


 濃厚な花の甘い香りが鼻に抜けていく。


 ただれた口内に蜂蜜が広がれば、少しだけ痛みが和らいだような感じがした。


 リュシエンヌは蜂蜜を初めて口にしたはずだ。


 むせかえるほど甘いけれど、体が、舌が、その甘さを求めている。


 甘い味と果物のような花の香りに魅了された。


 蜂蜜を食べるわたしを彼が抱き上げ、いつもの毛布の上へ降ろす。


 そうして蜂蜜を食べ終わるまで彼は黙って見守っていた。


 最後に瓶を回収すると「治るまで辛い物や塩気の強い物、硬い物は食べちゃダメだよぉ」と注意して姿を消した。


 氷で冷したおかげか口内の痛みはマシになっていた。


 蜂蜜って抗菌作用があるっていうし、この世界では薬みたいな感じなのだろうか?


 寝転がり、毛布を引っ張って包まり、丸くなる。


 起きていても痛いだけだし寝よう。


 まだ口内に残る蜂蜜の甘い余韻を感じながら目を閉じた。







 

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