第68話:マイリの誤算
「ヒュッ!」
マイリ=ベグの槍が音速を越えて突き出された。その軌道は全くと言っていいほどに見えない。最高硬度のアイアンゴーレムが瞬殺されるほどの威力の槍が顔のすぐ近くを通る。空気を裂く衝撃だけでもそれなりのものがあった。
「避けた?」
「やっぱりな」
内心はかなり焦ったがなんとか避けることができた。ジジイに補助魔法で身体強化をかけてもらっても全く見えない。もちろん、以前みたいに体がぼろぼろになるほど強くかけたわけではないが、マイリ=ベグと比較しても力の差は歴然だった。本気で補助したところでその差は埋められるものではなさそうだ。
だが、槍を避ける事はできる。それは何故か。
「何故当たらない!?」
マイリ=ベグがいらつく。そして槍を振り回す。めちゃくちゃ速いが、動きは素人のそれだった。予備動作がきちんとあるからどこに来るかすぐに分かる。それにマイリ=ベグ自体がその速さについて行けていない。だいたい突いてる最中に目をつぶってる時すらある。
今までは怪力すぎて相手をしてくれる人もいなければ師匠になる人も必要もなかったのだろう。おそらくは岩を飛ばしたりするのが攻撃の方法だったに違いない。
だったら対処法はある。わざと隙を作って、そこに攻撃させるように誘導してやれば避けることは可能だった。
しかし、避けてばかりではいつかはやられてしまう。
「風刃!」
「うおっ!」
マイリ=ベグがいくら強靭だったとしても、槍は普通のものである。穂先を風刃で切り落としてやった。近づくのは怖いから、距離を取ってである。
「あんた! 私の槍をっ!?」
正直な話、拳でこられると困るんだけど、思いっきり優位に立ったかのようなドヤ顔で答える。心なしかマイリ=ベグが涙目になっているような気もするが……。
「さあ、どうする?」
「むぅ……」
困ったような、それでいてまだ余裕があるような表情のマイリ=ベグである。これだけ時間を稼ぐことができればあとはジジイに任せればよいのではないだろうか。すでに冷静さは取り戻しているだろう。
「おい、ジジイ。頭が冷えたんなら、あとは任せ……」
その時マイリ=ベグが穂先の切れた槍を放り投げた。
「なんなのよ、あんたら……。もう知らないわ……」
正直な話、ぞっとした。今までそれなりに頭を使って戦ってきたやつが考えることを放棄したような、何をしてくるか分からない感じである。
ぐっと足に力を入れたマイリ=ベグは予想に反して俺の方には飛ばなかった。飛んだ方向は真横であり、そこには大きな柱があった。殴り飛ばすと、轟音がして柱が崩れる。
根本の部分が壊れ、自重を支えられなくなった柱が倒壊すると、その柱だった塊を持ち上げた。やばい、投げる気だ。
「ジジイ! あとは任せたぞ!」
エドガーのおっさんを抱えて窓から飛び出た。涙と鼻水と阿鼻叫喚でぐちゃぐちゃになっているおっさんが非常に鬱陶しいが、仕方ない。瞬時に覚えたての浮遊を唱えながらゆっくりと着陸していく。おい、鼻水はくっつけるなよ。
おっさんを地上に下ろす。着地と同時に洞窟へ走っていくおっさんを放っておいて頭上を見るとジジイも外へと出て浮遊で浮かんでいるようだった。
しかし、それであるにしても轟音が鳴りやまない。たまに柱とか壁だったものが落ちてくるようだった。
「おのれ! エドガーの塔を!」
ジジイが何やら叫んでいる。そしてその答えはすぐに出た。塔が崩壊しだしたのだ。
マイリ=ベグは俺たちではなくて塔を破壊しようとしていた。崩れようとする塔からマイリ=ベグが出てきた。上空のジジイに向かって叫ぶ。
「どう!? 大切なものを破壊された気持ちは!?」
いつの間にか近くまでやってきていたアスタスが「君がそれを言うのか……」とか言っているけど、土埃と轟音が凄い。次々と上の階から順に倒壊していく塔に巻き込まれないように距離を開ける。
「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬ……そんなに大切でもなかったんじゃが、作るのは大変じゃったんじゃぞ!」
「いや、大切じゃなかったんかい!」
つい、突っ込んでしまった。自然とマイリ=ベグがこちらを向く。自然とアスタスがその視界に入る。
「ラタシュ?」
「やあ、マイリ。久しぶりだね」
なんだろう、この俺はお呼びでない感じは。この場にいるだけでもいたたまれないんだが。
「生きてたんだ」
「うん、なんとかね。君が僕らしき人物を見つけたら殺すようにと指示したことも知ってるよ」
「……そう、ごめんね」
「ああ、なんとなく君の立場を考えると間違ってないと思ってる」
久しぶりに出会った昔の恋人みたいなというかそのまんまなんだが、そういう会話を始めやがった。いや待て、昔の恋人同士で殺すとかいう言葉は会話に入ってこないはずだな。うん。
「僕の事は放っておいてくれないか。君のベグも特に効力が消えるなんてことはないはずだ。その力を持ってヤイマ族を導いてくれ」
「でも!」
「これで君には僕を殺す理由はなくなったはずだよ。さあ、帰るんだ」
「……ラタシュは!?」
いかん、耐えられそうにもない。こんな場からは離脱するに限る。特にこの昔の恋人が今の恋人と出会ってしまったりなんかすると修羅場ってやつだな。
ノインのことだからちゃんと空気読んで出てくることはないだろう。しかし念のために洞窟へ行ってノインが出てこないようにしたほうがいい。
「待てぇぇぇぇい!! エドガーの塔を壊しておいて、このままで済むと思っておるのか!?」
おいこら、ジジイ。なんとなくマイリ=ベグが帰ろうかなって気分になってたかもしれないのに、何てことを言うんだ!
「だいたい、そこにおるアスタスはすでに新しい女ができてお……ゴフッァ!」
しまった! 飛び蹴りが間に合わなかったか!
ジジイが吹っ飛んでいくのはいいとして、着地した俺はマイリ=ベグとアスタスの方を振り返った。修羅場だ! これは修羅場ってやつだ!
「そうなのかい?」
「ああ、すまないが僕は守りたい人がいる」
ふるふるとマイリ=ベグが震えているような気がする。
「こうなった時に女ってのは逆上して辺りかまわず喚き散らすか、泣きながら走り出すかどっちかの経験しかない! やばいぞ!」
「ちょっとヒビキ、それどういう偏見なの? というよりもそんな経験してたのね?」
しまった! 洞窟近くから様子を伺っていたティナに何かを聞かれてしまった。いや、今はそんな事よりも修羅場だ! 予測はどちらにせよ恐ろしい事態を招くに違いない。
「あーあ、仕方ないわね」
「マイリ?」
「……本当はね、あんたの事をまだ好きだって顔して近づいて……殺すつもりだったんだよ!」
「マイリ!? 何を!?」
「気が変わった! そのあんたの守りたい人ってのを守ってみなよ!」
「待て! マイリ!」
マイリが洞窟の方角へと飛んだ。いや、待て。ちがう、それは……。
マイリ=ベグはその人を抱えると、エドガーの塔を飛び出していった。
「こいつは預かったよ! はははははははっ!」
「マイリィィィー!!」
アスタスの叫びはマイリに聞こえたのだろうか。それほどにマイリは速かった。
だから気づかなかったんだと思う。
「おい、ジジイ。どうする? 何故かティナが連れて行かれたんだけど?」
「……1回500ゼニーで助けるとするかい」