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義理の兄(1)

 






 お屋敷に着いて、熱を出してから四日後。


 日に三度の食事と苦い薬のおかげか、熱は完全に下がり、体の重さも大分良くなった。


 お医者様にも「まだ激しい運動はいけませんが、ベッドから出ても大丈夫ですよ」と許可ももらえた。


 ただ、足の裏の怪我もあるので散歩などはまだダメらしい。


 左肩はまだ痣で変色しているけど、軟膏のおかげか少し痛むけれど肩が上がるようになった。


 この四日間、ずっとベッドの上にいたのですっかり体が鈍ってしまっていた。


 でもその間、侍女のリニアさんとメルティさんが怪我に触らない程度に入浴させてくれたので気分はかなりいい。


 ……やっぱりお風呂は最高だよね。


 髪はサラサラふわふわ、お肌はもっちり。


 くすんだ髪も肌も本来の色を取り戻しつつある。


 それにヒマな時間はルルが色々とお話してくれた。




「リュシーは自分のことを知っておかないと、後々困るかもしれないからねぇ」




 と、言ってわたし自身のことを説明してくれた。


 今のわたしの名前はリュシエンヌ=ラ・ファイエット。


 四日前、つまりクーデター当日に五歳になった。


 クーデターを起こしたのはベルナール=ファイエット侯爵で、今は新国王ベルナール=ロア・ファイエット陛下となり、わたしは新王家ファイエットの養女として受け入れられて、身分は第一王女らしい。


 ちなみに王族の女性はファミリーネームの前に「ラ」が入り、王族の男性は「ロア」が入るそうだ。


 わたしが後宮で虐待されながらも生かされていた理由は、第二王子を暗殺し、国王が亡くなった暁にはわたしを女王に据えて傀儡とし、自分が国を支配するつもりだったのだとか。


 何でわたしを、と疑問になったが、どうやら旧王家では琥珀の瞳を受け継ぐ者でなければ王になれなかったそうで、前王の他には第二王子とわたししか琥珀の瞳を持っていなかった。


 だから王妃はわたしを生かしつつ、自我を持たないように虐待していたようなのだ。


 そしてわたしは原作通り、処刑を免れた。


 でもこの王家の血が悪用されないように監視の意味もあって新王家の養女とされた。


 もしルルがいなかったらわたしは嫁がずに独身を貫くか、信用の置ける貴族と結婚して子を成さずに終えるかといった予定だった。


 だがルルがわたしを欲しいと言った。


 そして新国王であるわたしの義理の父はそれを了承したそうだ。


 ルルならば王家の血を悪用しないし、子を成さないことを条件に決まったそうだ。




「リュシーが十二歳になったらオレと婚約して、成人の十六歳になったら、結婚するからねぇ」




 まるで天気の話でもするかのように言われた。


 ビックリしたが、不満や不安はない。


 ……ルルと婚約するの?


 驚きの次に感じたのは嬉しさだった。


 それと同時に原作から外れたことに安堵した。


 リュシエンヌの婚約者が原作と変わる。


 その変化がどのような影響を及ぼすかは不明だけれど、ヒロインちゃんに婚約者を奪われて嫉妬に駆られて虐めをするというストーリーは避けられる。




「オレと結婚するのは嫌〜?」




 思わず黙ったわたしの顔をルルが覗き込んだ。




「ううん、うれしい。けっこんって、ずっといっしょってことだよね?」


「そうだよぉ」


「わたしルルとけっこんする」




 伸びてきた手が褒めるように頭を撫でる。


 この手に傷付けられたことはない。


 ルルのことは誰よりも信用してるし、信頼してるし、好きだから、結婚出来るとしたら嬉しい。




「結婚したらオレの家で一緒に住もうねぇ?」


「……ルル、おうちあるの?」




 まさかこの歳でもう家持ち?




