7日目(3)/8日目
目を覚ますと辺りは真っ暗だった。
顔を上げれば、小さな窓の向こうに何とか傾きかけた月が見えた。
……夜中、かな?
体がしっかりと毛布に包まれている。
もぞもぞと這い出して、伸ばした手が触れた場所がまだほんのりと温かいことに気付く。
まるでついさっきまでそこに誰かがいたようなその温もりに、ルルが長い時間、傍にいてくれたんだと分かった。
……ルル。
昼間のことを思い出してしまい胸が早鐘を打つ。
両手で頬を押さえると顔が熱い。
でも嬉しかった。
理由はどうであれファーストキスが好きな人と、だなんて幸せなことだと思う。
ズキリと痛む足と口に、我へ返る。
足元を見れば包帯が変わっていた。
綺麗な包帯だったのが、布を裂いたようなものに変わっていて、見回せば、すぐそばに同じ色の布があった。
体が成長して着れなくなった服だ。
本当は裂いて靴の代わりに足に巻こうと思ったんだけど、予想以上に生地が厚くて、リュシエンヌの力では引き裂くことが出来なかった。
新しい包帯では見つかった時に何を言われるか分かったものではないが、これなら、リュシエンヌが自分でやったように見えるだろう。
「ルル、ありがとう」
そっと足の包帯を撫でる。
ゆっくり立ち上がり、奥の机の引き出しの中から巾着を取り出し、中身を一つだけ口に入れて、巾着を元の場所に戻す。
薬の飴は口の中を治すためだけれど、少しだけ痛み止めの効果もあるとルルは言っていた。
それなら今舐めておけば足の痛みも多少はマシになるかもしれない。
毛布に戻り、飴を舐めながら窓の外の月を眺める。
……眠くなってきた。
横になり、毛布に包まって目を閉じた。
……明日もルルに会えますように。
* * * * *
翌朝、大分日が高くなってから目が覚めた。
ルルからもらった食べ物と飴を食べる。
口の中は相変わらずただれているけれど、痛みはかなり引いて良くなったと思う。
しっかりと腹拵えをしたら今度は喉が乾く。
物置部屋を出て井戸へ向かった。
こっそり廊下を抜けて行く。
この時間ならきっと昼食の頃だから、人に出くわすこともないだろう。
そう思っていたのだけれど、建物を出てすぐのところで、ばったり第二王女と鉢合わせてしまった。
慌てて横に避けて道を譲ったが、お気に召さなかったらしい。
「私が通るんだから
まるで第一王女みたいなことを言う。
そういえば第二王女はよく第一王女と一緒にいるので、姉のことが好きなのかもしれない。
言われた通り地面に両手足をつく。
頭を下げていると声がした。
「長くて汚い髪! そうだわ、そのハサミでこの汚い髪を切ってあげたらどう?」
後ろに控えていた侍女に第二王女が言う。
侍女は一瞬動揺した様子を見せた。
もしかして、この世界では女性の髪を切るって結構まずいことなのだろうか?
まあ、前世の世界でだって他人の、それも女性の髪を無理やり切るなんて犯罪である。
しかし侍女は顔に笑みを貼り付けた。
「殿下のお望みとあらば、そのように」
「では切ってあげなさい」
「かしこまりました」
侍女がこちらへ近付いて来る。
その手には剪定用のハサミが握られていた。
別の侍女が花を持っているので、きっと、第二王女が欲しがった花を摘んで来たところなのだろう。
侍女がわたしの前に屈んだ。
地面に散らばる髪を掴み、ハサミを当てた。
微かに息を呑む音がした。
けれども、ハサミはシャキンと音を立ててわたしの髪を断ち切った。
わたしは顔を伏せたまま終わるのを待つ。
髪が引っ張られて、シャキンという音がして、というのを何度か繰り返す。
その間、第二王女はクスクスと笑っていた。
「昼食に遅れるから、もうそれくらいでいいわ」
やっとお許しの言葉が出て、侍女が「はい」と返事をして立ち上がる。
視界の端に茶色の髪が散らばっている。
「あはは、よく似合ってる!」
酷く楽しそうな声で第二王女が言った。
同時にぶわっと強い風が駆け抜けていく。
