家族(2)
前菜のお皿には野菜が五つ。
綺麗に飾り付けられたそれらは、よく見るとお兄様やお父様のお皿より量が少なかった。
わたしの食事量に合わせてくれたらしい。
そのうちの一つをフォークでそっと押さえて、ゆっくりナイフで一口大に切り分ける。
多少時間がかかっても綺麗に食べるのを目指そう。
切り分けたそれを口に運ぶ。
実はこの時が一番わたしには難しい。
首を伸ばしたり体をあまり寄せたりしちゃいけないし、フォークの先にしっかり刺しておかないと料理が落ちてしまうし、そのフォークが大きくて持ち難いのだ。
しかもソースがたっぷりかかっていたりすると、それがポタポタ落ちてしまう。
片手はナイフを持っているから添えられない。
……よし、こぼさず食べられた!
それに前菜の野菜が柔らかくて切りやすい。
硬いと、力を入れ過ぎてナイフをお皿にはぶつけてしまうこともある。
でも気を緩めるわけにはいかない。
食事はまだ始まったばかりだ。
「リュシエンヌは思っていたよりも綺麗に食事が出来るようだな」
お父様の言葉に頷いた。
「ルルにおしえてもらいました」
「……ルフェーヴルが?」
何故か酷く驚いた顔をされた。
「はい、ルルにおべんきょう、おしえてもらっています」
お父様の手が止まって、考えるように視線が一瞬動いた。
「そうか。勉強の具合を見て家庭教師をつけよう。……女性と男性ならどちらがいい?」
女性は、あまり年嵩の人は苦手だ。
王妃を思い出して体が強張る。
どちらかと言えば男性がいい。
でも、結局は初めて会う人みんなが怖い。
「……男の人がいいです。でも、わかい人なら女の人でも、たぶんだいじょうぶです」
「分かった、候補をいくつか挙げておこう」
そのうち家庭教師がつくことになるようだ。
……ルルとの時間、楽しいのになあ。
でも王女だし、引き取られた以上はきちんと教育は受けなければならないのだろう。
教育を受けないでいて、お父様やお兄様が悪く言われるのはちょっと嫌だ。
「ありがとうございます」
出来れば優しい人が来てくれたらいいなと思う。
「食事のマナーの他にも何を学んだ?」
お父様に質問される。
「えっと、こうようごのかきかたとよみかた、人にしてはいけないこと、あとまほうについてききました」
「人にしてはいけないこと?」
「かみをきずつけちゃいけない、かんていスキルで人をかんていしちゃいけない、とかです」
「……なるほど、常識から学んでいるのか」
わたしはこくりと頷いた。
お父様は微笑を浮かべた。
「公用語はどれぐらい進んだ?」
「よんで、かけるようになりました。日記もまいにちかいています」
「もう? 確かに公用語は最も簡単な言語だが、たった数日で習得するとは。リュシエンヌは頭が良いのだな」
「早急に家庭教師を手配しなければ」とお父様が思案顔で頷いた。
けれどもすぐに穏やかに笑う。
「まだ来たばかりだと言うのに自ら学ぼうとする姿勢は素晴らしい。それに学んだことも身につけられている。努力している証だ。これからも無理のない程度にな」
「そうだぞ、リュシエンヌはまだ小さいんだ。勉強もいいが、遊ぶのも大事だからな」
お父様もお兄様もよく似た瞳で見つめてくる。
その二対の瞳は優しい眼差しだった。
「はい、たくさんおべんきょうして、たくさんあそびます」
「それに沢山寝て、沢山食べて、大きくなるんだぞ」
お兄様が食器を置いてわたしの頭を撫でた。
そんな風に話しながらの食事だったけれど、わたしは料理をこぼすことなく食べ切ることが出来た。
今まではちょっとこぼしてしまっていたので綺麗に食べられて良かった。
その代わり、食べ進める速度は遅かったが。
しかし二人はわたしを急かすことはなかった。
お父様もお兄様もどうやらわたしに合わせてくれていたようで、遅いはずのわたしと同じタイミングぐらいで食べ終えていた。
そう気付いたのは食事を終えて安心した時だった。
……わたしが焦らないよう気を遣ってくれたのかな。
そうだとしたら、ちょっと嬉しい。
食事もわたしの食べる量に合わせて少なめに盛られていたし、リニアさんもメルティさんも毎日わたしのお世話をしてくれて、お兄様もよく様子を見に来てくれるし、オリバーさんはわたしに必要な物をいつも揃えてくれて、このお屋敷の人はみんな優しい。
それが嬉しいのと同時に申し訳なくもある。
……わたしは何も返せないから。
ルルに抱えてもらい、お父様とお兄様と食堂を出て居間に移る。
居間は食堂から少し距離があり、わたしの部屋と同じ階にあるらしい。
わたしの部屋よりも広い空間に大きな暖炉があり、華美さはないが品の良い、質の高そうなソファーやテーブル、飾り棚などの家具が置かれている。