「ううん、これから買うつもりぃ。出かけられるようになったら一緒に見に行こうよぉ。リュシーが気に入った家を買って、気に入った家具を置いて、少しずつ整えていくの、楽しそうでしょ〜?」




 想像してみる。


 ルルと選んだ家にルルと選んだ家具、二人だけの穏やかな生活はきっと時間がゆっくりと進むだろう。


 そのための準備を二人でする。




「たのしそう!」


「だよねぇ」




 何よりルルと結婚するなら原作とは外れる。


 しかもずっとルルと一緒だ。


 そのためにもわたしは成人までに色々と覚えなければならないことは多い。




「わたし、りょうりおぼえる。せんたくとおそうじも」




 そう決意するとルルが笑った。




「人を雇うから覚えなくてもいいけどねぇ」


「でもルルにしょくじ作りたい」


「そっかぁ、じゃあそれは楽しみにしておくよぉ」




 そういうことで、わたしは成人後はルルの下へ嫁ぐこととなった。


 でもそれまでは王女なので、せめて最低限の公務には出なければならないらしい。


 公務は十二歳になってから。


 それまでは王族としての礼儀作法や勉強を学んでいかなければならない。


 ……わたし、覚えきれるかな……。


 それに学院は確か十五歳からだ。


 いっそ学院に通うことを回避出来ればいいのだが、王女が学院に通わないというのは難しいだろう。


 病気など理由がなければ無理そうだ。


 そんなことを考えていると部屋の扉が叩かれた。


 控えていたメルティさんが扉を開け、訪問者を確認した後に何やら焦ったような声が聞こえてきた。




「お嬢様はまだ病み上がりでして……。それにお嬢様を坊っちゃまに紹介されるのは旦那様がお戻りになられてからと伺っております」




 そんなメルティさんの言葉の後に、初めて聞く声がした。




「それは分かってるけど、顔を見たいだけだ」




 まだ幼く高い声だが男の子のものだ。


 原作を思い出す。


 確かリュシエンヌが引き取られたファイエット家には義理の兄となる男の子がいる。


 この男の子も攻略対象の一人だったはずだ。


 リュシエンヌは義兄を慕っていたが、義兄の方はべったりとくっついてくるリュシエンヌを鬱陶しく思っていて、兄妹の仲はあまり良くないという設定だった。


 ……でもさあ、それってどうなの?


 リュシエンヌになって色々と気付いたが、同じ血の繋がった王子や王女達から虐められ続けたリュシエンヌが、自分を虐げない新しい家族と出会ったとして。


 その家族に心が傾くのは当然だと思う。


 もしルルがいなければわたしは孤独だったはずだ。


 自分を虐げず、人として扱ってくれる人達に出会って、家族として、仲良くなりたいと思うのは普通のことだ。


 原作のリュシエンヌが義兄と婚約者をヒロインちゃんに取られまいとするのも、孤独になりたくないという思いからだろう。


 そもそも婚約者は未来の家族だ。


 それを守ろうとするのは当たり前だ。


 ……リュシエンヌ悪くないよね?


 いや、私物を盗んで破壊したり暴力を振るったりするのは良くないけど、婚約者を奪うというリュシエンヌが怒って当たり前のことをヒロインちゃんはしてる。


 それで義兄まで取られそうになったら?


 幼いうちに孤独を刻み付けられていたリュシエンヌは、奪われることに恐怖を覚えるんじゃない?




