3話『危険な生活~開始編~』
プログラマーは椅子を並べてその上に眠る。そういう人種だ。疑いようもなく。まあ、ソファーがあったらそっちに眠ってもいいと思う。プログラマー的に。
僕は仕事としてはシステムエンジニア・プログラマーというなんか上位種みたいなアレで、まあなんでもできるのでAIエンジニアの仕事もしてたんだけど、基本的にプログラマーと自負している。何故ならばそっちの方がプロっぽいからだ。それ以外に理由が必要だろうか?
何はともあれ、昨晩は人間ポンプ女にげんなりさせられたけれども着替えて一階のオフィスで寝た。
朝目が冷めて、顔を洗ってから電子レンジの中で昨晩チンした既に冷めたピザと、開封済みで気の抜けたレッドブルを口にする。まずい。誰が考えたんだこんなメニュー。
時計を見ると六時半だった。通勤時間はゼロ。会社は九時から始まるので、ビックリするぐらい余裕がありすぎる。
もしここが自宅なら布団に潜り込んでもう一眠りといきたいところだけれど、生憎と僕は既に職場にいる。多分あの二人もじきに降りてくるだろう。そんな中でぐーすか寝ていたら人間ポンプレズに何を言われるか。美月さんに幻滅されかねない。いや、あの人はそんぐらいだと幻滅しないだろうけど。
とりあえずソファーに座ってレッドブルを口にしながらテレビをつける。朝の番組なんて何年も見たことがなかった。そもそもうちのアパートにテレビが無い。
釣り番組がやっている。山地に広がる湖にて耐放射線装備を身に着けたレポーターたちが釣り竿を伸ばしていた。ロシアの湖だ。カメラに写すリトマス試験紙のような紙がどんどん濃い赤色になっていくのが不安を募らせた。
ボーッとその番組を眺めていて、駆けつけたロシア当局と撮影スタッフの間で激しい口論になって画面がフェードアウトしたあたりで、二階から二人が降りてきた。
「おはよう~成次くん、よく眠れたかい?」
「ええ。僕の持ってる布団よりいいクッションですよこのソファー」
おまけにオフィスは24時間空調が利いていて快適そのものだ。簡単な薄いタオルケット一つで一年中暮らせそうだった。
「はぁー……一晩寝たら治ってないかなあ。昨日のことは夢だったんじゃないかなあ」
「昨日も同じこと言って死にかけてただろ」
「夢見が悪くてコーンフレーク山盛り二杯が喉を通りにくいような気がした。食べたけど」
「朝から沢山食べる子は見ていて嬉しくなるねえ。おばちゃんも頑張ってコーンフレーク食べたよ」
「……おばちゃん。その片手に持ってるカップ焼きそばは?」
「……九時までにお腹が空かないかなーと思って」
「太るからね」
「やだなあ。朝は何を食べても、働いてカロリー消費するから実質0カロリーなんだよ」
手をパタパタ振りながら誤魔化すような笑みで美月さんはカップ焼きそばを自分のデスクに置いた。
いつの間に幼馴染の姉みたいな人がカップ焼きそばフリークに……お嬢様がファストフードを食べて「まあ! こんなの食べたの初めて! 美味しいわ!」現象だろうか。少なくとも彼女の実家では、死ぬほど取れる高級食材を使った料理ばかり出るのだが。
「もうすぐ汝鳥ちゃんの発作が始まるかもしれないから、はい二人ともソファーに並んで座って」
「くっ……私が瀬尾と並んで座るとは……!」
「昨日ゲームしてるとき普通に近くに座ってただろ」
「一晩立って冷静になって色々考えたけど瀬尾、間違っても私に欲情するんじゃないぞ。幾らお前がゲイボーイだからといっても私の魅力にやられるかもしれん」
「おやおや? まだ寝言をほざく夢の中なのかな?」
「二人が仲良しでおばちゃん疎外感……わたしも一緒に抱きつこうかな」
そのような会話をしながら発作が起こるのを待つため、僕らは茶を飲みつつテレビを見ていた。美月さんの淹れてくれた茶は旨すぎて自販機の茶を買いたくなくなるぐらいだ。
朝の連続テレビドラマ『半分、アカい』。俳優ジョン・ウェインと赤狩りをテーマにした社会派作品だ。朝から社会派ドラマとか最近やってたのか。見ていてしんどくないのか。
「ハリウッド映画かぁー最近映画見てないなあ。折角三人で同居してるんだから、なにか鑑賞会でもしよっか」
「それならお勧めがありますよ美月さぁぁん! バレリーナ同士のライバルと友情の『ブラック・スワン』にベテラン刑事が若い嫁相手に真実の愛を残すため社会相手に戦う『ハンズ・オブ・ラヴ』、歴史モノだったら『マリーアントワネットに別れを告げて』……」
「全部レズ映画じゃねーか!」
「なんで知ってるんだよキモイな! 瀬尾は見なくていいからな!」
