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義理の兄(2)

 






 翌日、手紙が届いた。


 送り主はアリスティード=ロア・ファイエット。


 ……何で手紙がきたんだろう?


 手紙を持ってきたメイドは居心地が悪そうだ。


 家の中だというのに、わざわざ蝋で封がされたそれを、ルルがペーパーナイフで開けてくれた。


 受け取った封筒を一通り眺めた後に、中身をゆっくりと取り出す。


 そこには一通のメッセージカードが入っていた。




「……よめない……」




 文字を見て、わたしは困った。


 多分文字なのだろうそれは初めて見る。


 そういえばリュシエンヌの記憶の中で、文字に触れる機会はなかったし、誰かに教わるなんてそれこそありえなかった。


 つまるところ、リュシエンヌわたしは文字が読めないのだ。




「ルル、これ何?」




 傍にいたルルに問う。


 差し出したメッセージカードをルルが覗き込む。




「えっとぉ、お伺いだねぇ。リュシエンヌに『今日の午後、ティータイムの頃に部屋に行ってもいいか』って書いてあるよぉ」




 ……昨日ルルに追い出されたからかな?


 今度は突撃せずに手紙で伺いを立ててから、来ることにしたようだ。


 どうしようかと考えているとルルが「どうする?」と聞いてくる。


 ……うーん、断り難いかも。


 わたしはあくまで養子であるし、養子先の実子であるアリスティードが会いたいというのを特に理由もなく断るのは少々悩むところである。


 それに、確かに挨拶はしておくべきだ。


 例えアリスティードに嫌われたとしても、同じ屋根の下で暮らすのだから、最低限の付き合いくらいはしておくべきかもしれない。




「……会う」


「怖くなぁい?」




 わたしの言葉にルルが聞き返す。




「うん、ルルがいるからだいじょうぶ」




 アリスティードは暴力は振るわないだろう。


 頷き返せば、ルルが「じゃあオレが代筆してあげるよぉ」と部屋の机に常備してあるメッセージカードに何やら走り書きすると、それを二つ折りにして、手紙を持ってきたメイドへ渡した。




