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騎士団(1)

 






 ファイエット家のお屋敷に来てから三ヶ月。


 わたしは毎日穏やかに過ごしていた。


 朝起きて、身支度をしたら食堂でお兄様と朝食を食べて、午前中は授業を受ける。授業がない日はルルと文字の勉強をする。昼食をお兄様と食べて、午後はルルと過ごすことが多い。時々お兄様がティータイムに来ていっしょにお茶を飲むこともある。その後はちょっとだけ昼寝をして、夕食までのんびりと過ごし、お兄様と夕食を食べて、入浴して、眠る。


 五歳だからかお昼寝しても夜はしっかり眠れる。


 ルルと一緒に過ごす時間は楽しい。


 ミハイル先生の授業とは違って、ルルとの勉強は雑談に近く、あまり勉強という感じがしない。


 今は南方語を終えて、西方語を勉強中だ。


 西方語は南方語にとてもよく似ている。


 少し読み方や発音は変わるものの、南方語に近いため、読み書きに関してはもう大体出来る。


 現在は発音を練習中だ。


 発音だけは少し苦手である。




「ん〜、それでも通じるけどぉ、もうちょっと舌を巻いた方がいいかなぁ」




 今日も今日とて発音の練習だ。


 ルルはわたしに甘いけど、語学に関してはあまり妥協してくれない。


 読み書きや発音がルルの基準に満たないと、次を教えてくれないし、何度でも練習を繰り返す。


 それでもつらくないのはルルが怒らないからだ。


 いつもルルは緩く笑っていて、わたしが躓くと、どうしてそこで躓くのか一緒に考えてくれるし、同じ間違いをしてもやんわり指摘するだけ。


 怒らず、上手く出来たら褒めてくれる。


 だから単純なわたしは褒めてもらえる度にやる気が出る。


 たまにルルが南方語や西方語で話しかけてくることもあって、そういう時に、同じ言葉で返事をするとルルが頭を撫でてくれる。


 ルルは人を褒めて伸ばすタイプらしい。


 もう一度発音の練習をしようと口を開きかけた時、部屋の扉がノックされた。


 メルティさんが扉を開けた。




「リュシエンヌ、今、時間あるか?」




 開いた扉からひょっこり顔を覗かせたのはお兄様だった。


 わたしの部屋に訪れるのはお兄様やオリバーさんくらいなので、驚くことはない。




「……もしかしてルフェーヴルと勉強中か?」




 隣り合ってソファーに座っているわたしとルルを見て、しょんぼりとお兄様が眉を下げた。




「西方語の発音を練習してるだけだよぉ」


「おにいさま、何かごようですか?」




 ルルとわたしの言葉にお兄様が表情を明るくした。




「これから騎士団と手合わせするんだが、リュシエンヌも見に来ないか? まだうちの騎士達とは顔を合わせてないよな?」




 お兄様の言葉に目を瞬かせる。




「きし? ファイエット家はきしがいるのですか?」


「領地を持つ家は大体騎士がいるぞ。それに我が家の警備は騎士達が行ってくれている」


「そうなんですね」




 ……騎士かあ。


 そういえば後宮には女性騎士がよく立っていた。


 無視されるので近付かなかったけれど。


 お兄様を見れば、青色の瞳がキラキラしてる。


 よく見るとお兄様は動きやすい軽装で、片手に木剣を持っていて、いかにもこれから剣の鍛錬をしますといった体だ。


 お屋敷の警備をしているということは、わたしは守ってもらっているということだ。


 ……挨拶くらいしておかないとまずいかな?


 ルルが座ったまま伸びをした。




「そ〜いえば、最近あんまり体動かしてなかったっけぇ。オレも遊びに行こうかなぁ」




 ……ルルが戦うところを見られる?


 それはすごく気になる。




「見にいきます」


「そうか!」




 頷くとお兄様が嬉しそうに笑った。


 ペンを戻し、開きっぱなしだった本を閉じる。


 ソファーから降りてドレスのシワを伸ばした。




「何かもっていくものはありますか?」




 お兄様が首を振る。




「いや、何もいらない。向こうに日陰を作るから、リュシエンヌはそこで座って眺めていればいい」




 その言葉に頷き、ルルと手を繋ぐ。


 足の怪我が治ってわたしを抱える機会が減ったルルが残念そうだったので、その代わりに手を繋ぐことにしたのだ。


 最初はルルのためだったはずなのに、わたしがよくドレスの裾に引っ掛けたり、躓いたり、転びそうになることが多くて今では転倒防止の意味が強い。


 転びそうになるとルルが手を引っ張って、転ばないように即座に支えてくれる。


 おかげで怪我一つせずに済んでいる。


 それを知っているからか、お兄様はわたしとルルが手を繋いでいるか確認すると頷いた。




「よし、では行くか」




 そういうことで、わたし達は騎士達のいる鍛錬場へ行くことになった。


 部屋を出て、お兄様を先頭に、わたしとルル、リニアさんが歩いていく。




「今日は週に一度、騎士達に手合わせをしてもらえる日なんだ。彼らも忙しいからいつも僕の相手はしていられないし、護衛騎士とだけするのも飽きてしまうしな」




 そう言うお兄様の足どりは軽やかだ。




「おにいさまにはごえいきしがいるのですね」




 ……でも見たことないような?