とはいえ僕のお勧めできる作品なんてアニメぐらいしかない。美月さんにモスピーダを見せても大丈夫だろうか。そんなことを考えていると突然レズ映画ハンターが目を見開いて動きを停止する。
そして歯を食いしばり、半開きになった口から「ほほほほぉー」と肺が痙攣しているような吐息が漏れる。
「来た来た来た痛いの来た! 治ってない! 詐欺だ! 痛すぎる! アヘンとか無かったっけ!?」
「はよ抱きつけ」
「うううううー! ママー! ウウウー!」
「クイーンのボヘミアンラプソディみたいなこと言ってる場合か」
三回目だというのに不満たらたらでこの女は苦痛を噛み締め呼吸が荒くなりながら手をワキワキとさせてなかなか掛かってこない。
「よ、よ、ようし! 瀬尾! 後ろ向け! 背中側にいく!」
「へいへい」
まあ確かに、正面から抱きつく必要はないと思う。すごく顔が近くて気分が悪くなりそうだしな正面同士だと。
僕が背中を向けると「ぬおおお」と女性らしさが皆無な唸り声を上げながら抱きついてきた。肩甲骨の間に顔の硬さ。腰になにやらほのかな柔らかさ。
「よ、よし! これなら不快度が心なしか減った! 眼の前にあるなにやら硬い壁は男でもなんでもないと思いこむのだ私!」
「まあ……こっちも正面が空いてるから楽ではあるんだが」
ぐーっと押されるように、僕は体を前に倒し、患者は寄りかかってくる。若干重たい。
10分というチャージ時間でゲームでも出来るかもしれない。僕がスマホを取り出したとき、パシャー☆という音が鳴った。
顔を向けると、美月さんがなにやらスマホでこっちを撮影したようだ。
「……なにを?」
「治療記録ー。じゃーん」
「ん? ああっあばばばばば! コーンフレークリバース!」
「するな! っていうかうわあ……」
美月さんのスマホ画面に映っているのは、当然ながら僕とこいつなわけだけど。
背中を丸めた男に、後ろから抱きついて体重預けたまま目を瞑って顔を押し付けている女。
そんな絵面になっていた。つまりはまるでバカップル。うっぷ、僕も吐き気が。
「駄目だ! これではイタタタタ!!」
慌てて背中の汚物製造機が離れようとしたが、痛みによって再び抱きつく。
ぜいぜいと息を切らす音が背中から聞こえる。なんだろうこのたかが抱きつきで壮絶な感じ。いや、命が掛かってるんだけど。
「よ、よし。ここは一つ……抱きつきってどれぐらいの範疇で作用するのか調べるぞ瀬尾」
「というと?」
「なにが作用して痛みを抑えているかわからないんだから、もしかしたら抱きつくんじゃなくて、手を握るぐらいでも効果があるかもしれないだろ」
「なるほど」
「無理はしないでね、汝鳥ちゃん」
「がんばります! まずは顔を離して……おおっイケるイケる! 余裕モリモリ羽賀研二!」
「羽賀研二は関係ないだろ」
「そして体を……アイタタタタタ!! 無理! ギリギリのラインをイタタタタ! ホァタァ!」
「北斗の拳か」
「見極めるにパイオツが瀬尾に触れるか触れないかの判定……! なんてこった母性の証じゃないか……!」
「よかったね成次くん」
「何もよくありませんよ!?」
こいつの薄っぺらい胸部装甲が僕に密着したところで何一つ嬉しいことはない。
巨乳に生まれ変わって……いや別にこいつが巨乳でも嬉しくないな。宝の持ち腐れだ。
「次は手を離して……エベべべべべ! 痛い! ザ・ペイン(反響音)!」
「手も駄目か。確かに、手放して体を押し付けてる状況は『抱きついている』とは言わないよなあ」
「はぁーっ! はぁーっ! と、とにかく、胸辺りの上半身と、両手が触れているのが条件だと推察……!」
「成次くんの方から、汝鳥ちゃんの背中に抱きついたらどうなのかな」
「その可能性の考察は次回以降に! すごく、すごく痛いんです!」
顔は見えないが、声に微妙に涙が滲んでいる。その痛さの度合いは想像できないが、軽蔑している僕の前で泣きそうになるぐらいだと考えれば相当なものなのだろう。
僕に治療の手間を掛けさせる病気とはいえ、本人の不注意や不摂生で掛かったわけではない、振って沸いた不幸であるので同情に値する。
もし美月さんが掛かっていたらと思うと痛ましさで……ん? 美月さんだと別にそこまで騒がないで僕……じゃなくても実家に居る親兄弟に手伝ってもらって問題なく治療できそうだな。うーん。
「汝鳥ちゃん可哀想に……泣きながら背中に縋りついちゃって……」
パシャー☆
「そう思っているなら写真取るの止めません? 美月さん」
「もう痛さで叫ぶ気力が沸かないです……」
……痛みで毒も吐かなくなっている状態をありがたいと思うべきか。
ともあれ、こうして朝の治療は終わったのだった。
