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第22話 聖女の過去

 魔力を奪う力を持つ聖女。それが私、セレステア・トゥーリア・パンデリオ。


 赤子の頃から城の魔石を次々に消滅させ、能力の詳細が判明したのが二歳の頃だと聞いているわ。それまでは魔術師たちの失態になっていたらしいわね。どうせお父様のことだから、クビにした人たちを呼び戻したりはしなかったでしょう。


 それから、私の能力の検証が始まった。私が覚えている最初の実験は、拳大の魔石を吸収したことね。お父様が大喜びで私を抱き上げてくれたわ。



「なんて素晴らしいんだ、セレステア」


「ほんとに? わたし、もっとがんばるね!」



 幼かった私は、お父様に褒められることが嬉しくて、ますます実験に精を出したわ。どこまでの距離なら能力が有効か、見えなくても魔力を奪えるのか、奪える魔力の量に限界はあるのか。


 分かったことは、私が認識さえしていれば、距離も視界も、その魔力量でさえ関係がないってこと。ほんの少し念じるだけで、内包する魔力すべてを一瞬で奪い取る。そういう力だったわ。


 大量の魔石が積み上げられたトレイを籠と布で覆い隠し、一度に魔石を何個吸収できるか、なんて実験もしたわね。


 籠は少しずつ大きくなっていって、大きな籠から魔力をすべて奪うたびに、皆が大袈裟なくらいに喜んでくれた。嬉しかったわ、すごく。


 六歳になって、背丈を優に超える大きさの籠が運び込まれたときも、私は張り切ったわ。だって、お父様もお母様も、私を自慢の娘だって言ってくれるから。


 一番大きな籠から何度か魔力を奪って、いつものようにお父様たちが褒めてくれて。兵士たちが籠を片付けようとしたときに、間違って布を落としてしまったの。


 私が籠だと思っていたものは、檻だった。鉄でできた巨大な檻。中には、干からびてからからになった男が横たわっていた。



「……え」



 兵士が慌てて檻を止める。その勢いで、細い腕がだらりと外に投げ出された。それ以外にはピクリとも動かない体。一見人形のように見えて、けれど確かに人だったのだと分かる。瑞々しいのに骨に張り付いた皮膚、あらゆる苦悶を叫ぶ顔、痛々しく血の滲んだ指先。


 多分、少し前まではちゃんと息をして、自分の意思で動いていたのよ。けれど今はもう、何もしないし、できない。生きている人とはまるで違う。息を吸うこともなく、開いた目は何も写さず、ただの物として転がっているだけ。生き物から置き物に変わってしまった、ソレ。



「わ、わたし、ひとを」



 吐き気がしたわ。立っていられなくなって座り込んだ。心臓を大きな手で握りこまれているかのよう。だけど周りの人たちは笑うだけ。「セレステア殿下には少し刺激が強すぎましたな」なんて言って。


 わたしがころした。私が殺したのよ。魔力を残さず奪い取って、あんな干からびた姿にしてしまった。それを皆が笑う。お父様も、お母様も、楽しそうに。


 今まで実験してきた大きな籠は、きっと同じ。中には人がいたのよ。それを私は、あっけなく、何も思わず、喜びさえして殺していた。


 素晴らしい力? 人類の救世主? お父様の言うことが信じられなかった。だって、人を殺すことは悪いことよ。教師たちからもそう教わったわ。


 なら、これは何? 私は悪い子よ。だって人を殺したんだもの。それも、何度も、何度も。



「大丈夫だよ、セレステア。怖がらなくていい」



 お父様が微笑む。その笑顔こそが怖かった。



「あれは魔族といってね、我々人間の敵なんだ。同じ姿をしているが、中身は別物だ。放っておくと危険なんだ。お前がやっていることは正しいんだよ、セレステア」


「まぞくって、なに……?」



 そんなことを言われても分からなかった。それまで誰も、魔族については教えてくれなかったから。ただ、私は悪い子なのだという意識だけが、胸の内にこびりついた。


 八歳になると、お父様に遠征を命じられたわ。私が部屋に引きこもっていても、笑わなくなっても、お父様たちは気にも留めなかった。拘束されて城に運ばれる魔族を殺したときだけ、私は褒められた。


 私は聖女。魔族を殺すために生まれたの。だからそこに、私の気持ちなんて関係ないのよ。


 そうして何度か遠征をこなしたわ。国境を越えて「憤怒の森」を迂回した場所には村があって、そこの住人は魔法で対抗してこなかった。後で知ったのだけれど、彼らは防衛とカムフラージュのためにここで暮らす死刑囚で、魔法封じの枷をつけられていたんですって。


