第三十二話 最初の正式構成員
——違うな。彼がどの程度、毒耐性の訓練を積んでいるのかは知らないが……フッ化水素酸は、耐性を身に付けられるような毒ではない。
「彼の発言を真に受けてはいけません。今のは、無詠唱の『術式崩壊』です」
俺は小声で、男がやったことの原理をザージスに伝えた。
NSO内で対峙した時もそうだったのだが……「永久不滅の高収入」の構成員には、やたらと無詠唱の「術式崩壊」でハッタリをかましたがる癖がある。
「術式崩壊」を無詠唱で行うことで、あたかも魔法を受けても何ともなかったかのように見せかけ、こちらの動揺を誘うのが彼らの常套手段なのだ。
今回も、同じ手口とみて間違いないだろう。
ちなみに「無詠唱」は、ノービスの場合スキルポイントを消費してアップグレードで使用できるようになるのだが……基本的に俺は、大抵のスキルでは「無詠唱」のアップグレードは行わない。
NSOでは詠唱なんてスキル名を唱えるだけだし、たいていのスキル名は早口で言えば0.1秒もかからないので、ほとんどの場合スキルポイントが無駄になるだけだからだ。
そんな中……「術式崩壊」に関して言えば、今回のように心理戦に持ち込めることを思えば、「無詠唱」を取得する価値がある数少ないスキルの一つと言えるかもしれない。
まあ何にせよ、あの男は、術式崩壊が見破られたなんて思ってもいないだろうな。
「な……『術式崩壊』だと? ……『次元投薬』にか!?」
もっとも……毒耐性ではなく術式崩壊だったら相手が雑魚なのかといえば、そんなことはないが。
というのも……ザージスも驚いているように、そもそも「次元投薬」を「術式崩壊」で無効化するのは至難の業なのだ。
「術式崩壊」は、相手の魔法——正確には術式で制御された相手の魔力に、「術式崩壊」の術式をぶつけて初めて効果を持つ。
これが何を意味するかというと、魔法現象が可視化されていない魔法を「術式崩壊」で無効化するのは、困難を極めるということだ。
例えば「ファイアボール」や「三日月刃」のように、可視化された魔法現象が飛んでくるタイプの魔法であれば……術式の乗った魔力は魔法現象と同じ場所に存在するのが明らかなので、そこに対して「術式崩壊」をぶつければいい。
だが「次元投薬」などの場合には、体内で魔法が作用しだす前は目に視えない魔力の塊でしかないので、普通は魔力の軌道を読むことができない。
そういう魔法を「術式崩壊」で防ごうと思ったら、「魔力視」というスキルが必要なのだが……コイツは獲得に必要なスキルポイントがバカみたいに高い(=他の職業の場合、めちゃくちゃ修行が必要)。
「魔力視」を当然のように持っているということは……目の前の男が、高い戦闘能力を持っているのは明らかだ。
あいつは間違いなく、「永久不滅の高収入」の正式構成員だろう。
さてと、倒し方だが……。
「ケルベロスはテイムさせてもらった。どかないなら……お前を喰わすぞ」
俺はまず……男に対し、そう声をかけた。
もちろん、俺はあのケルベロスをテイムなどしていない。
この発言は、ただのハッタリだ。
「……な!? 貴様、一体何を……」
それに対し……男は初めて余裕の笑みを消し、明らかに狼狽えた表情となる。
……その程度か。
今のやり取りで……俺は、この男が果たしてどの程度の強さなのかを把握できた。
理屈はこうだ。
まず大前提として……「永久不滅の高収入」の正式構成員なら、誰でも例外なく拠点全域を「サーチ」できる。
つまり彼は「サーチ」により、ケルベロスがまだ生きていることを確認できるのだ。
ここで、さっき言った「ケルベロスをテイムした」という発言が大きな意味を持つ。
拠点のケルベロスは「永久不滅の高収入」の忠犬なので、敵対者の通行を許可することはあり得ない。
だが俺たちは、ケルベロスを倒すことなくここまでやってきた。
この状況を「サーチ」で確認させることで、俺たちは、彼に「ケルベロスが俺たちにテイムされたかもしれない」と誤認させることができるわけだ。