*****
この日、例の女は有給を使って休むことにしたようだ。
別に家でゴロゴロするわけでも、痛みが恒常化して動けなくなったわけでもない。生活基盤を移すための準備やらに費やしたいらしい。
彼女の仕事は営業であり、顧客と会う予定の無い日ならば別段休んだところで差し支えはない。昨日仕事を取ってきたばかりだし。
「次は、痛くなる前に抱きついたら効果が延長されるのかどうか確かめてみようよ」
と、美月さんが提案した。
具体的には今朝八時に抱きついたので、この効果が切れるのは八時間から十時間後の午後四時~六時の間だ。
しかし昼十二時頃に一度抱きついて、その時点からカウントされるのならば午後八時~十時になる。
そうやって前倒しに治療をしても効果があるかどうか確かめるのは、
「必ず周期を守らないといけなかったら、下手したら夜中に発作が起こるかもしれないしね」
「永眠しちゃいそうです」
「そうなると隣で成次くんに添い寝してもらわないと」
「おえっ」
「おえっ」
ということだった。
昨日は夜十一時前後に抱きつきをしたので、発作が来たのは朝の八時前になったのだが。
これを前倒しできないとなると、下手をすれば今日の午後六時に発作が来て抱きつき、次の発作が訪れるのが深夜二時~四時ぐらいになってしまう。
できれば前倒しして、毎晩寝る前に治療を行い、朝食後にもう一度といった風が時間的に望ましいのだろう。というか僕もそう思う。夜中に起こされるとか、隣で抱きまくらのように寝るとかかなり嫌だ。
「と、とりあえず買い物行ってきて、昼には戻ってきます……」
「じゃあお昼ご飯のときにねー」
あまり明るくない未来に青ざめた顔をしながらあいつはオフィスを後にした。
有給だというのにスーツ姿だったが、よく考えたらそれ以外の姿は見たことがないな。いや、一応昨日のパジャマもか。
どうでもいいことか。僕は嘆息をついて、仕事をするためにPCへ向かった。
プログラマーという人種の中で割合的に多いのは、『空を飛ぶスパゲッティモンスター教団』に入信しているということだ。
アメリカ発祥のこのジョーク宗教は基本的に寛容なことばかりなので、別段入ってもデメリットがない。何故プログラマーがよく入っているかというと、自らが作ったごちゃごちゃ難解コードに神が宿っていると冗談混じりで嘯くことがあるからだ。スパゲッティ繋がりなだけである。それ以外に理由が必要だろうか?
というわけで昼ごはんは腸詰め入りのスパゲッティにしようとぼんやり決めながらPCで『DOOM』をプレイしていた。人類の宝と言ってもいい名作ゲームDOOMはユーザーが気づいていないだけで世界中どのPCにも入っている。
サボっているわけではない。いや、サボってはいるのだが。
どうせ職場には僕しかいないのだから、自分のペースで仕事をしてもいいのだ。
だいたい仕事なんて半自動的に進んでいる。僕が開発したサイコーの言語。僕が開発したメチャスゴのツール。僕が開発したハイパーなAI。それらは僕が居なくてもある程度の仕事は勝手に進めてくれる。AIの発達で無くなりそうな仕事No.1がシステムエンジニア・プログラマーだ。一足先に僕もほぼやることは無くなりつつある。少なくとも、七割ぐらいは。
勿論これは僕が好き勝手にできる職場で、僕が超優秀な開発能力を持っているからこその話だけれど。僕がDOOMをやっている間に、二百万円の予算で請け負った仕事は自動で達成されつつある。
余った時間で汎用的で便利なソフトを開発したり、ゲームを開発したりしてもいい。作ったものを営業に丸投げして売ってもらう。どうやって売ってるのか、さっぱり関知していないのだけれど。
昼頃になって給湯室へ向かった。冷蔵庫から腸詰めとキャベツを取り出す。キャベツはいい。細かいことを考えなくとも、キャベツを食べてれば摂取すべき野菜分はだいたいオッケーだ。中世ヨーロッパ人もそう言ってる。
ちなみに給湯室に貯蓄されている食料は美月さんに言っておけば買い出ししておいてくれる。今は僕も同じ家に泊まっているわけだから、買い物もすべきだろうか? 暇なんだし。
フライパン一つで上手いこと調整して腸詰めとキャベツのバターソース・スパゲッティを作った。簡単なものだ。女性にはバジルとかアボカドとか地中海とかそういうやつが好きかもしれないけれど、男が作る適当昼ごはんにあまり凝ったものは求めないで欲しい。まあ、美月さんから文句は出たことがないので構わないとは思う。もうひとりは何を言おうが無視だ。
オフィスの応接間兼食卓にスパゲティを盛ったフライパンを、適当な雑誌を下敷きにして置いた。最近のフライパンは取っ手を外してなんか大皿っぽくなる。楽でいい。
