21話『お見合いに行こう』
頭が痛い。ついでに体も痛い。僕はうめきながら起き上がった。
周囲を見回すと美月さんの自宅居間だ。あたりは酷いもので、ビール缶や酒瓶が転がり、女性三人が死んだように倒れている。一人は鮫島さんだ。
何があったのか。強盗でも現れて僕らを昏倒させていったのではないかと不安になる。滅多にここまで酒で酔いつぶれることはないというのに。
昨晩のことを思い出す。後輩の就職記念お別れパーティ(そう言ったら後輩に半泣きで殴られた)を開き、途中で腸詰めを食べに来た鮫島さんもお酒を手土産にやってきた。
後輩は大層上機嫌だった。美月さんに加えて鮫島さんも居て華やかなだけではなく、営業初日で8000万円のレジャークルーザーを知り合いのレズ社長に売りつけてきて今月の営業成績が一気にトップへと躍り出たと自慢した。会社の経費扱いで税金対策として合法的にいざというとき売値がそこそこになるクルーザーを購入させる手口を説明するのがコツらしい。
突如上がり込むことになった鮫島さんも、まあ印象通りというか遠慮しないタイプだから、二人ともすぐに打ち解けて飲み会が何となく盛り上がっていた。
週末で翌日は休みということもあったのだろう。結構な酒の量が周り、後輩がカクテルシェイクするとか言ってちゃんぽんに混ぜ合わせ……目薬の瓶とか転がっていて……目薬。
「後輩のやつ、目薬を混ぜたのかってイタタタタ」
根津製薬が出している目薬。アルコールに化学反応して睡眠導入薬の効果を発揮してしまう裏効果があるといわれるやつだ。
ええい、それのせいで記憶が朦朧に……っていうか痛い。僕の手とかにやたら鋭利な歯型が付いている。こわ……サメでも現れたのかしら。
そして当の後輩は、酔っ払った勢いではなく確信犯的に寝ている美月さんのお腹に頭を突っ込んで倒れているし。
僕は後輩を引っ剥がして無理やり起こした。
「おいこら後輩。起きろ! 抱いてやる!」
「朝っぱらからショッキングな発言しないでくださいよ先輩! ショックでノンケになったらどうするんですか!」
「お見合い相手を探してやる! なに泥酔に紛れて美月さんのお腹に頭を埋めて胎内回帰体験ツアーしてるんだ」
「一発で私の目論見を見抜くとは……先輩も胎内回帰したいと思っている証拠! この変態! アンバースマニア!」
「実際に行動起こしてるやつに言われたくないわ!」
「噛みつかれまくってデレデレしてたマゾヒスト!」
「覚えてねえよ!?」
僕らがぎゃあぎゃあと言い合っていると、その騒ぎで二人が起きてしまった。
「ふあああ……どうしたんですか? 抱くとか抱かないとか……朝からえっちですか!?」
「ちがっ違うよね二人とも!?」
「「違いマッスルボマー」」
くっ! 語尾が被った! 僕と後輩は悔しそうに顔を向けあった。
「仲がいいんですねえ……しかし夢の中で何か美味しいもの齧った気が……」
「気の所為です仲がいいのも美味しいものも」
鮫島さんが歯をガチガチ鳴らしながら部屋の中を見回す。いかん。僕が美味しい食料だと認識されたら傷害事件再犯になる。
手などに付いた傷跡を隠しながら、一階の洗面所へと向かった。
鏡で齧られた部位を確認すると、肩や脇腹にまで傷口が及んでいる。怖い。寝ている間に獣から食料かどうか確かめるための甘噛みをされた気分だ。
肉食動物と一緒に飲み会をするのは危険だという当たり前の教訓を得る。
「痛っ……ん? こんなところも噛まれてるのか?」
なんか首にもアザみたいになってる噛み跡があった。他と違って鋭利な牙の痕跡は無いが、下手すれば致命傷になる位置だった。危なかった。
*****
土曜日の朝といえばアニメ。オフィスでぼんやりテレビを見ていると『デュエル・モンスターペアレンツ』の再放送をやっていた。子供から大人まで人気のあるカードゲームの販促アニメだ。様々な種類の特殊効果を持つモンスターペアレンツを召喚して戦わせる。バケモノにはバケモノをぶつけるんだよ。
