第六話 悪意は巡るよ
「……にわかには信じ難いですわね。この短期間で13人が変死などと」
「ですよねぇ。でも、事実なんですよ。お疑いでしたら、実物を御覧になられますか? 全員素敵なオブジェになってますけど。どれもこれも逸品に仕上がってますよ。一見の価値はありますね」
「遠慮しておきますわ」
深い溜息を吐いて、こめかみをほぐすミリアーネ。机の向こうには、丸眼鏡を触り、ニコニコと笑うニコレイナスがいる。
ギルモアの死後、大輪教会主導の下で葬儀はつつがなく行なわれ、埋葬も終了した。せめてもの情けで墓はツバキの横にしてやった。愚かな男だったが、おかげでブルーローズ家は手に入ったし、優秀な息子二人を遺してもくれた。父親の良いところだけを抽出したような立派な息子たちである。
当主代行の地位に正式に就いたミリアーネは、早速イエローローズ本家と連携を取り、人脈作りにとりかかった。行政官に任せっぱなしだった州行政にも口を出さなければならない。それには情報が必要だ。軍備についても知らなければならない。陸軍大佐の地位にある長男グリエルからいくらでも情報は手に入ってくる。議員のミゲルにはもっと援助して、派閥の勢力を伸ばさせなければ。あれもこれもやることが多い。
執事のピエールを除く判断は間違いだったか。軽薄な男だったが、仕事はそれなりにこなしていた。後々のことを考え、厄介なことになる前に口封じしてしまえと思ったのだが。小心な男だったから、敵対派閥に脅迫されて余計なことを囀られてはたまらないと考えた。それが勝手に自殺してしまった。理解はし難いが、まぁ、もう終わったことだ。結果は当初の予定通り。とにかく、家の事を任せられる新しい執事を雇いいれなければなるまい。
そんなことを考えていたら、厄介事が浮上した。城館から少し離れたところにある、隔離塔。そこで異変が生じているというのだ。そこで幽閉しているのは、ミツバ・クローブ。既にブルーローズの名誉姓は根回しして剥奪済みだ。後は死ぬまで塔で幽閉してしまえと考えていた。王国魔術研究所の観察終了後は、餓死させるなり毒殺するなり自由自在である。生活費はあちらがもってくれるそうだから、こちらも不満はない。存在は心底邪魔臭いが。
「警備兵2名、うちの所員が1名、そちらの家に仕える使用人があわせて10名が死亡。警備兵のうち1人は胴体だけ奇妙なことになってましたし。あれで暫く生きていたというのが凄いです。それはもうぐちょぐちょのねちょねちょで。もう片方は未知の毒が侵食し、全身紫色になって苦しみぬいた挙句に死亡。いやぁエグイエグイ。久々に芸術的な死体を連続で拝見しましたよ。芸術と死というのは切っても切り離せませんからねぇ!」
「…………」
「今は優雅に素敵な歌を口ずさんでいるそうです。それがまた素敵な歌詞なんです。カゴメカゴメとかいう、どこぞの童歌らしいですよ。聞いてるだけで寒気がするとのことですが、歌にあわせてグルッと監視口を向くんです。いきなり、グルッと! うっかり目を合わせてしまった警備兵は発狂してしまったそうですよ! あははは、回復の見込みなしの廃人ですね!! 実におかしいですよね!」
「失礼ですけど、おかしいのは貴方の頭じゃなくて?」
「あはははは! 相変わらず手厳しいお方ですね。いやぁ、当主になっても本当に変わりませんねぇ」
「当主代行よ」
「意味はそんなに変わらないでしょう。ならいいじゃないですか」
何故か先ほどから嬉しそうなニコレイナス。王国魔術研究所の所長を長年務めている。この女の活躍があったから、王国では女性の進出が進んでいると言っても過言ではない。それほどの才覚の持ち主だ。華々しい栄誉、身分も高く見た目も悪くないのに未だに一人身の理由がこれだ。この破綻した性格に普通の常識的な人間はついていけないのである。先代国王はそれを何とか受け入れていたらしいが、今の国王ルロイはどちらかというと遠ざけている。王国に必要不可欠だが、積極的には関わりたくない存在。それを本人も自覚しているらしく、必要なとき以外は研究所にこもりっぱなし。