後はカップスープと皆で取り分ける皿。テレビに流れる『情報ライブ・シベリ屋』ではウラル山脈東で日本人の番組スタッフの一部が拘束されたままだという情報をやっていた。解説の政治系芸能人『そのまんま東側国家』が解説している。
「いやあー疲れたなぁーお腹空いたよースパゲッチー美味しそうだねい」
和むような声音でいつもどおり作業着に土を付けた美月さんが入ってきた。
僕が入社した頃は採掘とやらを手伝おうかと提案したのだけれど、パソコン業務を任されたのだ。それ故にどこで何を採掘しているか不明だ。決算にも上がってこない。計画書や報告書も見たことがない。
だが一般企業でも、一般社員のどれだけが社長の行う業務について知っているだろうか。世の中そういうもので会社は回っていくのである。多分。
そして次に、オフィスの入り口が開いて、全身鎧が中に入ってきた。
「ひっ!?」
「ままままま待て! 強盗か!? それとも中世ヨーロッパからタイムスリップしてきたのか!?」
『私だ』
フルフェイスヘルメットの中からはくぐもった声。あの女だ。
「汝鳥ちゃん!? なんでそんな格好を!?」
『持ち運ぶのが重たいので店員に着せてもらったら脱げなくて……』
「どこでそんなの買ったんだよ!?」
『ファッションセンターしまむら』
「しまむらに鎧が売ってるか!」
「そもそもなんで買ってきたの……?」
『私考えたんです。抱きつくと言っても別に裸になって皮膚が触れ合わないと駄目とかそういうわけじゃないですから、鎧を身にまとっても抱きつく行動自体すれば大丈夫なのでは?って』
「……おいくら万円したんだ?」
『二十ッ……万円……』
「返品して来なよ!?」
「バーカ!」
とりあえずは話し合いの結果、効果を確かめたら返品するということになった。
ちょっと調べたところ、通販と違って店頭販売で購入したものはクーリングオフ制度の対象外であり、欠陥などがなければ販売店は返品に応じる義務はない。
だがファッションセンターしまむらならば、レシートとタグがついてれば7日以内ならば返品に応じるそうだ。本当にしまむらのタグが付いていた。どういうことなの……
「もう。そんなのが欲しいならおばちゃんがダンボールで作成してあげるから。別に強度いらないんでしょ」
『そ、そういえば……つい衝動的に鉄鎧を買ったけど、体を遮れるものなら別になんでもよかったんだ……!』
「バーカ」
「とにかく。お昼は抱きつき前倒し実験をするから、鎧は後ね。脱いで脱いで」
僕と美月さんが手伝って鎧をどうにかこうにか外していく。鎧を脱がすなんて初めてだ。
中身のこいつはここまで歩いてくるのにかなり重かったのか若干汗ばんでいた。確か一番近いしまむらでも隣駅だったはず。この格好で電車に乗ったのだろうか。正気とは思えない。
いや、病気で頭がやられている面もあるので仕方がないかもしれない。
抱きつき症候群の症状例に、精神的な変調があることも書かれていた。ただそれは、病気によって直接脳や神経伝達物質などに変化が訪れるのか、或いは致死性で激痛を伴う病に侵されている恐怖と異常な治療方法に適応すべく心が慣れていくのか不明だというけれど。
とりあえず鎧を脱がせた後は、まず昼飯にした。山盛りのスパゲッティ。ジューシーな腸詰め。甘くて爽やかなキャベツ。そんな感じだ。
恐らく詳細は不明だが肉体労働をしている美月さんはいつも人一倍食べる。景気よく食べてくれるのが嬉しいと最初の頃に伝えてから食べる量が二割ぐらい増えた気がする。ただし太らないからやはり肉体労働のおかげだろうか。なんでお嬢様が一人で肉体労働してるか謎だ。
食事を終えてから実験が始まった。
「それじゃあまた──今度はオーソドックスに抱きついてみようか。変な抱きつき方で効果が無かったら、前倒しに効果が無いのか抱きつき方が悪かったのかわからなくなるから」
「くう……とりあえず背中!」
「へいへい」
見た目が少々アレなのは正面から抱きついても同じことだと判断したのか、素直に僕の背中を借りることにしたようだ。
胴に手が回されて背中にあいつが密着する。大きくため息が当たる感覚。抵抗なのかなんなのか、顎を背中にぐりぐりと押し当ててくる。
10分の時間を待つためにテレビを眺めていた。丁度朝の再放送している連続ドラマ『半分、アカい』はOPを抜けば10分程度だ。画面ではジョン・ウェインが親友だったはずの俳優をアカの手先だと密告していた。
「男同士の友情は儚いなあプゲラッチョ」
「今どきプゲラッチョて。そういうのは女同士の友情が儚いというのをよく聞くけど」