ぼけーっと見ていると突然携帯が鳴った。着信を見るとうちの母親だ。朝からどうしたのだろうか。また父が誤認逮捕で訴訟されたのだろうか。
「もしもし?」
『ああ成次。今どこ?』
「地球ン中」
『オゾンより下に居るなら問題ないね。ちょっと用事があるから今日戻ってきなさい』
強権的発言。基本的にうちは母の立場が強い。
夫は家庭を疎かにする職業ナンバー1な警察をやりながら誤認逮捕で何度も訴えられるし、僕は怪しいハッカーだと母は思っている。負い目のある僕と父は結果的に家庭をまとめた母に従う他はない。
「用事って? 僕も毎日用事があるんだけど……」
『美月ちゃんのところに転がり込んだんじゃなかった? 暇でごはん作りとかしてるんでしょ』
「その転がり込んだって表現止めて。まるで美月さんの扶養に入ったみたいだから。あと暇じゃなくてもごはんぐらい作るから」
『じゃあ何が忙しいの? 土曜日休みでしょ』
「ええと……ペットの世話的な……」
後輩の抱きつき業務は休みでも当然発生するので、あまりお互いに離れ離れになって出かけられない。
僕の実家は一応東京内だからそこまで遠いわけじゃないんだけど。
『どうせすぐ終わる用事だから。渡すものあるし帰っておいで。成次、部屋が吹き飛んだらしいじゃないの』
「まあね」
おかげで色々と物は最低限しか持っていなかったりする。着替えなんかは購入したけれど。
なお指名手配されていた容疑者の十常侍鐘命氏は博多空港で逮捕された。偽造パスポートを使って国外へ脱出するつもりだったらしい。だが容疑は否認しているようだ。
仕方ない。何かしらの用事があっても八時間以内には戻ってこられるだろう。
*****
「絶対! 絶対! ぜぇーったい帰ってきてくださいよ! わかってるんですか先輩! シャケのように!」
「シャケなら帰るのはむしろ実家へだろ」
後輩に出かけることを説明すると、「なんで」とか「ひどい」とか「裏切り者」とか散々言われてどうにか説得したけどまあひたすら不満そうだった。
「なんだったら汝鳥ちゃんもついていけば? おばちゃんが二人共送っていこうか?」
「うううー! だ、駄目ですよ! 男の実家なんてついていってなにか良からぬ勘違いでもされたら大変です! ゾンビに感染した怪我人を避難所に入れようとするやつぐらいレズ界では嫌われる行為!」
「どんな例えだ──まあ、とにかくさっさと用事を済ませて戻ってくるので、大丈夫ですよ」
正直なところ、確かに親に呼ばれて実家に戻る際に同僚と上司……まあ女友達のような相手を連れて行くのは気まずい。避けたい。うちの親は冷やかすタイプだ。
近くまで送ってもらって二人は近くの喫茶店などで待機という手もあるけれど、ちょっとこっちの用事に付き合わせるだけの待機で悪い気がする。
滅多なことでは戻ってこれなくなる事態にはならないだろうし、GPSもあるのでいざというときは連絡すればいいだろう。
「それじゃあ行ってきます。えーと鮫島さんは」
「レズ団体が襲撃してこないように警備しときます~」
「僕のPS4を自前のように遊んでらっしゃる……まあいいけど」
そんなこんなで女衆を残して、僕は実家へ顔を出した。出る前に後輩と十分ほど抱きついてから。なんだろうこの儀式感……
*****
実家で大変なことになったので僕は頭を抱えたくなる暗い気持ちのままにオフィスへ戻った。非常に面倒くさいことが起きた。逃げたい。
オフィスに戻ると何故か美月さんと鮫島さんがビキニ水着だった。
「……なんで!?」
こっちも大変なことだ。華やかな柄のついた水着を何故か二人は着用し、美月さんは背中を丸めて恥ずかしそうに、鮫島さんは気にせずPS4でモンハンワールドをやっていた。当然、モンスター・ハーンの方である。世界を侵略したハーンは規模が違う。
