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小さな誕生日パーティー

 





 翌日、朝食の席にお父様はいなかった。


 早い時間に戻ったらしい。


 お兄様もわたしもお父様のお見送りは出来なかったのは、少し残念だった。


 でも朝食の席でお兄様が「午後はリュシエンヌの誕生日パーティーをやろう」と言ってくれて、気分が上がる。


 大きなものではなく、わたしの部屋にケーキやお菓子を持ち込んで、ちょっと豪華なティータイムを楽しむという計画らしい。


 下手に大きくされると落ち着かないし、申し訳ないので、それくらいが丁度いい。


 夜更かししてお喋りしようという提案はルルに却下されたけど。




「リュシーは夜更かし禁止〜。ちゃんと眠らないと大きくなれないし体に悪いんだよぉ?」




 そんなルルの言葉にお兄様は意外とあっさり引き下がった。


 ……うーん、何だろう。


 お兄様と仲良くしたいとは思っているけど、お兄様はわたしをすごく可愛がっている。


 ルルも結構な猫可愛がりをするが、お兄様も負けず劣らずといった感じで、頻繁にわたしに会いにくる。


 そういえばお兄様は一人っ子だ。


 義理とは言え妹が出来て嬉しいのかもしれない。




「午後は勉強するよな?」




 お兄様の言葉にわたしは頷いた。







* * * * *







 

 そうして午後になると、お兄様がやって来た。


 後ろに何人かのメイドを連れており、部屋に入るとそのメイド達に指示を出していく。


 メイド達は慣れた様子でテキパキと動いていた。


 天井からは可愛らしいカーテンみたいなものが吊るされ、色とりどりの花の差さった花瓶がいくつも飾られ、テーブルには所狭しと目にも可愛らしいお菓子やケーキが運ばれてくる。


