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第五十六話 最善の選択

「それで? 議員活動はもう飽きたのか。派閥の活動はどうしたんだ」

「議員には無理やり任命されたようなものです。だから、そんなに怒らないでください。派閥も形だけ集まっただけで特に方針はないです。ラファエロさんは一人で張り切ってますけど」

「…………」


 今は2月。コートに身を包んだサンドラが、鼻息荒く士官学校に乗り込んできた。新年のあいさつをしなかったから怒っているのかと尋ねたら、その前に戦争帰還の報告がなかったと怒られた。どこにいるのか知らなかったのだから仕方がない。ごめんなさいと謝ったら、今度は議員になったことを怒られた。『前線に出て辛酸を嘗め、この王都の惨状を見たというのに、王妃の犬になるとは心底見損なった』と。で、落ち着くのを待って事情を一から百まで話したら納得してくれた。人の話を聞かない人に納得してもらいたければ、まずは存分に話してもらい、それからこちらというのがベストである。


「ミツバ派は、今は、活動休止状態ですよ。それに、もうすぐサンドラたちが動き出すんですよね?」

「……お前はどこまで掴んでいる。情報源はラファエロか? サルトルか?」

「ただの勘です。もう市民議会は開かれてないみたいですし、そろそろやるのかなって」


 私の言葉に、サンドラは肯定も否定もしない。まず間違いないとみていいだろう。間もなく共和派の人たちが決起するはずだ。サンドラはその後で議員になるのかも。どの派閥に属してるのかは知らないけど、立派にやり遂げるに違いない。私はそれをここでのんびり応援していよう。


「まぁ良い。今日はただ詰問に来ただけじゃない。お前の無事を祝おうとも思っていた。まさか、本当にここで寝泊まりしているとは夢にも思わなかったが」


 ようやくサンドラがソファに腰かけてくれた。窓の外からアルストロ君がじーっと見張っているのが鬱陶しい。しっしっとやっても離れようとしない。サンドラが害を為さないか見張ってくれているらしいが、邪魔である。暗くなるけど、カーテンを閉めてしまうことにした。それでもいるだろうけど、害はないので放っておこう。頭はあれだけど、緑化教会には恨みがあるだろうし、やる気だけはあるから、そのうち活躍してくれそう。


「ここは私のお気に入りの場所です。一番長く暮らした家ですし。面白いことも楽しいことも一杯経験できました。その思い出に浸っていたら結構幸せでしたよ。やる気も満ちてきましたね」

「何を言っている。過去よりも未来を見ろ。惰眠を貪っている情勢ではないだろう」

「相変わらず厳しいですね。一応、考えてはいるんですけど。成り行きとはいえ、頼りにされちゃってるので」

「わかっているならいい。少し話をしたが、ここにいる難民たちがお前を頼りにしているのは間違いない。私財を投じるだけでなく、国王や貴族から物資を搾り取るとはなかなかやる。それを市民に無償で配布しているのも素晴らしい」


 サンドラが愉快そうに笑う。素直に褒めてくれるのは珍しい。


「私はお前を使える人間だと思っている。まさか貴族になっているとは思わなかったが」

「それもただの成り行きです。何の実権もないって知ってるでしょう」

「確かにな。王妃も詰めが甘い。お前を駒として取り込むなら、先に手を打つべきだったろうに。だから、現実を見ない理想主義者と笑われるんだ」

「相変わらず厳しいですね」

「事実を言ったまでだ。しかもお前の勢力拡大を見て寛容派に取り込もうなどとは、呆れるしかない。まさか、加わるなどとは言わんだろう?」

「はい、一緒にはならないですね」


 寛容派に入りますといっても、全員ミツバッジをつけたままに違いない。 


「当たり前の話だ。……と、話がずれたな。祖国のために戦った知己に対して、何も用意しないというのはどうかと思い、一応これを取っておいたんだ。受け取れ」


 サンドラが手持ちの鞄から小さな瓶を取り出した。中には黄金の液体が詰まっている。


「それは、なんです?」

「蜂蜜酒だ。値段は聞くな。当然、私が真っ当に働いて得たものだ。貴族と違い不当に奪ったりはしていない。神に誓ってもいいぞ」

「……いや疑ってないですけど。あのサンドラが。私に贈り物ですか。うわぁ」

「なんだその顔は。だが、お前に任せると一口で飲みきりそうだからな。当然私も頂くぞ」

「その理屈はどうなんです?」

「飲み方を調整するということだ」


 小さなグラスを取り出し、勝手に注いでいく。余韻もなにもあったもんじゃない。慌てて乾杯して、ぐいっと飲む。甘いが、結構癖が強い。度数も高い。大量に飲むものじゃないのは分かる。


