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14日目(1)

 






 ガタン、という音で目が覚めた。


 真っ暗で、狭くて、一瞬自分がどこにいるのか分からなくて驚いたけれど、昨夜のルルの言葉を思い出した。


 ……そっか、わたし、今クローゼットの中に隠れてるんだっけ。


 それにしても狭いなと身動ぎをしようとして、またガタリと音がした。


 ハッと息を止める。




「はあ……、何だって俺がこんなことを……。クーデターっていうから、もっと派手に戦って憂さ晴らし出来ると思ったのに……」




 ぶつぶつとぼやく男性の声がする。


 この物置部屋の中を調べているらしい。


 ガサゴソ、ガタゴトと部屋のあちこちを調べているのか音が聞こえてくる。


 もしかしてもうクーデターが起こり、後宮にまで兵士達がやって来たのだろうか。


 そうでなければ、この後宮に、王族以外の男性が入ってくることなどない。


 ……何時だろう。


 きっとわたしはかなり長く眠っていたのだろう。


 部屋の中を足音と物色する音が行き来している。


 そうしてついにわたしの隠れているクローゼットに足音が近づいて来る。


 ギィ、と上の扉が開けられる音がした。




「チッ、こういうところにこっそり金目のモンを隠してるかと思ったが、外れだな」




 乱暴にバタンと戸が閉められる。


 その振動が伝わってきて、ドキドキと心臓が緊張で早鐘を打っている。


 ……ここを開けないで……!