「これを坊っちゃまに渡してくれる〜?」




 年若いメイドは整った顔立ちのルルに一瞬見惚れていたけれど、すぐにカードを受け取ると、礼をして退室した。


 扉が閉まってからルルへ尋ねた。




「なんてかいたの?」


「ん〜? そのままだよぉ。ただ『分かりました』って返事しただけぇ」


「そっか」




 午後は義兄となる人に会わねばならない。


 ほぼ初めましての相手なので少し不安だ。


 そのせいか、昼食は上の空になってしまってあまり食べられなかった。


 ……礼儀作法の勉強よりもまずは読み書きを勉強しないと何も出来なさそうだ。


 後でリニアさんかメルティさんに簡単な本があるか、それを借りられるか聞いてみよう。


 ……文字はルルに習おう。


 あと髪も切りたい。長くて結構邪魔なのだ。


 もし紙が高価でなければ読み書き用にもらいたいけど、多分、そこまで安いものでもなさそうな感じがする。


 いざとなったらどこか庭で文字の練習をすればいい。


 地面なら棒で書いて足で消せば何度でも書ける。


 そんなことを考えているうちに、メルティさんが午後のティータイムの準備をする。


 テーブルの上に色んなお菓子が並べられていくけれど、わたしが今食べられるものはない。


 まだ胃が弱っていて普通の食事は食べられない。


 少しずつ固形物を増やして、普通の食事を食べられるように胃を慣れさせていく予定なのだ。


 今回のこれらはアリスティード用だ。


 わたしの前には小さく切り分けられた果物が並べられ、飲み物も、紅茶ではなく果実水らしい。


 そして準備が終わる頃、見計らったように、部屋の扉がノックされた。


 リニアさんが対応に出て、廊下に続く扉を開けた。


 そこにはわたしより少し年上の男の子がいた。


 黒髪に、やや眦のつり上がった青い瞳、無表情のせいかどこかとっつき難そうな感じがする。


 わたしは椅子から降りると床に膝をついた。


 両手が地面につく前に、ルルに抱え上げられた。




「リュシー、何してるのぉ?」




 脇に手を入れて持ち上げられたので、訪問者とリニアさん、準備をしていたメルティさんが眉を寄せてこちらを見ている。


 その三つの視線が突き刺さるようだ。




「あ、あいさつしなきゃって思って……」


「挨拶ぅ? 床にへばりつくのが?」


「まえは、そうしないとけられた、から……?」




 両脇を掴んでいるルルの手に微かに力がこもった気がした。


 見上げると、目が合ったルルがにこりと笑う。


 そうしてそのまま抱き寄せられた。




「リュシーは王女サマなんだからそんなことしなくていいんだよぉ」




 それから椅子へ戻された。


 男の子は少し躊躇った後、リニアさんが引いた椅子に腰掛けた。


 テーブルを挟んで向き合う。


 夜のような漆黒の艶のある髪に、宝石みたいにキラキラした青い色の瞳、白く透き通った肌に整った顔立ち。


 きっちり着ている服に乱れがない辺りに、その真面目そうな性格が垣間見える。


 メルティさんが男の子に紅茶を淹れた。


 わたし達の間に沈黙が落ちる。


 ……どうしよう。話題がない。


 それに今まで殆ど人と接したことのないリュシエンヌわたしが義理の兄になった人だからとすぐに仲良くなれるかと言えば難しい話だ。


 落ち着かなくて果実水を飲む。




「……僕は」




 声が聞こえて顔を上げる。


 男の子は手元のティーカップに視線を落としたままだ。


 ふっと上げられた目と視線が合った。




「僕はアリスティードだ。アリスティード=ロア・ファイエット、七歳だ。元ファイエット侯爵家の長男であったが今は新王家の第一王子となった。そして君の義理の兄だ」




 二つ年上だそうだ。


 そういえば原作ではリュシエンヌが学院の一年生の時に、三年生だった。


 学院は十五歳から三年間通うので、思い出してみればそうだったなと納得した。




「……リュシエンヌ、です」


「それだけか?」




 不満そうに言われて思わず体が縮こまる。




「よ、よろしくおねがい、します……」




 原作のリュシエンヌもこんな風に義兄のアリスティードから冷たい声で話しかけられていたのだろうか。


 疎まれていると気付かなかったのだろうか。


 ……いや、それはない。


 散々虐待されてきたのだから、人の感情、特に負の感情には敏感だったと思う。


 そうだとしたら、多分、認めたくなかったのか。


 やっと自分に暴力を振るわない『家族』が出来たのに、義兄に、疎ましがられていると思いたくなかった。


 好かれたかったのかもしれない。


 だから原作では義兄にべったりだった。


 ……リュシエンヌはきっと愛されたかったんだ。


 俯くと長い髪が顔を覆う。




「あのねぇ、この子は自分のことは全然知らないんだよぉ。名前はリュシエンヌ=ラ・ファイエット、クーデターの日に五歳になってるねぇ。ずぅっと旧王家で虐待されて過ごしたんだよぉ。そのせいで熱を出して、昨日やっと落ち着いたばかりなんだぁ」




 ルルが言い、アリスティードが視線を動かす。




「お前は?」


「オレは新国王陛下に雇われたリュシーの侍従〜」


「全くもって侍従らしくなさそうだがな」


「まあ、本職が違うからねぇ」




 アリスティードとルルがジッと互いを見る。


 ……なんか空気がギスギスする……。


 もう一度グラスに口をつけた。


 実を言うと少しお腹が減っている。


 でも、果物の盛り合わせに手を伸ばすのはちょっと躊躇われた。


 わたしは食事の作法を知らない。


 果物しか食べないのに、スプーンやフォーク以外にもナイフがある時点で困る。既に盛られた果物は一口大に切られている。ナイフの使い道が分からない。


 更に小さく切って食べるべきなのだろうか。


 それにブドウは皮がついたままだ。


 ……手で掴んで食べていいのかな。


 ぼんやり果物が盛り合わせられた皿を眺めていたら、キュウゥ〜と音がした。


 言うまでもなくわたしのお腹の音だった。




「リュシー、お腹空いたのぉ?」




 ルルに覗き込まれて頷き返す。




「ちょっと待ってねぇ」




 そう言ってルルが盛り皿からいくつかの果物を取り皿へ移し、小さく切り分けた。


 そのうちの一欠片をフォークで刺し、口元へ寄せられる。




「はい、どうぞぉ」




 口を開ければ果物が入ってくる。


 小さく切られたそれはオレンジだった。


 少し酸味があって、でもそれよりも甘みが強くて、オレンジ独特の柑橘系の瑞々しい味が広がった。


 よく噛んでいるとアリスティードと目が合った。




「それくらい自分で食べられないのか?」




 その言葉にズキリと胸が痛む。


 わたしなら、食べられないことはない。


 でも虐待されてテーブルマナーを知らないリュシエンヌはどうだろうか?


