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9日目

 






 翌日は何事もなく穏やかに過ぎていった。


 朝起きて、ルルからもらった食べ物と飴を食べて、井戸に水を飲みに行って、後は物置部屋で寝て過ごす。


 ゴワゴワの毛布に包まって寝るのにも慣れた。


 埃っぽいのも、まあ、我慢できる。


 起きて、寝て、ウトウトして、また起きて、時々深い眠りに落ちてを繰り返しているうちに一日は過ぎていく。


 日が沈み、月が出て、夜も深まってくるとどこからともなくルルが現れる。




「良い子にしてたぁ?」




 毛布の上で起き上がったわたしを、灰色の瞳が屈んで覗き込んでくる。


 それに頷き返した。




「うん」




 そうすると「良い子、良い子」と頭を撫でられる。


 ルルのこの大きな手にももう慣れた。


 その手は離れ、懐を探ると、見慣れた包みを差し出された。




「はい、餌あげるぅ」




 ルルにとって食事は全部餌と呼ぶのかもしれない。


 差し出された包みは二つあった。




「にこ?」




 まだ前のものも余ってるのに。


 目を瞬かせたわたしにルルが頷く。




「うん、ちょ〜っとこれからオレ来られないから、多めに渡しておこうと思ってねぇ」




 ルルの言葉に思わずその顔を見上げた。




「もう来ないの?」




 じわりと不安が込み上げてくる。


 もしかして、もう二度と来ないんじゃ……。


 そんなわたしの不安を見透かすようにルルが首を振った。




「あー、違う違う。二度と来ないわけじゃないよぉ。仕事が忙しくなるから、二、三日くらいは来れなさそうなんだよねぇ」




 その言葉にホッとする。


 ……そっか、お仕事か。


 わたしが嫌いになったわけじゃないと分かって、心の底から安堵した。


 それならと包みを受け取った。




「そうだ、傷の具合を見せてもらえる〜?」




 言われて頷き、服を脱ぐ。


 下着姿になるとルルがわたしの体を調べる。


 他の男性は別だけどルルなら恥ずかしくない。




「ん〜、これなら薬はもういいかなぁ」




 ぺりり、と布を剥がされた。


 確かに火傷も擦り傷も良くなっている。


 ルルが持ってくる薬ってどれもよく効くのだ。


 あちこち調べて当てた布を剥がしていく。


 剥がした布はルルが回収した。


 最後にルルに顔を覗き込まれる。




「あー、して」


「あー」




 口を開ければ中を確認される。


 灰色の瞳が不機嫌そうに眇められた。




「口はまだみたいだねぇ。前にあげた薬草飴、まだ残ってる?」


「うん、あとよっつ」


「じゃあ全部食べちゃって〜。あ、食べるのは朝と夜だけねぇ?」




 ルルの言葉に頷き返す。


 口を閉じればルルの顔も離れた。


 そうしてルルは珍しく私の横に腰掛けた。


 わたしのざんばらになった髪を指先で弄りつつ、ルルが口を開く。




「リュシエンヌは自分のことって聞きたい?」




 ……自分のこと?