暖炉には火が灯っており、室内はほどよく暖かい。
大きなテーブルの周りに置かれたソファーの一つにお父様が腰掛け、お兄様とわたしを抱えたルルが三人がけのソファーへ並んで座る。
当たり前のようにルルはわたしを膝の上に乗せる。
お兄様は特に気にした様子はなかったけれど、お父様がまじまじとわたしを抱えたルルを見た。
「あー、その、いつもそうなのか?」
お父様が戸惑いがちに訊いてくる。
お兄様が「ああ」と何かに気付いたように手を叩き、わたしとルルをその手で示す。
「この二人はずっとこの調子です」
「そうか……」
何とも言えない顔をしたお父様がわたしとルルを交互に見て、小さく溜息を吐いた。
「ちょっとぉ、溜め息吐かないでよぉ。せ〜っかく使用人らしく黙ってたのにさぁ」
ルルがわたしの頭を撫でつつ不満そうに言った。
しかしお父様はソファーに背を預けると、ルルを憮然とした面持ちで見やった。
「どこが使用人らしく、だ。リュシエンヌの家庭教師の話を出した時に、私に殺気を向けただろう?」
……え? 殺気?
「だってぇ、家庭教師が来たらリュシーとの時間が減っちゃうじゃん?」
「なら、お前は傍についていればいい」
「言われなくてもそうするつもりだよぉ」
唇を尖らせるルルにお父様が続ける。
「リュシエンヌには大変な思いをさせてしまうが、王家として、養子として引き取った者として、子の教育を疎かにするわけにはいかないんだ」
「それはそっちの事情でしょ〜? リュシー、もし嫌なことがあったら、勉強なんてしなくてもいいんだよぉ? オレと結婚したら必要ないことばっかりだしぃ、リュシーがつらい思いをしてまでやることないんだからねぇ」
「しかし十六までは王族として生きるんだ。礼儀作法や勉強はきちんとしておかなければリュシエンヌが恥をかくことになるぞ?」
「言いたい奴には言わせておけばいいよぉ。あんまり目に余るようならオレが何とかするしぃ」
お父様とルルが全く正反対のことを言う。
確かにどちらの言い分もわかる。
わたしにきちんとした教育を受けさせなければ、ファイエット家が他から非難されるだろう。
新王家は旧王家と同じく子供を虐待しているなどと噂が流れたら困る。
それに十二歳からは公務もあるため、それまでに礼儀作法を覚えておかなければ、わたしも恥ずかしい思いをすることになる。
しかしルルの言う通り、わたしがルルの下へ嫁いだら、多分勉強したことの大半は意味を成さなくなる。
ルルは暗殺者だ。
しかもどうやらルルは結婚後、わたしを外へ出すつもりはないらしい。
時々ルルが結婚後のことを口に出すことがあるのだけれど、聞いていると、広い敷地に大きな屋敷、使用人にも会わせる気はないようで、きっと結婚したらルルと二人きりの生活なのだろう。
わたしは案外それが嫌じゃないのだ。
むしろ、外界から隔離された場所でのんびり暮らして、毎日ルルと好きに過ごす生活というのはかなり魅力的であった。
……でも今の立場を無視する気はない。
「ルル、おとうさま」
「なぁに?」
「どうした?」
声をかけると二人が同時にわたしを見た。
……実は仲良いんじゃないの?
「わたし、おべんきょうしたい。知らないこと、たくさんあって、おべんきょうがたのしい、です」
「そうか、そうか」
お父様が満足そうに頷く。
「でも、ルルといっしょにいるのが一番すきだから、ルルがイヤなら、おべんきょうはいらないです」
お父様の顔が固まり、ルルが嬉しそうに灰色の瞳を細めてわたしをギュッと抱き締めた。
「リュシーは良い子だねぇ。ごめんねぇ、リュシーは好きに勉強していいよぉ」
「ルル、イヤじゃない?」
「イヤじゃないよぉ。勉強よりもオレの方が好きなんだよねぇ?」
「うん、ルルが一番すき」
「ならいいよぉ」
もしかしてわたしがルルよりも勉強を優先してしまうかもと思ったのだろうか。
……そんなことは絶対にない。
他の何よりもルルが一番なのだ。
他のものを諦めることは簡単だけど、きっと、ルルと離れることだけは受け入れられない。
それくらい、ルルは大事な存在だ。
手を伸ばすとルルが頭を傾けてくれたので、それをよしよしと撫でる。
いつも撫でてくれるからお返しに。
「……とりあえず、リュシエンヌに家庭教師はつけて良いんだな?」
「いいよぉ。ただし男なら三十以上、女なら三十未満か五十以上の金髪緑眼以外の優しい性格でねぇ」
「随分具体的に指定してくるな」
「……そういうことか」お父様が納得した顔をする。
ルルも「そういうことだよぉ」と返事をする。
三十未満か、五十代以上で金髪緑眼以外の優しい性格の女の人?