「そんなことはない。女三人よれば姦淫するって言うだろ」
「言わねえよ」
「じゃあ男女の友情が意外と長持ちするのかもねー。成次くんと汝鳥ちゃんみたいな!」
「ない」
「ない」
『ありません』
「声ハモってるしー」
否定する僕たちを何故か上機嫌そうに、美月さんはニコニコと笑っていた。背中のコレと友情が築くぐらいなら僕は、雲の王国に住む天上人と仲良くなった方がマシだ。
とにかく昼の前倒し実験も終わり、午後の業務が始まる。
鎧は何故かオフィスに飾ってある。二階まで運ぶ気力が無かったようだ。あの女はまた買い出しに出かけていった。まあ、ちょっとした引っ越しだから必要なものは幾らでもあるのだろう。そんな物入りになるのに二十万の鎧を買ったあいつはアホだけど。
次はおよそ、午後四時から六時の間に発作が起こらないか観察しなければならない。朝抱きついた分のタイマーで発動か、前倒ししても大丈夫なのか。できれば後者であって欲しい。
一見DOOMをプレイしているように見えるプログラムコード打ち込み仕事をしている僕の職場にあの女が帰ってきたのは三時半ぐらいだ。
色んな店の買い物袋を抱えていて、応接間のテーブルに置いた。DVDとかゲームとかお菓子とか。ウィッグとかメイド服とか。
「待て。なんだそのウィッグとメイド服」
「ファッションセンターしまむら」
「買ったところは聞いてねえよ! 一日何回しまむら通ってるんだよ!?」
「実はお前を女装させれば少しはマシになるのでは? と一瞬悩んで一応買ったものの、うっぷやはり本人を目の当たりにして想像してみるとかなりキツイ」
「知らんがなすぎる……」
「このメイド服は美月さんに着てもらおう」
「アラサーの美月さんが着るには、ちょっとはしゃぎすぎだと思うけど……」
「馬鹿! メイドさんなんて普通はお年が行ってても似合うものなんだ! 今どきのギャルビッチみたいなメイドさんこそ邪道! 興奮はする! ……はっ」
オフィスの裏口から半身を出してなにやらジト目でこっちを美月さんが見ていた。
僕らは顔を見合わせる。アラサーではしゃぎすぎ。お年が行っている。あまりよくない言葉を吐かなかっただろうか。社長相手に。
固まっていると、無言で彼女はスタスタと近づいてきてあいつの手からメイド服を強奪。
そしてオフィスの奥、二階へ向かう階段の陰へ隠れて……少しして、
「じゃーん! ニャンニャン!」
アラサーメイドさんが出てきた。頭にディズニーランドで売っている動物耳のかぶりものまでしている。
僕は色々と複雑な、言葉に出来ないし説明も不可能な感情を抑えてうつむいたら何故かこらえすぎて鼻血が出てきた。
決して可愛くないわけじゃない。むしろ客観的には萌え系コスプレした美女だ。可愛いといえる。だけどできれば見たくなかった。親戚だからだろうか。うわキツ。謎の、プラスとマイナスの気持ちが同時に湧いてくる。
だが口には出さない。出せない。褒めようとしてもうっかり「うわキツ」と言ったが最後。美月さんを傷つける。僕は僕を一生許せなくなる。そんな気がした。
決して悪いわけじゃない。だけどなんかこう、お母さんがコスプレしてるのを見てしまったような違和感なのだ。
「しゅばらしいでしゅうううう! 美月さんで宗教を作りましょう! パシャー! パシャー!」
だがレズのお気には召したようだ。泣きそうなぐらい感激しながら写真を取りまくっていた。
自分でコスプレしといて美月さんはその反応でやや照れているのもカワイイようなキツいような。なにせアラサーだ。若々しくとも。なにが彼女を動かすのか。
「いやホントこれ最高ですーん! フォトショ修正無しでこの肌の綺麗さ! キュエー! 美月さんにも送りますね」
「あ、ありがと。本当かなあ? よし、ちょっとお父さんにも見せてみよう」
アラサー独身の娘がメイドケモミミコス写真を送ってくる。根津パパさん、心配しないだろうか。
美月さんがLINEだかなんだかで上げて少しして、僕の携帯が震えた。アドレスは、美月さんの親父さんだ。通称根津パパさん。親戚付き合いがあるし、オタク系イベントで一緒になることもあるので連絡先を交換していたのだ。
やや撮影会している二人から離れて、声を潜めて電話を取る。
「はい、瀬尾です」
『ンンンンー、瀬尾クン。実は今ァ……娘からコスプレ写真が送られてきてねェ……多分オフィスだと思うんだけどゥ』
とても低く、ドシンと響くような声がする。根津パパさんは軽薄な内容を言ってるときでも、なんか迫力のある声をしている。
「は、はあ。同僚がなにか買ってきて着せたみたいで」