なにが起きて二人の衣装面積が極端に低下したのか。
「先輩見ちゃいけないー!」
走り寄ってきた後輩が僕の両目を平手で塞いだ。
「女性の水着姿を見るなんて先輩のスケベ! 許しませんよ! 罰金刑です!」
「どういう理屈だよ!? 僕はどうやってビーチとかプールに行けばいいんだ!?」
「考えても見てくださいよ! 水着なんて肌面積的に下着と変わらないじゃないですか! 先輩みたいな単純な人だともう誘われてると勘違いして犯罪を犯すことやむを得なし!」
「やむを得ないのか!?」
「うう……汝鳥ちゃん、もう着替えていい?」
「はい! 先輩の邪な目線に晒すわけには! 帰ってくるのが早すぎなんですよ!」
そんなことに文句言われても。美月さんがどこかに去っていく音。
「っていうかなんで水着なんだ」
「また襲ってきたんですよ! レズ襲撃者! 玄関に誰か来たかと思ったら『レズ営業です』って言うからワクワクして開けたらすぐ捕まって……」
「馬鹿なの?」
「私を人質に取ったニセレズ営業女が、美月さんと犬子ちゃんに水着を差し出してきて着替えろと強要して……」
「馬鹿しかいないの?」
「水着姿になった二人相手にデレデレしたところで、私が咄嗟に先輩の気色悪い筋肉写真を見せつけたら大いに怯み、その隙に犬子ちゃんが近づいて相手の指三本噛みちぎりました」
「ツッコミどころー!!」
僕は目を隠している後輩の手を取って外し、強張った表情で聞いた。
「まずなんでお前が僕のよくわからん筋肉写真持ってるんだ!?」
「べっ別に持ちたいわけじゃなくて美月さんがLINEで流してきたから見れるだけですよ!」
「美月さん! そして噛みちぎ……ええ!?」
「その後、指をプッと吐き出してクールに『早く病院に持っていけば繋げてもらえますよ?』って脅した犬子ちゃんマジ怖かったです。そんでレズは逃げていきました」
バイオレンスすぎる。
いや実際、人間の噛む力って結構なものがあって、一般人でも指ぐらいなら食い千切れるよ?
でも他人の指を口に入れた状態で躊躇いなく歯をバツンと閉じられるかどうかというと、特殊な精神性が必要な気がする。そして慣れた対応のように軽い調子でやっちゃう鮫島さん。ヤバイ。よく無事だったな僕。昨日噛まれて。
まだ水着姿であぐらを掻いてソファーに座り、モンハンワールドでバグダッド焼き討ちしている鮫島さんの姿が恐ろしく感じられた。舌なめずりまでしている。
「それより先輩なんの用事だったんですか?」
「ああ、それな……」
僕はまだ美月さんが帰ってきていないことを確認した。なんとなく言いづらいことだったのだ。
「実家に置いてたスーツ一式を受け取ってきたんだけど……ついでに、明日お見合いに行ってこいって命令されて」
「大宮に!?」
「大宮なんて行ってどうするんだよ!?」
「大宮ナポリタンってなんか特徴無いのに名物に推してる感じしますよね」
「まあそれは……じゃなくて、お見合いだお見合い。婚活の面接段階」
「ハァーッッ?」
なんかキレ気味にそう睨みあげて言われた。
「こ、婚活!? 先輩が!? 女性の家に居候して主人の財布から買い物とかする先輩が!?」
「そこだけ抜き出すと人間のクズだろ!」
「だめですよだめだめ! 論外! 先輩が結婚とか不可能だし相手の女性も可哀想! 悲劇!」
「そこまで言うか」
「大体私どうするんですか! 見捨てるんですか! 抱きつく私とセットで貰ってくれて更にレズセックス可なお嫁さんなんて存在しませんので絶対だめです!」
「意味のわからないことをまくし立てるな」
早口で僕を罵倒しまくる。なんでお見合い話が出ただけでそこまで言われにゃならないのだ。