「ですが……」


「良いから通せっ」




「坊っちゃま!」というメルティさんの制止を押し退けて、声の主が部屋に入ってきた。


 男の子は黒髪に青色の瞳で、まだ七歳か八歳くらいの年の頃で、整った顔をしていた。顔立ちはちょっと冷たそうだ。


 部屋に入り、見回し、ベッドに座っているわたしを見つけるとズンズンと近付いて来た。


 でも男の子がベッドから一メートルくらいのところまで近付くと、椅子に座っていたルルが消え、次の瞬間には男の子の後ろに立ってその襟首を掴んでいた。


 突然進めなくなったことで男の子が驚いた顔をする。




「はぁい、そこまでぇ。それ以上はダメだよぉ」




 ルルの間延びした声に男の子が振り返る。




「誰だきさま! その手を離せ!」




 じたばたと男の子が暴れるけれどルルは手を離さず、その場に佇んでいる。




「オレ? オレはオジョーサマの侍従だよぉ」


「侍従?! そんなもの聞いてないぞ!?」


「まあ、別に君の許可は要らないしねぇ」




 ルルが興味なさそうに受け流すと男の子が顔を赤くして、何とかルルから逃げようと試みるけれど、上手くいかないようだった。


 そのままズルズルと男の子を引き摺り、ルルはポイと部屋の外へ放り出す。


 勢いにつんのめり、慌てて振り向いた男の前でルルが扉をぴったりと閉めた。


 ドンドンと扉を叩く音がしてもルルは扉に背を預けて、開けられないように体重をかける。




「ルル、いいの……?」




 その子、一応王子なんだけど。


 だけどルルは扉に寄りかかったまま頷いた。




「オレは侍従だけど護衛でもあるんだよねぇ。女の子の部屋にいきなり押し入るような奴は摘み出されても仕方ないよぉ」




 十分ほど扉の外は騒がしかったが、外でオリバーさんの声がすると静かになった。


 恐らく騒ぎを聞きつけてやって来たのだろう。


 静かになるとルルが扉から背を離す。


 そうして戻ってきて、わたしのいるベッドの横の、もはや定位置と化した椅子に腰掛けた。


 それが義兄にして攻略対象の一人、アリスティード=ロア・ファイエットとの出会いだった。








* * * * *








 その夜、わたしはベッドで横になりながら考えた。


 アリスティード=ロア・ファイエット。


 原作のメインヒーロー、つまり最も主要な攻略対象で確か人気もかなり高かった。


 クールであまり人を寄せ付けない王太子。


 母親は病で亡くなっている。病にかかっていることが判明した時には既に遅く、アリスティードの母親は自分のために高額な薬を買うよりも、その金を民のために使って欲しいと夫に頼み込んだ。


