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7話『飲み会から目覚めたら』



 初めての体験はいつだって哲学的だ。人が初めてスターバックスコーヒーを飲んで一つ大人になるように。初めて二日酔いを体験して苦い経験を積むように。まあ、どうやら僕は体質的に二日酔いしない方らしいけれど。

 というわけで僕も初めて個室ビデオ店を利用したのだがそれなりに哲学的だった。

 ビデオを選んでネカフェのような部屋で見る……そこまでは想像していたのだけれど、思っていたより部屋の環境がそこらのネカフェより充実していた。ヘッドホンも高いやつだったし、モニターもいいやつだ。清掃も行き届いていて、廊下などはホテルのようだった。

 ナイトコースで丁度明け方まで入れて、まあゆっくりと出来た。良かった。また来よう。


『はい、それでは清純派放送童貞ラジオ、リスナーからのお便りの時間です』


 店を出る準備を整えながらネットラジオの音を聞く。童貞ラジオ。日本全国からの童貞報告や相談、裁判などを請け負う人気番組だ。司会者は宦官系作家の十常侍(じゅうじょうじ)鐘命(かなめ)と両性具有者の地下アイドル安藤ジニー。

 十常侍氏の手紙を読み上げる声が聞こえる。ネットラジオだがメールは受け付けていない。


『今回のお便りは東京都から『童貞プログラマー』さん。『十常侍氏、安藤氏ごきげんようござるデュフフフフ』はい、いきなり気持ち悪い挨拶ありがとうございますそんなことだから童貞なんですよね安藤さん』

『ブチ犯したる』

『いつもながら滾ってますね安藤さん』


 僕のはがきだ。一昨日送ったのが早くも読まれたらしい。思わず正座して聞く。


『えーとお悩み相談ですね。『僕はとある事情で、職場の同僚の女に毎日四回抱きつかれないといけない上に、職場の美人で幼馴染な上司の家に同僚と泊まり込むことになりまし』死ね。こいつ死ね! リーン! リーン! リイイイイイン!』

『ああっ十常侍先生が聞いた相手の寿命を奪い去る必殺の鐘を鳴らし始めたわ!』

『調子に乗りやがって夷狄野郎がよぉ! 手紙に住所書いたことを後悔しろ! これまでに童貞相談と見せかけて自慢話を送りつけてきやがった奴らもだ! 許せねえ! たとえ何人巻き込まれて死のうが知ったことか!! リスナーに素敵なプレゼントの爆薬を速達プレゼントだ!』

『皆さん、逃げてください!』


 ラジオが途切れた。一体何が逆鱗に触れたのだろうか。僕にはわからない。ただ、手紙の住所は今のオフィスではなくアパートになっているので多分大丈夫だろう。

 個室ビデオ店を出て、24時間やってる銭湯で体に染み付いたアルコールや汗などの臭いを洗い流し、コンビニで買い物をしてオフィスへ戻ることにした。二人を運んだせいで体中あちこちが筋肉痛になっていたが、ギリギリ耐えられそうだ。

 よくわからないけど朝食になりそうな物や水、ウコンドリンクなどを買っていけばいいだろう。これで奢られた分をチャラに出来るのではないだろうか。駄目か。

 プログラマーは早朝に出かけない。朝の町並みは妙に目新しく見える。土曜だというのに街頭では朝から共産革命を目指す闘士がゲバ棒片手に呼びかけ、複数のパトカーを呼び寄せていた。日本中どこにでもある風景だが、生で見ると新鮮だ。

 その騒動を尻目に、資本主義の証であるコンビニ袋をガサガサ言わせて指紋認証し電子ロックを開ける。

 

「いやー朝風呂ってさっぱりしますねーなんか銭湯で足首に鍵つけた人たちが多かったけど」


 適当にそう声を掛けながらオフィスの裏口から入った。

 二人を寝かせていたソファーを見ると、レズはもう起きているらしく座ってこちらに背中を向けている。まだ美月さんは寝ているようだった。

 僕の言葉になにも反応しないレズウーマンを訝しげに、僕は前に回り込んだ。


「大丈夫? コンビニで買ってきたニンニクマシマシ豚骨スープ飲む? コラーゲンたっぷりだぞ」


 眼の前のテーブルにペットボトル飲料の豚骨スープを置きつつ顔を見ると。

 真っ青な顔をして、呼吸も浅く、目がうつろだった。


「お、おい! 大丈夫か!? もう発作起こったか!?」

「えぼぢわる゛ーい゛……」

「は?」

「ゲボり゛ぞ……」

「うわちょっと待て! ここ僕の寝床なんだぞ!