今の時代お見合いなんてちょっとだけ珍しいかもしれないけれど、そもそもうちの母は根津家の人であり、根津家は婚活サポート事業も手がけている。そこからの話が来たのだろう。
美月さんが未婚で兄弟から馬鹿にされるように、或いはうちの母も親戚から「オタクの成次クンまだ結婚しないんざますか?」みたいにせっつかれたのかもしれない。
「とにかく。僕は無理やりお見合いに参加することが決定されていただけで、別に本気で結婚しようとか思ってるわけじゃない」
「本気じゃないということは、浮気……!」
「脊椎反射で喋るのは止そう」
このお見合いも既に明日、会場の料亭まで予約しているという根回しっぷりなので僕がドタキャンするとそれこそ面子が潰れる。
「なので参加はするけれど、まあ適当にご破談になるようにすればいいだろ」
万が一僕を気にいるような奇特な相手でも、それこそ後輩の治療がある。少々問題児な後輩だが、見ず知らずの相手よりはその命を優先させるべきだろう。
だが僕の言葉に後輩は顔を曇らせる。
「不安だ……先輩は交渉能力がE(スゴく苦手)だから、適当に言いくるめられたりして私を捨てるかもしれない……」
「疑い深い……捨てないから安心しろって」
「いや!! 隙あらば私を捨てようと全力少年だ!! 死にかけた私を見捨てて一人幸せになるタイプ!」
「あーもう、絶対に何があっても、僕はお前のことは捨てないから大丈夫だ!」
「……」
「どうした」
急に後輩が黙っていきなりそっぽ向いた。
「あーあー! 先輩キショっ!」
「なんやねんこいつ……」
モンハンしている鮫島さんがフシシシと悪そうな笑い声を上げる。
後輩は大きくその笑い声を咳払いで遮った。
「っていうか心配なのでなんなら私が明日サポートに行きますよ! お見合い阻止作戦!」
「別に要らない」
「それにどんだけ時間が掛かるかわからないから抱きつきタイムになるかもしれませんし」
8時間も掛かるの? やったことないからわからないけど……
しかしお見合いの最中で席を立って、別の女を抱いていたら凄い勢いで怒られそう。
「あと美月さんには内緒にしとこう。なんというか、気を使ってくる人だから」
「まあそれは確かに……今晩あたりに先輩激励会とか、明日の晩あたりに先輩慰め会とかやりそうですよね」
「本気で激励したり慰めたりしてきそうだからな……」
お見合いを適当に断るつもりでいるこっちとしては気まずい。あまり不真面目だと、相手に失礼だからと怒られそうだし。
僕らがそう話し合っていると鮫島さんがこっちを振り向いて、歯をむき出しにした笑みを浮かべて言う。
「なんでしたらアタシがご主人の彼女とでも名乗りあげましょうか? 『いやー彼女持ちだったんだけど、親が早まって見合いを進めたんですよごめんなさーい』で簡単に終わりますよ?」
「おお、それなら楽に」
そう言いかけたが後輩が慌てたように叫んだ。
「駄目ー! 却下ー! 先輩が彼女持ちとか演技でもありえないので世界的矛盾の反発作用によって歴史が歪んでしまうのでー!」
「世界的矛盾!?」
後輩の僕への嫌な信頼感はなんなのだろうか。
いやまあ、下手に彼女持ちとか嘘でも親に紹介したら、凄い勢いで結婚まで話を進めてきそうな親ではあるんだけど。
結婚相手が、チーンや指を噛みちぎるのに遠慮の無いウーマン。
むり。。。。僕の命は持ちそうにない。。。。
とりあえず、美月さんには適当に明日は二人とも予定があって別々に出かけると告げた。僕は家の用事。後輩は小平市ふれあい下水道館に用事。さすがにふれあい下水道館に用事の人にわざわざ付いていく物好きはいない。臭いから。
「そうなんだ。でも、汝鳥ちゃんと成次くんはちゃんと時間内に会えるようにねぃ。いざとなればおばちゃんが車で迎えに行くから」
くっ……美月さんに黙ってお見合いに行くのがなんか心苦しい!
居候で転がり込んでいる先のお世話になっている女性に内緒で婚活するのが!
