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第63話:白く眩しい

 怪魚を捌くのは現地の村人に手伝ってもらう。湖のほとりでノインが村人に指示を出しながら大きな肝を取り出してもらっていた。


「残りの身の部分は村の人たちにあげてもいいかい?」

「もちろん、俺たちがもらってもどうする事もできんしな」


 あまり人口も多くないこの村では怪魚が獲れると村人総出で加工をするそうだ。身を干したりする準備が始まっている。慣れた手つきで解体されていく怪魚は改めてみるとかなり大きい。鯨くらいありそうだ。鯨は魚じゃないけど。


「今アスタスに水草を取りに行ってもらってる。熟成させないといけないけど、数日後には薬が出来上がるよ」


 ノインが大きな鍋を借りて細切れにした肝を煮詰めているが匂いがきつい。村から離れた所で作ると言っていた理由はこれか!


「さすがにずっとここにいると鼻が曲がりそうだ」

「はは、特に手伝ってもらうこともないから村にいればいいよ」


 数時間は煮詰めるのだとか。怪魚がデカかったために肝もでかかったが、使える部分を厳選した後に煮詰めるから最終的に両手一杯程度に濃縮されてしまうらしい。小瓶に分けると10個といったところなんだとか。これだけの労力をかけて10個ってのはかなり高価な薬になるに違いない。おっさんがさっきから精製方法を盗もうとしてノインに追い払われている。


「では、できるまでは村でゆっくりさせてもらうとしよう」

「うむ、ワシは一旦帰るでの。研究の続きをせにゃならん」


 そう言うとジジイは森の中に入っていった。誰もいない所で転移テレポートを使うのだろう。現在はゴダドールの間で色んな研究を行っているのだそうだが、そのうち他の場所に移りたいと言っていたな。


「さあ、疲れたわ。村で一休みしましょう」


 ティナがそう言った。それで俺はその場を離れてしまった。




 ***




「助けてくれ! 娘が! ノインが連れて行かれた!」


 エドガーのおっさんがいつになく真面目な顔をして飛び込んできたのはそれから2時間後の事だった。


「落ち着けよ、どうしたんだ?」

「ノインが、ヤイマ族に連れて行かれたんだ!」

「はぁ!? なんでノインが?」

「分からん! だけどアスタスを連れて来いとかどうとか……」

「とりあえず行くわよ!」


 ティナが駆け出した。そんなにノインのことが心配なんだろうか。

 ちょうどアスタスは水草を取りに湖に戻っている時で、そろそろ帰ってくるはずだったのだ。ヤイマ族がアスタスに何の用があるのかは不明だが、ノインはそれに巻き込まれたという事か?


「なんてこと!?」


 ティナが先に着き叫んでいるノインが連れ去られた現場には先ほどまでノインが煮詰めていた大きな鍋が転がっていた。中身がぶちまけられている。その他にも周囲には抵抗した跡があるようだったが、血痕がないのは幸いであり、少なくともノインはここでは怪我をしてな……。


「薬が!?」


 あ、そっちね。たしかにあれだけ労力を使って怪魚をしとめたわけで、薬ができないじゃないか。作れるのはノインだけだしこれは救出必須ですな。というか、ヤイマ族許さん。


「これは、どうしたのですか……」


 俺たちが現場についてすぐにアスタスがやってきた。籠に一杯の水草を持っていたが、この有様を見てその籠を落としてしまったようだ。


「アスタス! ヤイマ族が、お前を連れてこなければノインを殺すと言って連れて行った……どういう事なんだ!?」


 おっさんがアスタスに詰め寄る。よく見るとおっさんの顏には殴られた痕があるようだった。抵抗した時に殴られたんだろう。


「そうですか、他には何か言ってましたか?」

「ああ、アスタス一人でヤイマの野営地に来いと、ここから西にあるらしい……」

「分かりました。エドガーさん、ノインは必ず戻します」


 アスタスは槍を持ちなおすと水草が入った籠をおっさんに渡した。


「ヒビキさん、ティナさん、申し訳ありません。彼らの狙いは僕のようです。ノインは必ず戻します。ノインが帰ってくればまだ鍋の中の全てはこぼれてませんから、小瓶一つ分くらいの薬はできるでしょう」


 こちらに振り向いてそういうアスタスの顏は今までの身分の低い好青年のそれではなかった。ノインを必ず戻すと繰り返すアスタスに違和感を覚える。何故、「連れ戻す」ではなく「戻す」と言うのか。いや、本当はもうアスタスが戻ってくる気がないという事に気づいていた。