 どうやら起きたは良いものの、二日酔いと嘔吐感が来たらしい。

 そりゃあ鍋をバクバク食べて日本酒一リットル以上飲めば胃の中はメチャクチャだろう。鍋の締めにうどんまで食べてた。美味しかった。

 慌てて僕は危険物を小脇に抱えて、トイレに駆け込んだ。便器の蓋を開けてやる。


「うぷっ」

「背中擦ろうか」

「ばかっ外に出てロロロロッロロ」

「うわ」

「見るっなぁっえっえっええええええ」


 僕はせめてもの情けで環境音声(爽やかなアルプスの高原でハルバードで突撃するスイス傭兵)を大音量で流してビタビタとした吐瀉BGMを消してやった。なんだっけこの音声? 知らない……なんでスマホに入ってたんだ……怖。

 とにかく、胃がひっくり返るんじゃないかと心配するぐらいトイレに吐き出すゲロレズ。ワオ。人の尊厳の為に内容物は言わない方がいいね。ナムアミダブツ!

 僕はあんまりにも哀れになって背中を擦ってやっていた。ところでなんで背中を擦ると嘔吐しやすくなるんだろうか。経絡秘孔だろうか。

 そんなどうでもいい考えを浮かべながら、なるべく音とうめき声と酸っぱい臭いから気をそらす。武士の情け的な。僕のご先祖様は武士だったらしいが、そもそも千年ぐらい父母の先祖を辿って一切武士の血が入っていない日本人とか存在しないと思う。取り留めのない考えが次々に浮かんでは消える。

 

「うううーおろろーうあああー男に吐くとこ見られたー! レズ界で軽蔑されるー!」

「別に言いふらすわけじゃなし」

「ばか! そういう誰も見てなければ戒律を破っても良いという風潮が宗教を廃れさせるんだ!」

「宗教なのか……」


 むしろ男にゲロを見られてはいけないという限定的な戒律があるのか、かなり疑問ではあった。


「うー! 最っ悪……」


 嘔吐した影響で涙目になっているこいつは、口元を素早くトイレットペーパーで拭い、急いで嘔吐物を下水に流した。


「飲むか?」

「寄越しなさい! あーもう喉イガイガで……そこにそうそうこの濃厚豚骨スープがすーっと染み込んでこれは……おえーっ!」


 また吐いた。渡したのが豚骨スープだったのが悪かったようだ。でもさ、酒の締めにとんこつラーメンとか結構聞く話じゃないか? なら二日酔いに豚骨スープでもいいと思ったのだけれど。僕? 僕は結構です。遠慮しておきます。

 無言でこいつは僕をポカポカと叩く。口を閉じているが、中からは恐らく吐瀉物+豚骨+ニンニクのフレーバーが蔓延しているだろう。


「もうやだお風呂入ってくるー!」

「あ、おい。そろそろ抱きつく時間だから先に」

「こんな状態で抱きつけるかー!」

  

 怒った様子でツカツカと二階へ向かっていくレズ。まあ、少しは元気になったらしい。

 僕はソファーへ戻って美月さんを潰さないように座った。


「んー……」


 美月さんが伸びをして、目を開ける。僕と視線が交差した。


「あ、おはよぉー成次くん」

「おはようございますみつ──」

「おはよう!? あ、あれ!? わたし寝てた!? 朝!?」

「え、ええ……」


 突然ガバっと起きて周囲を見回し、彼女はやけに動揺していた。

 そしておもむろに両手で自分の顔を隠して小動物のように震えだした。意味はわからないが可愛い。


「ど、どうしました」

「と、年下の男の子を飲みに連れて行った挙げ句、先に潰れて……し、しかも! 寝起きの顔まで見られた……お、おばちゃんの! もう若くない、だらしない化粧もベタベタになった寝顔を……!」

