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家庭教師

* * * * *






 ミハイル=ウォルトは扉の前に立ち、小さく深呼吸をした。


 これから、第一王女殿下にお目にかかる。


 国王陛下より話をされた時には「もう?」と疑問が湧いたものだ。


 流れ聞こえてくる話や屋敷の使用人の噂話を聞く限り、王女殿下はまだ五歳だという。


 それも養子として引き取られてから一月も経っていない。


 しかも聞くところによると王女殿下は旧王家にて虐待されて育ち、まともな教育も受けていないそうだ。


 ……手に負える子供かどうか。


 それでも受けようと思った理由は、王女殿下が非常に珍しい魔力を持たない人間であったからだ。


 少なくとも、そのような人間は聞いたことがない。


 扉の前で魔力の気配を探れば、室内には四つの魔力の気配があり、内一つは教え子の第一王子殿下のものである。


 そのうちの更に二つは使用人か。


 あまり魔力が大きくない。


 残りの一つは人並みより少しある程度だ。


 もう一度深呼吸をする。


 そして扉を叩いた。




「ウォルトでございます」




 内側から扉が開かれ、侍女だろう女性がミハイルに道を譲るために脇へ避けた。


 それに目礼を返し、ミハイルは室内へ入る。


 すぐに顔を下げて礼を執る。




「第一王子殿下、第一王女殿下にご挨拶申し上げます。ウォルト辺境伯が三男、ミハイル=ウォルトと申します」




 挨拶を行えば、聞き慣れた声がかけられる。




「ウォルト先生、顔を上げてくれ」




 そっと顔を上げれば最初に目に飛び込んできたのは幼い少女だった。


 柔らかなダークブラウンの長い髪に、旧王家特有の神秘的な琥珀の瞳。青白いほど透き通った肌。顔立ちははっきりとして愛らしく、小柄で、子供なのに全体的に華奢な印象を受けた。


 可愛らしいクマのヌイグルミを抱えている。


 その少女の横に教え子がいることから、その子が第一王女殿下で間違いないようだった。




「こちらが僕の家庭教師をしてくれているミハイル先生だ。ミハイル先生、この子が僕の妹のリュシエンヌだ」



 目が合うと、王女殿下が口を開く。




「リュシエンヌ=ラ・ファイエットです。きょうは足をはこんでくださり、ありがとうございます。どうぞ、こちらへおかけください」




 子供特有の回りきっていない舌で、それでも王女殿下はハキハキと名前を名乗り、労いの言葉をかけてきた。


 それに内心で驚きながらも頷いた。




「それではお言葉に甘えさせていただきます」




 ソファーへ腰掛ければ侍女が紅茶を用意してくれる。


 それに礼を述べて一口飲んだ。


 国王陛下からは侍従から少し教育を受けただけだと聞いていたが、想像していたものとは違う。


 子供にありがちな落ち着きのなさもない。


 七歳のアリスティードも同年代の子供と比べて落ち着いているが、王女殿下もそうなのかもしれない。


 少なくとも旧王族にありがちな尊大さや傲慢さは感じられなかった。




「本日よりアリスティード様と王女殿下の家庭教師を兼任させていただきますが、王女殿下の授業は明日から行いたいと思っております」


「はい、分かりました。わたしのことは、おにいさまと同じようにリュシエンヌと呼んでください」


「かしこまりました、リュシエンヌ様。では私のことはミハイルとお呼びください。これからよろしくお願いいたします」


「こちらこそよろしくおねがいします、ミハイル先生」




 高い澄んだ声が返事をする。


 その内容はきちんと自分で考えてのものだろう。


 ミハイルはアリスティードと初めてお会いした時を思い出す。


 ……あの時も歳に不相応なほど落ち着いて子供らしくなく見えたが、王女殿下、リュシエンヌ様もよく似ている。


 もし、もし何も教育を受けていない状態から一月足らずでここまで成長したのであれば、なかなかに優秀な人物と言えよう。




「今後の授業の参考にしますので、まずはリュシエンヌ様が今日までどのような学習をされたかお聞かせ願えますでしょうか?」




 陛下からは基本的なことから教えるようにと告げられているが、これを見る限り、礼儀作法も「椅子に乱暴に座らない」「人が話している途中に遮らない」などといった初歩の初歩から始める必要はなさそうだ。


 気になる点はその都度、教えていく方がいい。


 最初に全て説明したところで覚えるのは難しい。


 リュシエンヌが侍女に声をかける。




「おべんきょうに使っている本をもってきてください」


「はい」




 侍女が言われた通りに数冊の本を持って来た。


 テーブルに置かれたそれを見るように促され、一冊手に取って開いてみる。


 ……これは、文字?