甲高い悲鳴が響き、ドタンと何かが倒れる音がして、少しだけ顔を上げてみれば第二王女が尻餅をついていた。
しかもわたしの髪にまみれている。
すぐに視線を地面へ戻す。
「痛い! 何よ今の風! なんで誰も支えないのよ?! ドレスが汚れたじゃない!!」
キンキンと甲高い声が怒鳴る。
侍女が慌てて立ち上がらせ、ついた土や髪を払ったけれど、落とし切れないらしい。
高い声が「着替える!」と叫び、建物へ戻っていく足音がする。
侍女達もその後を追ったようだ。
静かになったので顔を上げ、立ち上がる。
膝まであった長い髪はお尻より少し高い位置まで短くなっていた。しかし適当に切られたので長さはバラバラで、地面には髪が散らばっていた。
……うーん、もうちょっと短く切ってくれたら水浴びが楽になるんだけどなあ。
ふわりと今度は穏やかな風が吹く。
巻き上げられた髪が、近くに降り立ったルルの手元に集まる。
「あのガキ、殺してもいい?」
普段よりも低い、間延びしていない声だった。
わたしは首を振る。
「そんなことしなくていいよ」
「リュシエンヌ、君、髪を切られたんだよ?」
「うん、でもいいの。長くてじゃまだったから」
髪を掴みながら「もっと短くてもいいのに」と言えば、ルルの雰囲気が少し緩む。
「それに、さっきのつよい風、ルルがやったんだよね? やり返してくれてありがとう。あと、きのうもたくさんありがとう」
ルルに近付いて、ギュと抱き着く。
すると空いた手で頭を撫でられた。
「どういたしましてぇ。……まあ、リュシエンヌが気にしてないならいいよぉ」
そうしてルルがわたしの切られた髪を見る。
「ねえ、これ一束貰ってもいーい?」
「ダメ」
考えるよりも先に言葉が出た。
ルルが不満そうに目を細めた。
「何でぇ? 要らないでしょ?」
それはそうだけど……。
「あんまりキレイじゃないから、ダメ」
何で欲しいのかは知らないけど、ルルの手元に残しておくには今のわたしの髪は汚い。
水浴びくらいしか出来てないし、手入れもされてないから傷んでいるし、そんなのを残されるのは嫌だ。
「綺麗だったらいいのぉ?」
ちょっと考えて頷く。
するとルルは「分かったぁ」と言った。
手の中の髪がパッと燃えて、あっという間に灰になって消えてしまった。
「じゃあ、いつか綺麗になったらちょうだい?」
「うん、いいよ。でもルルのもほしい」
「交換かぁ。オレもちょっと伸ばさないとねぇ」
お互いの髪を持つなんて変だろう。
でも、そうしていたら離れていても寂しくないかもしれない。
髪だった灰が風に流れていく。
「それで、何でここにいるのぉ?」
ルルに聞かれて思い出す。
「あ、お水のみに来たんだった……」
井戸へ向かうとルルも後ろをついて来る。
そしてわたしが井戸で水を汲むのを眺めて、バケツに顔を突っ込むと声もなく笑っていた。
だってコップもないし、傾けるには水の入った桶は重過ぎる。
だから水を飲もうと思ったら顔をつけるように飲むしかないのだ。
小さな手では掬っても大した量は飲めないし、すぐにこぼれてなくなってしまう。
水を飲み終えて、井戸の外へ捨て、桶を戻す。
「部屋に戻るの〜?」
ルルの問いに頷き返す。
後宮内をウロつくと怒られるしね。
どうせ誰にあっても邪険にされるのだ。
それなら物置部屋にいた方がいい。
「ルルは?」
「オレはお仕事中〜」
「そっか……」
じゃあ一緒に戻ってお喋りは無理かな。
横にいるルルを見上げた。
「おしごと、がんばってね」
恐らくルルはクーデターの関係で後宮に忍び込んでいるのだろう。
王妃達を見張ってるのかもしれない。
そうだとしたら、クーデターが起こる日もそう遠くないはずだ。
ルルの目が嬉しそうに細められる。
「うん、頑張るよぉ」
ぽんとわたしの頭を撫でて、ルルの姿が消える。
撫でられた頭に触れる。
……今日も会えた。
嬉しくて、思わず笑みが漏れた。
部屋に戻るとわたしは毛布の上へ転がった。
ざんばらに切られた髪が毛布に広がる。
ルルが心配してくれたから髪を切られたことなんてどうでもよくなってしまった。