『じゃあ眼の前に、メイドったうちの美月が居るわけだ?』
「まあ」
『……くぅわぁいいだろ?』
「……はあ」
根津パパさんは親馬鹿である。娘が一人仕事を始めるといったときも散々他の部下を派遣して助けようとしていたし、このオフィスも入っている警備会社(根津系列会社である)の警備員に常駐させようともしていたとか。両方美月さんが断ったようだけど。
彼からすれば三十路でもカワイイ娘だ。そこを否定したら殺される。
『そんな可愛いうちの美月がすぐ近くに居るわけだが……瀬尾クゥゥン、娘の可愛らしさに邪なことを考えてないかァァァい?』
「いいえ全然そんなことは」
『はァーっ!? うちの娘の可愛さに惑わされない男は居ないんですけど!(超早口) 目とチンコ付いてんのかテメー!』
「ごめんなさい。おっしゃる通りです」
基本、マッチョなオタクといった気のいいおじさんなのだけれど、娘に関しては面倒くさい。
電話の向こうで咳払いをして根津さんは言う。
『まっ、瀬尾クゥンはヘタレ……じゃなかった草食系だから滅多なことは無いとは思うが……もし、万が一娘に手を出したら……』
ドスを利かせた声に僕は背筋に汗が浮かぶ。
『責任取って……縁故を考えて貰わねえとなあ……』
「ひっ」
ヤバイ。根津パパさんのところはメチャクチャ大きい会社であり、多くの仕事を手がける際にトラブルを解消するため必要な『暴』の力を持っているともっぱらの話だ。
つまり大会社の社長一族であり、ヤクザ一族でもある。表立って組だとかは名乗らないし、非合法な仕事もしていないのだが、暴の力がなければ江戸時代に創業し明治維新から太平洋戦争などを経てこれほどの大企業を保持できない。
降りかかる火の粉を払い除け、理不尽な干渉へ理不尽な対処を取る。普段は身分を隠し農家や社員をしている忍者のような凄腕エージェントが数十人は居るらしい。というか、あそこの社員との忘年会でガチの手裏剣とか投げてた。ヤバイ。
そんな彼が、娘に手を出したらエンコを考えろという。つまり、エンコを詰める……指を切り落とすぞという警告だ。これは怖い!
「だだだだだっ大丈夫ですええ全然。マジで。そんな事しませんから。絶対に手を出さないと誓います!」
『いや誓わねえでいいんだけど』
「どうしたの? 成次くん」
「ひっ」
思わず通話終了を押して携帯を隠す。
「今の……うちのお父さんと電話?」
「あ、あははは。いや根津パパさんが、また今度眠らずにダンクーガマラソンの儀式するからどうだ?ってお誘いで」
「拷問か」
見たことあるのか、三十路メイド撮影家の女が嫌そうな顔で言う。
根津パパさんのところでは社員集めて前に一度やった合宿だ。なかなか合体しない。バンクが多い。作画がへちょい。話が眠い。断空剣ってなにそれスパロボオリジナル?みたいな気分になってくるアニメ超獣機神ダンクーガをひたすら見続ける。疲れる。もう二度とやりたくない。
適当に誤魔化しつつ、美月さんも帰ってきたので今日の業務は早あがりということにして発作が起こるのを待つことにした。
発作が起こりそうな時間は二時間の開きがあるが、オフィスにあるTVモニターでDVDでも一本見ていれば丁度いい。
レズ映画ハンターが借りてきた映画のパッケージをテーブルに広げて眺める。
「ん? 普通の映画だな……レズ映画じゃなくて」
「レズ映画はね。男が居ないときに二人で見ないと男根崇拝主義的なツッコミを入れてきて鬱陶しいからね。あと美月さんといい雰囲気になるかもしれないし。あわよくば」
「あわよくばねえよ!」
「なにを見ようかねえ。あ、この『プリンセス・トヨトミ』とか面白い?」
「さすがのチョイスですね。有名な作品なんですが一人で見る勇気と気力が沸かなかったので借りてきたんです」
「僕も名前だけ知ってるけど見たことないな……そして一人で見る気はまったく起きないな……」
なので再生した。そして僕らは後悔を共有して少し仲良くなれた気がする。一人で見ていたら耐えられなかっただろう。あまりの残念さに。異様に疲れた。途中で止めようと何度も言いかけた。でも僕たちは耐えきったのだ。得るものはなにも無かったけれども。なんかクソ映画って出演してる役者の人も有名な役者なのにその映画だけ演技力が低下してるようなことあるよね。モチベーションの違いなのか。
結局、映画鑑賞会を終えても抱きつき症候群の発作は起こらなかった。
「どうやら前倒しして抱きついた場合、発作が起こるまでの時間が延長されるみたいですね」
「次は八時から十時頃だねえ。今抱きついて延長させてもいいけど……」