 首を傾げているとお兄様が「リュシエンヌのところに来る時は連れて来ないから知らないのは仕方ない」と言った。


 どうやらわたしが怖がるかもしれないと思い、わたしの部屋に来る時は置いてきているらしい。


 騎士達は体を鍛えていて、大柄だったり背が高かったりするので、人見知りのわたしがお屋敷に馴染むまで待ってくれていたようだ。




「あいつら大きいから、怖かったら言うんだぞ?」


「はい、分かりました」




 そんな話をしながら建物の外に出る。


 鍛錬場は初めて行く場所だ。


 今日まで、お屋敷の建物の外に出るのは中庭の散歩と温室へ行く時くらいだった。


 お兄様は「屋敷の中を好きに見て回るといい」と言ってくれたけれど、あんまり自室から出たいという気持ちはない。


 だからわたしは自室と食堂と図書室、温室、中庭以外はほぼ足を運んだことがない。


 温室もお兄様が好んでティータイムをする場所なので行くことが多いだけで、わたしだけだと、そこまで行くことはない。


 自室でルルと過ごすだけでわたしは満足だった。


 しばらく道を歩いていくと、広場が現れる。


 ファイエット家の敷地はとても広い。


 お屋敷も広いけど、庭はもっと広い。


 広場には大勢の人がいる。


 みんな同じ格好をしていて、赤い服の上から鎧を身に付けているのが遠目にも分かる。


 近付いていくと、数人が振り向いた。




「アリスティード様!」


「殿下! ……と?」


「おお、王女殿下もいらっしゃる!」




 ざわざわとその騒めきが広がっていく。


 突き刺さるような視線を感じて思わずルルの後ろに隠れると、誰かの張り上げた声が響く。




「整列!!」




 ザザザッと足音がして、それがピタリと止んだ。




「第一王子殿下と第一王女殿下にご挨拶申し上げます!」


「ご挨拶申し上げます!!」




 そっと顔を出すと全員の視線が向くのが分かった。


 隠れそうになる体を押し留める。


 でもルルの足にくっついたままだけど。




「はじめまして、リュシエンヌ=ラ・ファイエットです。……いつもおやしきを守ってくれて、ありがとうございます。これからよろしくおねがいします」




 何とか挨拶をしてみたけれど、シンと静まり返ってしまった。


 やっぱり旧王家の生き残りは受け入れてもらえないか。


 お兄様が一歩前に出た。




「リュシエンヌは僕の大事な妹で、お前達の守るべき主人の一人でもある。何か意見のある者がいるなら僕が答えよう」




 お兄様の真っ直ぐな声が響いた。


 騎士達が視線だけで互いに見合う。


 一人が口を開いた。




「殿下、発言をお許しいだたけますでしょうか?」


「許す。申してみろ」


「第一王女殿下は旧王家の生き残りだというのは事実でありましょうか?」


「ああ、事実だ」




 ざわ、と空気が揺らぐ。




「だがリュシエンヌは旧王家の者達とは違う」




 その騒めきを打ち消すくらい、大きなお兄様の声がそれを遮った。


 騎士達の視線がお兄様に向かう。




「確かにリュシエンヌには旧王家の血が流れている。しかしそれは僕も同じことだ。この体には旧王家の血が流れている。けれどそれだけだ。通達があった通り、リュシエンヌは後宮にて虐待されて育った旧王家の被害者の一人であり、この国の守るべき民の一人であり、我がファイエット家の人間だ」




 お兄様の言葉に騎士達が耳を澄ませている。




「何より旧王家の行いにリュシエンヌは無関係だ。父上もそれを認め、リュシエンヌを養女とした。……いいか、もう一度言う。リュシエンヌ=ラ・ファイエットは我がファイエット家の者であり、お前達の守るべき王女である」




