錆色の魔術師と囚われの姫 ~その毒ガエルにベロチューを~

作者: 筆折作家No.8

「追い詰めたぞ魔術師め。姫をどこに隠したのか、白状してもらうぞ」


 かつて囚人たちを幽閉した孤島の砦。その最奥部に位置する監獄跡で、俺は敵と戦っていた。

 相手は錆色のローブを纏った魔術師だ。目深に被ったローブから覗く口元には紅が差してあり、妖艶に舌なめずりをしている。

 敵は、女だった。


「ふ、ふふふ」


 魔術師はどこか耳馴染みのある声で、俺を嘲り笑う。

 こんなところまで追い詰められているのに、まだ余裕があるのか。


「まさかこれほどとは。やるじゃない、流石は兵士長。無駄にすね毛が濃いだけの男じゃなかったのね♡」

「お、俺のすね毛の濃さを一体どこで……ってそうじゃない!」


 俺はぶんぶんと首を横に振り、敵の戯れに惑わされそうだった心を拭い去った。


「貴様、ふざけていると……!」

「【氷の息吹(ハオラ・プティカ)】」

「グッ──!?」


 魔術師の放った凍てつく空気の奔流が、俺の鎧に霜を降ろしていく。

 数秒と経たないうちに、俺の前半身が樹氷のように凍りついていった。


 俺は愛剣に魔力を込める。

 炎の魔法剣、銘は【暁】。いついかなる難局も、こいつと一緒に乗り越えてきたんだ。


「炎よ逆巻け! 【紅焔の渦(ラ・ブレイム)】」


 剣に纏った灼熱で、魔術師の氷魔法を空気ごと斬り払う。

 魔術師は斬撃をステップで回避し、次なる魔法の詠唱を始めた。


 ──が、遅い。技の直後に跳躍していた俺は、天井の石材を蹴って魔術師を直上から追い詰める。


「はぁぁあああッ!」

「チッ」


 敵は無詠唱で風魔法を足元に放った。

 やや精度の鈍った、しかし暴力的な空気の圧に押され、俺も魔術師も砦の内壁に身体を叩きつけられた。


 肺の空気が押し出され、一瞬だけ意識が飛びかける。

 だが、それは向こうも同じはずだ。

 むしろ女性の肉体故に相手の方がダメージが大きいに違いない。


 再度攻撃を仕掛けようと彼女に目を向けた時、俺は息を呑んだ。

 はだけた錆色のローブから姿を現したのは──。


「ひ……姫?」


 魔術師は、囚われているはずの姫君と全く同じ容姿をしていたのだ。


「ど、どうして。姫は囚われていたのでは」


 混乱する俺に、魔術師はニヤリと笑う。


「ふふふ、奪ったのよ。この身体を。魔力の通りの良い王族の血を、私は手に入れたの♡」


 敵はふらりと立ち上がり、両腕を広げてその肉体を誇示した。


「それに見なさいよ、このカラダの美しさを! まさに美の女神! 愛の化身! あなただって……どうせ、姫を手に入れたいだけなんでしょう? この身体を抱きたいだけなんでしょう? すけべぇさんめ♡」