「いえ! ひょっとしたら治ってるかもしれないので待ちましょう是非待ちませう!」
「失敗フラグすぎる……しかし、前倒しを使って夜寝る時間とか昼食時とか確保するとなると、一日に抱きつく数が最低一回は増えるわけだな」
「あたいのカラダはもう汚れちまったのさ! 一回ぐらいなんだい!」
「何キャラだよそれ……」
「とにかく、次は鎧使ってみましょう鎧!」
「他にも抱きつき時間を長くしてみたら効果時間が延長するのかーみたいなのも調べておきたいねえ」
ひとまずは、前倒しで抱きつくという方策が成功したことで僕らは喜びあったような、そんな感じだった。
まあなにも解決していないんだけど、夜中に起こされることがなくなるのは良かったことだ。
夕飯をレズ料理人が作る。餃子。ニラレバ。ワンタンスープ。駅前中華定食って感じだ。味はそれなり。
食後は三人でゲームでもして過ごす。対戦ゲームばかりだと得意不得意で勝敗がかなり決まりやすいので、三人で協力してNPCを狩るゲームだ。『モンハン』というやつである。そう有名な『モンスター・ハーン』だ。
モンゴル系の王が怪獣化していてそれを狩る。多種多様な武器にイスラムスタイルとかチベット仏教スタイルといった独特の宗教スタイルアクション。若者の間でかなり流行った。先祖を怪獣にされたモンゴル人はキレたがメーカーはスルーした。
「あー来る来る。回回砲飛んでくるから避けてー」
「はい緊急回避ドーン」
「うわあハーンに捕まったよう二人とも~」
「今助けます」
「おのれ騎馬民族! 美月すぁぁぁんを孕み袋にするつもりだな! 馬に乗るゴブリンめ!」
「へ、ヘイトスピーチ……」
などと初心者の美月さんを助けるプレイをしていたのだが。
八時を過ぎて、患者の様体が悪化した。
いや、本人は何も言わないのだが、青い顔でしきりに汗を拭い、時計をチラチラと確認している。
「だ、大丈夫? 汝鳥ちゃん。もう痛くなってきた?」
「いえ……まだ発作は起こっていないのですが、なんといいますか……本当に、本っ当に痛いんです。発作が。それがもうすぐ訪れるかと思うと、胃のあたりがキリキリと……」
「痛みに慣れる……とか無いのか?」
「無いわ! むしろ、痛みの程度を知ってしまったことで具体的な恐怖が……よ、よし! 今のうちに鎧を着ておこう!」
かなり具合の悪そうな顔で鉄兜を手にした。
確かに。
数時間置きに死にそうなぐらいの痛み、実際放置すると死んでしまう恐怖が訪れるとなればそれはどれだけ精神的に負担になるだろうか。
すぐに鎮痛剤打つから、と前置きされても指に鉄串を刺される拷問を何度も受けて平気なはずはない。
僕と美月さんは憐れむような目を向けつつ、一応は手伝って鎧を装着させてやった。
「下半身の部分は要らないよな。上半身さえ抱きついてれば判定セーフだったんだから」
「念のために脱ぎやすくしておくね」
「うん……」
うわあ。
これから訪れるであろう痛みでかなり消沈してる。こいつらしくない。
でもこれまで……ええと、三回か、死ぬような痛みに襲われれば気分も盛り下がってくるか。
しかしながら下半身はパンツスーツスタイルで、上半身は鉄鎧を身に着けている姿はかなり奇異に見えた。
それからゲームもやらずに、暫く僕らは待ち続け……
「──来た! イタタタタ!! 瀬尾!」
「来い!」
僕の背中に勢いよく上半身鉄鎧が抱きついてくる。ゴツゴツして痛い。だが、恐らくこいつよりは痛くない。
「アタタタ! だーめーだー!」
だが、鎧越しの抱きつきは彼女の痛みを取ることはできないようだった。
僕の方から振り向いて抱きついてみたが、
「痛い痛い痛い痛い痛い」
と、悲痛な叫びは止まらなかった。
「成次くん! 脱がすよ!」
「は、はい!」
急いで僕と美月さんで鎧を脱がしてやる。鉄兜も外すと、目から涙をぼろぼろ流しているこいつの顔が見えた。
憎たらしい、顔を見るだけで罵ってくるクソ女だった印象がまるでない、弱々しい泣き顔だった。
「──!」
鎧を剥ぎ取り、僕は間髪入れずにこちらから抱きついた。とても見ていられなかった。
こいつは生意気で、腹立たしくて、ムカついて、最悪で、人を見下し、クソッタレの女だけれど。それでも。
最初の治療からすれば僕から抱きついても大丈夫なはずだ。
「あっ……」
と、汝鳥から声が漏れた。痛みが引いていったのだろうか。
一分、二分と経過してこいつの震えるような呼吸が整っていく。なにかに耐えるように、こいつからも抱き返してきた。
「美月さん。なんというか、可哀想なので実験は止めてこれからは発作前に済ますことにしましょう」
「そうだね……痛さの度合いがわからないから、気軽に考えてたね。ごめんなさい、汝鳥ちゃん」