 抵抗できない囚人を兵士が捕まえ、私が見せしめのように殺す。そんなことを繰り返して、二年。


 私は運命の出会いを果たすの。


 その日はやけに森が騒がしくて、魔獣たちの気が立っていたわ。茂みから飛び出して襲ってきた魔獣の集団のせいで、兵士たちと私ははぐれた。


 魔獣に負けるとは思わなかったわ。だって私には、聖女の力がある。悪い聖女の力が。


 だから兵士を探すために森に踏み込んで――、たった一人で魔獣と戦う、少年を見つけたの。


 満身創痍だったけれど、闘志は失っていなかった。ギラギラと光る黒い目が、まだ諦めていないんだと叩きつけてきた。


 私は何かを考えるよりも先に、少年を取り囲む魔獣から魔力を奪っていたわ。


 突然干からびるように死んだ魔獣に驚いて、私を見た少年こそがリダールだったの。



「今の……、お前が?」



 その質問に、私は久しく忘れていた恐怖を思い出した。私は悪い聖女。ここにいるということは、この少年はマヴィアナ国の住人。私を恨んでいるに決まっているわ。


 質問に答えられず、私は逃げようとしたわ。すぐに捕まってしまったけれど。



「ねえ、名前は?」



 思っていたことと違うことを尋ねられた。拍子抜けして見返す先で、彼は頬をちょっとだけ赤く染めている。



「俺はリダール。助けてくれて、ありがとう」


「……セレステアよ」


「セレステア……、セレアって、呼んでもいいか?」



 そんなことを言われたのは初めてだったわ。戸惑いながらも頷くと、リダールはパッと明るく笑った。



「セレアは、どこから来たんだ? ノルデオの街では見たことないけど」


「あ、私は……」



 パンデリオの王女だって言ったら、リダールは離れていくのかしら。それは、嫌だわ。


 言い淀むと、リダールは首を傾げた。



「観光に来て迷ったとか? お父さんとお母さんは?」


「あ、あの……、一緒に来た人は、はぐれて……」


「ふーん。じゃあ、探さないとな!」



 リダールは私の手を取って、森の中を歩き始めた。どこかそわそわしているのは気のせい? 彼はそうやって楽しそうだけれど、私には困惑しかなかったわ。



「だ、大丈夫よ。私一人で探せるわ」



 パンデリオの兵士を見られるわけにはいかないと、前を歩くリダールに必死に呼びかける。



「助けてもらったし、恩返し。魔族は少ないから、助け合いが大事なんだってお父さんが言ってた」



 前に進めなくなった。


 リダールが振り返って、不思議そうにする。多分、青ざめているでしょう私の顔を見て。



「わたし……、私」


「どうしたんだ?」



 私はパンデリオの王女。世界の人々を救うはずの、悪い聖女。私は。



「魔族だろ? ほら、だって体に魔力がたくさんある。人間は魔力を『保持』できないから、すぐに分かるよ」



 魔力感知って、ほんとはたくさん練習しないとできないんだぜ! と自慢げに語るリダールの姿なんか、目に入らなかったわ。


 魔力を「生成」「保持」できるのが魔族。私はこれまで、たくさんの魔力を奪ってきた。そう、奪ったのよ。魔力はどこかに消えたわけじゃない。ずっとずっと、私の中にあったの。


 そして、そうやって魔力を貯めておけるのは、人間じゃなくて魔族である証。



「あ、ぁあ、」



 どうして。私たちの生活を脅かす敵だから、殺せと言われてきたのよ。人々のためだから、私は悪い聖女になっても仕方がないと、諦めかけていたのに。



「セレア!?」



 崩れ落ちて、指が傷つくのにも構わず、がりがりと地面をひっかいた。そうでもしないと、衝動を抑えきれなかったわ。


 全部意味がなかったの。必要なかったのよ。私が殺してきた人たちも、遠征で死んだ兵士たちも、押し殺してきた私の心も! すべて無意味な犠牲だったのよ!



「もう、いや……。いやよっ、ぜんぶ、ぜんぶ……! わたし、いままで、なんのために……!」



 私はどうして、悪い子にならなければいけなかったの。


 人間の敵だから、魔族を殺して。でも私は魔族なのよ。本当は仲間であるはずの人たちを、たくさん殺したわ。


 こんな悪い子、きっと世界中を探したっていない。味方なんて一人もいないわ。人間じゃない、でも魔族にもきっと嫌われた。


 生きていたって仕方がない。私みたいな悪い子は、



「死んでしまった方がいいんだわ……!」


「そんなことないっ!」



 突然怒鳴り声が降ってきて、私のよりも一回り大きな手がぐいっと顔を引き上げた。



「セレアは俺を助けてくれた! 死んだ方がいいなんて、絶対に言うな!」



 リダールの目が、私をまっすぐに見つめている。月のない夜空のような深い闇の色が、ボロボロの心を包み込むみたいだったわ。



「俺はセレアに生きててほしい。なんでそんなこと言うのかは分からないけど、でも、これでさよならなんて絶対に嫌だからな!」



 息を切らして叫ぶリダールの頬は、まだ赤い。



「……どうして?」


「ど……っ、どうしてもだ!」



 分からないわ。分からないけど……。でも、なんだか心が軽くなった気がしたの。


 小さく笑みが零れたわ。久しぶりだった。リダールはそれを見て固まっていたわ。


 私はパンデリオの王女で、悪い聖女。その正体は人の国に生まれた魔族。


 私の罪は消えないけれど、リダールのために生きてみたいという願いは、悪いことじゃないと信じている。


 許されなくていい。ただ、リダールの隣にいたい。どんな形でもいいから。


 この時に生まれた恋心が、私を形作るもの。この罪深い命を、愛するリダールのために使うのよ。私は今、そのために生きているのだから。

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