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11日目

 





 次の日も、日が大分高くなってから目が覚めた。


 もしかしたら、もしかしたら来るんじゃないかと眠らないで待っていてみたけれど、宣言通りルルはやって来なかった。


 待っているうちに寝てしまったらしい。


 分かってはいるけれどやっぱり寂しい。


 起き上がり、奥の机から食べ物を出してきて、毛布の上でそれにかじりつく。


 二、三日は来れないと言っていた。


 今日もきっと来ないだろう。


 それでも、もし、と思ってしまう。


 ……わたし、ルルに依存し始めてるかも。


 それはダメだと思うわたしと、何でダメなのと思うリュシエンヌとで、気持ちがごちゃごちゃだ。


 ……ダメって思ってももう遅いんだけどね。


 わたしもリュシエンヌもルルのことが好きになってしまった。


 今更ルルから離れるなんて、多分無理だ。


 食事を終えて、飴を口に入れる。


 甘くて、ちょっと苦くて、薬草の青臭さがあって、でも何となくクセになる味だ。


 この薬の飴もあと一つ。


 これのおかげか口の中の痛みは殆どなくて、喋ったり物を食べたりする時にたまにピリッと痛むくらいだ。


 まだ舌で触ると口内は荒れているけど、最初に比べたらずっと良くなった。


 ……この飴も、わたしが「治したい」って言ったから持ってきてくれたんだよね。


 ルルは暗殺者だからか匂いがない。


 きっと食べ物や持ち物なんかも色々と気を配ってるんだと思う。


 そんなルルが薬草の匂いのする飴を普段から持ち歩いているとは考えられない。


 わざわざ買ってきてくれたんだろう。


 ……ルル。


 あの灰色の瞳を思い出して膝を抱えていると、部屋の外からバタバタと騒がしい足音が聞こえてくる。


 後宮の中であんな騒がしくしても許される人物は限られている。


 慌てて飴を噛み砕いて飲み込んだ。


 飲み込むのとほぼ同時に部屋の扉が開かれた。


 フリルやレースなどがふんだんにあしらわれたドレスを着た第一王女と第二王女がそこにいた。


 わたしは毛布から立ち上がると二人の前に平伏した。


 こうしないとこの二人は余計に騒がしく、暴力的になるのだ。


 前回、平伏するのが遅くなったら突き飛ばされた。




「あら、今日はちゃんと出来たのね」


「でもまだ頭が高いわ! ねえ、お姉様もそう思わない?」


「そうね、もっと頭を下げなさい。地に擦りつけるくらい、こんな風に、ね!」




 ガツンと額が床にぶつかった。


 ……痛い。


 一拍おいて、頭を踏まれているのだと理解した。


 頭の上に足があるのが分かる。


 靴裏の固い木の感触が痛い。


 おでこも後頭部も、一緒にぶつけた鼻も痛む。


 それでもグッと堪えた。


 今、頭を上げれば第一王女はバランスを崩して尻餅をつくかもしれない。


 そうしたら少しは気分がスッキリするだろう。


 でも、絶対にその後は大変なことになる。


 だから痛くても我慢するしかない。




「あははは、お姉様ったら優しいー! こんなのにやり方を教えてあげるなんて、さすがだわ!」


「仕方ないわ。教えてあげないと覚えないんですもの」


「それもそうね!」




 二人の王女が頭上で笑う。


 ……ああ、ルルに会いたい。


 おでこに傷が出来たらルルは心配するかな。


 傷にならないといいなと思うが、多分傷が出来ているだろう。じくじくと床に当たっている部分が痛む。


 頭の上から足が退いたけれど顔は上げない。


 上げたらまた足を乗せられる。


 床におでこをつけたまま黙って待つ。




「何よ、動かないの? つまらないわね!」




 靴の先で肩を蹴られる。


 ……どうせ何をしたって変わらない。


 二度、三度と同じ場所を蹴られればさすがに痛くて動いてしまった。


 すると喜色混じりの声がする。




「許可なく動くなんてダメな犬ね、お姉様!」


「ええ、しつけをしなくちゃね!」




 思った通り、王女達がわたしを蹴り始める。


 わたしは平伏した格好から、頭を庇うように両手で抱えて、丸くなるしかない。


