第8話 いざ最初の街へ
翌朝、天幕の外からカリオに声をかけられて目が覚めた。随分しっかりと休めたみたい。体が軽い。そんな私と違って、隣で身を起こすクシェは憂鬱そうだ。今日は崖の上から見たあの街に入るものね。魔族の街なんて嫌なのでしょう。
二人の様子からして、昨晩眠らされていたことは覚えていないみたい。さすがはリダールね。
素早く身支度をして天幕を出る。外ではカリオが火の番をしていて、少し離れたところでルシオンが素振りをしていた。
立ち上がったカリオが丁寧な仕草で頭を下げる。
「おはようございます、姫様」
「おはようございます、カリオ」
どうやら携帯食料や干し肉を使って、スープを作ってくれていたみたい。こんなもので恐縮ですが、と苦笑いするカリオだけど、せっかく作ってくれたご飯に文句は言わないわ。
私の後ろから出てきたクシェも、用意された朝食を見て目を丸くしている。素直に感動した、という顔でカリオに声をかけるけれど。
「すごい……。騎士様、ありがとうございます」
「姫様のためだ。お前に感謝される謂れはない」
その言い方はないんじゃないかしら、カリオ。ほら、クシェが「何よこいつ」って顔してるじゃない。
微妙な雰囲気になった時、私たちに気付いたルシオンが戻ってきた。
「おはようございます、殿下。あとクシェも」
「ええ、おはようございます」
「……おはよう」
今朝のクシェは散々ね。カリオは無粋だし、ルシオンにはついで扱いされるし。むすっとした彼女は焚火の傍に座って、黙々と火の調整を始めた。
クシェのことは気になるけれど、私が口を出すと嫌がられそうだから何も言わずにおく。それに、今のうちに話しておかなければいけないこともあるし。
「少しだけよろしいでしょうか? 街に入る前にお伝えすることがございますわ」
丸く円になって座り、それぞれスープを手にした三人に説明を始める。
「魔族はそれぞれ、魔貴石と呼ばれる魔石を所持しています。これは彼ら魔族にとって、命の次に大切なものだそうですわ。万が一のため、カリオとルシオン様にはこの魔石を渡しておきます。クシェさんは、杖の魔石がそれらしく見えるはず。街中で魔貴石を確認されるようなことはないと思いますが……」
取り出したのは、城から持ってきた最高級の魔石二つだ。カリオとルシオンは魔術師じゃないから持っていても扱えないけれど、何が起きるかは分からないし、一応ね。
魔貴石は、魔族が生涯をかけて育て上げる魔石のこと。魔貴石は時間をかければかけるほど強くなるもの。自分の魔力を込め続けて、普通の魔石とは比べ物にならないくらいに純度の高い魔石を作るんですって。魔族は全員、この魔貴石を大切にしている。肌身離さず持っている人もいれば、家で大切に保管している人もいると、リダールは言っていたわ。
魔石を受け取った二人は、それぞれ対照的な表情を見せた。カリオは躊躇うような渋面、ルシオンは満面の笑顔だ。
「ありがとうございます、殿下!」
「これは……、かなり価値の高い魔石では?」
カリオは両手で捧げるようにして魔石を持っている。そうね、パンデリオ国内なら、カリオの給料で三年分って所かしら。持っているのが怖くなるのも頷けるわ。
「高価なものではありますが、わたくしたちはできるだけ魔族の行動をなぞらなければなりません。魔力探知の訓練を行っている者に見破られる可能性はありますが……。まずは怪しまれないことが肝心です。必ず身に着けて、失くしたりなさらないように」
そう言えば、カリオは神妙な顔で頭を下げた。
魔力を探知するには訓練を積む必要がある。人間の魔術師ならば全員がやっている訓練だけど、魔族はその能力を必要とする者……、例えば兵士とか、魔法の研究者とかね。そういった職業の者しか訓練をしないそうよ。
逆に、魔力を隠す訓練をしている人もいる。精密な魔力コントロールが必要だから、できる人は限られるけれど、上達すればほとんど人間と変わらないくらいに誤認させられるわ。リダールも、普段は強すぎる魔力を隠して生活していると言っていた。
とはいえ、警備の兵士たちに怪しまれて捕まるのは面倒すぎる。すぐにリダールが助けてくれるだろうけれど、そんなの意味がないわ。私は彼らを連れてこの国を回りたいのだから。
そういうわけで、王城にあった質のいい魔石を持ってきた。数はないから、無くさないようにしてほしいわ。主にルシオン。
二人が厳重に魔石をしまい込んだのを確認して、スープを一口飲んだ。
うん、美味しいわね。カリオって何気になんでもできるわよね。三男でさえなければもっと出世できたでしょうに。
朝食を終えて天幕を片付け、野営の跡を消す。さて、出発ね。お昼には街に着きたいわ。