この女は兵器開発だけでなく、不老についての研究者としても名高い。こちらは凄まじい悪名であるが。 ニコレイナスの不老秘術最初の実験体は自分自身。成果は見ての通りで、噂によると60も半ばを過ぎたというのに、30代前半の外見を維持し続けている。本人は『魂の寿命がくればそのうち死ぬんじゃないですかね。そこは試してないのでなんとも。肉体も微妙に劣化してますし。ほら、最近は白髪が増えてきてしまって』とおどけていた。ニコレイナス曰く、不老ではなく不死も実現したいとのことだ。
それでも、この奇跡ともいえる秘術は驚愕を貴族階級にもたらした。なにせ不死ではないとはいえ若さを維持できるのだ。栄華を極めた貴族たちからしたら垂涎である。先代国王は直ちに門外不出を厳命した。王族の特権、外交の切り札や家臣への最上級の報酬として採用される予定だったらしいが、実験体に志願してしまった勇敢かつ愚かな貴族たちは今では全員墓の下だ。『美味い話にリスクはつきものですし、何度も危険性は説明したから罪悪感は全くないですね。むしろ苦しまずに死ねてよかったですよ。下手したら永遠に苦しむ可能性もありましたし!』と、笑いながら葬儀に参加した話は、今では知らぬ者はないほどだ。それでも罰せられないのは、ニコレイナスだからである。実際、強要はしてないわけで自己責任なのは間違いない。とはいえ自殺志願者は瞬く間に減り、今では一人もいなくなった。話に出すのも憚られるほどだ。ニコレイナスを除けば死亡率100%なのだから無理もない。ミリアーネも挑戦する気は皆無である。
「――で、我が家の使用人の方はどうなったのかしら?」
「あれれ、ご存じありません? お抱えの犬さんから聞いたのでは?」
「詳しくはまだよ。酷いことになっているというのは聞いているけど」
「いやぁ、あれは本当に一見の価値がありますよ。隔離塔の外壁に使用人たちが串刺しにされているんですよ。大胆かつ繊細な構図に思わず鳥肌が立ちましたねぇ。ただ、鳥たちの餌になってしまっているので、そのうち消えてしまいます。御覧になるならお早めに」
「遠慮しておくわ。……王魔研の見解としてはどうされるのかしら? 陛下に報告されるのでしょう?」
「そうですねぇ。集団自殺と、謎の病、ということにでもしておきましょうか。勿論ミツバお嬢様への処分はなしです。そちらの家への醜聞は防げないでしょうが、それは必要経費ということでご容赦を」
「曖昧に誤魔化して終わりにするつもり? どうみてもアレの仕業でしょうに。あの呪い人形の」
「ま、そうなんですけどね。世間の皆さま方に信じてもらえるかは分かりませんが、間違いないでしょう。怪しげな噂で脅えるくせに、実際に被害がでるとそんなことある訳が無いと大騒ぎ。ま、世間というのはそういうものです。だってそんな呪いが実在したとしたら怖くてしかたない。なにせ呪いを防ぐ魔術なんて存在しませんから」
「手ぬるいわね。どうして始末なさらないのかしら。私やブルーローズ家に遠慮は無用です。さっさと始末していただきたいですわね。こうなった以上、手段は問いませんわ」
「あははは。母親として、それはどうなのでしょうねぇ。世間の評判によると、貴方は家族への愛情に溢れる素晴らしいご夫人だったのではなかったでしたっけ?」
「私の家族はグリエルとミゲルだけですわ。あんな不気味な人形を産んだ覚えはありません」
「はは、そうですかそうですか。大事なご主人を忘れている気もしますが、それも仕方ないでしょう。だって死んでますし」
「…………」
「それにミツバお嬢様は一見近づき難い容姿ですからねぇ。そこが可愛いんですけど。ええ、そこだけは亡きギルモア卿とも話が合いましたね。あははは、私が言うのもなんですがあのお方は些か気が触れていましたからね!」
ご機嫌なニコレイナスにあきれ果てる。お前が言うなと喉元まで出かかってしまった。第一、ミツバを子供などと思えるはずがないのは当たり前だ。あの憎々しい女、ギルモアの前妻ツバキの生き写しである。違うのは髪の色ぐらいか。黒髪が銀髪に変わったからといって、愛らしいなどとは思わないし思えない。何より、あの目が不気味極まりない。ギルモア同様に一刻も早く排除したい。
「こうなった以上仕方ありません。それでは、正式に依頼しますわ。そちらの実験と観察が終了したら、直ちにミツバを処刑してくださいな。絞殺、斬首、生き埋め、銃殺、お好きなようにどうぞ」
