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王族達の末路(3)

 



 氷に手を伸ばし、それを掴んだ。




「っ?!」




 べた、と手が氷にくっついた。




「言い忘れてたけどぉ、濡れてない氷ってそのまま触ったりすると皮膚がくっついちゃうんだよねぇ」




 男はそう言い、立ち上がった。


 ガツンと腕に衝撃が走る。


 べり、と手の平が氷から離れた。


 遅れて激痛が離れた手を襲う。




「はい、もう一本〜」


「っ、ま、」




 まだくっついていたもう片手にも衝撃が訪れ、剥がれた手の平に同じ激痛が広がった。


 見れば両手のひらが血で染まっている。


 足元の氷に白っぽい薄いものがくっついている。


 それが何なのか頭が理解した瞬間、真上から水が降ってきた。


 水が手に触れただけで声も出せないくらい、酷い痛みが腕を駆け上がってくる。




「〜っ、ぅぎゃっ?!」




 握ることも、互いに押さえることも出来ない手の片方が男の足に踏みつけられる。


 頭に直接痛みが流れ込んだ。




「う〜ん、とりあえず今日はこんなものかなぁ」




 手を踏んだまま男がこちらを覗き込んでくる。


 そうして足が手から上がる。


 男は頭を左右に振るようにふらふらと離れ、牢の扉の方へ向かっていく。


 ……や、やっと終わった……?


