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ルルと勉強(2)

 






 次の日のお勉強の時間。


 今日は基本的な食事の作法を学ぶ。


 どこから話を聞いたのか、お兄様も来て、わたしの勉強に付き合ってくれることになった。


 まずは座るところから始めるらしい。




「椅子は使用人なんかが引いてくれるから、左から座るんだよぉ。あんまり深く座ると立ち難いから、ちょ〜っと浅めに座るといいよぉ」




「でもリュシーはしばらく抱っこだけどねぇ」とルルが言い、一度椅子の左側にわたしを下ろして立たせ、椅子を引くと、わたしを抱き上げてそこへ座らせた。




「わたしがいすをうごかしちゃダメなの?」


「ダメってことはないけどぉ、基本的にはオレか侍女か、外で食事するなら店の人とか、多分坊っちゃまとか、その辺りの人が引いてくれるだろうからぁ。リュシーが椅子を自分で動かすことはまずないよぉ」


「分かった」


「逆に、椅子を引こうとしてくれてるのに無視するのは良くないから気を付けてねぇ」




 なるほど、それはそうだろうなと思い頷く。


 椅子に座ってテーブルの上を見る。


 テーブルの上にはお皿が並んでおり、一番前のお皿の左右にはナイフやフォーク、スプーンなどがいくつも置かれている。


 お皿の上には何やら白っぽい物体があった。




「これは何だ……?」




 お兄様が不思議そうにお皿を覗き込む。


 四つほどあるお皿の上には色んな形の白い塊がいくつかあり、別に小さめのお皿、スープ皿には水らしきものが入っていた。




「蝋燭だよぉ」


「ろうそくって、あの、火をつけるの?」


「そうそう、その蝋燭〜。硬さを変えて固めてあるから、それを料理に見立てて切ったり刺したりする練習だよぉ。これなら落としても服が汚れないし、くっつければ何度でも練習出来るからねぇ」




 ……そっか、さすがに食べ物で何度も練習出来ないし、落としたりこぼしたりしたらドレスが汚れちゃうもんね。


 よく見てみれば蝋燭は平たくて丸いステーキみたいな形だったり、ウィンナーみたいな形だったり、料理の形をそれっぽく作ってあった。




「ルルってなんでもできるね」




 思わずまじまじとお皿を眺める。


 ルルは「そぉ?」と小首を傾げた。




「これも仕事で蝋を使うことがあったから思いついただけなんだけどねぇ」


「ろうそくつかうの?」


「うん、古い鍵を開けるのとかにねぇ」




 ……それってピッキングじゃあ……?


 お兄様がちょっと引いていたが、ルルは全く気にした風もなく、話を進める。




「まずは食事の前にナプキンを膝にかけてねぇ」




 指で示されたそれを手に取る。




「これ?」


「そうだよぉ。それを広げて二つ折りにしたら、折った方を自分の体に向けて膝の上に置くんだよぉ」


「……こう?」


「うん、そうそう〜」




 ちょっと大きなナプキンを二つ折りまで広げて、折ってある方を体側に向けて膝にかける。




「実際食べる時は一皿ずつ出てくるけど、今日は切り分け方とか綺麗な食べ方の練習だから皿は全部出してあるよ〜」




 一番手前のお皿の左側にはフォークが三つ、右手側には外側からスプーン、小さめのナイフ、不思議な形のナイフ、大きめのナイフがある。皿の向こう側には小さなナイフとフォーク、スプーン。


 パンみたいな大きい蝋の塊の乗ったお皿の向こう側にバターナイフっぽいものがある。




「沢山ナイフやフォークがあるけど、あんまり難しく考えなくていいよぉ。右手の一番外側のスプーンはスープ用で、後は外側から順番に使っていくんだよぉ。奥のナイフとフォークは果物用で、スプーンはデザート用〜。まあ、もし間違って使っちゃっても使用人や店の人に言えば新しいのをくれるから大丈夫〜」




 ……うん、これも前の世界と同じだ。


 公用語もそうだけど、こういうところはゲームの世界っぽいというか、何というか……。


 でも前のわたしの記憶を取り戻したおかげで思ったよりも難しくなさそうだ。


 それにグラスは一つきりだ。


 多分、飲みたいものが変わったらグラスごと替えてもらうんだろう。




「はい、次は出てくる料理を覚えようねぇ」




 パン、と軽く手を叩かれたので視線が上がる。


 ルルがお皿を手で示していく。




「貴族の食事は基本的にフルコースだよぉ。こっちが前菜、スープ、魚料理、肉料理、口直しのシャーベット、肉料理、デザート、みたいな感じかなぁ。もっと気楽な時は口直しのシャーベットと後半の肉料理が省かれることもあるけど、こんな感じだと思う〜」