「それじゃあ、姫はもう……」


 奴の顔を見るだけで怒りが込み上げてきた。

 奴の声を聴くだけで殺意が腹の底から胸を引き裂いて溢れ出しそうだった。


「貴様ぁああああ!」


 俺は剣を上段に構え、魔術師に飛び掛かった。

 姫の身体を傷つけるのは心苦しいが、せめて一瞬でケリを付けなければ。


「ばか! 待ちなさいよ兵士長! 姫は生きてるわ!」

「なに?」


 俺は動きを止めた。

 炎の剣が姫のブロンドの毛を焦がす。危ない。あと少しのところで、その細い首を刎ねるところだった。

 もしも姫が生きているというのが本当なら、俺は。


 俺の困惑をよそに、敵は平静そのものに見える。

 彼女は自身のすぐ間近に迫っていた切っ先に指先で触れると、意地の悪い笑顔でこう言った。


「ふっふっふ、隙ありィ♡」


 刹那、我が愛剣【暁】は柄の付近まで一気に変色し、やがてボロボロと崩れ去った。

 腐食の魔法──。俺の手元に残ったのは、魔術師のローブと同じ錆色の塊だけだった。

 俺はそいつを地面に投げ捨てると、魔術師の首根っこを掴んだ。


「待っで待っで、ぐるじぃ。ひ、姫がいぎてるのは本当だってば」

「だったらすぐにその身体を手放せ!」


 すると彼女は部屋の奥を指さした。


 古の牢獄の檻の中に、一つの真新しい木箱が置かれている。

 明らかにこの場所にそぐわぬ浮いた存在だ。どうして今まで気が付かなかった。


「あの箱の中に、姫の魂が入っているわ。開けてごらんなさい」


 俺は魔術師から手を放し、木箱の方へと向かった。

 ひょっとすると俺を檻に閉じ込める気かと疑ったが、彼女はその場で微動だにせず、ただニコニコとしながら俺の動きを観察しているだけだ。


 まあいいさ。たとえ罠でも、たとえ剣を失っても、俺はあいつよりは強いはずだから。


 それで、魔術師の言うとおりに木箱の蓋を開けた。

 そこにいたのは。


「ふははは、それが今の姫の姿よ! 密林に住むという猛毒のカエルに姫の魂を移したの! どう? 可愛らしい姿でしょう?」

「ひ──姫!」


 掌に収まるくらいの小さなカエル。

 黒とピンクのマーブル模様の毒々しい見た目のそいつが、俺の目を真っすぐに見つめていた。

 まさか、姫がこんな姿にされてしまうなんて。


「この身体を姫に返すには、そのカエルから姫の魂を開放する必要があるわ」

「俺は、どうすれば良い?」


 俺の問いかけに、奴は間髪入れずに言った。


「キスよ」

「キス……?」


 魔術師はニタリとした。

 今日一番の凶悪な笑顔を、世界で一番綺麗なはずの姫の顔から放って来る。


「そうよ! その毒ガエルに、ドラゴンだって一撃で殺せるほどの猛毒に、濃厚なキスをするのよ! ベロちゅーよ、ベロちゅー♡ あははははは!!」

「────ッ!」


 俺は歯噛みした。

 魔術師の言葉が本当であれば、俺がカエルに口づけをした瞬間に姫の魂は解放され、あの肉体の元へと帰ることが出来るのだろう。

 しかしそれと同時に、俺自身は猛毒にやられ、死亡する。一つを得れば、一つを失うのだ。


 それに万が一魔術師の言葉が嘘だったら……俺は無駄死にだ。

 これはそういう賭けなのだ。


「さあ、選びなさい兵士長。そのカエルを、どうす──」


 俺は魔術師の言葉を待たずに、そのカエルにキスをした。

 指をカエルの口に差し入れて無理矢理に開くと、その隙間に自分の舌先を差し入れてディープキスへ移行する。

 あいつの言うところの、ベロちゅーって奴だ。どうだ、見たかよ魔術師め。


「ほ、本気、なんだね兵士長。それ、猛毒なんだよ……死ぬんだよ、本当に!」


 俺はカエルから唇を離して魔術師を睨んだ。


「本望だよ。それで姫が助かる可能性が一パーセントでもあるのなら、俺は愛する者のためにこの命を捧げよう」

「あ……あああッ……」


 刹那。眩いばかりの光が魔術師の身体、否、姫の身体から迸る。

 魔術師は胸を抑えて絶叫し、天井を仰ぎ見た姿勢から後ろ向きに倒れた。

 二度、三度、大きく身体を痙攣させた彼女は、そのまま動くことはなかった。俺は、賭けに勝ったのだ。


「ハァ、ハァ……姫」


 心なしか、舌が痺れてきた気がする。