「それはできませんね。絶対にお断りします」
ふざけた顔を一変させ、強烈に拒絶してくるニコレイナス。渋るかもというのはあったが、ここまで強烈に拒否してくるのは想定外だった。
「それは何故かしら。遠慮は無用ですわよ」
「あはは、遠慮するに決まってるじゃないですか。迂闊に手を出したら、どうなるか分からないですしね。下手すると、この素敵なブルーローズの土地が死の大地になってしまうかもしれませんよ?」
ニコレイナスが大げさにおどけてみせる。
「ふん、馬鹿馬鹿しいわね。そんなことできるわけ――」
「今のは言いすぎでしたが、命じた私に不幸がもたらされるのは確定なので、全力で遠慮します。まだ不死は実現できていないので。王国魔術研究所所長として、正式にお断りします」
「言っている意味がまるで分かりませんわ」
「分かりませんか?」
「分からないわね」
短く吐き捨てる。すると、ニコレイナスは真顔で口を開く。
「あの子はですね。凄まじい威力を秘めた榴弾なんですよね。知ってますか、榴弾って。中に魔力を詰め込んで、大砲で豪快に打ち出す弾の一種なんですけど。それはもう素敵に炸裂しますよ。人間の体も素敵に吹っ飛びますから。あ、大砲ってご存知です?」
「……大砲は貴方が作り出したものでしょう。で、それが何か?」
「あははは、流石にご存知でしたか。今じゃ大陸中で独自のを作ってますけどね! オリジナルの開発者としては負けていられませんよ。って、そういう話ではなくてですね。あの子の中には、それはもうとんでもない量の何かが眠っているんですね。何かは良く分かりませんが。それをですね、悪意を以って殺そうなどとしたら、嗚呼、どうなることやら」
身体を抱きしめて、脅えるフリをしている。その顔にはまた先ほどの軽薄な笑みが浮かんでいる。
「一体どうなるというのです」
「さてさて、それは分かりません。まだ観察中ですが、悪意を向けられると強烈に悪意を返す性質、もしくは癖があるようで。それだけじゃなく、気が向いたら自分から仕掛けることもあるみたいですよ。まぁ必ずじゃないというのがまた困りものなんですが。気まぐれなんですね」
「悪意には、悪意。自分から仕掛けることもある……?」
ミリアーネの背筋に冷たいものが走る。すぐに振り払うが、何かがべとつくようで不快である。
「うふふふ、怖いですか? とにかく、それはもうすごいことになるんですよ。どうしてもというなら、ご勝手にどうぞ。死刑執行時には、私は出来る限り遠くに逃げておきますのでご安心を」
「――ギルモア主導とはいえ、あれも貴方が作り出したようなものでしょうに。一体、あの呪い人形に何をしたのです? いえ、貴方たちは何を作り出したの?」
「呪い人形とは酷い言い草ですね」
「はぐらかさないで頂戴ッ」
ミリアーネは精一杯の威圧を込めて睨みつける。ニコレイナスはどこ吹く風だ。眼鏡の位置をニコニコしながら直している。
「申し訳ありませんが。それは亡き当主様とのお約束があるので、お話できませんね。まぁ、色々集めて混ぜて投入したり、神様に言えないことを繰り返したというところですけど。いや、あれだけの力があれば一人でも十分に生きていけるでしょうね。素晴らしいですね。子供は強くたくましくないといけませんから」
「馬鹿なことを! 一体何が素晴らしいのですッ!」
思わず激昂してしまう。ただの死に損ないの小娘が、行動を予測できない本物の呪い人形になってしまったのだ。笑えるわけが無い。
「まぁまぁ、そう興奮なさらずに。ならば精々優しくして差し上げれば宜しいじゃないですか。貴方はまだ生きているでしょう? ということは、特に何とも思われていないということですよ! 貴方は彼女にとって本当にどうでもいい存在なんですね。いやあ、良かったですね」
「くっ!」
「それとも、御馳走は最後に残しておく癖でもあるのでしょうか。それは今後に期待というところですね。あははは!」
能天気なニコレイナスの言葉に思わず頭を抱えそうになる。今は良いが、このまま放置という訳にはいかない。魔術師を雇って、本格的な結界でも用意させてみるか?