「……なあ後輩。ふと思ったんだけど、僕最低ではないよな?」
「なに言ってるんですか。先輩は最低です。だめだめです。越冬中のカメムシです。自覚してください」
「お前に聞いた僕が馬鹿だった」
「……先輩なんてホントに誰も相手にしてくれないはずですからね」
ひそひそと後輩に確認してみたが、こいつの意見がアテになった試しはない。酷い言い草すぎる。
あまり掻い摘んで状況をピックアップするとちょっとアレだけど、大局的に見れば多分セーフだろう。うん。
それにしても気が重い。僕はまだゲームをやっていた鮫島さんにお土産の腸詰めを持たせて追い払い、翌日の準備をした。
*****
お見合いの場所は神楽坂にある料亭だった。このあたりは妙に老舗の料理店が多く、結構な割合で根津家が関わってる。中には老舗のピザ屋とか老舗のコンビニとか謎の老舗もある。なんでそんなのが老舗なんだ。
僕らはタクシーを用いて料亭まで向かった。料亭『百膳』。百種類ぐらい品数がある店だ。もやしのナムルみたいなのは無い。立派な門構えの店を遠目に電信柱とかに隠れて確認しているが、着慣れないスーツがなんともぎこちなく頼りない気分になってくる。
「ちょっと先輩。ネクタイ曲がるを通り越して緩めてるじゃないですかだらしない」
「いや……ネクタイってあんまり好きじゃない上に巻き方もよく覚えてないぐらいだし」
「そんな油断した格好で高級料亭に入ると、ネクタイにガソリンを染み込まされて首に巻いたまま燃やされますよ」
「グロい処刑方法みたいな手段で!?」
「まったく」
後輩は文句を言いつつネクタイを引っ張って僕をかがませ、何やら整えたようだった。
「別に相手に好かれる必要もないし、失礼なやつだなと思われてもいいんだけどな……」
「相手の女性が可哀想でしょう。先輩は相手を傷つけずかつ好かれず、合理的に二度と合わない程度にお断りしてくださいね」
「難しくない? 注文難しくない?」
いかん。軽い気持ちで破談にすればいいやーって来たけど、面倒なルールが足された。
ちなみに予定としては現代のテンプル騎士団陰謀論について熱く語って引かせるつもりだった。これに食いつく相手は相当ヤバイか、組織の一員だ。少なくともその場合は僕の方が相手の危険性を認識できてすぐ逃げの手を打てる。
「ところで後輩はどうするんだ? 近くの喫茶店で待ってるか?」
「緊急時に突入できるように料亭の中に潜入しておきます。HPで見た感じの建物だと床下に潜めそうですので」
「なんだ緊急時って……通報されるぞ」
「安心してください。経験上、リッチなお店だと変な人が居て通報したという風聞を嫌って、つまみ出されるだけで済むことが多いですから!」
「経験上」
「本気で捕まってもそこまで大したことない罪になりますし」
「……」
後輩は犯罪者だ。それは疑いようがない。しかも確信犯的で酌量の余地は無い。僕の周りにマトモな女性は美月さんぐらいだ。
どうやって潜入するのかはともかく、一応僕らはインカムで通話できる状態にしておいた。耳に掛けても髪で隠れるぐらい殆ど目立たない振動型通話機で、スマホやipadに接続されている。
料亭に入るとそこの女将さんからまずは別室に案内される。僕も大事なお客様のような扱いだ。地味ながら根津家の関係者だからだろうか。当主の根津パパさんとは大叔父という関係性になる。
「遅い」
「丁度だよ」
時間ピッタリのはずだったんだけど。部屋で待っていた母にそう言った。当然ながらお見合い相手ではない。付き添いだ。レフェリーだ。或いは破談になった際に僕を殴る役目だ。
母もあまり見ない外行きの服を着ていて、なんとなく僕は授業参観を彷彿とした。
「いい? 成次。お見合いなんてのは相手の一時間前には現場に到着していて相手の座る座布団を懐の中で温めておく気遣いが必要」
「それは気遣いじゃなくて気違いだと思う」
怖いわ。座ったら生暖かい座布団。相手はドヤ顔で「懐で温めておきましたよ」。これにポッと来る女性も相当にやばい。
「お父さんはそれやったし、お母さんも『これは一味違う相手だな』って関心したんだけど」
「聞きたくなかった」
両親もお見合いだったとか聞いたことはあるけれど、内容には全然興味なかった。これまでも。そしてこれからも。
「そういえば母さん。僕、相手のこと聞いてないんだけど」
「大丈夫よ。ダイジョーブ博士ぐらい大丈夫よ」
「それ全く大丈夫じゃない例えだからね」
急な話だったのでそのままにしていたけれど、相手については何も聞いていなかった。
少なくとも年頃の女性であるということは告げられたけれど、詳細を聞き出そうとしていてもはぐらかされたからだ。
「絶対大丈夫というかこれで駄目だったらあんた、もうアレだわ。孫の顔不可視」
「酷い言い草だ……確かに僕はモテないけど」
