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1日目(2)

 






 目を覚ますと見慣れた物置部屋にいた。


 寝床になっている布の上に寝かされていて、体を横に向けると全身が痛む。


 ゴワゴワした布の感触が頬に触れる。


 ちょっとだけ気合いを入れて、体と布の間に腕を差し込み、ゆっくりと起き上がる。




「うっ……」




 後頭部と同じくらい背中も痛い。


 ……そういえば王妃に蹴られたんだった。


 痛みを我慢して起き上がれば何やら動き難いことに気が付いた。


 何だろうと襟を引っ張って服の下を覗いてみる。


 ……うん?


 ボロ布みたいなワンピースの裾をたくし上げて、体を確認する。


 どうせこの物置部屋にいるのはわたしだけだ。


 色白の痩せ細った体の至る所に何やらガーゼみたいな布が張り付いている。


 試しにお腹に張り付いている布の端っこを剥がしてみれば、くすんだ暗い緑色の何かが塗られていて、指先で触るとぺったりとした感触があった。


 その指を鼻先に近付けてみる。


 あ、これ多分塗り薬だ。


 薬草独特の青臭さが微かにする。


 服の下に隠れた傷や痣に塗られているようで、体のあちこちに小さな布が張り付いている感覚がある。


 リュシエンヌの記憶を辿ってみるが、ここで暮らしていて、このように傷の手当てをされたのは初めてだった。


 メイドではないだろうなあ。


 後宮のメイド達の殆どは王妃の不興を買うような行いを避けるので、傷だらけのリュシエンヌを長年見て見ぬ振りし続けた。


 今更彼女達が手当てをしたとは思えない。


 ……やっぱりあの人?


 最後に見た、茶髪に灰色の瞳の青年。


 乙女ゲーム『光差す世界で君と』の隠しキャラクターにして闇ギルドに属する凄腕の暗殺者、ルフェーヴル=ニコルソン。


 原作のゲームではもっと大人だったけれど、暗殺者としての格好が全く変わっていないので、恐らく彼で間違いないと思う。


 今は原作の十年前くらいなのだからキャラクター達の年齢も原作よりも若いはずだ。


 ……うーん、困った。


 隠しキャラ、ルフェーヴル=ニコルソンが公式に発表されたのはわたしが死ぬ多分二週間くらい前だった。


 その時には全身の立ち姿と顔、名前、そして職業が公開されただけで、性格は分からなかったし、後から発売予定のファンディスク、つまりゲームとは別で購入する特別編にしか登場しないというキャラだ。