 拙いものだが確かに基本文字であった。


 ページを捲っていく度に文字の形が整っていく。





「わたしは今日まで、いっぱんじょうしきと、きぞくのじょうしき、食事の作法、まほうについて、そして公用語と南方語を学びました。南方語はまだうまくしゃべれなくてとちゅうですが、よんだり書いたりはほぼできます」




 慌てて他の本に目を通してみれば、それぞれの本に一般常識やマナー、貴族特有のルール、魔法についての基礎的な知識などが公用語で書き込まれていた。


 本人の言った通り、南方語もほぼ出来ている。


 しかも本の内容はどれも分かりやすく纏められており、勉強の過程も把握しやすい状態だった。




「リュシエンヌ様はとても勤勉なのですね」




 初めて顔を合わせた頃のアリスティードだったとしても、一月足らずでここまで習ったことを身につけるのは難しいだろう。


 アリスティードは自分の生まれに誇りを持ち、貴族の義務や責任をきちんと理解しているが、それでもまだまだ遊びたい盛りの子供であるし、当時もそうであった。


 長時間机に向かう集中力がなくて苦労した。


 だが、この本からはアリスティードとは逆の性格が窺える。


 学ぶことが好きで、恐らく机に向かうのは苦じゃなく、知識欲が強い。


 まだ少し拙さのある公用語は丁寧に書かれている。


 それでも、所々にあるお世辞にも上手いとは言えない絵に子供らしさが垣間見える。




「リュシエンヌは教えたことはすぐ覚えるし、勉強も好きで、礼儀作法も最近はかなり良くなったんだ」




 アリスティードがさも自分のことのようにリュシエンヌの自慢をする姿に、ミハイルは思わず微笑んだ。


 兄妹仲もかなり良いらしい。


 不仲な兄弟間で家庭教師の取り合いというのもあるが、あれは非常に扱いに困る。


 しかしこの二人の間でそれはなさそうだ。




「それは素晴らしいですね。ではリュシエンヌ様にお聞きしますが、貴族が手袋を人に投げた場合、それはどのような意味になりますか?」


「なげた人が相手にけっとうを申し入れるといういみです。けっとうは、りゆうがないかぎり、申し入れられたら受けなければならないものです」


「何故でしょう?」


「ことわれば、けっとうからにげたと笑われて、いえの名前にキズがつくからです」





 ……なるほど、理由までもう勉強されている。


 大抵、子供のうちはしてはならないことを優先して覚えさせるが、理由については後回しにされることも多い。


 ただ大人から教えられた『ダメなこと』だから、やらない。してはいけない。


 そのような覚え方では子供の成長には繋がらないとミハイルは考えていた。




「決闘について、リュシエンヌ様はどのようにお考えていらっしゃるのでしょう?」




 一を知って一を考えるだけでは育たない。


 そこから自分で考え、更に知り、学べなければ人は成長しない。


 だからこそ、考えるという行為は重要である。


 リュシエンヌはミハイルの問いに少しだけ考える仕草をすると、躊躇いがちに答えた。




「とてもかんたんで、分かりやすい方法だと思います」


「と、おっしゃいますと?」


「おはなしすることで分かり合えることもあります。でも、やりたいことや考えがちがって、分かり合えないときは、どっちかががまんするしかないです。だけどどっちもがまんしたくない。だから、たたかって、どっちががまんするか決めるんです」


