第40話:安定
前回のあらすじ!
王都神殿で見習いだったクリスティナ=オーウェン。彼女はその禁欲的な生活に限界を感じたために王都神殿を出て、王都近郊のある村にたどり着いた。そこは王都からすぐの所であったのだが、神父の人柄にも惹かれたために滞在することとしたのである。
「ナイルズ神父様は月に一回の定例会議のために王都へ出かけられるそうです」
農村の老婆から話を聞いたクリスティーナ=オーウェンは目を丸くした。その頃にはすでにクリスティーナ=オーウェンがこの農村に滞在して1か月以上が経っていた。
王都は徒歩で数日、馬車ならば1日の距離であった。ナイルズ神父は馬車で王都へと向かったそうである。普段は数日間王都へ滞在し、また帰ってくるのだとか。
神聖魔法による治療を農村でおこなっているナイルズ神父の許にはお礼の品々が絶えない。この農村が王都に近くて比較的治安が良いという事が幸いし、あまり盗賊などの被害もないことから潤っているのである。そのために無償で治療を行う教会への寄付というのを農村の民はおこなっている。もちろん王都神殿から派遣された形のナイルズ神父には日々の生活と教会を維持するだけの給金は十分に出ている。さらに、ナイルズ神父がお礼の品を請求するなどという事は全くなかった。
「クリス、感謝の気持ちを伝えたいという思いを、無下にするというのは良くない。我々はその上で自分を律すればよいだけの話だ」
ナイルズ神父はいつの間にかクリスティナ=オーウェンを「クリス」と呼ぶようになっていた。最初にそれを聞いたクリスティナ=オーウェンは、その男のような愛称に違和感を覚えたものの、すぐにナイルズ神父が自分をそう呼びたいのであれば特に問題はないと思うようになった。王都神殿の一部しか知らないクリスティナ=オーウェンにとって、この農村は新しい世界そのものであり、ナイルズ神父はもっとも信頼できる人物であり慕っていたのである。それが男女の関係という意味だったのかは定かではないが、大切な人と思っていたのは間違いなかった。
クリスはこの農村に滞在するとすぐにナイルズ神父を尊敬するようになった。模範的と言っても良い神聖魔法に、この農村に合わせた生活。それは教義に沿った禁欲を目指した王都神殿よりも緩いものであったが、周囲の村民との関わり合いを重視した適度な距離感であり、事実ナイルズ神父の許には多くの村民が相談や治療を受けるために訪れた。彼もまた、そんな村民と共にあろうとした。
(教義通りにすればいいってもんじゃないのね)
目から鱗とはこの事である。幼き日に神殿に入らざるを得なかったクリスにとって王都神殿の生活と、神を敬い自分を律する教義は絶対のものだった。それが絶対ではないという事を疑う事すらしなかった。悪く言えば洗脳であるのかもしれない。だが、王都神殿では全ての人間がそれを信じ、そこに向かって生きていた。居心地が悪かったわけではない。ただ、クリスには合わなかった。それだけである。
だが、この農村で王都神殿の教義通りに過ごすとどうであろうか。村民と教会との距離は離れ、ちょっとした事でも相談などできず、地域に根付くという事は出来なかったのではないだろうか。
(相手に合わせた、適切な信仰)
それもまた一つの答えであるとクリスは思った。そしてそれを体現している人物が目の前にいたのである。クリスはいつしかナイルズ神父とともに暮らすことを夢見ていたのかもしれない。しかし…………。
「定例会議……ですか?」
「そうよ、ナイルズ神父様はよく行かれますよ。だいたい月に一度くらいかしら」
王都神殿では定例会議が開かれる。それはこれまでの布教の進行具合であったり、各地の教会の建立や経営状況であったり、神聖魔法を必要としている地域の報告であったり様々である。教皇も出席するほどで、王都神殿の大会議室で行われるその会議には、王国全土から徳の高い神官が多く集まる。……年に一度。
だいたい、いくら神聖魔力が高いからと言っても、王都から近いと言っても、こんな辺鄙な農村の神父が呼ばれるわけがないのである、エリート中のエリートであったクリスがようやく出席を許されたことがあるが、それは王都神殿に属していたという事があったからであって、どこかの教会に赴任した場合に呼ばれる事はほぼあり得ない。地域のトップが数人呼ばれる。そしてそれだけでもかなりの規模になる。そういう会議なのである。年に一度の。
(これは、何かを隠しているわね!)