「……幽閉しているだけで、これだけの被害をもたらすのよ? 何とかしてもらわないと困るわ。直接陛下にお願いすることになるわよ。それでもよろしいのかしら?」
「あははは、それは困りますね。いや、そんなに困らないかもしれません。でも少しは困るかもしれません」
こういった脅しが効く相手ではないのは承知だが、予算は削られるかもしれない。ニコレイナスもそれは本意ではないだろう。王国はそれでなくとも厳しい財政状況なのだから。
「ならニコ所長、塔に結界を張って封印することは可能かしら。こちらに被害をださなければ構わなくてよ」
「絶対にやめてください。実は、それが一番マズイんですよ。これは後で言おうと思っていたのですが、あの塔に今の状態で置いておくこと自体、非常にマズイんですよね。それをですよ。万が一に封印なんてしたら、時間経過で塔ごと吹っ飛ぶでしょうね。どこまで被害が拡大するかは見てのお楽しみで」
「……どういうことかしら?」
「あの子を悪意を以って閉じ込めておく、それはつまり、アレの濃度が加速度的に増していくということでして。アレが何なのかはさっきも申し上げた通り知りませんが。ただ、絶対にマズイんです。圧縮された悪意が、スポーンとね。その後でも、彼女はもちろんピンピンしているでしょうが」
親指にコインを乗せ、上空に弾いてみせる。それを魔力で消し飛ばすニコレイナス。彼女は魔術師でもある。
「…………もう一度聞くわ。貴方とギルモアは、一体何を作り出したの? 何を作り出してしまったの」
「さぁ。今となっては私にもさっぱり。でも、素敵なレディに成長すると思います。未来が楽しみですよね。私もこの目でしっかりと見守るつもりですから。それまでは絶対に死にませんよ。ゾンビになってでも見届けます」
狂ったかのようにケタケタ笑っているニコレイナス。自分の研究で多くの人間を既に殺しているのだ。今更何が起ころうと気になどしない。多分、自らが死に至っても笑っていることだろう。頭のネジが全部すっ飛んでいる女なのだ。天才だが狂人である。
「…………」
「先に言っておきますが、ウチでも今はちょっと預かれないんです。私は心底預かりたいんですが。ほら、好奇心旺盛な研究者が多いから、うっかり手を出して嫌われたりしたら大変ですし。王都ベルが死の都になっちゃうかもしれません。それもちょっと面白そうですがね。ただ、まだ私もやりたいことがそれなりにありましてね」
「…………」
「私には理解できませんが、どうしても遠ざけたい、適当なところで不運にも死んでもらいたいと仰るのなら、微妙に良い考えがありますけど」
「あまり期待はできませんが、どんな考えなのです? 一応伺っておきましょう」
「陸軍の士官学校に放り込んでしまっては如何でしょう。不人気な科にでも放り込むんです。そこで適当に過ごしてもらいましょう。海軍でもいいですけど、あっちは人気がありますから。で、適当に迷惑を振り撒いてもらった後は、得意の裏工作で激戦地行きにでもしてしまえばどうでしょう。それからは適当なところで戦死してもらえば万事解決ですね。そこまでやるのは義母としてどうかと思いますし、どうせ上手くいくとも思えませんけどね。あはははは!」
ニコニコと笑っている。目的のためなら手段を選ばない女、性格と思考は全く違うが、ミリアーネも似たようなものだ。
「…………士官学校、ねぇ」
「戦争は無数の悪意が飛び交いますからね。流石のあの子でも、対象を絞れないでしょう。吹っ飛ぶ可能性が高いのは敵兵ですし。しかも爆発するのは戦場、これほどの場所はありませんよ。私たち善良な市民に迷惑は一切かからない。悪意はやがて分散して、空に還るのです。これでまるっとハッピーエンドですね」
「……前向きに考えておきますわ。その時は、是非、協力をお願いしますわ。貴方にも多大な責任があるでしょうし」
釘を刺しておくが、全然聞いていない。
「いずれにせよ、できるだけお早めに。早くしないと、貴方に照準が合わせられるかも。子供は気紛れで、しかも残酷ですからね」
クツクツと笑うと、ニコレイナスは優雅に一礼して退出していった。
ミリアーネは、壁に飾り付けられている青薔薇の杖に目を向ける。これは本物の杖。ミリアーネが普段所持している、レプリカとは異なる。その本物の杖の先端についている青色水晶は、毒々しい紫色に濁ってしまっていた。
(本当に呪い人形だとでもいうの? しかも、私を恨んでいない? まさか、私など眼中にないとでも言うの?)
「全く理解できないわ。ギルモアもツバキもそうだったけれど。本当に、親子揃ってどこまでも忌々しい連中ッ」