 うーん、そういえばリュシエンヌのことは原作のゲームに描かれていること以外は知らない。


 リュシエンヌに魔力がないことも、リュシエンヌになるまで知らなかった事実だ。


 わたしはリュシエンヌで、リュシエンヌはわたし。


 だからリュシエンヌのことを知っておくべきなのかもしれない。




「……ききたい」




 そう答えるとルルが髪から手を離した。




「ルルはしってるの?」




 灰色の瞳が真っ直ぐにこちらを見る。




「全部知ってるよぉ」




 伸びてきた腕にひょいと抱え上げられ、毛布の上からルルの膝の上に移される。


 大きな手がわたしの頭を撫でた。




「リュシエンヌは自分の名前を言える?」


「リュシエンヌ=ラ・ヴェリエ?」


「そうそう、偉いねぇ」




 ルルは言葉を選ぶようにゆっくりと話す。




「リュシエンヌは国王……──この国で一番偉い人の子供なんだよ。国王が父親」


「おとうさま?」


「そうだよぉ」


「おかあさまは?」




 ルルの手は頭を撫で続けている。




「母親は伯爵家の娘だよって言っても分からないかなぁ。母親は貴族でねぇ、元は城で働いていたメイドだったんだよぉ」


「そうなんだ」


「あれ、分かる?」




 うん、まあ、最初から知ってるからね。


 さすがにそうは言えないので誤魔化しておく。




「ここではたらいてるメイドさん、きぞくが多いってはなしてた」


「ああ、なるほどぉ」




 後宮の中でも王族に近しい侍女やメイドは貴族出身であることが多いらしい。


 自分がどの家出身なのか、どれくらい王族に気に入られているかなど、よく裏で喋っているのだ。




「リュシエンヌの母親はねぇ、国王の子供、つまりリュシエンヌがお腹に出来てすぐ、後宮ここに連れて来られたんだよぉ。リュシエンヌを産んだけど体が弱くて死んじゃった」


「だからわたしのおかあさまはいないの?」


「そうだよぉ」




 それからルルはわたし、リュシエンヌ=ラ・ヴェリエの生い立ちや事情について全て隠さずに話してくれた。


 母親である伯爵令嬢だけでなく、その伯爵家も王妃に睨まれた結果、既に存在しないそうだ。


 本来であればリュシエンヌは生まれた時に殺されるはずだった。


 しかし、リュシエンヌは王族特有の琥珀の瞳を持って生まれてきてしまった。


 琥珀の瞳を持つ者は王位継承権を持つ。


 さすがの王妃も琥珀の瞳を持つ者を殺すことを躊躇い、そして、別の企てのためにリュシエンヌを生かした。


 側妃の生んだ第二王子も琥珀の瞳を持つ。




「でもねぇ、リュシエンヌの瞳の方が綺麗な琥珀なんだよぉ」




 王妃は第二王子を暗殺して、残った琥珀の瞳を持つリュシエンヌを次代の女王とし、傀儡の女王を裏から操るつもりなのだ。


 そういう意図もあり、王妃はリュシエンヌを自我のない人形にするために、暴力や暴言などの虐待によってリュシエンヌを支配しようとしている。


 王妃の子供達である王女や王子達は母親の真似をしているに過ぎない。


 虐待されながらも殺されなかった理由が分かった。


 そして実はもう一つリュシエンヌには問題がある。


 貴族や王族は生まれた時に神殿へ出生届のようなものが送られ、保管されるはずなのだけれど、リュシエンヌはそれがない。


 書類自体はあるのだが、神殿へ提出されていない。


 リュシエンヌが次代の女王として王位に立つ際に、実は琥珀の瞳を持つ王女がいた、という風にギリギリまで隠し通すつもりだったようだ。


 もし王女として神殿に書類が提出されていたら、貴族達が調べた際に存在が明るみになってしまう。


 うるさい貴族派達は王女についてあれこれと聞いてくるだろう。


 もしかしたらリュシエンヌの状況に気付かれるかもしれない。


 そうなると計画が崩れてしまうため、リュシエンヌの存在は隠されている。




「だけど第二王子が結構しぶとくて、王妃に何度も毒殺されそうになってるんだけどぉ、なかなか疑り深くて毒を飲まないんだよねぇ」




 王妃はそれで焦っているらしい。


 後二、三年もしたら立太子してしまう。


 それまでに何としても第二王子を殺そうと躍起になっているそうだ。


 国王は美女を侍らせることに夢中になっていて、国のことは全部家臣任せ、後宮のことは王妃任せにして遊び呆けているとのことだった。


 今の国王も飾りということか。


 ちなみに提出されなかった書類には正しい出生日が書かれており、リュシエンヌはもうすぐ五歳を迎えるらしい。


 ……生まれた時からそんなことに巻き込まれてるとか、本当にリュシエンヌの人生ハードモード過ぎる。


 これでクーデターの後にファイエット家に養女として引き取られて第一王女になり、王族の教育を受けて、政治的な思惑で婚約者を決められ、学院に行ったら最終的にヒロインちゃんに義兄や婚約者を奪われたりしちゃうんでしょ?


 それはヒロインちゃんへキツく当たるわけだ。


 虐めや暴力はダメだけど、やっと虐待から解放されて人並みの生活を送れるようになって、虐待してこない家族が出来て、決められたものとは言っても将来家族になるだろう婚約者が出来て、心の拠り所になったところでポッと出のヒロインちゃんに横取りされる。


 ……リュシエンヌが一番可哀想だよね?


 ゲームでは虐待されていたことは書かれていたけれど、虐待内容は詳細には書かれていなかったし、ファイエット家でリュシエンヌが我が儘放題に成長したとなっていた。


 でもそれって虐待されていた反動じゃないの?


 愛情を感じたくて我が儘に振る舞っていたとか、食べる物にも困るほど辛かった幼少期が忘れられなくて贅沢したがったとか。


 ここまで酷い虐待を受けていたリュシエンヌが我が儘になるって、何かしら理由があるんじゃない?