 しかもわたしはそれが発売される前に死んだ。


 だからハッキリ言って外見と名前、職業以外は全く知らないのだ。


 ……でも手当てしてくれたってことはそんなに悪い人でもなさそうかも。


 少なくとも後宮のメイド達よりは優しい。


 スカートを戻しながら考える。


 隠しキャラということは置いておいて、次に会ったらお礼を言おう。


 動き難いし、痛いのは変わりないが、いつもよりかは怪我の痛みはマシになっている気がする。


 とりあえず今は傷を治すことに専念しよう。


 あれだけ王妃が怒っていたので、多分、今日も食事はないだろう。


 ゴワゴワな布の上にゆっくりと横になる。


 適当に手に触った布を引っ張り、体に巻きつけると目を閉じる。


 ……お腹空いたなあ。


 空腹過ぎて僅かに痛みを感じる腹部を押さえ、体を丸めれば、すぐに眠気はやってきた。


 それに抗うことなく眠りに落ちた。







* * * * *








 それからどれくらい眠ったのか。


 次に目を覚ますと部屋は真っ暗だった。


 少し肌寒く、横になったままゴワゴワの布を更に手繰り寄せて体に巻きつける。


 昼間の怪我が響いているのか頭が痛い。


 額に触れると思った以上に熱かった。


 怪我のせいで熱が出ているらしい。


 ……そうだよね、栄養失調で体力もない子供の体であちこちに打ち身になっていれば熱が出るのは当たり前だ。


 それにしても喉が渇く。


 起き上がろうとするとグラリと体が傾いた。


 ……うえぇ、気持ち悪い。


 布の上でうつ伏せに丸まる。


 喉は渇くけど、井戸に行くのは無理そうだ。


 気分の悪さを我慢していると、ふっと空気が揺れるような気配がした。


 こんな部屋だけど案外隙間風は入って来ないので、虫でもいるのだろうかと僅かに顔を上げる。


 すぐ傍に人が立っていた。


 今まで暴力を受け続けたリュシエンヌの癖なのか反射的に体が震えた。


 立っていた人影がスッと屈む。




「あーあ、やっぱり熱出してるぅ」




 窓から差し込むほのかな月明かりに照らされたのは、先ほどまで考えていた人物だった。


 何で、どうして、と疑問がグルグルと頭の中を回っていく。


 でも具合が悪い時は思考も鈍る。


 考えてみても彼がそこにいる理由は見当もつかなかった。




「……外、いかなかったの……?」




 そう問うと彼は首を傾けた。




「い〜や、一度帰ったよぉ」




 彼がこちらに手を伸ばしてくる。


 体は自然と強張ったけれど、抵抗はしない。


 だって暗殺者なんだから殺そうと思えばいつでもわたしなんて殺せるだろう。


 それなのに手当てしてくれたってことは、少なくとも今は危害を加える気はない。……はず。


 わたしよりもずっと大きな手がスルリと布の隙間に入り、首筋に手を当てられる。


 冷たくて気持ちが良くて、思わずその手を自分で首に押し当てると、指が微かに動いた。




「うーん、思ったより熱あるねぇ」




 大きな手がひたりと首を覆う。


 そしてぐったりしているわたしの体の下にもう片手を入れると、ゴワゴワした毛布ごとわたしを持ち上げた。


 そのままわたしは彼の腕の中に抱えられる。


 小さく「かっる……」と呟く声がする。


 首に触れていた手が離れ、ゴソゴソと何やら探り、乾いた唇に何かが触れる。


 ほんのりと甘い香りがした。


 口を開くと甘い香りのものが口の中に入ってくる。


 それに歯を立ててみるけれども、固くて噛むことが出来なかった。


 わたしがすぐに噛むのを諦めると気付いたのか口から引き抜かれた。


 代わりに今度は筒みたいなのが口元に触れる。


 咥えると少しだけそれが傾き、口の中に少量の液体が流れ込んできた。


 ……水だ!


 思わず両手で掴むとまた筒が傾けられて水が口の中に流れて来たので、飲み込んでいく。


 満足するまで飲んだなと感じて手を離すと筒も口から離れていった。


 少ししてパキパキと何かを割る音がする。


 そしてまた口の中に何かが入ってくる。


 先ほどと同じ甘い匂いの欠片だ。


 やはり固いのは変わらないので、しばらく口の中でモゴモゴと転がし、唾液で柔らかくなってきたら噛む。


 ……ハードビスケットみたい。


 物凄く固くて、甘くて、でも少ししょっぱくて、あんまり美味しくはない。


 でもリュシエンヌの記憶はこれを美味しいと言う。


 それくらい、リュシエンヌは生まれてからずっとまともな食べ物をもらえていないということだ。


 記憶の中の食べ物と言えば、カビたパンに色々混ざったような具のない不味いスープ、傷んだ果物といったものばかりだ。


 そんなものでも食べられるだけ幸せだった。


 王妃や異母姉達の機嫌が悪くて食事をもらえない日も多く、そういう時、リュシエンヌは井戸の水を飲んだり残していたカビたパンを食べたり、どうしても空腹に耐えられなくなると厨房のゴミを夜中に漁ることもあった。