「いや僕と何歳かしか変わらないでしょうに……」

「恥ずかしい……女失格……尼寺に入るぅ……」

「なにを大げさな」


 僕は呆れながら、美月さんの手を掴んでなだめるように言う。


「僕は美月さんが何歳でも、その寝起きの顔を毎日見たとしても、可愛いなーとしか思いませんよ。少なくとも僕に対してはそんなに恥ずかしがらないでも、家族みたいに……ん?」


 なんか妙なニュアンスになってないか? 僕の宥め方。よくわからないけど、言語化できない違和感が。

 いや正直な感想ではあるんだけど。美月さんの寝顔とか可愛いしか言いようがない。多分僕は、彼女が中年のおばさんになっても老婆になっても可愛らしく感じるだろう自信はある。可愛い雰囲気系とでもいうのか。

 だいたい、僕は親戚で従弟みたいなもの(正確には母の従妹が美月さんだけど)なわけで、親族相手に化粧がどうとかはあまり気にしないでいいと思う。まあメイド服はちょっとアレだけど。身内ゆえのキツさというか。

 うん。間違ってないな。

 美月さんは何故か顔が真っ赤になった。酒の影響かな?


「おふっお風呂入ってくるから……! あんまりおばちゃんからかっちゃ駄目だよ!」

「え? ああ、ごゆっくり。風呂場のレズに気をつけてください」


 『あんまりおばちゃんからかっちゃ駄目だよ』とはオバショタジャンルに置けるくっ殺せ並の重要なセリフなんだけど、まあおばちゃんって自称だしなあ美月さんの場合。僕もショタじゃないし。

 一人オフィスに残されたので、適当にテレビでもつけてみる。イギリス映画の新作を宣伝していた。


『ついに英国映画界からヒーロージャンルに殴り込み! アメリカ人のスーパーマンなんて役立たず! クソッタレの共産主義野郎をぶちのめせ! 『自転車(バイセコゥ)修理(リペア)マン』、好評上映中! 君は、自転車の修理ができるか……?』 


 面白そうだ。二人を誘って見に行こうか……と、考えて苦笑した。

 出かけるのに美月さんだけではなく、もうひとりも誘おうかと自然に考えている自分が居たのだ。

 いやそもそも、美月さんを誘うというのも前までは出来なかったことだというのに、今は自然と出来そうだ。

 人の関係は時間と経験で変化する。果たしてそれが良いものかどうかはわからない。ときには関係を進めないことも、現状維持が大事だということもあるだろう。何が絶対的に正しいのか、誰にわかるのだろうか。きっと誰にもわからない。

 ちらりと時計を見る。八時を過ぎた。二人はまだ風呂に居る。昨晩に抱きついたのはいつだっただろうか。日を跨いだのは思い出せるが、詳しくは記憶に薄い。

 声を掛けるべきだろう。ただしラッキースケベは起こらないように、風呂の外から。

 だがめくりめくる何かのフラグを感じる。プログラマーはフラグに敏感なのだ。念には念を入れて、僕は職場のロッカーに入れてある服を取り出してみた。これを使うべきだろうか。


 僕はゴソゴソと着替えていると、テーブルに置いている携帯が鳴った。

 電話を取る。着信は……美月さんの親父さん。


「もしもし」

『やああー瀬尾クゥン。今、電話大丈夫かねチミィ』

「ええ、大丈夫ですけれど」


 電話先から野太い声。根津パパさんは見た目も筋骨隆々で声も渋い、ちょっと対面すると九割の人は威圧感を感じるおじさんだ。

 だが彼と話してみると恐ろしい見た目と違って、ラブコメのサブヒロインが主人公と結ばれないからといって適当なモブキャラや主人公の友人と付き合うことになる漫画を絶対に許せないこと以外は気さくな性格である。じゃあどうするのかというと『余ったヒロイン同士でレズになって欲しい』とのことだった。自分勝手すぎる。