「そうですね、決闘は勝者と敗者を決めるもの。原始的な方法ではありますが、同時に誰の目から見ても勝敗が分かりやすい方法でもあります」




 ……なかなか教え甲斐のありそうな方だ。




「リュシエンヌ様は学び始めたばかりということでしたが、この御様子でしたら、普通の貴族の勉強から始めても問題ないでしょう」




「明日からそのようにいたします」と告げたミハイルにリュシエンヌはしっかりと頷いた。








* * * * *









 お兄様とミハイル先生が部屋を出て行った。


 扉が閉まり、ホッと息を吐く。


 先ほど会ったミハイル先生は優しそうな人だった。


 銀灰色の長い髪を後ろで緩く編んでおり、ややたれ気味の瞳は青色で、線の細い、繊細な顔立ちをしていた。


 貴族というのは大体、顔がいいのだろう。


 確かにパッと見た感じは剣よりも魔法が似合いそうで、着ているローブからしても、魔法士らしい。


 ルルの言う通り、みんなが想像する魔法士らしい魔法士というのは間違いではなかった。


 お父様やオリバーさんも細身に感じていたけれど、ミハイル先生と見比べると、二人の方が体つきががっちりしている。


 多分、お父様は剣も扱えるんだろう。




「大丈夫ぅ? 怖くなかったぁ?」




 ルルの問いに頷き返す。




「ちょっときんちょうしたけど、こわくなかったよ」


「そっかぁ、良かったねぇ」




 それにミハイル先生は質問したり、相槌を打ったりしている間も、真面目だった。


 子供だからとか、旧王家の人間だからとか、そういう目でわたしを見なかった。


 一人の生徒に接する感じだった。


 こちらが話している間も急かさず、待っていてくれたので、おかげでわたしも話しやすかった。




「あのセンセー、魔法は強いっぽいけどぉ、多分実戦経験がまだまだ足りてないねぇ」




 ルルのその言葉に首を傾げる。




「そうなの?」


「うん、オレが魔力絞ってることに気付いてないみたいだったしぃ。まあ、家庭教師ならそこまでの実力は必要ないのかなぁ」


「まりょくをしぼる?」




 ……どういうこと?


 ルルを見上げれば頭を撫でられる。




「オレ、そこそこ魔力があるんだけどねぇ、普段は人並みかちょ〜っと上くらいまで、体の外に流れる魔力を抑えてるんだよぉ。仕事中は完全に隠しちゃうしぃ」


「おさえると何がちがうの?」


「ん〜、実力が分かり難くなるかなぁ。ウサギと思ってたらオオカミでしたぁ的な〜? 実力を隠して近付いてくる奴は警戒しないとねぇ」


「いい人はだましたりしないから?」


「そうそう〜、オレみたいな奴ねぇ」




 ……そこは否定しないんだ。


 でもルルは暗殺者だから実力を隠すのは当然なような気もするし、そもそもルルが人に自分の実力というか、手の内を見せるってこと自体あんまりなさそう。


 いつもふらふらヘラヘラしてて、ちょっと得体の知れない感じがルルなのだ。




「ルルから見てミハイル先生はどう?」




 ルルが「そうだねぇ」と言う。




「センセーとしては良いかもねぇ。魔力の感じからして性格も穏やかそうだしぃ、リュシーの家庭教師になることも前向きに考えてるみたいだしぃ、リュシーに敵意も害意もなさそうだよぉ」




 確かに、と頷き返す。


 ミハイル先生は最初からわたしに対して否定的な様子がなかった。


 少し観察するような視線や雰囲気はあったけれど、それは初めて会うわたしがどのような人間なのか知ろうとしてる風だった。


 それにお兄様で慣れているのか、王女のわたしにも普通に接してくれたのもいいと思う。


 少し丁寧過ぎるような気もしたけれど、王女への対応として見ればそういうものだろう。




「おべんきょう、がんばるね」




 よし、と気合を入れたわたしにルルが笑う。




「リュシーは勉強好きだよねぇ」




 前のわたしはあんまり勉強が好きじゃなかった。


 だけど今は、勉強の機会があるということがどれだけ恵まれたことなのか知っているから。


 例え将来必要のないことだったとしても知りたい。




「うん、いろんなことを知りたい」


「何でぇ?」




 ……何で?


 うーん、と考えてみる。


 知りたいというのは好奇心だ。


 でも後宮にいた頃は外の世界や他の人のことを知りたいと思わなかった。


 外の世界を知りたい理由……。




「ルルがいるから?」




 わたしの言葉にルルが「オレ?」と自分を示す。




「うん、たぶん、ルルがいるばしょだから知りたいの。ルルと会うまでは外なんてどうでもよかったもん」




 好きな人が生きる世界だからわたしも生きたい。


 好きな人が育った世界だからわたしも見たい。


 どんなものがあって、どんな人達が暮らしていて、どんな文化があって、どんな世界なのか。




「ルルがいっしょにいてくれるから、毎日たのしいの」




 一人だったらきっとこうはならなかった。


 原作それを知ってるから。


 わたしにとってルルは奇跡そのもので。


 ルルがいるから世界を知りたいと思う。


 結局、わたしの基準はルルなんだろうな。




「オレもリュシーと一緒にいて毎日楽しいよぉ」




 ルルの言葉にわたしは笑う。


 ずっとそうだったらいいなと、希望を込めて。






 

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