そんなことよりもルルが怒ってくれたのが嬉しい。
それだけで嫌な気持ちなんて吹き飛んだ。
* * * * *
この国だけでなく、どこの国でもそうだが、他人の髪を切ることは禁忌である。
魔力というのは体内だけでなく、髪にも宿る。
長い髪にはそれだけ魔力が溜まりやすいと昔から言われている。
他人の髪を切るという行為はその人物の魔力量を減らすということでもある。
それ故に、本人の意思を無視して髪を切ることは絶対に許されない行為であった。
どの国でも本人の同意なく髪を切ることは罪に問われる。
この国でもそのはずだ。
例え魔力がなかったとしても女性の髪を切るというのは常識的に考えても逸した行為だ。
幸い、リュシエンヌは後宮での暮らしのせいか常識を知らないようだった。
髪を切られても全く気にした様子はない。
それどころか「もっと短くてもいい」と言うほどだ。
オレが髪を欲しいと言った時もそうだ。
普通であれば嫌がられるものだ。
髪は魔力が宿る。だから時には魔法の媒体として使われることもあり、悪用されることの方が多い。
けれどもリュシエンヌは「綺麗じゃないから嫌だ」と言った。
オレの手元に髪が渡ること自体は嫌ではないらしい。
それどころか自分の髪をやるからオレの髪が欲しいという。
リュシエンヌがオレを望んでくれている。
遠くの国では、夫婦になった男女が互いの髪を一房使い、飾りを作り、それを互い交換し合い、肌身離さず身に付ける風習があるらしい。
ルフェーヴルはそれを思い出したのだ。
そしてそれを欲しいと思った。
だからリュシエンヌの髪が欲しかった。
手に入れることは出来なかったけれど、そのうち貰うという約束は確実に取り付けた。
そしてそのためにルフェーヴルも髪を伸ばさなければならない。
でもそれはルフェーヴルにとって、喜ばしいことだった。
リュシエンヌが自らルフェーヴルを求めている。
「でも、それとこれとは話が別だよねぇ」
第二王女には、同じ報いを受けさせる。
髪を切られることがどれほど屈辱的で辛いことなのか、思い知らせる必要がある。
……これも報告しないとねぇ。
リュシエンヌのざんばらになった茶髪を思い出す。
元よりかなり痛んでいた髪だったが、だからと言って切っても良いわけではない。
今は手入れもされずにボロボロぎしぎしの髪であるものの、きっときちんと手入れをすれば、柔らかくて手触りの良い髪になるだろう。
膝まであった髪は腰より少し長いくらいになった。
髪を切った侍女が切り過ぎることを恐れたのか。
もしもっと短く切られていたら、リュシエンヌの髪を切った侍女は翌日の朝日を迎えることは出来なかっただろう。
ルルが病死に見せかけて殺すからだ。
それでもあの侍女を許す気はない。
しっかり依頼主に報告して、クーデターの際にきっちり犯した罪は償ってもらう。
それまでにちょっとぐらい体調を崩しても問題はないはずだ。
殺さなければ、証拠を残さなければ良い。
自分の手で殺せないのが少々残念である。
その代わりに色々とさせてもらうが。
……ざんばらの髪、可哀想だなぁ。
でもクーデターの際に、あの姿はいいかもしれない。
暴力で傷だらけで、痩せ細って、小さくて、明らかに王族には似つかわしくないボロボロの服に雑に切り裂かれたざんばらの髪。
あれで虐待されていないとは誰も言えまい。
……抱き着いてくる姿も可愛かったなぁ。
小さな体で見上げられるとダメだ。
抱き上げてここから攫いたくなってしまう。
しかし後一週間のことだ。
一週間我慢すれば、誰に憚ることなくリュシエンヌと一緒にいられるようになる。
そのためならば多少の我慢は許容出来る。
……さぁて、王妃達の監視に戻ろうかねぇ。
どうせ贅沢三昧、我が儘三昧で酷い有様だろう。
それでも仕事として引き受けた以上は適当なことはしない。
ルフェーヴルは天井裏に潜り込みながら、今日も王妃や王女達の退屈で贅沢な暮らし振りを監視するのであった。
* * * * *