 肩や背中、手などが蹴られる。


 木靴で蹴られるのは痛い。


 でも王妃の靴よりかはいい。


 王妃の靴は爪先がやや尖っているけれど、王女達の靴は爪先が丸いので、こちらの方がまだ蹴られてもマシだ。


 わたしが平伏してるから叩かれることもない。


 これが立った状態だと、頬を叩かれたり突き飛ばされたり、足を蹴られたりする。


 一番痛いのは木靴で素足の指を踏まれることだ。


 骨折するかと思うほどあれは痛い。


 だけどさすがに脱いだ靴で殴られたことはない。


 そうなったら木靴はなかなかの凶器なので、わたしも抵抗しただろう。


 蹴られるのも十分痛いが、王女達もあまり体力がないから、そのうち疲れてやめるか飽きるはずだ。


 わたしはそれまでこうしていればいい。


 頭上でわたしを罵倒する甲高い声がするけれど、それらは全部聞き流しておく。


 いちいち反応していられないし、真面目に聞いていたらこちらの方が疲れてしまう。


 それにわたしは記憶が戻ったから王女達の言葉が正しくないと知っている。


 記憶が戻る前のリュシエンヌだったら言われた言葉をそのまま鵜呑みにしてしまっていただろう。


 だってリュシエンヌは常識も何も知らない。


 だから言われたことを「そうなんだ」と受け入れるしかなかった。


 しかし今は前世の記憶を取り戻したから、何を言われても受け流すべきだと分かる。


 王妃や王女達の言葉は信じられない。


 彼女達を信じる必要もない。


 長いこと蹴られていたが、さすがに疲れたのか蹴る回数が減り、やがて王女達の足が止まった。




「あー、すっきりした!」




 第二王女が明るい声で言う。




「疲れたし、しつけもこれくらいにしてお茶にしましょう」


「うん。お母様にも聞いてみよう?」


「それはいいわね!」




 第一王女と第二王女は楽しそうに話しながら部屋を出て行く。


 声と足音が遠ざかったのを確認して顔を上げる。


 まずは扉を閉めるのが先だ。


 開けっ放しになっていた扉を閉める。


 扉に寄りかかり、おでこに触れれば、ピリリと痛みが走った。


 触れた指にはほんの僅かにだけど血がついていた。


 ……やっぱり傷になってる……。


 それに触ってみると熱っぽくなっていて、膨らんでたんこぶになっているような気がする。


 ……井戸に行こう。


 喉も渇いているし、おでこを冷やさないときっと後で腫れが酷くなる。


 ボロ布を持ち、閉めた扉をそっと開け、人気がないことを確認して部屋を出る。


 また王女達や王子に会ったら嫌だ。


 こそこそと廊下を歩いて行き、建物を出て、外の井戸へ着く。


 桶を井戸の中へ落とし、引き上げる。


 先に中の水を飲んで、それから持ってきた布を水に浸し、髪を片側に寄せて出したおでこを慎重に拭く。


 ピリピリと痛むけれどしっかり拭く。


 布に少し血が滲んでいる。


 水で布を洗い、もう一度おでこを拭く。


 それを洗ったら今度は緩く絞り、顔を上に向けて布をおでこに乗せて冷やす。


 ……肩も痛い。


 幸い利き腕じゃなかったけど、左肩がズキズキと痛む。


 思い返せば左肩を一番多く蹴られたかもしれない。


 王妃だと背中を一番良く蹴られるが、王女達はまだ子供なので背中を蹴ろうとすると結構足を上げる必要がある。


 そのため蹴りやすい肩や手、足なんかを狙うのだろう。


 あまり部屋に入りたがらないから、そうなると自然にわたしの前方、つまり頭側に集中することになる。


 頭は狙っても手が守っている。


 幅があって狙いやすい肩が良いんだろう。


 乗せていた布を取り、桶に入れつつ、襟をズラして左肩を見てみる。


 ……うわ、もう痣になってる……。


 なり始めだからか黄色っぽく変色してる。


 丁度肩の先の丸い部分が触れると痛い。


 これはしばらく左腕が上がらないかもしれない。


 桶に放っていた布を絞り、今度は襟の間から手を入れて肩を冷やす。


 少し服が濡れても構わない。


 何度か布を濡らして肩を冷やした。


 左肩はあげようとしたけど思った通り痛くて腕を上げることが出来なかった。


 ……骨にヒビとか入ってないよね……?