『最近チミィ……忙しいみたいじゃなァい。ほらおじさん、ちょっと心配しててサ。してて、サ』

「は、はあ」


 妙に含むことのあるような言い方に、僕は訝しげに返事をした。


『なにせ……ここ何日か職場から夜も帰ってないらしいじゃなァい』

「え、ええ。まあ」

 

 なにせ職場に下宿しているのだから帰っていないのも当然だ。

 そしてこの職場の警備会社は根津パパさんの経営する警備会社に入っているので、なんとなく報告も行ったのかも知れない。

 

『いやぁ、むしろおじさんとしては、ほらね? そこのオフィス、うちの美月ちゃんの自宅でもあるから……勿論、瀬尾クゥンがなにかやましいことや、やらしいことを考えているんじゃないか……なァんて疑って無いんだけどさァ』

「も、ももも、勿論ですよおじさん」

『だがまあ……もし、万が一だよ? 前も言った気がするけど娘に手ェ出したら……』


 突然声にドスが利き始めた。怖い。彼はイノシシを素手で仕留めるような怪力の持ち主なのだ。僕は背筋が冷えてくるのを感じた。


『その時は……即! (シキ)が訪れることを覚悟しておくんだな……!』

「ヒッヒィーっ」


 怖い! シキとは間違いなく死期のことだろう。つまり、気の迷いというか僕の煩悩が暴走して美月さんに手を出したときが人生終了のお知らせだ!

 この前まではエンコを詰める程度に考えていた根津パパさんが、具体的に殺害まで仄めかしてきたとは! ひょっとして、脅しが効かなかったように見える(美月さんの自宅兼オフィスに泊まり込んでいる)ので、より僕に対して脅迫的な言葉で釘を刺しに来たのではないだろうか!

 恐ろしすぎる……美月さんは恩人であり女性としても可愛らしいが、手を出したら殺されるのは罠すぎる。 


「大丈夫です! おじさん! 僕絶対に! 天地神明に誓って美月さんに手を出していませんし、これからも出しませんから! 安全な男ですから!」

『いやそれ誓うんじゃねえよ! ぶん殴るぞ!』

「なんで!?」


 理不尽に怒られている気がするが、原因は推察できる。

 完全に親馬鹿であり美月さんを大事にしている根津パパさんだが、それ故に娘の可愛さは語らせると一晩明けるほどだ。

 なので、美月さんに魅力を感じない男は敵だと判断してしまうのである。聞いた話だと美月さんに言い寄ってきた男を何人も農地開拓送りにしたというのに、その逆でも怒るのだから困った話である。

 しかしながら素直に「美月さん最高です結婚したい」などと恥知らずな言葉を告げたら、僕も農地開拓送りだろう。

 日本全国で放棄された農地を格安で買い取り、根津ファームの畑に再開拓するという事業(国や県から補助金もドバドバ出てるらしい)を前からやっている。それに参加すると二度と限界集落から出てこれなくなると評判だ。僕はネット環境さえあればどこでも良いとは言ったけど、未だに回線がADSLとかの土地は論外だ。絶対行きたくない。

 ちなみに暗黒メガコーポみたいな根津ファームだけど、農業で食っていきたい人にはオススメである。なにせここは小作農というかサラリーマン農家になれるので月給制であり、嫁と一緒に働けば子供を大学に通わせるのに充分なぐらいの給料が貰える。定年後の年齢でも就職できるので第二の人生として農家になる人も多い。


 それはさておき、何かしら言い訳をしなければイノシシを殴り殺す腕力でぶん殴られる。

 僕は言い淀みながら電話先の根津パパさんに言う。


「ええと、美月さんは大変魅力的で、一般的な男が持つ女性への評価からすれば、多くの人がとても好意を抱くタイプの人で、近くに居て何も感じないのは性的不能者か男色家だとは僕も思うのですが……」