「異論のある者は声を上げよ」とお兄様が告げる。


 騎士達は、誰も、一言も声を上げなかった。


 お兄様が振り返る。




「リュシエンヌ」




 手を差し出された。


 それに自分の手を重ねると緩く引かれる。


 一人が剣を引き抜くと、全員が同様に剣を抜き、それを両手に持つと顔の前に立てる。


 一糸乱れぬ動きである。




「王女殿下に捧げ、剣!」




 全員が縦にしていた刃を横へ向ける。


 騎士が剣を捧げるのは忠誠を誓うことだと習った。


 全員が、剣を立てて、わたしへ捧げている。


 この国の王女として、自分達が仕える王族として、それは認めるという行為であった。


 ぽろ、と涙がこぼれ落ちた。


 ……こんな時、何て答えるべきか習ってない。


 だからわたしは笑った。


 精一杯の笑顔を、気持ちのままに、浮かべることにした。




「受け入れてくれて、ありがとうございます」




 お兄様がわたしの頭を撫でる。


 そして騎士達に顔を向けた。




「さあ、堅苦しい話はここまでだ! 鍛錬を始めるぞ! 新しい王女にお前達の実力を見せてみろ!!」




 お兄様が笑って言うと、途端に地響きのような「うぉおおおっ!!!」という声が響き渡った。


 驚いて後ろに仰け反ったわたしをルルが受け止め、ついでとばかりにハンカチで濡れた頬を拭われる。


 そうしてひょいとわたしを抱えたルルが歩き出す。


 向かった先には大きなパラソルがあり、その下には可愛らしい白い丸テーブルと椅子が二つ。


 いつの間にかリニアさんがそこで果実水をグラスに注いで準備してくれていた。


 わたしを下ろす前に、ルルがクッションを取り出してわたしをその上へ座らせる。


 そこは広場を見渡せる丁度良い場所だった。




「お嬢様、お飲み物をどうぞ」




 差し出されたグラスを受け取り、口を付ける。


 ……日陰を作るってこういうこと?


 視線を向ければ、騎士達はそれぞれ剣を合わせたり、体を鍛えたりし始めている。


 お兄様は騎士の一人と向かい合って、木剣を構え、打ち合いを行うつもりのようだ。


 チラ、とこちらを見たお兄様と目が合った。




「おにいさま、がんばってください」




 小さく手を振るとお兄様の表情が明るくなる。


 そしてお兄様が騎士と木剣を交え始めた。


 かん、こん、と木と木のぶつかる音がする。


 剣のことはよくわからないけれど、恐らく、お兄様は歳のわりに剣の腕が立つのだと思う。


 騎士の方も時々踏み込んでお兄様へ反撃するけれど、お兄様はそれを上手く避けている風だった。


 かん、こん、かっ、と断続的に音が響く。


 騎士の方が腕前は明らかに上だ。


 それでもお兄様は諦めずに立ち向かっていく。


 その横顔がとても楽しそうだった。


 ……体を動かすのが好きなんだ。


 七歳だし、遊びたい盛りだろうから、座学よりもこうして剣を振るう方が楽しいのかもしれない。 


 先ほどまでキリリとした表情だった騎士達も各々、鍛錬を始めており、和やかな雰囲気だ。


 威圧的な感じは全くない。


 ……さっきはすごかったなあ。


 一糸乱れぬ様子を思い出しながら騎士達を見ていたら、一人とふと目が合った。


 バッチリ絡まった視線が少し気恥ずかしくて、小さく手を振ってみる。


 若い騎士が嬉しそうな顔をした。


 それに気付いた他の騎士達もこちらを見るものだから、もう一度、小さく手を振った。


 ……あ、若い人が振り返してくれた。


 でもその人はすぐに近くにいた人に頭を叩かれる。


 叩いた人がわたしにぺこりと頭を下げた。




「オレも運動してこようかなぁ」




 ……ああ、そういえばそうだっけ。




「ルル、がんばって」


「頑張って欲しいの?」


「うん、ルルのかっこいいところ見たい」




 好きな人の格好良い姿って気になるよね。


 それにルルは本業は暗殺者だ。


 どんな戦い方をするのか興味もある。




「そっかぁ、リュシーが見たいなら久しぶりにちょ〜っと頑張っちゃおうかなぁ」




 何故かご機嫌な様子でルルが歩いていく。


 突然近寄ってきたルルに騎士達は不思議そうな顔をしたけれど、ルルが手合わせしたいと言えば、場所を開けるためか他の騎士達が端へ避けていった。


 お兄様は騎士と木剣で打ち合っている。


 視線を戻せばルルがこちらを向いた。


 ひらひらと手を振られたので振り返す。


 手合わせは木剣を使うらしく、ルルが近くにいた騎士からそれを渡される。


 誰と戦うのかと見ていれば先ほど目が合った若い騎士が手を挙げてルルに近付いた。


 ルルは了承したのか頷く。


 周りにいた騎士達が二人から離れ、広場の一角が空けられると、ルルと若い騎士がその中央へ移動する。


 若い騎士は見た感じ、ルルと歳が近そうだ。


 若い騎士が木剣を構える。


 ルルがにこ、と笑って両手をだらりと下げる。


 そしてそれは始まった。






 

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