 明らかに食べたらお腹を壊すと分かるものであっても、リュシエンヌは空腹を紛らわせるために、生きるために口にした。


 異母姉達はそれを面白がって時々リュシエンヌに傷んだ食べ物や野菜や果物の皮を与えて、目の前で食べさせた。


 それらに比べればこれは固いという点以外は確かに美味しいと言える。


 傷んでないし、野菜や果物の芯や皮でもないし、苦くもエグくもないし、何より滅多に口に出来ない砂糖の甘みがある。


 塩味があるからこそ甘味を強く感じるのだろう。


 よく噛み締めた欠片を飲み込む。


 するとまた口の中に欠片が入れられる。


 同じ味だ。


 あの何かを割る音はこれだったらしい。


 意外にも彼はわたしを急かすことはなく、口に含んではふやけるまで待って咀嚼して飲み込むのを黙って見ているようだった。


 それでも五つか六つ欠片を食べたところで満腹感を覚え、わたしは首を振った。




「もう食べられない?」




 それに頷くと唇に触れていた欠片が離れる。


 そうして口に何か粒みたいなものが放り込まれ、また筒が口に当てられた。


 その粒が苦味があって少しの水と一緒に飲む。


 空腹と喉の渇きが満たされたからか、気分はあまり優れないものの、穏やかな眠気が押し寄せてくる。


 うとうとするわたしに気付いたらしく、抱えられた腕や触れた体から微かに笑う振動が伝わって来た。


 そっと毛布の上に戻される。


 離れていく腕に手を伸ばせば、指が触れる。




「……ぁり、が、と……」




 閉じそうになる瞼を押し上げて笑えば、彼はわたしを見下ろして目を細めて口角を引き上げた。




「おやすみぃ」




 その間延びした声に導かれて目を閉じる。


 闇はあっさりとわたしを飲み込んだ。







* * * * *







 布の塊の中で小さな体が眠っている。


 先ほど解熱薬を飲ませたので、明日の朝には熱も下がっているだろう。


 昼間に傷の手当てをしたものの、打撲だけでなく、化膿しかけた擦り傷もあったため、夜には多少熱を出すかもしれないと予想した。


 案の定、子供は熱を出していた。


 ただ思ったよりも熱は高かった。


 ぐったりとして動く気配のない子供は一言喋ったが辛そうで、抱き上げると驚くほど軽く、直に触れた細い首は酷く熱い。


 子供は冷たい手が心地好いのか、ルフェーヴルの手をギュッと自身の首に押し当てた。


 ……暗殺者に首を晒すなんて無防備だなあ。


 力の抜けた体を抱き寄せて、その場に腰を下ろし、膝の上に置く。


 月明かりに照らされた顔はぼんやりとしていた。


 持ってきた餌を口につけてみると食べようとはしたが、すぐに離してしまう。


 代わりに水を与えれば必死になって飲んだ。


 それから餌を片手で割り潰し、欠片を小さな口に一つ入れた。今度は口の中でしばらく転がして食べた。


 唾液で柔らかくなるまで待ったらしい。


 餌に持ってきたものは固く焼き締められたビスケットで、甘みと塩気はあり、保存期間も長くて安いが、あまり美味しくないと評判のものだ。


 しかし匂いも少なく持ち運びやすく軽いことから、同業者の中では買う者も多い。


 子供は文句一つ言わずに食べた。


 様子を見ながら与えていくと、大きめの欠片を六つほど食べたところで小さく首を振った。


 聞くと、もう食べられないようだった。


 この餌は喉が渇きやすいため、最後に解熱薬と共にもう一度水を与える。


 子供は何の疑いもなく解熱薬を飲んだ。


 そしてウトウトと眠そうにし始めた。


 だから布に戻そうとしたら子供はルフェーヴルに手を伸ばし、指に触れると礼を口にした。


 ルフェーヴルが声をかけると安心した様子で意識を手放すように眠りに落ちた。


 物置部屋はかなり暗いが、ルフェーヴルは夜目が利くので子供の寝顔もハッキリと見えている。


 ゴワゴワの毛布に包まった子供は締まりのない顔で眠っており、時折、口元がもにょもにょと動く。


 考えてみると子供の世話をしたのは初めてだった。


 闇ギルドにこれほど幼い子供はいないし、貧民街の子供を見かけることはあるがもっと目付きが鋭く、まるで野生の動物のようにギラついている。


 逆に貴族の子供はよく目にする。


 仕事で何度も貴族の邸に忍び込んだことがあったが、貴族の子供は大抵は我が儘で可愛げがない。


 街の子供もたまに見かけるが、この子供とは何かが違う気がする。




「……変な子ぉ」




 突然現れたルフェーヴルに全く警戒しない。


 一応、今回の仕事の依頼主にこの子供の件を伝えたら存在を知らなかったようで驚いていた。


 そして子供についても調べるように命じられた。


 まあ、言われなくてもそうするけどねぇ。


 ルフェーヴルは手の中に残った砕けたビスケットを口に放り込み、持ってきていた餌の残りを包みごと、外から見えないように子供の懐に入れて立ち上がる。


 見下ろした子供の寝息は先ほどよりいくらか穏やかなものになっていた。





* * * * *

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