荒れた岩場を背にして、崖を下りていく。街に近づくにつれて足元には緑が増えてきた。やがて蝶が舞い始め、鳥の囀りまで聞こえてきて、気分はもはやピクニックよ。もちろん、そんな気分になっているのは私だけだろうけれど。
特にカリオは、野営地を出発してからずっとピリピリしている。クシェはむすっとしたままで、ルシオンだけは呑気な顔で敵地を闊歩していた。ある意味大物よね。
そんなに心配しなくても、あの街は平和で穏やかな場所だから危険なことは少ない。実はリダールに連れられて何度か遊びに行ったことがある。街の人たちは皆優しくしてくれたわ。
ただ、兵士が多いから気を付けなくちゃいけない。目を付けられるわけにはいかないもの。
「セレステア殿下、あの街では何をするんですか?」
「魔王が住む城への行き方を調べますわ。わたくしたちはマヴィアナ国の地理をまったく知りませんから。地図でも買えればよいのですけれど」
リダールに教えてもらうという手もあったのだけれど、さすがに私がなんでもかんでも知ってたら怪しまれそうで、やめておいたわ。
「時間短縮のために、できれば手分けして調べたいのですけれど……」
そうですね、とぽわぽわした顔で頷きかけたルシオンを押しのけて、カリオがぶんぶんと首を振った。
「絶対になりません、姫様!」
「言うと思いましたわ、カリオ」
「別れるとしても、姫様と私、ルシオン殿とクシェ殿。この組み合わせ以外は認めません!」
「……言うと思いましたわ」
私を守るために同行しているのだから、カリオの主張は最もだ。それは分かっている。でもその組み合わせ、ルシオンは絶対に文句を言うわよ。
「カリオ様、僕と殿下が組めばいいじゃないですか」
ほらね。
「駄目だ。護衛騎士が姫様の傍を離れるわけにはいかない」
「勇者である僕がいるのに?」
「君が勇者であろうと何であろうと関係ない。これは私の責務だ」
凛と胸を張るカリオは一歩も譲る気がないみたい。ルシオンも納得はしていないみたいで、じっとりとカリオを睨んでいた。で、ルシオンが私に猛アタックしているせいで、クシェは私のことを嫌な目で見ている。
こんなやり取り、もう何回目かしらね……。森を抜ける間にも度々あったし。
「分かりましたわ。では別れるのはなしにいたしましょう」
面倒なだけだから。
本当は、ここに来たことがある私だけで動いた方が、いろいろと楽なのだけれど。ダメもとで言ってみただけだから、別に構わないわ。どうせ、この街でできることなんて少ないでしょうし。
「それでは、街に着いたら全員で地図を探しましょう。そのあと情報収集がてら食事を……」
「お待ちください姫様!」
えっ、今度は何。
またもやカリオが声を上げて、私はぽかんとしてしまった。今度は反対される要素が見当たらないのに、いったいどうしたっていうの。
「な、なんでしょう……?」
「魔族の食べ物など、姫様のお口に入れるわけには参りません! 奴らがどんな物を食べているか、分かったものではない。我々の毒にならないとも限らないのですよ!」
ルシオンとクシェもハッとした。
もう手遅れだってことは言わない方がよさそう。よく屋台で買い食いしてたなんて言ったら、カリオが失神するかもしれないわ。
「ですがカリオ、持ってきた食料では不十分なことは分かるでしょう」
「最悪、私は毒でもなんでも食べましょう。そのための訓練も受けています。ですが姫様はいけません! 保存食ばかりになってしまいますが、姫様は持参した食料だけをお召し上がりください」
もしかして、空間拡大の魔法をかけた荷袋を欲しがったのって、これのため? 随分と保存食ばかり入れるなとは思っていたけれど。天幕や着替えを入れるためじゃなかったのね。
「わたくしだけ別の物を食べていては怪しまれてしまいます。目的を忘れたわけではないでしょう?」
「それでもです。大切なのは姫様の御身なのですから」
だから毒じゃないったら。
本当に頭が固い。もうこれは、説得は諦めるべきね。
「いいえ。カリオ、これは命令ですわ。食事は魔族の方々と同じものを食べます。わたくしたちの目的のために」
普段、あまり命令という形を使わない私だから、カリオはぐっと言葉を詰まらせた。騎士は主人の命令に従わなければならない。たとえ意に添わぬ命令であっても。
「……御意」
低く呟いて頭を下げたカリオは、すぐに顔を上げた。
「ですが、私が最初に毒見をいたします。それだけは譲れません」
……まあ、そこが妥協点かしら。
「分かりましたわ」
渋々だけれどカリオが引き下がって、ようやく話が落ち着いた。街に入るまでに、どれだけ揉めればいいのでしょうね。ちょっと頭が痛くなってきた気がするわ。
出かかったため息は頑張って飲み込んだ。