 ゲームの悪役だから深く考えたことがなかったけれど、ヒロインちゃんは言ってしまえば「男爵家の妾で元平民だったことをバカにされる」くらいで、攻略対象が庇ってくれるから、あんまり辛くないと思う。


 逆にリュシエンヌの方が辛い思いばかりしてる。


 そもそも義兄はともかく婚約者を奪うのは、現実的に起こったら当たり前だが大問題だ。


 婚約者もリュシエンヌがいながらヒロインちゃんと関係持とうとするとか、かなり不誠実である。


 ……何であんなにハマってたんだろう。


 ヒロインちゃんの方が悪じゃない?


 


「リュシエンヌ?」




 ルルに声をかけられて我へ返る。




「大丈夫ぅ?」




 顔を覗き込まれて、頷いた。




「ルルはなんでおしえてくれたの?」




 ルルが困ったように頭を掻いた。


 それから「ん〜……」と言葉を濁す。




「何て言うかさぁ、リュシエンヌは本当は虐められるような立場じゃないんだ〜って知っててもらいたかったんだよねぇ。……リュシエンヌはちゃんと本物のお姫様なんだよぉ」


「おひめさま……」


「そう。卑しくも、みすぼらしくもない」




 ……ああ、なるほど。


 これはルルなりの励ましだったんだ。


 わたしは王妃達が言うような犬でも卑しい存在でもなく、王と貴族の令嬢の間に生まれた、れっきとした王女だと伝えたかったんだ。


 そうして何故虐待されているのか。


 その理由を教えることで、多分、ルルは「その通りにならないで」と言いたかったのかも。


 確かに傀儡にされるのは嫌だ。


 ……ルルって不器用だなぁ。


 頭に触れている手を掴む。


 それに擦り寄ると微かに薬の匂いがした。




「ルル、わたしがんばるね。ありがとう」




 原作の通りにならないためにも。


 わたしはわたしなりに足掻いてみよう。


 見上げて、灰色の瞳を真っ直ぐに見つめながら笑えば、ルルの瞳が緩く細められた。




「数日、オレがいなくても大丈夫ぅ?」




 茶化すように言われてすぐに返事が出来なかった。


 毎日ルルに会っていたから、会えないと考えるだけで、気分が落ち込む。




「う……、それは、ちょっとさびしい」


「ちょっとだけぇ?」


「……たくさんさびしい」




 わたしの虚勢は簡単に見破られてしまう。


 言い直すと、何故かルルは笑った。


 嬉しそうに目を細めて抱き上げられる。




「オレもリュシエンヌに会えないのは寂しい」




 そんな嬉しそうな声で言われても……。


 顔が近付いて来て、ルルが小さく何かを呟き、わたしの前髪を掻き分けると、ちゅ、と額に柔らかい感触が触れた。




「なに?」




 額に触れるが何かがあるわけではないらしい。




「リュシエンヌが頑張れるように祝福してあげたんだよぉ」


「しゅくふく?」


「ん〜、お祈りみたいな感じのやつ?」




 ……あ、祝福ね。


 そういうのがこの世界にはあるんだ?


 ルルにジッと見つめられる。


 これはもしかして……。


 ルルの顔に手を伸ばしたが避けられない。


 その頬に両手で触れて、少し背伸びをして、ルルの額にちゅっと唇で触れる。




「ルルもがんばれますように」


「ありがとぉ」




 これで正解だったらしい。


 ルルの雰囲気が明るくなる。


 わたしを毛布に戻し、ルルが立ち上がる。




「さぁて、それじゃあオレは仕事に戻ろうかなぁ」




 一度伸びをするとルルは「おやすみぃ」と言って姿を消した。


 しばらくルルに会えないと思うと、もう既にかなり寂しい気持ちになる。


 毛布の上に横になり、毛布に包まって目を閉じる。


 ……ルルは仕事で忙しいのか……。




「…………ん?」




 待って、それって、もしかしてもうすぐクーデターが起こるの?!


 思わずガバリと起き上がる。


 ルルは二、三日は会えないと言った。


 それは、つまり、そういうこと?!


 そういえばもうすぐリュシエンヌが五歳を迎えると言っていた。


 原作ゲームではリュシエンヌと同学年の十五歳のヒロインちゃんが、十年前にクーデターがあったらしいと言っていたから、リュシエンヌが五歳前後でクーデターが起こるわけだ。


 でもその時、どうすればいい?


 リュシエンヌはどうやって生き残った?


 ……隠れる? それとも逃げる?


 突然降って湧いた問題で、その夜は全く眠れなかった。






 

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