 顔を上げれば、男と視線が合った。




「続きはまた明日ねぇ?」




 その言葉に体が震える。


 寒さのせいか、痛みのせいか、恐怖のせいか。


 それともその全てのせいで震えているのか。


 もう何も分からなかった。


 ただ、自分はとんでもない間違いを犯してしまったことだけは身を以て理解した。







* * * * *








 転がった第一王子を放置して、ルフェーヴルは牢を出た。


 きちんと鍵をかけ直すと顔を横へ向ける。


 ……残るは後二匹かぁ。


 深夜だというのに第一王女も第二王女も起きていて、ブルブルと震えている。


 向かいの牢にいる王や側妃などは頭を抱えるように耳を塞いで怯えていた。


 他人の苦痛の声や様子というのは恐ろしいものだ。


 いつそれが自分に降りかかるかと怯える時間は、それだけで精神的になかなかクる。


 第二王女は既にボロボロと泣いていた。


 ……そうだ、良いこと思いついたぁ。


 牢に近付き、扉を開け、第二王女を引っ張り出す。


 多少抵抗されたがルフェーヴルからしたら何の意味もなく、腕を掴んだまま、第一王女の方の牢を開けた。


 そこにポイと投げ入れる。


 そしてすぐに扉の鍵をかけた。




「一人一人遊んであげたいけどぉ、今日はもうあんまり時間がないんだよねぇ」




 起き上がった第二王女と座り込んだままの第一王女がその目に僅かに希望の光を宿す。


 ルフェーヴルはそれを見ながらうっそりと目を細めた。




「だからさぁ、もう一回選ばせてあげるぅ」




 第一王女が口を開いた。




「やるなら妹にして!!」




 躊躇いのない言葉に第二王女が姉を見た。


 大きな瞳が見開かれている。




「お、お姉様……」




 第二王女が手を伸ばすが、それを第一王女は振り払い、突き飛ばした。




「あなたは黙ってて! いっつも『お姉様お姉様』って私の真似ばかりして何の役にも立たないくせに!! こういう時くらい役に立ってみせなさいよ!!!」




 突き飛ばした妹に第一王女が拳を振り下ろす。


 第二王女は姉の突然の暴力に、両手で頭を庇い、壁に身を寄せて縮こまった。




「お、ねえさまっ、やめてっ、痛い……!」




 だが第一王女は「うるさい!!」と怒鳴りつける。




「そうよ、あなたが私の代わりになればいいのよ! この私の役に立てるんだから光栄に思いなさい!!」




 怒鳴りながら第一王女は第二王女を殴り、叩き、蹴り、まるで憂さを晴らすように暴力を振るう。


 ルフェーヴルはその様子を首に巻いた布の下でニヤニヤと笑いながら眺めていた。


 順番を『選ばせてあげる』とは言ったものの、どちらかだけとはルフェーヴルは口にしていない。


 それなのに第一王女は第二王女に『自分の代わりになれ』と言う。


 人間という生き物は極限状態に近付けば近付くほど、自身にとって都合の良いように物事を考えてしまう。


 それがたとえ間違っていても、頭はそれが正しいという理由ばかり思いつき、盲信してしまう。


 間違いだという証拠もあるはずなのに、それをなかったことにしてしまうのだ。


 第二王女が泣きながら姉を呼ぶが、苛立つのか第一王女の暴力は更に勢いを増す。


 もしかしたら第一王女の方は暴力を振るうことによって一時の間だが恐怖心を和らげようとしているのかもしれない。


 恐らくそれは本能的なものだろう。


 だが第二王女もいつまでもやられっぱなしで泣いているわけではなかった。


 泣いて、叫んで、それでも姉が暴力をやめないと分かると、第二王女がキッと姉を睨みつけた。


 姉の振り下ろされた手を掴む。


 振り払われると、今度は足を掴んで引っ張った。




「きゃあっ?!」




 足を引っ張られた第一王女が後ろに倒れ、床に尻を打ちつけた。


 そこに第二王女が飛びかかる。




「許さない!!」




 第二王女が姉の髪を掴み、もう片手でその顔に爪を立て、第一王女の白い頬に赤い線が走る。




「痛っ! 何するのよ!!」




 顔を引っ掻かれた第一王女が目の前の妹の頬を平手で叩き、髪を掴んだ手に反対の手で爪を立てる。


 しかし妹の方は姉の髪を離さない。


 それどころか力の限り引っ張った。


 ブチブチと髪の抜ける音がする。




「嫌ぁああっ!!?」


「ぁぐっ?!」




 第一王女が悲鳴を上げて妹を蹴った。


 それが丁度腹部に入ったようで、第二王女は姉の髪を掴んでいない方の手で口を押さえて嘔吐えずく。


 おえ、と胃の中のものを吐き出したが、空っぽだったのか、出てきたのは胃液だけだった。


 そして吐き出したのは姉の服の上だった。




「ひっ、汚いっ!!」




 第一王女が妹を引き剥がそうとする。


 けれども第二王女は姉の髪を強く握り締めており、慣れない嘔吐に苦しげに咳き込んだ。


 ルフェーヴルはそんな姉妹の醜い姿を眺めているだけで、割り込むつもりはない。


 むしろこの暴力的な姉妹がどこまでこれを続けるのか興味があった。


 よせばいいのに第一王女は妹を蹴るものだから、第二王女は何度も嘔吐えずき、姉の服を汚していく。





「ぉ、ね……ざまぁ……」




 胃液で痛むのか掠れた声で第二王女が姉を呼ぶ。


 その目も、声も、怒りが滲んでいた。


 吐瀉物をかけられて第一王女も顔を真っ赤にして震えている。


 そこから王女達はまるで加減を知らない男の喧嘩みたいに取っ組み合って、互いに互いを傷付けた。


 殴って、蹴って、引っ張って、叩いて、引っ掻いて、牢の中をあちらへこちらへ転がった。


 第二王女なんて姉の腕に噛み付いていた。


 リュシエンヌを犬と蔑んでいたくせに、自分の方こそ犬のようじゃないかとルフェーヴルはわらう。


 互いに掴み合って転がったせいで、第一王女も第二王女も吐瀉物に汚れ、酷い臭いがする。


 向かい側、ルフェーヴル越しに娘達を見ていたのか、王が嘔吐えずく音がした。


 地下牢は第二王女の吐瀉物の酸っぱい臭いが広がってしまっていた。


 ……一度ギルドの方に寄らなきゃなぁ。


 ルフェーヴルは家を持たないが、闇ギルドがある建物に、専用の部屋がある。


 寝るか汗を流すくらいでしか使用していない場所だが、着替えは一応置いているので、リュシエンヌの下へ戻る前に汗を流して臭いのついた服も取り替えることは出来る。


 ……それにそろそろ見飽きたしぃ?