 わたしはそれをソファーに座って眺めていた。


 準備を終えたメイド達は一礼して静々と下がっていった。




「最低限だがこれで整ったな」




 お兄様がうんと頷く。


 そうしてソファーへ腰掛けた。


 そうしてお兄様がルルにもソファーへ座るように言い、ルルはわたしの隣に腰を下ろす。


 目の前のテーブルに並んだお菓子はどれも小さく、わたしでも一口で食べられるものばかりだ。


 きっと食事量を考えて、少しずつ、いろんな種類を食べられるように配慮してくれたのだろう。




「リュシー」


「リュシエンヌ」


「お嬢様」


「お嬢様」




 ルル、お兄様、リニアさん、メルティさんに呼ばれる。


 顔を上げれば全員が笑顔を浮かべていた。




「誕生日おめでと〜」


「誕生日おめでとう」


「お誕生日おめでとうございます」


「おめでとうございます!」




 全員が声を揃えて祝ってくれた。




「あ……」




 ありがとう、と言おうとして言葉に詰まる。


 頬を温かな涙が流れ落ちていく。




「リュシー?!」


「リュシエンヌ?!」




 慌てた様子でルルがわたしの頬にハンカチを当て、お兄様があたふたとしているのが滲んだ視界の向こうに見える。


 誕生日を祝うというのは特別だ。


 生まれてきたことを、これまで生きてきたことを祝うためのものだ。


 リュシエンヌはそれが今までなかった。


 自分の誕生日を祝う。


 生まれてきてくれてありがとう。


 ここまで育ってくれてありがとう。


 誕生日おめでとう。


 そんな言葉をかけてもらったことがなかった。


 自分の誕生日すら知らなかった。


 それでもこうして祝ってもらえる。


 生きていていいんだと言ってもらえたようで。


 ただただ嬉しかった。




「リュシー、大丈夫ぅ?」


「どこか気に入らなかったか?」




 心配するルルとお兄様の向こうで、リニアさんとメルティさんが訳知り顔で微笑んでいた。




「うれしい」




 しゃくりあげそうになる喉で何とか喋る。




「……すごく、うれしいの。ありがとう……」




 ルルとお兄様が顔を見合わせ、ホッとした表情で笑った。




「どういたしましてぇ」


「喜んでくれて良かった」




 ルルが涙を拭ってくれる。




「ほら〜、ケーキもお菓子もあるんだしぃ、泣くのはやめて食べようよぉ」




 それはルルなりの気遣いだろう。


 わたしは一度、グッと瞼を強く閉じる。


 ……そう、泣くより楽しもう。


 次に目を開ければ涙は止まっていた。




「まずはケーキだな」




 テーブルの真ん中にあったケーキをお兄様がお皿に取り分けてくれた。


 それをルルが受け取り、フォークで一口分に切ると、刺して、差し出される。


 食事の作法はもう習っている。


 だからルルに食べさせてもらう必要はない。


 ……でも今日だけは特別。


 口を開ければケーキが入ってくる。


 口を閉じるとそっとフォークが引き抜かれた。


 クリームたっぷり、スポンジふわふわ、それに果物の甘酸っぱい香りと味が甘い中に合わさって、とても美味しいケーキだった。




「美味しい〜?」




 ルルの問いに何度も頷く。


 ルルは口角を引き上げ、次の一口を差し出す。


 わたしはそれにぱくりと食いついた。




「他の菓子も食べてみるといい」




 まだケーキを食べているのに、お兄様が別のお皿にお菓子を乗せていく。


 そんなに食べ切れない。


 でもそれが嬉しかった。


 ルルがわたしにケーキを食べさせながら「そんなにリュシーは食べられないよぉ」と言う。


 お兄様は「食べられる分だけ食べればいい」と返した。


 確かにどのお菓子も食べてみたいけれど、わたしの食事量を考えると全部は無理そうだ。




「そうだぁ、リュシー、半分ずつ食べよ〜? それなら沢山食べられるよねぇ?」




 ルルの提案に頷いた。




「うん、はんぶんこする」




 お皿に盛られたお菓子をルルがナイフで半分に切り分けていく。


 だけどよく見るとわたしの方が小さくて、どのお菓子も、わたしが一口だけでも食べられるように切り分けている風だった。




「はい、どぉぞ〜」




 切り分けたお菓子をルルが差し出してくる。


 お兄様がちょっと羨ましそうにルルを見ている。


 差し出されたお菓子にかじりついた。




「……うん、美味しいねぇ」




 ルルも同じものを口に放り込む。


 横でリニアさんがティーカップをテーブルに置き、ポットから中身を注ぎ入れる。


 ……紅茶だ。


 そこに今度はミルクがたっぷりと入れられる。


 リニアさんがにこりと笑って「ミルクティーでございます」と教えてくれた。


 ルルがティーカップを持ち、温度を確かめるようにカップを撫でた後、わたしに持たせた。


 恐る恐るそれに口をつける。


 ……美味しい。


 紅茶の良い香りとまったりしたミルクが合う。


 お菓子を食べた後なので、砂糖や蜂蜜の入っていないミルクティーの優しい甘さが心地好い。


 いつもは胃に悪いからと紅茶は控えられていたけれど、今は特別らしい。




「……おいしい」




 わたしの呟きにリニアさんが「おかわりはありますよ」と言った。


 ルルに「でも飲み過ぎるとすぐお腹いっぱいになっちゃうから、ほどほどでねぇ」と言われて頷く。


 ティーカップを持ったまま、ルルにお菓子を食べさせてもらう。


 ……すごい贅沢だ……。




「そうだ、これ、誕生日プレゼントだ」




 お兄様が何やら綺麗な袋に包まれたものを差し出した。


 ルルがティーカップを引き受けてくれたので、それを受け取った。


 あまり厚みがなく、平たく、大きい。




「あけてもいいですか?」




 硬い感触のそれを触りながら聞くと頷き返される。


 綺麗なリボンを丁寧に解いて、袋の口を開けて、中身を取り出した。