「モテるモテないじゃなくて、まずちゃんと将来のこと想像できてる? 好きな人と一緒に生活したりとか」
「……」
それを言われるとつらいのだけれど。
僕のような友達も少なく趣味もインドア、オフ会にも参加しないし昔の同級生や知り合いとも連絡を取らない人種にとっては、他人とどう接すればいいかの理解に乏しい。
常に近くに他人が居て、それと何か気の利いた会話とか、どこかへ出かける提案だとか、互いを考慮した人生設計とか話し合えるだろうか。
だろうか、と思うぐらいなので想像がつかない。精々が現状、レズ後輩とぎゃあぎゃあ言い合い、美月さんと雑談をする程度の状態しか、他人と深く付き合うということが面倒になってしまっている。
「……なんとかなるよ」
「心配」
「孫の顔って養子でも大丈夫かな」
「ほら諦めモード!」
いっそレズ後輩あたりを養子にして見せてやろうか。そんな諦めがある。親を安心させるためだけに、僕の娘になってくれ。凄い告白だ。
ちなみに特別養子縁組ではない、普通養子縁組では主に養子の方が未成年でなく養親より年下であるのならば特別な問題無く双方の合意だけで手続きできる。養父である僕が未婚だろうと大丈夫だ。つまり後輩は養子にできるが美月さんはできない。ついでに離縁も手続きをすれば自由に可能である。
そんなことを考えるのも、なんかここ最近レズ後輩があまりにも残念というか頭が可哀想というか、そういうのでつい庇護欲やら浮かんでくるようになったからだけれど。
お互いに嫌悪感を浮かべ続けるのがしんどいので、擬似的に父親をめっちゃ嫌っている娘的な関係を構築することでどうにか関係性を保っているのかもしれない。
「ちょっと相手様の確認に行ってくるから待ってて」
そう言って母が部屋を出ると同時に耳元が僅かにかゆいような振動を伝える。
『こちらレズネーク。床下に潜入した』
当の養子候補の声が聞こえた。どうやってだよ。
『だめな先輩では解決できない事態になったらアジャラカモクレンと合図の言葉を出してくれ。私が登場して全てぶち壊してくれよう!』
「どうやってだレズネーク」
『えーと……』
考えてないのかよ。
『わ、私が登場してぇ……』
「お前が登場して?」
『命に掛けてでも私と先輩とは離れられないからって説明とか……』
「誤解を生みまくりそうでキショいぞ」
『うるさいばーか! 先輩こそキショ男!』
「叫ぶな」
見合いの最中に他の女乱入とか修羅場か。
まあどうしても断れる雰囲気じゃないときには強引にそうすることも必要かもしれないけれど……お互いの親の面子を潰してでも。
少なくとも今、この後輩の命を預かってる状況で結婚なんて出来るはずがない。ある意味免罪符になる存在で便利……か?
いやなんか母に知られたらマズイ気がする。責任とって結婚しろとかなんとか。誰でもいいんだ。母にとっては。そもそも後輩は僕のこと嫌いだしレズだからそれは無理なわけで。
ええい、面倒くさい。
そんなやり取りをしていると、母が戻ってきた。
「成次、相手様の準備できてるみたいだから」
「はぁ」
「式の日取りまで決めてきて。親戚呼ばないと」
「早いよ! 決めねえよ!」
絶対台無しにしたら母から怒られるっていうか、見限られるんだろうなあ。
親に恩返しもできないのはきっと後悔の種になると思うのだけれど。
やはりいつかは真剣に考え無くてはならないのだろう。結婚を。後輩の病気が治って……後は美月さんがどこかに嫁に行けば心残りも無くなるはずだ。それからか。
重い足取りで指定された部屋へ向かう。この料亭は昔から、根津家の関係者が見合いや結婚の宴に使っていた店らしい。神楽坂あたりに住んでいた天狗が仲人の胴元になり婚活セッティング会社を江戸時代に作ったという噂だ。
千や二千ではない大勢の見合いを成立させてきた店は部屋の作りから気合が入っている。なにせ障子紙がびっしりと並んだ婚姻届なぐらいだ。プレッシャーの掛け方を間違っていると思う。
母が身振りで僕一人で行けと合図する。見知らぬ相手にたった一人の最終決戦。不安だ。
『安心して先輩。ほら可愛い後輩がついてるぞ。死ぬほど感謝して後で土下座してほしい……』
要らない援護が飛んできた。こいつ僕の土下座が見たいだけだろ。
『土下座してほしい……』
まだ呟いている。しつこい。
僕はさっさとお見合いを終わらせるべく、婚姻届で作られた障子を開いた。
中に居たのは帯だけで僕のスーツより高そうな着物を身に纏った女性で──
「へ?」
「あれ? 成次くん」
──小首を傾げた美月さんが、対面に座っていた。
『メーデー! メーデー! 先輩今スグ脱出せよー!』
耳に後輩の混乱したような叫びが聞こえてきたが、僕らは戸惑ったように向き合っていた。
美月のダイレクトアタック
汝鳥は死ぬ