「おにくりょうり、二回もあるの?」


「種類が違うんだよぉ」




 思わず「ほあぁ……」と声が漏れてしまった。


 一回の食事でそんなに色々食べるのか。


 前のわたしの記憶でも、友人の結婚式で食べた気はするけれど、その時は感動のあまり泣いたり喜んだりしていっぱいいっぱいだったような気がする。


 何を食べたのか覚えていない。




「まずは前菜だねぇ」




 ルルが小さな塊がいくつか乗った皿をわたしの前へ移動させる。




「前菜はほぼ野菜だよぉ。使うのは、このフォークとナイフだねぇ。どれも味付けが違っててぇ、少しずつ盛られてるから、それを自分の食べやすい大きさに切って食べてねぇ」




「まずはお手本だよぉ」とルルがわたしの手を取り、ナイフとフォークを持たせる。


 そうしてナイフとフォークを持った手に、自分の手を重ねたまま、目の前のお皿の上にある前菜の一つにフォークとナイフを当てる。


 フォークで押さえながらナイフで切り分ける。


 ……あ、思ったよりも柔らかい。


 蝋燭は硬いイメージがあったけれど、ルルが言った通り、柔らかさを調整してあるらしい。


 ナイフはするりと蝋燭を切った。


 切り分けたものにフォークを刺し、口元へ運ぶ。


 わたしが口を開けて食べるふりをしてみせるとルルもお兄様もフッと顔を緩めてくれた。


 蝋燭を皿に戻す。




「ど〜お? 出来そう〜?」




 ルルの問いに頷き返す。




「うん、やってみる」




 ルルが指先で今切ったばかりの蝋燭に触れ、魔法の詠唱を口にすると、切った蝋燭がぴったりくっついた。


 元通りとまではいかないが、大体戻っている。


 手に持ったフォークを添えて軽く押さえ、ナイフを当ててゆっくり切り込んでいく。


 ルルが手を添えてくれていた時よりも力が要る。


 切り分け、一口大になったそれをフォークで刺し、口元に運ぶ。


 食べるふりをして、蝋をお皿へ戻した。


 そうやって切り分けては口へ運ぶという動作を何度か繰り返し、前菜のお皿の全てを制覇する。


 ……あ、途中で食器を離す時は……?