クリスのもともとの性格からして、興味を持った事は知ろうとする。そして今は王都神殿での生活という禁欲的な部分がなくなっており、彼女の好奇心を抑えるものはほとんどなかった。クリスはすぐに王都へ戻る準備をしたのである。
***
「ぎゃはははは!」
王都の酒場ではある男が酒を飲んでいた。両側には娼婦を侍らせている。
「ほんとストレス溜まりまくりだよ! こうでもしてないとやってられないね!」
もちろん、ナイルズ神父である。彼は行きの馬車で修道服を着替えて、こうやって一般人として王都の繁華街を満喫するという趣味を持っていた。農村の民からはかなりのお礼の品をもらっており、ナイルズはそれだけで十分に暮らしていけた。そして現金での給金もある。だが、彼はあの農村で善良な神父として過ごすという事にストレスを感じていたのである。基本的には欲望に忠実な男であったが、取り柄は神聖魔法の魔力だけだった。
「まさか…………」
だが、そこに現れたのはクリスである。彼女はその美貌を武器にナイルズ神父を乗せた馬車を突き止め、神父が着替えて繁華街近くで降りたのを突き止めたのだった。馬車の御者を初めとして、皆クリスには親切だった。それも修行中の綺麗な僧侶を装っていたからである。装うも何もそれそのものなのだが、本人に自覚はない。
そして目撃情報を求めて適当な酒場に入ってたまたま見つけたというわけだった。まさかそこが娼館の酒場であるなどと、クリスは知らなかった。が、さすがに入ったら気付く。その程度の知識はあったし、まずいと思ってすぐに出るつもりだった。しかし、入り口付近でお楽しみの最中だったナイルズ神父と目があった。いや、これからお楽しみの予定だったナイルズ神父と……。
それから、ナイルズ神父のとった行動がクリスを変える。さすがにナイルズ神父に対して失望と嫌悪感を隠さないクリス。どうか、誰にもばらさないでくれと懇願するナイルズ神父。
「ク、クリス!」
「あなたに私をそう呼ぶ資格があるのでしょうか?」
「オーウェンさん!」
最終的にナイルズ神父をいじめてみたクリスであったが、ナイルズ神父に対する嫌悪感が消えたわけではないものの、ある境地にたどり着く。
人は弱い生き物である
という事。王都神殿は基本的に王国のエリートと呼ばれる選ばれた人間しか残る事を許されなかった場所だった。必然的にそこで育ったクリスは意思の強い人間を多く見ることとなり、もしくは手を差しのべるべき圧倒的弱者しか知らなかった。中途半端に能力は悪くないがどこか不完全なナイルズ神父のような存在は珍しかったのである。しかし、王都神殿を出るとほとんどの人間は優秀とは言い難い。
(であるとすれば、彼らがすがるのは何か)
ナイルズ神父はクリスに対して、買収を試みた。ナイルズ神父の中ではクリスは理想に燃えた若い僧侶であったはずだが、それでもこの事がばれて路頭に迷うというのを防ぐためには他に方法を思い付く事はできなかったのである。ナイルズ神父は自分であれば買収されるであろう金額を呈示した。それはクリスにとって魅力的に見えた。自分が黙っていればいいだけなのである。私服を肥やしたわけでもなく、誰かを傷つけたわけでもなく、ただ、日々のストレスを発散した神父の教義に反する行いを黙っていれば良かっただけである。
だが、クリスはナイルズ神父から金を受け取ることはなかった。そして、ナイルズ神父を糾弾することもしなかったのである。
(どっちにしても厄介事に巻き込まれるわ!)
クリスは王都を去った。ナイルズ神父には虫酸が走ったが、世界には色々な自分のしらない事が溢れている事を知った。そして、表面を見ただけでは本当のことは分からないこと、さらには不変というわけでもないが安定して信頼できるものの存在。
クリスはクリスという名を捨てる事にした。クリスと呼ばれるとあの男を思い出しそうである。すぐに忘れる事になるだろうが、本当の意味での旅立ちにはふさわしくない。
亡き両親は商人だった。
「クリスティナ、お金は一番大事なものじゃない。それより大事なものを見つけなさい。だけど、見つからなかったらお金は大事だよ」
ナイルズ神父の最終手段もお金だった。クリスティナは受け取らなかったが、大抵の人間は受け取るのだろう。やはりお金は大事だ。クリスティナは確信する。
王都を出る馬車が出ようとしていた。クリスティナは最も王都から離れた場所に行く事にした。辺境のルノワである。かの地には迷宮があり、冒険者と呼ばれる命知らずが一攫千金を狙って集まっているという。
「僧侶さんが最後だよ、お名前は?」
乗り合い馬車の最後尾に並んだクリスティナ=オーウェンは言った。
「私? …………ティナよ」
彼女が迷宮へ潜る冒険者相手に傭兵として神聖魔法を使い出すのは1ヶ月後の事である。すぐに評判が悪くなって、最終的に第3階層に取り残されそうになるのだが…………。
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