 グッと引き出しに触れたのが分かる。


 見つかる、と思った瞬間、別の声が聞こえてきた。




「おい、そんな所で何してる!」




 怒鳴るような声に引き出しに触れていた手が離れたような気配がした。




「いやぁ、その、王族が他に隠れてないかと思って……」




 焦ったような男性の声に、先ほどの声が今度は呆れた風に言った。




「そんな狭い引き出しに入れるわけないだろ。というか、あの王族がこんな埃っぽい場所になんか来るもんか」


「そ、それもそうだな!」


「こんな所を探してないで、向こうに行けよ。人手が欲しいって騒いでたぞ」


「おう、分かった、そっちに行くとするか!」





 最初に部屋にいた男性らしき足音がバタバタと離れていく。


 その足音が完全に聞こえなくなると、コツ、コツ、と静かな足音がクローゼットへ真っ直ぐ向かって来る。


 でも不思議とそれに恐怖は感じなかった。


 グッと引き出しに触れる気配がする。


 そうしてゆっくりとわたしの入った引き出しが外側へ引き出されていった。








* * * * *









 クーデター決行日。


 ルフェーヴルは兵士に偽装して、城の中の内通者と外で隠れて待機している依頼主達貴族との連絡手段として忙しく動き回っていた。


 この仕事を終えればリュシエンヌを迎えに行ける。


 だからこそルフェーヴルは迅速にクーデターが成されるように、王族や宰相達のいる場所なども併せて報告し、城内へ突入後、速やかに彼らを捕縛出来るように手引きした。


 そのおかげかクーデターの兵士たちも、依頼主達も、何の苦もなく城内に押し寄せることが出来た。


 城内の警備をしていた兵士たちは早々に武器を手放し、戦うことを放棄した。


 数でも勝てない上に、王城の兵士達の士気は元々かなり低く、むしろクーデターを喜んで受け入れているようですらあった。


 まずは妾達と惰眠を貪っていた王を捕縛した。


 女達も共に捕らえられたが、殆ど服とは言えない薄着のまま有無を言わさず引っ立てられていった。


 王は訳が分からないといった様子で、抵抗する間もなく縛られたが、さすがにそこで我へ返ったらしく色々と喚いていた。


 次に登城していた宰相を捕縛した。


 宰相は自ら姿を現して「自分は王の命令に従う他なかったのだ」といかにも憐れそうに話し、抵抗せずに捕らえられた。


 恐らく証拠は見つからない、もしくは見つかっても言い逃れを出来ると考えているのだろう。


 自ら進んで捕縛されることで心証を良くしたいのかもしれないが、残念ながら、クーデターを起こした者達の心には何も響かない。


 宰相が国庫を横領していたことも、王に代わって政を己の好きなようにしていたことも、全て判明している。


 その後、後宮にも兵士達は押し入った。


 ルフェーヴルはその中に紛れ、側妃と第二王子、王妃とその子供達三人がしっかりと捕縛されるのを待った。


 王妃は堂々としており、自分は王の妻であり、高貴な人間なのだから、酷い扱いは受けないと思ったようだ。


 だが兵士達を率いていた貴族は何の躊躇いもなく王妃達を捕縛した。


 縄で縛られるという罪人のような扱いに王妃達は怒り、罵詈雑言を兵士や貴族へ浴びせかけたが、眉を顰める程度で誰もそれを取り合わない。


 貴族に、これはクーデターであり、王族達は皆、捕らえられた後に処刑されると説明を受けて初めて事態の深刻さに気付いた風ではあったが、もう遅い。


 甲高い声で叫ぶ王妃や子供達は兵士達に引っ立てられて、王城の方へと移される。


 ルフェーヴルは兵士達がリュシエンヌを見つけてしまわぬように見張ってもいた。


 王族がいなくなり、後宮の兵士の数が減ったことで、ルフェーヴルは物置部屋へと向かう。


 そこで室内を物色する男がいたが、声をかければ焦った様子で逃げて行った。


 こういった騒ぎに乗じて盗みを働こうとする者というのは案外多いのだ。


 男を追い払い、ルフェーヴルはクローゼットへ歩み寄る。


 ……幸い開けられた形跡はない。


 二つある引き出しの取っ手を掴み、両手でゆっくりと引き出した。


 そこには毛布に包まれ、仰向けに寝転がったままのリュシエンヌがいて、こちらを見上げる。




「……ルル?」




 変装しているはずなのにリュシエンヌはしっかりとルフェーヴルを見上げ、手を伸ばして来た。


 幻影魔法による変装を解く。




「よく分かったねぇ、偉い偉い」




 腕を伸ばして抱き起す。


 その拍子にリュシエンヌの胸元から水筒と包みが転がり落ちる。


 片腕でリュシエンヌを抱え、もう片手でそれらを拾う。水も包みも減った様子がない。




「喉渇いてない〜?」




 リュシエンヌに水筒を見せると手が伸ばされる。


 渡してやれば、受け取った水筒の口を開けて、こくこくと水を飲んでいく。


 口を離し、フタを閉めると返された。




「ありがとう」


「どういたしましてぇ」




 代わりに包みを持たせる。


 しっかりとリュシエンヌを抱え直すと、ルフェーヴルは物置部屋を出た。


 向かう先は依頼主の下である。








* * * * *








 引き出しからわたしを見つけたのはルルだった。


 見た目も服装も違うけれど、雰囲気というか、わたしを見る眼差しはルルのままだから分かった。


 その後、ルルはすぐにいつもの姿に戻った。


 わたしを抱き起こし、そのまま抱えられる。


 水を飲むとあのビスケットの包みを渡された。


 そうしてわたしを抱きかかえてルルが立ち上がり、物置部屋を出て、廊下を歩いていく。




「どこにいくの?」




 ルルの肩に手を添えて体を安定させる。


 まあ、そんなことをしなくてもびっくりするほどルルの腕はしっかりとわたしを支えていて、落ちる不安なんて欠片もない。




「お城だよぉ。後宮の外だねぇ」


「……外……」


「怖い?」




 聞かれて首を振る。





「ルルがいるからこわくない」




 廊下を歩いているルルとわたしを、通り過ぎる兵士みたいな人が不思議そうに見る。


 でもルルは全く気にしてない。


 だからわたしも気にしないことにした。


 きっとルルにも考えがあってわたしを連れ出したんだろう。


 建物の外に出ると、ルルが空を見上げた。




「ほら、あれがお城だよぉ」




 示されたので顔を上げる。


 後宮の塀越しに石造りの堅牢そうなお城がある。


 ……あんなお城によくクーデターの兵士達が入れたなぁ。城攻めってかなり難しいんじゃなかったっけ?