「怪魚はまた獲ればいい。だけどそんな顏をしたお前をそのまま送り出すわけにはいかないな」

「……そうですね、少々頭に血が上っているようです。冷静にならなければ」


 ふーっと、息を吐きだしたアスタスはエドガーのおっさんの方に振り向いた。



「エドガーさん。今まで黙ってきましたが、僕はアスタス=ラタシュ。ヤイマ族の最高魔術師と呼ばれマイリ=ベグの婚約者でありマイリにベグを彫った張本人です」

「なんだってぇぇぇぇええええ!!!!?」


 おっさんの叫び声が当たりに響き渡ったんだけど、俺とティナは今一事情が理解できてなくてこの後に詳しい説明を受けて初めて、ああなるほどと言っておっさんに「反応薄い」とか言われてしまった。




 ***




「大丈夫かい?」


 それは死を覚悟した後の話。才能を認められラタシュの称号を贈られ、族長に娘がいなかったという理由で族長の姪と婚約が決まった数か月後の話である。特に大きな愛情というものを感じたことはなかった。だが、こんな自分にあてがわれた女性に同情があったのは確実だった。それ故に愛そうとした。だが、無理だった。ある夜、彼女は言った。


「私はどうすれば必要な人になれるの?」


 もともとヤイマ族の出身ではない僕は「ラタシュ」としてヤイマ族に受け入れられた。そんな僕に用意されたのが彼女だった。彼女には覚悟があると思った。彼女は自分に嫌われてしまったらもう居場所がないと悩んでいた。だから、僕は彼女の背中にベグを彫った。それが彼女に対する贖罪だと思った。


 もともと「ベグ」はある男が生まれつきの病をもった娘に自分の命を代償に生きていく力を授ける呪術だった。だが、病を克服した娘は父の死を受け入れられず自ら死を選ぶこととなった悲しい歴史を持つ。それだけに忌み嫌われる術の一つとして認識された。そしてその男の死と共にその方法は誰にも引き継がれることはなかったはずだった。だが、僕はその「ベグ」を研究し再現することに成功していた。既に神話の一部になっている「ベグ」は思った以上に力のある呪術だったが、呪術を入れ墨として彫った術者の死を対象者が認識する事で発動する。命すら投げうってでも娘を救おうとする執念は多大な制約となっていた。


 マイリはそれなりに才能があった。だからこそ当時争っていた他の部族との抗争での作戦について来ると言っても誰も反対しなかった。作戦の隊を率いる族長の息子は親友だった。彼は自分と従弟が婚約したことを心底喜んでくれた。病に伏した族長の代わりに親友はヤイマ族を率いていた。彼を助けるのは自分の中で絶対だった。だから、どうしてもと作戦についてきた彼女を託した。


火炎爆発ファイアエクスプロージョン! さあ、お前らは道連れだ!」


 どうあがいても多勢に無勢。親友が意識を失ったマイリをなんとか集落まで運んでくれさえすれば、あとはマイリがなんとかしてくれる。そのためには一人でも多くを道連れに時間を稼ぐ必要があった。僕自身を見る事ができなかった彼女を愛する事はどうしてもできなかったが、嫌いなわけではなかった。だからこそ親友と彼女には自分の名を明かした。


 10を超える敵を道連れにしたところまでは覚えていた。その後はどうなっただろうか。少なくとも数十の敵が僕らを追っていたから、半数にいかなくてもあれだけの損害が出れば追跡を諦めてくれたんじゃないだろうか。気が付いたら、川のほとりで意識を失っていたらしい。全身がボロボロだったが、なんとか生きていた。最終的に敵の魔法かなにかで吹き飛ばされたのだろう。あちこちが痛み、全く動けそうになかった。


 そんな時に頭上から声がした。


「大丈夫かい?」


 そこには南の異邦人が立っていた。川べりに寝転がる僕を、少し高くなっているところから見下ろす彼女はとても白く眩しく見えた。ずっと、眺めていたいと思った。

 僕は生まれて初めて恋をしたのかもしれない。それがノインだった。手当を受けながらノインの話を聞いた。最近になって南の集落に住み始めたという。僕はノインと別れたくなかった。そして「ラタシュ」を捨てることにした。だからノインは僕が実はそれなりの身分であることを知っている。ノインは「それでいいんじゃないか?」と言ってくれた。


 彼女の前で髪を短く切った僕はただのアスタスとして生きることにした。

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