……あ、もしかして、外見や年齢が王妃に似た人は外せってこと?
ルルの気遣いに嬉しくなる。
「父上、それなら僕についている家庭教師をリュシエンヌにも当ててはどうでしょうか? その条件に当てはまります」
それまで黙っていたお兄様が口を開いた。
……お兄様の家庭教師かあ。
いきなり知らない人に会うよりかはいいかもしれない。
「アリスティードの家庭教師か」
「どんな人ぉ?」
「歳は三十手前で、妻子はいないが、穏やかで真面目な性格の者だ。優秀で、アリスティードの家庭教師を終えたら文官として取り立てる予定だ」
「ふぅん?」
ルルが小首を傾げ、すぐに首を戻してわたしを見た。
「わたしも、おにいさまのかていきょうしがいいです」
その人は忙しくなってしまうかもしれないが。
「ん〜、まあ、リュシーがそう言うならいいかなぁ。ちゃぁんとオレがいるって伝えておいてよねぇ?」
「分かっている」
ルルの許可が下りた。
お兄様が「たまには一緒に勉強しような」と笑う。
それに頷き、お兄様に一つだけお願いをする。
「その、さいしょに会うときに、おにいさまもいっしょにいてほしいです……」
ルルがいるので大丈夫だとは思うが、旧王家のわたしを良く思わない人だったら少し怖い。
「ああ、もちろんそのつもりだ」
お兄様がわたしの手に触れた。
安心させるように軽く握られる。
「他に何か必要なものはあるか? ああ、ドレスについては仕立て屋を手配した。明後日来るだろう」
「さすが父上」
よく似た二人が同じ笑みを浮かべた。
……ドレス?
「ふくはあります」
今着ているものを示すと首を振られた。
「それは室内着で、人と会うには向かない。きちんと体に合ったドレスでなければ家庭教師にも失礼になる」
「……分かりました」
このワンピースドレスも十分可愛いが、これではダメだというのであれば仕方ない。
「でもキラキラしたのはいらないです」
「キラキラ……宝飾品か? しかし何もつけないのは良くない」
「つけるの、リボンがいいです」
今みたいに、手や首に装飾品代わりにリボンを巻いている方がわたしの気分的にもいい。
高い装飾品は壊しそうで怖い。
それに宝石や金銀細工なんて欲しくない。
お父様が頷いた。
「ではリボンを贈ろう。……リュシエンヌの五歳の誕生日プレゼントだ」
それにルルとお兄様がハッと息を詰めた。
ルルが「誕生日プレゼント……」と珍しく呆然と呟く声がした。
逆にお兄様は「誕生日を過ぎてるのか?!」と詰め寄ってくる。
……ええっと。
「リュシエンヌはクーデターのあの日、五歳になったはずだ」
「ではパーティーもしなければいけませんね」
「わたしは城へ戻らなければならない。……アリスティード、後は任せたぞ」
「はい、お任せください!」
そう二人が話している横でルルがしょんぼりと落ち込んでいる。
「そっかぁ、誕生日はプレゼントをあげるのが普通なんだよねぇ……」
肩を落とすルルの頭をまた撫でる。
「いいの、たんじょうびプレゼントはルルだよ。ルルに会えたのが一番のプレゼントなの。それに、大きくなったらルルがわたしをもらってくれるんだよね?」
「うん」
「じゃあそれもプレゼント。ルルとずっといっしょがうれしい」
ルルの頭を撫でながら言えば、ルルがパッと明るい表情になる。
そうしてギュッと抱き締められて頬同士がくっつけられた。
「リュシー、ありがとぉ」
何故かルルにお礼を言われた。
「おれいはわたしが言うの。ルル、ありがとう」
将来も一緒にいてくれる。
そんな未来が誕生日プレゼントなんて幸せだ。
だって、それって、ルルの未来をわたしにくれるってことだから。
わたしの人生を全部ルルにあげたっていい。
わたしの未来をあげるから、ルルの未来をちょうだい。
それにお父様とお兄様からもプレゼントは本当はもうもらっている。
広い部屋に暖かなベッド、決まった時間に出る美味しい食事、綺麗な服、優しい侍女二人、血の繋がりはないけれど感じられる家族の温かさ。
……ここに引き取られて良かった。