『そうだろそうだろォ? ……で、どうなのカナ? カナカナ?』

「はい! 手を出したりしませんから大丈夫です!」

『テメー! チンコ付いてんのかー!』


 やだ……この会話難しい……パパがどういう言葉を求めてるかさっぱりわからない……

 そう考えていると、階上から「うげーっ!」と酔っぱらいゾンビに殴り飛ばされた男のようなけたたましい叫び声が聞こえた。

 ……懸念していた事態がどうやら発生したらしい。


「すみません! 急用が出来たので切ります!」


 有無を言わさず電話を切って、下半分まで着込んでいた服に急いで袖を通しながら二階へ向かう。ツナギに似た構造をした一張羅である。

 バタバタと玄関から入ると「うごごごごご」と無の力へ取り込まれる魔導師のような苦痛の声が聞こえる。

 風呂場のドアが勢いよく開いた。僕は即座にアイマスクを着用する。


「成次くん!! 汝鳥ちゃんが──ってあれ!? なにその格好!?」

「完全防備です。この袖のベルトを縛ってください」

「う、うん? と、とにかく、お風呂場で発作起きてるからこっち来て!」


 見えないが、どうやら美月さんは僕の姿に面食らったらしい。

 なにせ、拘束衣を着ているわけだから。アイマスクまでつけて何も見えないようにもしている。

 風呂場で発作が起こるフラグを感じ取った僕は、訴訟されたとしても勝てる格好としてあいつが買っていたこの装備を身に着けたのだ! これなら見えない触れない! 通勤時間帯の女性専用車両に乗っても文句は言われまい。動画に取って投稿してやりたいぐらいだ。

 美月さんが僕の手を掴んで風呂場に引っ張っていく。見えないけど、彼女の体からホカホカと湯気が感じられた。


「う、ううう……」


 上遠野浩平作品のキャラみたいなうめき声を上げているレズが居る風呂場に入った。僕は視界が真っ暗なので見えないけど。


「汝鳥ちゃん、連れてきたから!」

「う……は、裸で男に抱きつくなんてレズの……」

「い・い・か・ら!」

「ひゃあっ!?」 


 強い口調の美月さん。ええと、見えないけど多分無理やりあいつを引き起こした気配。

 そして、べちゃっと正面から抱きついてくる。けど何か、妙に抱きついてくる質量が重たいというかぎこちないというか……


「あわわわわわ、美月すわぁぁぁん! 背中におぱぱぱぱぱ」

「ほら離れようとしない!」

「ちょっと待って。なに? どうなってるの?」

「想像するなぁー!」


 そうは言うがな、レズ。

 声の位置関係から想像するに……多分、レズの背後から美月さんが両手を掴んで嫌がるレズを無理やり僕に抱きつかせているのだろう。

 それで美月さんが裸のままレズの後ろに密着してるわけだ。

 い、いかん! 想像するな! つい美月さんの裸を! おモチが潰れるようで!


「い、いやぁー。ところで僕ナイス判断じゃないですかねこの拘束衣にアイマスク。この馬鹿が抱きつき後回しにするって言ってたあたりで怪しいと思ってたんですよ」

「緊急事態だからそれどころじゃないと思うんだけど……」

「……もし裸眼で踏み込んできたら、美月さんの裸を目にした瞬間にその目をえぐり取ってるところだった」

「はっ! 馬鹿にするなよレズ。僕だってもし事故でも美月さんの裸なんて目にしたら、お前にやられなくても罪悪感から自分で目をえぐり取って詫びを入れるわ!」


 レズと僕の言葉に、おずおずとした美月さんの声が聞こえる。


「あ、あの。別に目はえぐらなくていいからね? おばちゃんの裸なんてどうでもいいし……」


 僕らは盛大にため息をついた。彼女はあまりに自分の価値を低く見積もり、そしてガードが甘い。


「はぁーっ! どうでもよくありませんよ! もう私、お風呂一緒ってだけでドキドキしてどうやって事故を装って触れようか頭がいっぱいでしたからね! まあ前にそれで警察呼ばれたことあるんで慎重ですけど!」