 中に入っていたのは三冊の本だった。


 どれも絵本らしく、鮮やかな色の絵が描かれており、試しに開いてみると見たことのない文字が書かれていた。




「それは北方語だ。真ん中のものが南方語で、一番下にあるのが西方語。公用語はともかく、他の言葉を勉強する時にいいかと思ってな」




 綺麗な絵をそっと撫でる。




「もらって、いいんですか?」




 初めて手にした本だ。


 この世界の紙は動物の皮にしても植物のものにしても、安くはない。


 しかもこれだけ綺麗な絵にハードカバーの装丁だ。


 値段もなかなかのものだろう。




「とは言っても、僕が使っていたものだから、プレゼントには不釣り合いかもしれないが」


「そんなことないです。すごく、うれしいです。おべんきょうがんばって、よめるようになります」


「ああ、がんばれ」




 昨日の今日でプレゼントを用意してくれただけでも、すごく嬉しいし、勉強に使えるものというのもありがたい。


 文字を習うには簡単な絵本がいい。




「リュシー、オレからはこれねぇ」




 ルルが箱を差し出した。




「ルルもくれるの?」


「うん。ほらぁ、開けてみてぇ」




 促されて、リボンを解いて箱を開ける。




「かわいい」




 箱の中にはヌイグルミがあった。


 可愛らしいクマのヌイグルミで、箱から持ち上げた時に触った感触はふわふわもこもこ。


 明るい茶金の毛並みにつぶらな黒い瞳。


 首にはリボンではなく布が巻いてあった。




「この子、ルルみたい」




 マフラーのように首に巻かれた布はルルが以前顔を隠すのに使っていた布と色が同じ黒だ。


 わたしが両手で丁度抱き締められる大きさだ。




「そうだよぉ、オレがいない時は寂しいでしょ〜? そういう時はオレと思って可愛がってねぇ」




 ルルは基本的にわたしの傍にいてくれるけど、時々、オリバーさんに呼ばれたり、別の仕事で少しの間離れることがある。


 確かにちょっと寂しいと感じてた。


 でもこの子がいるならそう寂しくない。




「うん、大事にする。ありがとう、ルル」




 名前は何がいいだろうか。


 せっかくルルからもらったんだし、ルルの名前からつけてあげたい。


 ルフェーヴル=ニコルソン。


 ルフェーヴルがルルだから、この子はニコルソンから取ってつけよう。


 ……そう、この子の名前はニコ。




「この子のなまえ、ニコにする」




 ギュッと抱き締めるとふわふわもこもこの毛並みが頬に触れる。




「ニコ?」


「ルルのなまえ、ニコルソンから、ニコ」


「ああ、そういうことねぇ」




 ルルがわたしの頭を撫でる。




「そーそー、そのヌイグルミいつも持っててくれると嬉しいなぁ」




 ルルの言葉に頷き返す。




「うん、ニコもいっしょ」


「新しい友達が出来て良かったな」




 お兄様が穏やかに笑う。


 わたしはまだ五歳だから、ヌイグルミもお友達という捉え方なのかもしれない。


 ……お友達かあ。


 よしよしとニコの頭を撫でる。


 これからは、きっとこれが日常になる。


 幸せな日常に。







* * * * *








 誕生日パーティーを開いて二時間ほど経った頃、リュシエンヌはうとうとと微睡んだ後に眠りに落ちた。


 今日は昼寝をしないでいたから限界が来たのだろう。


 ニコと名前がつけられたクマのヌイグルミを抱えていたため、体が前方へ倒れることはなかったが、横にいたルフェーヴルに寄りかかった。


 ルフェーヴルはそんなリュシエンヌを起こさないように立ち上がって、抱え上げると、ベッドまで運んでいった。


 ぐっすりと眠っているようで起きる気配はない。


 シーツをかけ、天蓋のカーテンを広げて外の光を遮ってやり、それからルフェーヴルは元の場所に戻ってきた。




「リュシエンヌが寝てしまったなら今日はもう終えるとしよう」




 声を落としたアリスティードが言う。


 ルフェーヴルが頷き、リニアとメルティが極力音を立てずにティーセットや並べられた菓子をサービスワゴンへ片付けていく。


 部屋の飾り付けは今日一日そのままにしておこうというアリスティードの提案にリニアとメルティが頷いた。




「ところで、ルフェーヴル。あれはただのヌイグルミではないだろう?」




 残されたティーカップで紅茶を飲んでいたルフェーヴルがアリスティードを見る。




「ん〜? よく気付いたねぇ」


「ほんの微かに魔力の気配がしたからな」




 ルフェーヴルがリュシエンヌに渡したヌイグルミからは本当に微かにだが魔力が感じられた。




「あれねぇ、ヌイグルミの位置がオレに分かるようになってるんだよぉ」




 そろそろリュシエンヌの足の怪我が完治する。


 そうなれば屋敷の敷地内と言ってもリュシエンヌの行動範囲が広がる。


 ルフェーヴルは出来る限り傍にいるつもりだが、いつ何時でもいられるわけではない。


 そういう時にリュシエンヌが屋敷のどこかに行ってしまった際に、ヌイグルミを持っていれば、いる場所が分かる。




「だからヌイグルミを持ってるように言ったのか」


「リュシーってああ見えて結構行動力があるからねぇ。一人じゃなぁんにも出来ないってわけじゃないんだよぉ」


「そうなのか? だがいつもお前が世話を焼いているだろう?」


「あれはオレがしたくてやってるだけぇ」




 実際、リュシエンヌはあの後宮で生き延びた。


 ただ与えられるのを待つだけであったなら、リュシエンヌは早々に死んでいたか、もっと衰弱していただろう。




「とにかくぅ、リュシエンヌにはヌイグルミを持たせるようにしてあげてぇ」




 そうすればリュシエンヌの居場所を把握出来る。


 アリスティードは微妙な顔をしつつも頷き、リニアとメルティも静かに頷いたのだった。






* * * * *

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