第69話:族長の誤算
「ティナさんが!?」
ティナが攫われた後、ノインは一瞬だけどうすればいいのか分からなくなったようだったが、すぐに冷静さを取り戻した。
「私は何もできないかもしれない。だけど、何かできる事があれば言って」
「僕のせいです。ティナさんは命に代えてでも……」
対照的にアスタスは今にも飛び出そうとする勢いである。この数日、彼にとっては何もかもが上手く行っていない。焦るのは非常によく分かる。
「まあ、待つんじゃ。何故マイリ=ベグはティナを攫ったかということなんじゃが、ノインと間違えたんじゃろう。じゃったら、何故ノインを攫おうとしたかという事じゃな」
「ん? それはアスタスの新しい女ってジジイが言ったからだろ?」
「なっ!?」
ノインとアスタスの顔が真っ赤になる。おっと、まだそんな関係にまでは発達していなかったか。
「じゃったら、その場で殺せばよいではないか。しかし、それをせずに攫ったという事はじゃ」
「なるほど、ティナは殺される事はないと」
「そうじゃ。目的があるかもしくはむやみに殺したくなかったかじゃろう」
マイリ=ベグは拠点か本拠地で待ち構えてノインの目の前でアスタスをどうにかしたかったのだろう。
つまり、ティナが余計な事をしてばれなければ殺される心配は少ないということか。
「よし、それでは拠点攻略の作戦を立てるとしようかの」
***
「だっから! 私はノインじゃないって言ってんでしょうが!」
「はぁ!? じゃあ、なんであんたはあんな所にいたのよ!」
「私はノインに薬の依頼をしにきた冒険者!」
ヤイマ族の拠点では連れ去られたティナとマイリ=ベグが言い争いをしている。げしげしとマイリ=ベグを蹴りつけているが全くダメージが入っている様子はなかった。
「あわわ、ついにマイリ様が少年だけではなく同姓にまで……」
「ちょっとそこ! 違うから!」
側近たちは大慌てである。遠目に見ていた時には「エドガーの塔」が崩れていき、そしてマイリ=ベグが帰ってきたのだ。勝利を確信したのも無理はない。
しかし、実際は敵の仲間を一人攫ったが主力およびラタシュは討ち取れていないという。そしてこれから敵がこの女を連れ戻しに攻めてくるだろうと言うのだ。
ラタシュが生きていたというのを確認してもベグの力が打ち消されなかったというのが幸いではある。少しだけ安堵しながらも側近たちは自分たちに出来得る事を有能にこなしていく。
「とりあえず私は関係ないから解放しなさいよっ! 慰謝料も請求するわっ! 10000ゼニー!」
「アホかっ! あんな所にいて関係ないってのが通るわけないでしょ! だいたい高すぎでしょ慰謝料!」
「うがー!」
「とりあえず、こいつを牢屋に入れといてっ!」
ヤイマ族に連れ去られるティナはその腕を拘束する男に噛みついたりしていたが、結局は連れ去られてしまった。
「マイリ……」
「何よ」
マイリ=ベグに声をかけたのは族長であるオラフであった。アスタス=ラタシュの親友でもある。
マイリがベグの力を発揮してからというもの、マイリの暴走を止められずにいる自責の念に駆られることが多い。もちろん、マイリを助けたのはラタシュであったが、気絶したマイリを村まで連れ戻ったのはオラフである。
そんなオラフに対してマイリは冷たかった。マイリからすればラタシュを見殺しにしたと受け取られたのだろうとオラフは思っており、実際にそうだった。
もともとの関係はオラフの方が族長の息子であり、マイリは族長の姪であるという時点でオラフが随分と上である。そうやって育ってきたものであるからマイリもオラフに強く出ることはできない。しかし、パワーバランスとしては完全にマイリに頼り切っているヤイマ族において、族長はすでに飾りのような存在となってしまっている。