「うううー……可哀想とか憐れむなぁ! 私は……平気なんだ!」
涙声だった。こんな女でも弱る時がある。それぐらいに痛みが生じる病気なのだが、妙ちくりんな治療法のせいで簡単に考えてしまっていたのだろう。
思えば最初に医者のところでいきなりモルヒネ注射まで行われたのだから、痛みの度合いがヤバイことは把握できたはずだと言うのに。
美月さんが紙にタイムスケジュールを書いている。
「それじゃあ、安全性を考えて抱きつく時間はこうしようね」
0時(就寝前)
7時(起床後)
12時半(昼食時)
6時(終業時)
0時(就寝前)
「基本的に八時間経過する前に抱きつくようにして発作を抑えれば、もう痛い思いをしなくて済むみたいだから」
「──だ、そうだ。治るまで外出の時間も気をつけろよ」
「遠くに行くときは念のために成次くんも付いていったら?」
「えっ!? こいつと一緒に鎌倉にある女の子がオイルマッサージしてくれる名店に!?」
「行かねえよ!」
「鎌倉はともかく、毎日三人揃ってるんだから温泉宿にでも行きたいねえ。社員旅行やったことないし」
「美月さんと温泉! それはいい考えです! ええと、私がブラックリストに入って無さそうな温泉宿をピックアップ……!」
「どんだけやらかしてるんだよ」
「仲居さんって部屋の備品的な感じにタッチしてもセーフなものかと思ったら駄目だったとは……」
「うわあこいつと行きたくねえ」
今どき酔っ払ったオッサンでもそういう事しないぞ多分。
ともかく、この場での抱きつきを終えて今度は就寝前だ。となると、一々集まり直すのも面倒なので僕ら三人は居間でまったりと過ごす。
そして日付が変わる頃にまたあいつが背中に抱きついてきながら、
「のーろーわーれーろー」
と、無駄に呪詛を送ってきた。八つ当たりすぎるだろう。
テーブルには砂時計。十分間を測れるやつをわざわざ買ってきたらしい。あと一、二分ぐらいだろうか。
ボーッと待っていたら、不意に視界をなにかが遮り、ポフっとした感覚と共に頭を抱かれた。
正面に、美月さんが。
僕の頭を胸に抱いて、背中をぽんぽんと叩いてきた。
「成次くんも、お疲れ様。大変だろうけど、一緒に頑張ろうね」
「ぼっぼっぼぼぼっ」
僕は大丈夫ですよとかなにか口にしようとしたが、顔面に丁度ふくよかな胸部が触れていて頭がフットーしそうでさっぱり言葉にならない!
ヤバイって! 美月さん! 耳まで熱い! 惚れてしまう!
すごくいい匂いがする! 脳が溶ける! 男をダメにする物質分泌されてる!
「うわあああ! 美月さん! 危険ですよ離れてくだイタタタタ! 早く! そこの『タフ』で出てきそうな擬音を口にしてるコゾーから!」
「ほらほら、汝鳥ちゃんはあと少し我慢する」
「うぬぬぬぬ……」
背中の方で何やら不燃物が、不満そうに僕の背中にグリグリと顎を押し当てているようだけど、僕のトリップしかけた意識レベルではよくわからない。
どれだけ時間が経過したか。恐らく一分程度だろう。突然、背中の重さが消えた。砂時計を睨んでいたあいつは、砂が全部落ち次第僕から離れて、
「ぬぁー! チョチョチョー!」
謎の叫び声を上げつつ手刀を僕と美月さんの間に入れて別れさせた。
まあ、それを悪くは言うまい。
なぜなら僕から能動的に離れることなど不可能だった上に、このまま抱かれ続けたら間違いなく脳をやられたぜよ状態になっていたからだ。
酔っ払ったようになった頭がふらつく。酒で酔ったというか、スマートドラッグをやったみたいな感じだ。(プログラマーはだいたいキメたことがある)
「はい終わり終わり! 男は帰って寝ろ! どぅるるるー」
「それじゃあまた明日ね、成次くん」
美月さんのお腹に頭から突っ込んで押し付けている産廃など気にはしないが、僕は手を振る美月さんにふらふら会釈らしい動き(になっていたか甚だ不明だが)を返して、ゾンビのように揺れながら玄関から出て切った。
顔にはまだ残り香として美月さんの匂いが感じられ、ふわふわと柔らかかった感覚も残っている。
性格がクソな女を助けるために自分の自由を制限し、更に感謝もされずに罵られている生活などしんどいと思っていたが──
美月さんにぎゅーってされるとか天国かよ。
まあ、美月さんのパパさんがマジ怖いから絶対に惚れたりしたらいけないんだけどね!
それでもまあ、うん。綺麗な憧れのお姉さんから抱きしめられるとか貴重な経験だった。
すごくいい気分だ。今日はよく眠れそうだ。よし。寝る前にトイレに行こう。
生意気なヒロインには心が折れそうなぐらいの泣き顔が似合う(主張)