 そして夫ベルナールは妻の願いを聞き届けた。


 アリスティードの母親は病によりこの世を去る。


 傍で父親と共に母親の死を看取ったアリスティードは、王家を憎んだ。


 せめて薬を買えていれば母は苦しまなかった。


 父親と母親がそれを選んだ理由は、王家による民への重税だとアリスティードは考えた。


 王家が好き勝手に国を傾けた結果、母は己の薬を諦め、民を優先したのだと。


 だからアリスティードは旧王家を憎んでいた。


 例え虐待されていたのだと聞いても、旧王家の血を濃く引いたリュシエンヌを家族として受け入れることは出来なかった。


 兄と慕われることも苦痛であった。


 リュシエンヌが我が儘を言う度に、高価な買い物をする度に、その琥珀の瞳に旧王家の血を感じて嫌悪した。


 ……つまるところ、旧王家の血が濃いリュシエンヌが気に入らなかったってこと。


 だが、母親の件とリュシエンヌは無関係だ。


 ……まあ、でも、わたしは義兄にべったりすることはない。


 もうルルがいるから。ルルだけでいい。


 アリスティードとは距離を置こう。


 どうせ向こうもリュシエンヌのことを嫌うのだ。


 わざわざこちらから近付く必要はない。




「リュシー、もう寝なよぉ」




 なかなか眠らないわたしをルルが窘めた。




「うん、もうねるよ。おやすみ、ルル」


「おやすみぃ」




 とりあえず義兄へは塩対応しておこう。


 お互い必要以上に関わらなければ、ヒロインちゃんが現れてもわたしが動くことはない。


 いっそ、攻略対象とは関わらない方向でいこう。


 ルル以外とは全員距離を置く。


 ……うん、それがいい。


 シーツに包まり、わたしは目を閉じた。








* * * * *








「何なんだ、あの侍従は……!」




 自室のベッドにアリスティードは苛立ちのまま、勢いよく腰を下ろした。


 質の良いベッドがぼふんと受け止める。


 義妹については父より聞いていた。


 旧王家ヴェリエの唯一の生き残り。


 生まれた時から五年間、虐待を受けていたらしい。


 興味がなかったので内容までは聞いていないが、確かに今日見た義妹は小さい印象を受けた。


 長いダークブラウンの髪は顔を隠すほどで、それがベッドの上で広がっていて、まるで幽霊のようだったと思い出して考える。


 ……それでも挨拶くらいしに来るものだろう。


 養女として、養子先の家の者に挨拶をするのは当然のことだし、アリスティードとしては義妹として認めたくはないが、父がそうすると決めたのであれば否定はしない。


 旧王家の血を悪用されないためにも必要なことだと理解もしている。


 ただもう四日が過ぎたのに挨拶の一言もないというのは少々気に入らない。


 ……そういえば病み上がりと言っていた。


 何か病でも患っているのだろうか。


 けれど、それならば屋敷ではなく、まずは治療院で療養してからとなるだろう。


 父がそれをせずに屋敷へ引き取るわけがない。


 しかし昼間見かけた義妹は小さいような気がした。


 年下の子供と接したことはあまりないが、それでも、もう少し大きかったと思う。


 何よりあの侍従が問題だ。


 使用人ならば主人家族に仕えるべきなのに。あの侍従ときたら、アリスティードを猫の子でも捕まえるように掴み、部屋の外へ追い出したのである。


 しかも扉を開けられないようにした。


 おかげで騒ぎを聞きつけた執事のオリバーにこってりと叱られてしまった。


 ……だが、侍従の言葉も正しいのだ。


 ファイエット家の養女となっても初対面の女の子の部屋に、メイドの制止を押し切って入ったのはアリスティードだ。


 叩き出されても仕方ないと思う面もあった。




「〜っ、ああもう!」




 アリスティードは髪をくしゃくしゃに掻き混ぜて、ベッドへ勢いよく体を倒す。


 清潔な石鹸の香りのするシーツに顔を押し付けた。


 こんなに気になるのは義妹が旧王族の血筋だから。


 挨拶に来ないから、気になってしまうのだ。


 父からは落ち着いたら紹介すると言われたし、オリバーにも義妹が落ち着くまでは待つように言われたが、それを待っていたらアリスティードはモヤモヤして勉強に集中することも出来ない。




「……そうだ、手紙を書けばいいんだ」




 きっといきなり行ってもまたあの侍従に摘み出されてしまうだろう。


 それなら手紙で訪問することを伝えればいい。


 明日、起きたら手紙を書いて使用人に頼もう。


 良い案を思いついたからか、眠気を感じたアリスティードは靴を脱いでシーツに潜り込む。


 しばらくして、規則正しい寝息が聞こえてくる。


 薄暗闇の中で天井から人影がベッドの側へ降り立った。




「……敵意はなさそうだねぇ」




 こんもりと盛り上がったベッドの塊を見下ろしながら、ルフェーヴルは囁くように呟いた。


 もしもアリスティード=ロア・ファイエットがリュシエンヌに敵意を持っているようならば、関わるなと警告するつもりであった。


 だが、どうやら敵意はないらしい。


 ただリュシエンヌのことを随分と気にしている。


 それだけが少し気に入らないが、それだけで雇用主の子供であり、リュシエンヌの義兄になる子供を手にかけるには危険が大きい。


 ルフェーヴルは天井裏へ戻る。


 そうしてもう一度だけアリスティードを見下ろし、視線を外すと、リュシエンヌの部屋へと戻っていったのだった。






* * * * *

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