 それにわたしのテーブルマナーがこの世界のものと同じかどうかも分からない……。


 フォークに手を伸ばすとルルに止められた。




「君さぁ、さっきから何なのぉ?」




 ルルがアリスティードを見た。




「いきなり来たリュシーが気に入らないのかもしれないけど、父親から話は聞いてるんでしょぉ? 日々の食事すら満足にもらえない、着るものも寝る場所も用意してもらえない、そういう風に虐待されていた子が満足な教育を受けられるわけないじゃん」




 言い切ったルルが次の果物を差し出してきた。


 口を開ければ、今度は小さく切られたリンゴだ。


 しゃく、と歯ごたえの良い感触がする。


 わたしがリンゴを咀嚼する音だけが響いた。




「……そんな……」




 呟く声に顔を上げればアリスティードがカチャンとティーカップをソーサーに置いた。


 その表情はどこか強張っているような、驚いているような、呆然としているような、複雑なものだった。




「そこまで酷かったなんて……」




 僅かにアリスティードが俯いた。




「父親はリュシーのこと、ちゃんと説明しなかったのぉ?」




 ルルの問いかけに、アリスティードが唇を噛んだ。




「……いや、父上は話そうとしてた。それを、僕は聞こうとしなかった……」


「ふぅん?」




 ルルが首を傾げつつ、またわたしの口に果物を運んでいく。


 ……あ、今度はメロンかな?


 すごく甘くて瑞々しくて美味しい。




「まあ、君の事情なんてどうでもいいけどぉ、自分より小さな女の子を虐めないでよねぇ」


「なっ、い、虐めてない!」


「ええ〜? さっきからリュシーに対して冷たい声で、高圧的な態度で、それで虐めてないつもりぃ? っていうか、気に入らないなら来なきゃいいのにさぁ」




 ……あ、アリスティードの肩が下がった。


 ルルの言葉が突き刺さったらしい。


 口の中のメロンを飲み込む。




「あの……」




 声をかければアリスティードがこちらを見た。




「わたし、しずかにします。あなたには近付きません。だから、わたしのことは、ほうっておいてください」




 そうすればお互いに静かに過ごせる。


 わたしも義兄に関わらなければ、原作のようにべったりになることもないはずだ。


 それに旧王家の血を濃く引くリュシエンヌを疎ましく思っているのは原作通りのようなので、このままただの居候くらいに思ってそっとしておいて欲しい。


 どうせ成人したらファイエット家を出るのだ。


 この提案はアリスティードにとっても良いもののはずだ。


 そう思ったのに、何故か傷付いた顔をされた。




「……僕と関わりたくない、と?」


「その、わたしにはそう見えました……」


「…………」




 アリスティードが押し黙った。


 逆にルルは愉しげに口角を引き上げて、わたしの口元に次の果物を差し出した。


 それを食べながら様子を見る。


 しばらく沈黙していたアリスティードが口を開く。




「……ない」




 アリスティードがその黒い頭を下げた。




「すまなかった。……昨日のこともそうだが、今日のことも、僕が悪かった」




 頭を下げられ、どうしたら良いのか分からずルルを見上げると、ふっとその灰色の瞳が細められた。


 そしてそれはアリスティードへ向いた。




「それで?」


「え?」




 ルルの問いにアリスティードが顔を上げた。




「優しくて気弱なリュシーは冷たくされたことも許してくれるだろうねぇ。……で? 気に入らないリュシーのところに来て、怖がらせて、一方的に謝罪して、君は結局何がしたかったのぉ?」




 そろそろお腹がいっぱいになってきたかなと思っていると、果物を差し出す手が止まり、口元をナプキンでそっと拭われる。


 使った取り皿は下げられた。


 アリスティードはまた押し黙ったけれど、先ほどよりかは短い時間だった。




「……僕は旧王家が憎い」




 そこから、アリスティードは何故旧王家を憎んでいるか静かに語ってくれた。


 やはり原作通り、母親の死が問題だったようだ。


 旧王家の血を濃く引くリュシエンヌが義妹になることは許容し難いことだったらしい。


 しかし義理でも妹になる相手のことは気になる。


 クーデター後にわたしがこの屋敷に来たことは知っていたそうで、いつ挨拶に来るかと思っていたが、一向に来る気配がない。


 父親も執事も落ち着いたら紹介すると言うだけ。


 義妹がどのような人物なのか、アリスティードは確かめたかったのだ。


 自分が憎む旧王家の者達のような人間なのか。


 父親が養女にするだけの意味があるのか。


 アリスティードは知りたかったのだ。




「まさか、こんなにか弱いとは思わなかった」




 ジッと見つめられて、つい俯いてしまう。




「旧王家は憎い。しかし君のことはもう憎いとは思わない。君はあいつらとは違う。……父上やオリバーが言った通り君も『王家の被害者』だ」




 もう一度「すまない」と謝られた。


 そして顔を上げたアリスティードに問われる。




「君が嫌ならば関わらないようにしよう。でも、もし、君が嫌でないのならば、これから少しずつ兄妹になっていきたいと思う」




 両肩にルルの手が触れた。


 見上げるとルルが「どうする?」と言いたげに小首を傾げて、わたしを見下ろした。



 

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