政治的なところはまだオラフが担当していた。政策を側近たちと相談するのもオラフである。
だが、いつも最終的な確認をマイリにしなければならなかった。
オラフとしては、それで良かった。族長として頼りないと思われるかもしれないが、マイリの手綱を握れるのは自分だけだと思っていたのである。
しかし、ラタシュは生きていた。
「なあ、もういいだろう。ラタシュが生きていたならばヤイマ族に受け入れよう。そして皆でまた一緒に暮らせばいいじゃないか」
「ラタシュは私とは生きられないと言ったわよ」
拗ねた子供の目だとオラフは思った。自分から傷つけておきながら、自分が傷つけられるのは我慢がならない。マイリはいつの間にか子供に戻ってしまっている、と。
「マイリ、落ち着け。ラタシュがそう言ったのか?」
「ラタシュが言ったのよ! すまないが僕は守りたい人がいるってね!」
さきほど攫って来た女性はそれか……。オラフはこの事態をどうにかして収束させたいと考えていた。
今のマイリはもう誰の意見も聞く気はないだろう。少し時間をかけて頭が冷えるのを待つしかない。
「そうか、ちょっと話をしてこよう。俺もラタシュがこれまでどう生きて来たのかが知りたいんだ」
「ふんっ、好きにすればいいじゃないの」
オラフは拠点の端に作られた簡易的な牢屋へと出向いた。族長自らが牢へと赴くというのは昔のヤイマ族ではありえないことであるがオラフはそういった事は気にしなかった。周りもオラフを飾りの族長であるとみなしているのだ。
そこには南方の異邦人の娘がいた。おそらくあれは僧侶と呼ばれる南方の神に仕える神官の衣装だと思う。
「君がラタシュの相手という女性か?」
「違うっつってんでしょ? それはノイン! 私は冒険者のティナ!」
「違うのか? ならば何故君はここに連れてこられたのだ?」
意外な反応にオラフは驚くしかなかった。色々と聞きたいことはあったはずであるが全て吹き飛んでいる。最初に思ったことは神官というのはもっと大人しいものかと思っていたという事だ。
「私はノインに薬の調合を依頼しにきた冒険者よ」
「もしかして、ラタシュの他にいた人物というのは君の仲間か?」
「うぐっ、まあ、……そうね」
「じゃあ、ラタシュは来ないとしても、他の奴らは来るわけだ」
脇が甘い娘だとオラフは思う。それともあまり警戒をしていないのか、仲間を信じているのか。族長になるべく育てられたオラフからすると、拍子抜けなほどに情報を喋り過ぎていた。
「それよりも君の仲間がマイリと戦って生き残っているという方が驚きだ」
「まあ、それはそうよね。あれは反則だわ。でもうちの仲間もなかなかのもんよ。私には無理だけど」
「ほう、それでマイリとどちらが強いのだ?」
「そりゃ……、悪いけどうちの仲間が負けるところなんて想像できないのよね」
悪魔にだって勝ったんだからと、その娘は言った。さすがにそれは冗談だとオラフは判断する。
「ところであなたは偉い人なのね?」
「あぁ、俺か? 俺は族長のオラフだ」
「ふぅーん、族長ねえ……」
聞けば何でも話してくれるこの娘をオラフは完全に見くびっていた。これだけ脇が甘いのだ。どうせ大した冒険者ではないのだろう、と。
「はぁっ!」
簡易的な牢屋というのは木で作られていた。ティナが打ち込んだ掌底はそれを安々と破壊し、警戒心を解いていたオラフの槍をつかみ取る。
「なっ!?」
次の瞬間には槍で足を払われたオラフの視界は上転していた。そしてすぐさまみぞおちに衝撃が走る。
オラフの意識はそこで途絶えた。近くにいた見張りも同じ運命をたどったようだった。
「あんな化け物たちほどじゃないけど、私もそれなりに修羅場をくぐってきたのよ」
近くに転がされていた自分の装備をとりもどすと、ティナはオラフを抱えて野営地を抜け出すのだった。