AM03:16
関東に、やや季節外れの台風が直撃していた。
締め切られた窓からはざあざあと降る雨の音が、微かに漏れ聞こえている。私はぬくぬくと暖かい布団の中に潜り込んで、ひっそりと右後頭部を襲う痛みに耐えていた。
家族はもう皆寝静まって、物音一つしない。普段は起き出した犬がチャカチャカとフローリングに爪を当てて深夜徘徊をするのだが、今日はぐっすりとおねんね中のようだった。
夜眠れないことに悩まされるようになったのは、約三年前からだ。スマホの見すぎかと思ったが、残念ながらそうでもないようだった。
朝が怖いからだ。
新しい朝が来た、希望の朝だ……というあのフレーズを最後に素直に聞けたのは、果たしてどれほど前だったか。今の私は、はじまりに怯えてばかりいる。
優しいのはぎゃあぎゃあと騒ぐ母親や微妙にタイミングが読めない妹が夢へと旅立つ、深い夜の底だけだ。
雨は止まない。頭痛も止まない。低気圧を心底疎ましく思いながらも、不思議と落ち着く雨音を連れてくるところだけは憎めない。
この頭の痛みさえなんとかなれば……と思うものの、そんな都合のいい話はないと鈍い締め付けが私を嘲笑った。
中学生の頃は天気痛に悩まされる私を「甘ったれ」「ワガママ」と罵っていた母親すら、最近は雨の日に頭痛を訴えるようになってきている。
人を傷つければ等倍されて自分に返ってくるのだと、その姿を見て思う。かつて障害者を見下して笑っていたしていた女が、まさか発達に障害を持った子供を産むなんて。
母の被害者にとっては素敵な笑い話なんだろう。でも、愚かな行為のツケそのものとなった私にとっては違う。
字が読めない、手書きができない、計算ができない、情報処理能力が低い、すぐに体力が尽きる、マルチタスクができない、暗黙の了解がわからない、空気が読めない、忘れ物が多い。
生きていくにはあまりにハードなあれこれを、生まれた時から強制的に背負わされている。
こんな病気がなければ言われなくていいことを言われ、やらなくていいことをやり、考えなくてもいいことを考えた。全ては健常者様のお作りになった社会に馴染ませていただくためだ。
SSTなどという押しつけがましいルール習得プログラムをこなし、彼らの何倍も辛い思いをして、彼らよりも低い給料で彼らが嫌がる仕事をこなす。障害というバグを持って生まれてしまった壊れたロボットは、そうして生きていくしかない。
中には飛び抜けた才能を持ち成功する者もいるが、それはごくごく一部のお話。私のようにただデバフだけをかけられた哀れなポンコツは、この世に存在させていただけていることにすら感謝しながら泥を啜って、呼吸ひとつするにも許可を得なければならない。
どんなに辛くても「自分は恵まれている」と笑い、本音を隠しきり、自分の思考すら疑っていくことも求められる。周りに聞け、自分で考えるな、お前はお情けで生かされているに過ぎない。
気味の悪い強迫観念の種は疲労を糧にすくすくと成長し、いつしか精神を蝕んでいく。
それでももし鬱にでもなれば、それこそ本当に生存が危ぶまれる。健常者様方は生まれながらの欠陥には少し目をつぶってくださるが、後天性の精神疾患をとても嫌うからだ。
私の生存権は、彼らに握られている。少しでもご機嫌を損ねれば野垂れ死にも考えられる。
本当は、もう死んでしまいたい。
死体はゴミ捨て場で焼いてくれればいい。生きた証なんて必要ない。高火力でガンガンに焼いて、存在した事実ごと消してほしい。
希望もない。穏やかな未来もない。ぶっ飛んだ頭のネジのおかげでメンタル耐久値は高めになっているが、さすがにこんな地獄ではひとたまりもなかった。
こんなことを言っても、恐らく私は死ねないだろう。不幸なことに、肉体の方は大変頑丈にできている。
きっと私は大学を卒業するか退学になるかする。働いても長続きはしないだろうし、実家が裕福だから生活保護も受けられない。結婚もできず子供も望めず、若者に背中を笑われながら年老いて、汚い部屋で苦しんで死ぬ。
努力をしろよ、とは思う。でももうそのエネルギーすらない。もう食事すら苦しいのに、未来に向けた活動に充てる体力と気力がどこにもない。
寝て起きて息をするだけで精一杯。あんなに好きだった執筆も動画視聴も音楽鑑賞も落書きも、出来なくなってしまった。
もう雨の音もしない。時刻は4時13分。
書くスピードがめちゃくちゃ落ちたな……と笑い、この日記を終えることにする。
もう目覚めたくはないけれど、多分午後四時頃に瞼は開くだろう。
最後まで読んでくれてありがとうございました。