 急いで、彼女を連れ帰らなければ。


 俺は姫の身体を腕に抱え、監獄の部屋を脱出した。

 石造りの階段をゆっくりと登る。

 痺れが全身に回ってきたからか、これ以上のスピードは出せない。


「っ、眩しい」


 階段を登り切ったその先に、開けた地形が待っていた。

 そこは地上部。崩壊した石材がゴロゴロと転がる、孤島の頂上部である。


 漆黒の海の向こうから姿を現すは日輪。

 紫の空を緋色に染めて、新しい一日が始まろうとしていた。


「ん……」

「お目覚めですか、姫」

「へいしちょう」


 腕の中で、麗しき姫君が瞼を開く。

 コバルトブルーの、宝石のような瞳だ。


「姫、キスをしても……いい、ですか……」


 最期に、思い出を────俺は姫の唇に顔を近づけていく。

 少しくらいは良い思いをしたって良いじゃないか。褒美をくれたって、いいじゃ……ない、か。











「嫌よ。だって兵士長の口、カエル臭いわ」

「────は?」


 瞬間、腕に抱いていたはずの姫の身体がふわりと持ち上がり、宙を舞ったかと思えば、そのままスッと目の前に降り立った。

 身に付けていたスカートの裾を手で払い、彼女はにこりと微笑む。


「ご覧に、なってたんですか。俺がカエルに……べ、ベロちゅーを……」


 考えてみれば、当たり前だった。

 何故なら、あの時姫はカエルの中に魂を囚われていたのだから。

 カエルの目を通して、俺との接吻を眺めていたに違いないのだ。


「んーとね、そうじゃなくて、私、魔術師だから」

「……と、おっしゃいますと」

「だから、最初から身体なんて奪われてないの。マホヴィット王国が第一王女、この私こそが錆色の魔術師の正体だったのよ!」


 俺は耳を疑った。

 まだ魔術師が姫の身体を乗っ取ったままなのではないか、あるいは操られているのではないか、そうも考えた。



「姫、好きな食べ物は?」

「海ドラゴンのバターソテー、シャビア添え」


「好きな演劇のタイトルは?」

「銀の魔女と黒き竜、第三章、悲恋の果てに沈む太陽」


「好きな殿方は?」

「……もう、ちゃっかり何を聞いてるのよ。私の好きな人はねぇ」


 姫は、優しい笑顔で俺に耳打ちした。


「      」



 ***


 砦の残骸の一つに腰掛け、俺と姫は朝日が昇り行くさまを眺めていた。

 潮風が、隣にいる麗人のブロンドの髪を揺らす。

 俺は一部が燃えて縮れてしまったその髪に、愛おしさのあまりにそっと触れた。


 全ては、彼女の自作自演だった。

 【錆色の魔術師】なる人物が姫を攫ったことにして、それでも俺が自分を追いかけてくれるのかを試したかったのだそうだ。

 そして命を犠牲にしてでも自分を守り抜く意思があるのかどうか、それを確かめたかったのだという。


「それで、最後のカエルの出番というわけですか」

「そ。あのカエルは毒虫を餌にすると体に毒素を蓄積させて猛毒になるの。だけど、あの個体は毒の無い虫を餌として与えていただけだから、せいぜい口の中がしびれるくらいの毒素しかないはずよ。そろそろ、それも治ってきてるでしょう?」


 確かに、舌にはピリピリとした感覚は残っていない。

 麻痺したと思っていた手足も、今は自由に動く。


「だからって、あんな無茶を」


 俺が呆れて肩を竦めると、姫はペロりと舌を出した。


「へへ。でもね、信じていたのよ。たとえ魔術師に身体を奪われたとしても、あなたは私の身体を傷つけないって」

「──思いっきり攻撃しようとしましたがね」

「うん。だからあの時は焦ったわ」


 姫は立ち上がって伸びをすると、俺の方へと振り返り、手を差し伸べた。


「さ、帰りましょう兵士長。私に攻撃したお詫びは、これから一生涯かけて、償ってもらうのだから♡」



 朝の光が、彼女のシルエットを鮮やかに切り取る。

 幾たびの戦に塗れていつの間にか錆びてしまった俺の心に、今、新たな光が差し込んだ。


【カテゴリー】

 即興小説

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【お題】

 朝日、錆、蛙


【プロット】

 なし


【執筆時間】

 二時間