 こんな風に塀の外の景色を見る余裕なんて今までなかったけれど、お城はとても綺麗に見えた。




「ここから歩いてくとちょ〜っと時間がかかるんだよねぇ」




 ルルがわたしを抱え直す。




「リュシエンヌ、しっかり掴まっててね?」




 うん、と返事をする前にグッと体が押し付けられるような感覚に襲われる。


 しかし次の瞬間にはふわっと宙に投げ出されたような、浮遊感がした。


 ルルがひとっ飛びで後宮の塀を乗り越え、その先に続く木に乗り移った。


 木々の合間をひょいひょいと大きく跳躍する。


 抱かれたわたしの視界がどんどん流れる。


 跳躍したら枝に乗り、次の枝へ更に飛んで、とルルは立ち止まることなく後宮から離れていく。


 後宮の塀があっという間に木々に消えて王城が視界いっぱいに近付く。




「ルルすごい!」




 まるで遊園地のアトラクションみたいだ。


 多分、普通の人間が走るよりもずっと速い。


 思わず声を上げれば、ルルが笑う振動が伝わって来た。




「楽しい?」


「たのしい!」




 ルルの首にしがみついて言う。


 こんなに風を切って駆け抜けるのは初めてだ。




「じゃあ特別にも〜っと面白いことしてあげるよぉ」




 そう楽しそうな声がして、ルルは魔法の呪文を口にしながら一度地面に降り立つと、深く身を屈め、バネのように飛び上がった。


 ぶわ、と風に包まれ更に高く飛ぶ。


 高く高く飛んだ先でルルはわたしを抱えたまま、くるんと逆さまになる。


 そこからはお城や後宮の外に広がる街も見えた。


 真っ青な空はどこまでも遠くまで続いている。




「わあ! ひろい!」




 自然と歓声が漏れた。


 落下しながらもう一度くるんと回転して、いつの間にか到着していたお城のバルコニーの手摺に着地した。


 わたしの乱れた髪をルルが後ろへ払う。




「どうだった?」




 細められた灰色の瞳に笑い返す。




「すっごくおもしろかった! あんなにとべるなんて、ルルすごい!!」


「でしょ〜? オレってば凄いんだよぉ」




 両手で抱えていたのを、片手に戻される。


 そうしてルルはまた飛び上がって城の外壁をひょいひょいと上へ登っていく。


 どこまで行くのだろうとルルの首に掴まっていると、ルルはいくつもバルコニーが並んだ場所で立ち止まった。




「この中には沢山人間がいるけど、リュシエンヌ、入っても大丈夫?」




 それに頷き返す。


 ルルはわたしの頭を軽く撫でた。


 ぐにゃりとルルの姿が一瞬歪んで、いつもの見慣れたルルの姿に戻った。


 それから、ルルはバルコニーを歩いて、城の中へと続く両開きの扉を、何と蹴り破った。


 ガラスやら取っ手やら、扉の破片が派手に散る。




「ちょ〜っとお邪魔しまぁす?」




 ちょっとどころではないお邪魔の仕方だった。








* * * * *








 ガシャァアアンッと派手な破壊音が響き渡る。


 広い舞踏の間の、バルコニーのガラス戸の一つがぶち破られ、磨かれた床や高級な絨毯の上に破片が散らばった。


 壊れた扉を潜り抜けて人影が入ってくる。




「ちょ〜っとお邪魔しまぁす?」




 妙に間延びした聞き覚えのある声だ。


 剣や杖を構えている部下達を手で制する。


 暗殺者の癖に、何故こうも派手なことをしたのかは不明だが、入ってきたのは味方である。




「もっと静かに入って来れないのか」




 ベルナールは呆れながらも声をかけた。


 ばき、べき、と砕けたガラスの破片を踏みながら入ってきたのはベルナールが雇った暗殺者ルフェーヴルだった。


 どこにでもいそうな茶髪に灰色の切れ長の瞳、顔の半分は巻いた布で隠れていて、細身のその暗殺者は腕に子供を抱えていた。


 恐らく、リュシエンヌ=ラ・ヴェリエだろう。


 元が何色だったのか分からないくらいにくすんで、擦り切れたボロボロのワンピースは丈が合っておらず、痩せ細って今にも折れてしまいそうな手首や足首が覗いている。


 しかも素足には靴の代わりかボロボロの布が巻きつけてあるだけだ。


 腰までの髪は傷んでいるだけでなく、明らかに誰かに無理やり切られたのが見て取れるほど毛先はバラバラで、前髪も顔が隠れるほどに長い。


 報告書を思い出して、ふとリュシエンヌ=ラ・ヴェリエの誕生日が今日であることに思い至った。


 五歳になったにしてはあまりにも小さい。


 覗く手足には痣や傷が垣間見え、その小ささや細さと相まって、酷く弱々しい印象を受けた。




「その子がリュシエンヌ=ラ・ヴェリエか?」




 スタスタと近付いて来るルフェーヴルへ問う。


 ルフェーヴルは頷いた。




「そうだよぉ」





 そうして子供の長い前髪を掻き上げた。


 その下には痩せても愛らしい顔があった。


 ぱっちりとした大きな瞳はややオレンジがかった美しい琥珀で、透き通った宝石のような輝きは美しく、引き込まれてしまいそうだ。




「リュシエンヌ!」




 突如割り込んできた甲高い声にベルナールとルフェーヴルは同時に声のした方へ顔を向けた。


 ルフェーヴルの腕の中の子供がビクリと揺れる。


 それをあやすようにルフェーヴルが背を撫でた。


 ……お前でもそのようなことをするのか。


 一瞬、驚きとも感動とも言えない気持ちをベルナールは抱いたが、それも続く声に掻き消された。




「どうしてあなたは縛られていないのよ?! 同じ王族なのに!!」




 キィキィと騒ぐ王妃の声は耳障りだ。


 その横にいた王が目を丸くした。




「リュシエンヌ? ……もしかして、余の娘の? 第三王女か? 生きていたのか? どういうことだ?」




 王が疑問だらけの顔をして、ルフェーヴルの抱いている子供と王妃とを交互に見た。




「リュシエンヌは死んだのではなかったのか?」




 王の言葉にどういうことかとベルナールは王妃を見やったが、その場の全員の視線を受けた王妃は気圧されたように口を噤んだ。


 それにルフェーヴルが口を開く。




「王様はさぁ、王妃に騙されたんだよぉ」




 布の下でルフェーヴルが獲物を狙った肉食動物のように、うっそりと目を細めていた。



 

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