「まったくです。このレズの裸なんぞ見る意味が皆無でデメリットしかない産業廃棄物のような存在ですけれど」

「ぶっ殺すぞ」


 無視した。


「美月さんは嫁入り前の大事な体なんですから。僕ごときが見たら……こっこっ殺される……根津パパさんに殺される……」

「殺されないよ!?」

「大丈夫!? 今触れてヒャッハーって思ってる私は殺されない!?」

「根津パパさんはレズに寛容だから大丈夫だろう」

「よかったー」


 なにせ根津パパさんは声優年鑑を眺めながら女性声優同士をレズカップリングさせる議論で社員合宿に参加した全員を眠らせなかったぐらいだ。僕も無理やり参加させられた。テンションが上がって仲の良い男性声優二人を女体化させてレズカップルにする妄想まで始まって、割と社員全員ノリノリだった。

 

「へくしっ!」

「お風呂場、暖房いれよっか」

「お願いします……ううう、昨日は飲み過ぎでさっぱり記憶が無くなるし、弱り目に祟り目だぁ……」

「おばちゃんもあんまり昨日の晩は覚えてないんだよねぃ……」

 

 どうやら二人共、飲み過ぎで昨晩の記憶が飛んでいるらしい。まあ確かに、前後不覚にも程がある状態だった。


「成次くんは覚えてる?」

「いえ。僕も白河夜船でして」

「しらかわ?」

「フフフぐっすり寝ていて何もわからないということですよマサキ」

「てめえ! シュウ!」

「また二人でよくわからない掛け合いをして……おばちゃん寂しいー」


 僕は脳内のフロッピーディスクに記憶しているので平気だったが、二人が忘れているのならばそれに合わせた方がいい。酒で忘れたことにしよう。

 例えば酒に酔うとこのレズも悪態が減って親しげな態度になることとか、美月さんが僕の手を握ったこととか。

 そんなことを二人が覚えていることで、得することなんて無いのだから。むしろ気まずいことになったら困る。

 美月さんは「うーん」と思い出すように呟いて言う。


「なんとなく、汝鳥ちゃんが蟹を口移しで成次くんに食べさせてたのは覚えてるんだけど」

「いやいやいやいや嘘嘘嘘嘘ですよね美月さん!?」

「みんな忘れちゃったから、実際にはどうかわからないねぃ」

「ばかないくらよっていてもれずかいのじゅうざいたるおとこにくちびるをゆるすなどあるまじきこういをこのわたしが」

「焦りすぎて声が幼児退行起こしてるぞ!? 安心しろ! そんなことしてないから!」

「ホントか!? 信じていいのか!? 嘘ついたら死刑だぞ!」

「やってないやってない」


 実際は蟹の殻を歯で噛み砕いたこいつが差し出してきた身を食ったのだけれど、美月さんは恐らく酔っ払った影響でそのあたりの記憶が曖昧になっているのだろう。

 

「美月さんも適当に言わないでくださいよ」

「はぁいごめんなさい……」

「まったく。例えば記憶がないのを良いことに、昨晩僕が美月さんと手を握ってイチャイチャしてたとか変なこと言い出したら嫌でしょう」

「んー? うふふふ」

「貴様……破廉恥な行為を美月さんに……! 死ねえジーグブリーカー!」

「イタタタタどっからそんな腕力が出てるんだ!?」


 僕の不適切な喩えに、勝手に怒りを燃やしたレズサイボーグが抱きつきのパワーを込めて締め上げてきた。くっ妙に力が強い……!


「お前のようなゲイボーイなのに女性との接触を求めようとする異端者から私はすべての女性を守らねばならない! お前が触れていい女性は私だけだ! 私だけを見ていろ! 覚えておけ!」

「ま、待て! 冷静になれ! なんかキショイこと言ってるぞお前!」

「……うわホントだキッショ! お前のせいだー!」

「あらあら」


 まあなんというか、そんな調子で拘束衣と裸の女の抱きつきは10分経過するまで続くのであった。

  




根津パパ……なんて恐ろしい男なんだ!

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