「食事中にフォークやナイフを置く時にはこう、左右に分けて置くんだ」




 お兄様が手を伸ばして置き方を教えてくれる。


 フォークとナイフを手離してホッとする。




「……あってる?」




 二人を見れば頷き返された。




「合ってるよぉ。すごく上手だったぁ」


「ああ、初めてにしてはよく出来ていた」




 子供の手にフォークやナイフは大きくて、ぎこちない動きだっただろう。


 それでも、食事の作法に触れて感動した。


 今までは手掴みか食べさせてもらうかばかりだったので、ほぼ食器を使ったことはなかった。


 このお屋敷に来て初めて食器類に触れた。


 これからは、食器を使うのが当たり前になる。




「よかった……」




 肩の力が抜けてふにゃりと笑ってしまう。


 人間らしい食事の食べ方が嬉しかった。








* * * * *








 小さな手がカトラリーを扱っている。


 酷くぎこちない手付きで、時々皿にフォークやナイフをぶつけてしまってカチンと音が鳴ってしまう。


 けれどもリュシエンヌは驚くほど飲み込みが早い。


 公用語の文字を覚えたこともそうだが、食事の作法も、教えたことをすんなりと吸収している。


 数日前までは手掴みで残飯を漁っていたとはとても思えない。


 今まで教育を施されなかっただけで、今後、色々な教育を受けていけばリュシエンヌはあっという間に立派な淑女になるだろう。


 淑女のリュシエンヌも可愛いだろうが、やはりルフェーヴルからしたら気取っていない素のリュシエンヌでいて欲しい。


 だが王女である以上はそうも言ってはいられない。


 王族として、礼儀作法は完璧でなければならないだろう。


 ……どうせオレのところに来るのにねぇ。


 そうしたら礼儀作法なんて気にせず、リュシエンヌにはのびのびと暮らしてもらうつもりだ。


 まあ、教育はここにいる間の義務みたいなものだ。


 きちんと教育を受けられていないと勘違いされれば、引き取った方の問題となってしまう。




「ルル、どう?」




 メインの肉料理の皿を、少し苦労しながらも切り分け、食べる仕草まで終えたリュシエンヌが顔を上げる。


 琥珀の瞳が「褒めて褒めて」と輝いている。




「大丈夫、綺麗に出来てるよぉ」




 最初は切り口がガタガタだったものも、何度も何度も飽きもせずに繰り返し、今は綺麗な断面になっている。


 大きさも揃っていなかった切り分け方も慣れたのか、自分の口に合わせた一口大に切れていた。


 ルフェーヴルはふと昔を思い出す。


 自分が食事の作法を初めて習った時、こんなに早く上達しただろうか。


 ……遊んで、師匠に殴られたっけなぁ。


 同じように師の下で学んでいた兄弟弟子とナイフとフォークで戦って遊び出して、二人揃って頭を思い切り殴られた記憶が蘇る。


 色んな仕事で怪我を負ったが、師匠の拳骨は容赦がなくていつも痛かった。


 ルフェーヴルは暗殺術以外はわりと不真面目だったので、師はルフェーヴルに物を教えるのに苦労したことだろう。


 ……その点、リュシーは素直だからねぇ。


 真面目に勉強に取り組んでいる。




「さあて、そろそろ休憩にしよっか〜?」




 あまり詰め込んでも良くない。


 ルフェーヴルの言葉にリュシエンヌが頷いた。


 リュシエンヌはデザートの皿まで到達しており、席の立ち方を教えてやると、その通りに行った。


 椅子から小さな体を持ち上げる。


 そのお腹からくぅ、と音がした。


 リュシエンヌがお腹を押さえる。




「休憩ついでにお菓子も食べよっかぁ?」


「……うん」




 恥ずかしそうに、でも嬉しそうに頷くリュシエンヌの頭をルフェーヴルはそっと撫でたのだった。








* * * * *









 この世界のテーブルマナーは元の世界とほぼ同じだと分かったので、内心で安堵した。


 これならうっかり前の記憶で何かやらかしてしまい、とんでもなく失礼なことをしてしまったといった事態にはならないだろう。


 あとはわたしが努力するだけだ。


 それにしても公用語と言い、テーブルマナーと言い、わたしにとっては非常に助かるものだった。


 ルルに抱っこされ、ソファーへ移動させてもらう。


 それまで部屋の隅で控えてくれていたリニアさんが、わたし達が休憩に入ると話をしたところで部屋を出て行って、サービスワゴンを押しながら戻ってきた。


 ワゴンの上にはピッチャーとグラス、それから何か布をかけたお皿が載っている。




「お疲れ様でございます、お嬢様」




 ピッチャーからグラスに中身を注いで、リニアさんが渡してくれた。




「ありがとうございます」




 にこりと笑い返されて、グラスに口をつける。


 飲み慣れた果実水が美味しい。


 わたしの胃に紅茶はまだ良くないとのことで、いつもわたしが飲むのはこれである。


 果物の優しい甘みが美味しいので全く飽きない。


 グラスの半分ほどまで飲んでテーブルに置く。




「はい、リュシー。頑張ってるご褒美だよぉ」




 ルルが目の前にお皿を差し出した。


 お皿の上には綺麗に並べられたクッキーがある。




「……おいしそう……」




 綺麗なキツネ色に焼けたもの、チョコが混ざっているらしい暗い色のもの、市松模様のようにチョコが混ぜられたもの、赤やオレンジのジャムが上に盛られたもの、リボンのような形のもの。


 色々なクッキーが並んでいる。




「本当はティータイムに出すつもりだったんだけどぉ、リュシーがすごぉく頑張ってるから料理長が先に作っておいてくれたんだよぉ」


「これわたしが食べていいの?!」


「そうだよぉ。はい、口開けてぇ」




 赤いジャムの乗ったクッキーを差し出されて、ほぼ無意識のうちに口が開いていた。


 小さく作られたそれはわたしの口でも食べられる。


 口を閉じてクッキーを咥えるとルルの手が離れた。


 クッキーは生地が少ししっとりしていて、甘さが控えめだけど、代わりにイチゴのジャムが甘酸っぱくてふわっと鼻までその香りが抜けていく。


 ……すっごく美味しい!


 自然と両手で口を押さえてしまう。




「美味しい〜?」




 ルルの問いに何度も頷く。


 言葉に出来ないくらい美味しい!


 しっかりと噛み締めて食べる。


 ルルが私の横に座った。




「はい、次はこれだよぉ」




 差し出されたそれにパクリとかじりつく。


 ……ん、今度はチョコ味のクッキーだ!


 甘くて、ほろ苦くて、香ばしい。


 チョコだけでなく小麦の香ばしさもある。




「リュシーは美味しそうに食べるよねぇ」




 別のクッキーを差し出したルルが言う。


 口の中のクッキーを飲み込んだ。




「……へん?」


「い〜や? 可愛くてオレは好きだよぉ」




 わたしの口にクッキーが入れられる。


 ……リボンの形だ。あ、蜂蜜の匂いがする!




「オレの前ではずっとそのリュシーでいてねぇ?」




 クッキーを飲み込んで笑う。




「それだと、わたし、しゅくじょになれないよ。だってルルはいつもいっしょだもん」


「オレはそれでも良いんだけどぉ、そ〜もいかないんだよねぇ」




 ルルがわたしの頬をつつく。




「だが子供のうちは子供らしく過ごしたっていいんだぞ」




 ルルとは反対側にお兄様が座る。


 そうしてお兄様が少し躊躇った後、恐る恐るわたしの頭に手を伸ばしてきた。


 ……頭を撫でたいのかな?


 ジッと逃げずに見つめるわたしの頭にお兄様の手が慎重に触れ、そろりそろりと頭を撫でた。




「……うん」




 子供のうちは子供らしく過ごせばいい。


 リュシエンヌが出来なかったことを、これからいっぱい体験していきたいと思う。


 お兄様が嬉しそうに目尻を下げてわたしを見下ろした。






 

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