 ルフェーヴルは柵の間から手を入れ、人差し指を第一王女へ向け、初級魔法の詠唱を呟いた。


 指先に小さな火球を出し、それを放つ。


 指先から離れた火球は第一王女の服の裾に当たり、ボロボロの囚人用の服を焦がす。




「ひぃっ?!」


「きゃあぁあっ!!?」




 第二王女はすぐに離れ、第一王女は悲鳴を上げながら慌てて服についた火を叩いて消した。


 だが火を消す度にルフェーヴルが小さな火球を投げつけるので、それを消す第一王女の手に火傷が広がった。


 王女の手が真っ赤になったのを見てルフェーヴルは火球を投げつけるのをやめる。


 さすがに痛むのか第一王女の目から涙が零れた。




「そろそろ戻らないとねぇ」




 ルフェーヴルがぐぐっと両腕を上に上げて伸びをする。


 一つの牢の中には第一王女と第二王女が入れられたままだったが、それを戻そうとはしなかった。


 この姉妹にはその方が精神的にキツいだろう。


 互いに互いを裏切ったのだから、同じ牢にいるのはさぞかし不愉快に違いない。


 それに吐瀉物に塗れた王女達に触りたくない。




「それじゃあ、また明日ね〜」




 呆然と座り込む王女達を放置して、ルフェーヴルは地下牢を後にしたのだった。


 今夜を合わせて三日はルフェーヴルが自由に出来る。


 それに痛めつけても、朝には治療師がやって来て治癒魔法をかけるのだ。


 ただ正気を保たせなければならない。


 治癒魔法は狂ってしまった人間にかけても正気に戻すことは出来ない。


 治癒魔法で治せるのは身体的な傷だけだ。


 だからルフェーヴルは残りの二日間、気を付けなければならない。


 ……オレ、壊す方が得意なんだけどねぇ。


 だが壊してしまうと民衆の怒りの向かい先がなくなってしまう。


 そうなると、王族の生き残りであるリュシエンヌにその怒りが集まってしまう可能性がある。


 それを避けるためにも王族達には正気を保っていてもらわなければ困るのだ。




「仕方ない、明日はもうちょ〜っと軽めにするかぁ」




 地下牢を出て、適当な窓から城の外に抜け出すと、ルフェーヴルは近くの木に飛び移り、ひょいひょいといくつかの木を経由して城と街とを隔てる壁へ辿り着く。


 詠唱を呟き、風魔法で下から押し上げながら壁の側面を駆け上がった。


 ふわ、と壁の上へ着地する。


 その影を見つけた者はいなかった。







* * * * *








 それから更に二日、王妃とその子供達はルフェーヴルの『趣味』に付き合わされることになった。


 翌朝には治療師によって傷が治癒される。


 初日ほどではないが、ルフェーヴルはリュシエンヌが受けた虐待のいくつかを真似して四人に行った。


 それでも正気を保たせるために、それなりに手加減をした。


 そうして捕縛から四日目。


 王と王妃、その子供である第一王女、第一王子、第二王女、そして側妃と第二王子はそれぞれ一人ずつ檻の中に入れられ、城外へ運び出された。


 一応警備の兵がつき、七人は城の外、城下の街の広場に移動させられる。


 そこには既に多くの民が集まっていた。


 檻には兵士と数名の治療師が交代でついている。


 王族達は檻の中で、自分達を囲む民衆に何が起こるのかと辺りを見回した。


 誰も彼もがギラギラとした目で檻を見る。


 その手に棒などを持った者もいた。


 一緒に来ていた使者が持っていた紙を広げ、新国王の即位が告げられ、前国王や王妃などの王族達のこれまでの所業が高らかに読み上げられた。




「──以上をもって、新国王陛下は前国王及び旧王族を刑に処す前に、民達の怒りを示すことをお許しになられたことをここに宣言する!!」




 それはつまるところ、民達に王族を渡すので好きにせよ、ということであった。


 クーデターが成功したその日のうちに、今回の件については民へ広く噂が流れるように手を回してあったため、王都にいる民の殆どはそれを知っていた。


 その中でも特に王族へ不満や怒りを持っていた者達がこの広場へ集まったのである。


 檻が魔法により荷馬車から降ろされる。


 広場に七つの檻が設置された。


 警備の兵と治療師が離れる。


 王妃やその子供達は三日間、夜になるとルフェーヴルが地下牢へやって来るのであまり眠れておらず、目の下に隈が出来ていた。


 だが、それ以外は体に異常ない。


 おまけに服もクーデターで捕縛した際に着ていたものを戻されていた。


 そのため民から見れば王族達は健康で、豪奢な衣装に身を包んで、太々(ふてぶて)しく見えただろう。


 特に王はやや太っていたので、貧しい生活をしている民からしてみたら憎らしく見えたかもしれない。


 王女二人はルフェーヴルの手によって髪を雑に切り取られていたが、それでも艶のある美しいそれは民衆の目にどう映るか。


 ジリジリと民衆が檻に近付く。


 しかし、誰も手を出そうとはしない。


 最初の一歩が踏み出せないといった風であった。


 民衆は互いに視線を向け、誰が最初に手を下すのか、窺っていた。


 すると民衆の中から一人の青年が割って出た。




「お前達王族のせいで、俺の親父は死んだんだ! 税を払えなかっただけで処刑されるなんて間違ってる!!」




「この悪魔め!!」と青年が手にしていた棒を檻の中に突き入れた。


 その棒の先が国王の肩を強く打った。


 国王は突然のことに身を庇うことも出来なかった。


 青年の様子を見た民衆達の目に怒りと憎しみの光が宿り、それまでの戸惑った空気が消えていく。




「そうだ! こいつらのせいで貧しくなったんだ!」


「うちの旦那は税を払うために無理して体を壊したのよ!」


「俺の娘は薬も買えなくて死んだんだ!!」




 民衆達は口々に檻へ怒鳴る。


 青年が振り返った。




「こいつら王族は俺達が必死になって働いてる時に、城で贅沢に暮らしてたんだ! 見ろ、この体、この手入れされた髪! 国の金まで使ったって噂もある!」




 青年の言葉に民衆達の眦が吊り上がった。




「何だって?!」


「私達が死ぬ思いで払った金を贅沢に使うなんて!」




 その叫びは瞬く間に広がり、広場全体が騒めき、怒号、非難の声で包まれていく。


 それらが自分達に向けられていると理解したのか王族達はそれぞれの檻の中で震えているが、檻は四方を鉄柵で囲んだものであるため隠れることは出来ない。


 怒りに染まった民衆が檻に殺到するのに時間はかからなかった。


 ある者は檻の中に手を伸ばして髪を引っ張った。


 ある者は伸ばした手で爪を立てた。


 ある者は持ってきた棒で檻を叩き。


 ある者は棒を突き入れ、中にいる王族の体を容赦なく突いた。


 七つの檻の中でも、特に王と王妃の下には多くの民が集まった。


 逆に王子や王女達には年若い者達が集まり、檻越しにとは言えど、中の人間をあちらへこちらへと引っ張っては柵にぶつけたり引っ掻いたりした。



 

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