 とりあえずあまり動かさないようにしよう。


 桶の中の水を捨てて元の場所に戻し、布を持って物置部屋へ向かう。


 誰にも会わずに部屋へ戻り、毛布の上へ寝転がる。


 右肩を下にして毛布に包まった。


 ……もう誰も来ませんように。


 痛む左肩を撫でながら目を閉じた。







* * * * *







「ねぇ、この仕事オレ以外じゃダメなのぉ?」




 ファイエット邸の執務室でルフェーヴルは不満の声を上げていた。


 ソファーの肘掛け部分に腰掛け、片足をもう片足の上に横向きに乗せて、その上で頬杖をついている。


 顔の下半分は首に巻いた布で隠れているので表情は窺えないが、不機嫌そうに細められた灰色の瞳が依頼主であるベルナールをじっとりと見やる。


 その視線にベルナールは内心冷や汗を掻く。




「お前以上に隠密に長けた者はいない」


「それはそうかもしれないけどさぁ、別にオレ以外でも忍び込める奴はいるよぉ」




 金さえ払えばどんな仕事でもこなすルフェーヴルにしては珍しく仕事の愚痴を言っている。




「そんなにリュシエンヌ=ラ・ヴェリエが気になるのか?」




 助けられるものならば今すぐにでも助けたい。


 それはベルナールも同じ気持ちだ。


 だがそのために時機を見誤るわけにはいかない。


 クーデターに失敗すれば、これに参加している貴族は皆、一族郎党処刑されるだろう。


 そうなればもう王族を止める者はいない。


 そのまま国は傾き、崩れてしまう。


 最も被害を受けるのは民達だ。


 このクーデターは成功させなければならない。




「可愛い可愛いオレのお姫様だからねぇ」




 そのどこか愉しげな声にベルナールは苦い顔をする。


 しかしルフェーヴルに口出しは出来ない。


 助けなければと言いながら、クーデターを優先して幼い少女が虐待されている事実に目を瞑っているのはベルナールの方だ。


 ファイエット家に迎え入れたとしてもリュシエンヌが幸せに暮らせるかと言えばそうでもない。


 結局はベルナールもリュシエンヌを飼い殺す。


 生活の質は良くなるが、子を成すことも許されず、一生監視下に置かれるという点では後宮での扱いとそう変わらないだろう。


 リュシエンヌがルフェーヴルに懐いているのであれば、ルフェーヴルに任せる方が良いのかもしれない。


 どちらにしてももうリュシエンヌの将来は決まってしまった。


 ルフェーヴルはいずれリュシエンヌを迎え入れるために金を貯めるそうだ。


 高い塀に囲まれた広い敷地と家が必要だと言っており、使用人達は皆、闇ギルドの伝手を使って雇う気らしい。


 箱庭に閉じ込めて二人だけで暮らすつもりか。


 それならば監視という点では理想的だが、果たしてリュシエンヌの方がどのような反応をするか。




「……拒絶されないか?」




 そう問えばルフェーヴルが振り向いた。




「それはないよぉ。リュシエンヌがねぇ、食事も服も今のままでいいけど、オレに会えないのは嫌なんだってぇ」




「可愛いよねぇ」とうっそりと目を細めた。


 なるほど、ルフェーヴルはリュシエンヌを懐かせることに既に成功しているらしい。


 ……本人の意思を尊重するか。


 将来、リュシエンヌが誰を選ぶかも分からない。


 ……ルフェーヴル以外を選んでも結果は変えられないかもしれないが。




「あ、クーデターの時、リュシエンヌはオレが迎えに行くからねぇ?」


「ああ、好きにしろ」




 リュシエンヌ=ラ・ヴェリエも王族の被害者だ。


 幸せになれるのであれば、ルフェーヴルに任せるというのも手である。


 報告でしか現状を知らないベルナールよりも、実情を見て、知っているルフェーヴルの方が彼女の苦しみや辛さを理解しているだろう。


 ファイエット家には成人までいるが、それがリュシエンヌにとって良いことなのかはベルナールにも分からなかった。




「あ、それとぉ」


「まだ何かあるのか」




 思わず身構えたベルナールにルフェーヴルはひらひらと両手を振って見せる。




「そんな身構えないでよぉ。王族って、捕まえたらすぐに処刑ころしちゃうのぉ?」




 ベルナールは訝しげに思いながらも頷く。




「そうだな、民衆の怒りを受けさせるためにも、処刑は免れないだろうが……」


「それさぁ、すぐに処刑ころさないでしばらく生かしとくってどう?」


「?」




 そんなことをすれば民衆だけでなく貴族達からも反発を受けるだろう。


 捕縛した王族を生かしておく利点は少ない。




「民に見える場所でさ、檻とかに入れて数日飾っておくんだよ〜。リュシエンヌみたいにボロッボロの服に毛布だけ入れてさ、食事も与えないの。殺さなければ好きにしていいってことにすれば、民衆の怒りもちょっとは鎮まるんじゃな〜い?」


「リュシエンヌ=ラ・ヴェリエと同じ扱いを受けさせたいということか」


「あっは、分かっちゃった〜?」


「隠す気すらなかっただろう」




 だがルフェーヴルの案には一考する余地がある。


 王族を即座に処刑するよりも、あえて民衆の手に一度与えることで、これまでの鬱憤を晴らさせることが出来る。


 殺すなと言っても難しいかもしれないので、治療師を側につけて、死にそうになったら回復させれば問題ない。


 檻の中にいるので逃げることが不可能だろう。


 魔力封じをすれば非力な人間である。




「何日生かす?」




 ルフェーヴルが「ん〜」と首を傾げた。




「一週間くらいでいいんじゃない? あんまり長くすると処刑が希望になっちゃうしさぁ、死ぬのが怖いまま処刑ころす方がいいでしょ〜」


「ふむ、その程度の期間なら良いか」


「治療師の給金は必要だけどぉ、それ以外は放っておけば良いんだから楽でいいと思わない?」




 あははと笑うルフェーヴルはまるで面白い悪戯を考えついた子供のようだった。







* * * * *

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