だが……これが成功するかどうかは、実は相手次第だ。
というのも……構成員の中でも抜きん出て実力が高い者は、ケルベロスの忠誠度そのものを把握することができるのだ。
だから彼の実力が高かった場合、「ケルベロスはテイムさせてもらった」と発言したら、帰ってくる言葉は「ウソつけ」とかになる。
逆に言えば、彼が狼狽えたということは、その域に達していないということだ。
NSOでの経験則と照らし合わせれば……この場合、コイツを倒すのに「国士無双」は必要ない。
なので、「国士無双」はまだまだ温存だ。
新たなスキルの取得も必要無い相手なので、このまま戦闘開始といこう。
「ザージスさん。俺がグーサインを出したら……もう一度『次元投薬』を使ってください」
相手に聞こえないよう、ザージスさんの耳元でそう呟くと……同時に、ゼインが声を張り上げた。
「総員、かかれ!」
そして、戦いが始まった。
ゼインの掛け声で……全員からの、集中砲火が始まる。
ゼイン及び各パーティーの前衛が近接戦闘を担当し、後衛は魔法で遠距離攻撃をするという形で、俺たちは波状攻撃を繰り出した。
全員Bランク以上ということもあり……お互いが邪魔し合うことは一切なく、完璧な連携が続く。
俺はそこに混じってタイミングよく「三日月刃」を飛ばしつつ、相手の動きを観察することにした。
男は、始めは単純に全ての攻撃を受け流すだけだったが……10秒くらい経ったところで一旦距離を取ると、空中で胡坐をかいて両手を合わせた。
「……あれをやるつもりか」
そのポーズから、男が何をやろうとしているか分かったところで……俺は縮地を使い、男の懐を目指した。
そして、男と目と鼻の先まで来たところで結界を一枚置いていき、そのまま走り抜ける。
直後……。
「ヨガ・ブリザード」
彼はカッと目を開いたかと思うと、そう言って口からブレスを吐きだした。
まるでドラゴンでもいるのではないかと錯覚するくらい派手な、凍てつく吹雪のブレス。
それは俺が置き去りにした結界を、一瞬で粉々にした。
そのまま、ブレスは射線方向にいる討伐隊メンバー全員を呑み込むかのように襲い掛かる。
だが……いざブレスの余波が消えてみると、射線上にいた討伐隊メンバーは全員無傷だった。
「……は?」
確実に何人かは殺したと確信していたのだろう。
構成員の男は、想定と違う現実を見て、呆気に取られた表情となった。
不思議なようだが……何のことはない。
単に、討伐隊のメンバーがいる場所のみが、ブレスの無風地帯となっただけである。
もちろん、そうなるように俺が結界を設置したのだ。
今の+値の結界は、「ヨガ・ブリザード」を完璧に防げるほどの強度は無いが……壊れるまでの間にブレスの風圧に勾配をつけ、無風地帯を生み出すくらいなら可能なのである。
そして、構成員の男が呆気に取られている今か……これ以上ないくらいの、絶好の反撃のチャンスだ。
俺はザージスに対し、右手でグーのサインを送った。
「次元投薬——フッ化水素酸」
それを見て、ザージスはすかさず「次元投薬」を発動する。
「……!」
それを受け、男は我に返り、無詠唱の「術式崩壊」で攻撃を防ごうとした。
だが……そうなるのは想定済みだ。
いくら呆気に取られているとはいえ……流石に「永久不滅の高収入」の構成員ともあろう者が、命取りな攻撃を防ぎ忘れるとは思わない。
俺は縮地で男に近づくと……男の目線から「術式崩壊」の軌道を逆算し、そこに対して魔法をぶつけにいった。
「術式崩壊」
俺の「術式崩壊」で、男の無詠唱の「術式崩壊」を相殺するのだ。
これにより、「次元投薬」は邪魔されることなく男の体内にたどり着き、無事魔法の効果を発揮する。
「ぐあああぁぁぁぁぁ! な、なぜだ……」
そこからは……男が指一本動かせなくなるまでに、時間はかからなかった。
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