「これは、甘すぎるな。飲みすぎると悪酔いする類のものだ」

「でも、美味しいですね」

「不老長寿の秘薬などとかつては持て囃された飲み物だよ。今はそんな与太話を信じる人間はいないがな」

「じゃあなんで買ったんです?」

「さぁな。知らん」

「私に無事に帰ってきてほしいという思いが高じたとか!」

「ただ、気が向いただけだ」


 一言で両断されてしまった。久々の再会だというのに相変わらずだった。


「しかし、議員や当主になったのにお前は本当に変わらないな。……クローネの愚か者も大出世したと聞いたが」

「はい。今は大尉さんですね。前線で頑張ってましたよ」

「沢山の人間を殺したんだろう。お前も、人を殺したか?」

「ええ、色々ありました。殺されたくないので、殺しました。一杯死んでましたよ」

「国を守るために戦ったのだから、気にすることはない。それと、上院議会で悪徳貴族どもを憤死させた件も知っている。どうやったのかは知らんが、実に痛快だったな」

「ありがとうございます。サンドラは人を殺したことはあるんですか?」

「……ある。既にこの手は汚れている。これから更に手を汚すつもりだ。その覚悟はできている」


 サンドラがグラスを持った自分の手を見つめている。


「じゃあ、私も何か手伝いましょうか?」

「馬鹿なことを。今では、泣く子も黙る七杖家当主の大貴族様だろうが。冗談は休み休み言え」

「当主にはなりましたけど、財産は紙屑しかないですよ。全部義母のミリアーネに抑えられています。失うものは特にないですね」

「…………」

「別に隠しごとなんてないですよ」

「お前の評判は、お前本人が思うほど軽いものではない。私財をなげうって難民を救ったこと、ここで難民を養っていることは一種の美談として持て囃されている。無所属の議員をまとめ上げたことで、共和派内ではお前を危険視する者までいる」


 サンドラが目を落とす。何を考えているのかは良く分からない。眼鏡で隠れて上手く目が見えない。


「私を危険視ですか」

「ここに至っては、お前のような例外的な存在は不都合なんだ。『貴族にも市民を助けてくれる良い奴がいる』、『貴族にも話が分かる奴がいる』などと喧伝されてはな。だから『いっそのこと殺してしまえ』という意見もある。一番てっとり早い解決法だろう」


 サンドラが腰から短銃を抜き、机にぽいっと投げ捨てる。弾は込められていた。場合によっては私を殺す気だったのかな。となると、蜂蜜酒はお別れの酒ということになる。私を酔い潰して、苦しまないように射殺してくれるつもりだったのかも。サンドラは、根はやさしいのである。優しいから、苦しむ人々を放っておけない。多分、ローゼリアでも十本の指に入る善人だ。でも善人ほど、いざとなったら残酷になれる。クローネも言っていたが、自分の感情を切り捨てることができるから。己の身を焼かれることになっても全く後悔しないのだ。


「私を殺すんですか?」

「そんなつもりはない。殺そうとする人間と酒を酌み交わす趣味は、私にはない。ただ、警告しにきただけだ」

「警告?」

「我々の邪魔をしたらただでは済まないということだ。そしてこれ以上目立ちすぎるな。その釘を刺しておくつもりだった。軍人であり議員でもあるラファエロは、声が大きいだけではなく、一時は『自由の守護者』とまで呼ばれた奴だ。野心家の目立ちたがり屋だが、無能ではない。貴様がそれに加われば、厄介な敵になることは目に見えている」


 サンドラはラファエロさんを敵とみなしているらしい。共和主義を推すサンドラからすれば、ラファエロさんの推す立憲君主制などは論ずるに値しないのだろう。それにしがみつくラファエロさんはただの邪魔者。私もその一派とみなされているみたい。ミツバ派で一緒に活動してるから仕方ないけど。


「ラファエロさんは私を利用しようとしてるだけですよ。それぐらいは分かります」

「分かっているならとっとと手を切って追い出せ。奴の後ろには国王や王妃がいる。保証しても良いが、最後は必ずラファエロに乗っ取られる。間違いなくだ。」

「心配しなくても、もう当てにされてないですよ。王妃様からの連絡もないですし。青の派閥を弱体化させられれば良かったんでしょう」


 たまにやる、ミツバ派の頭のおかしい議員さんを集めた活動も、ただのお茶会だよ。ニコ所長もこっそり呼んじゃった。本当になんでもないお茶会だよ。じゃあなんでラファエロさんをよばないのか。だって王妃様の犬だからね! 余計なことを報告されると邪魔くさいよね!


「ならば良い。そのまま縁を切れ。難民たちと、ここで時代の激流が収まるのを大人しく待っていろ。悪いようにはしない」


 サンドラが畳みかけるように言葉を放ってくる。でも、何もしないで見てるというのは面白くない。だって、クローネとは沢山思い出を作ったのに、サンドラとはまだ全然ないし。それはつまらない。賑やかなお祭りに参加しないというのはよろしくない。私たちはそう思っているらしい。最後がどうなろうと、今を楽しんだもの勝ちである。多数決の結果そう決まってしまった。残念。というか色々な段取りは進んでいるしね。止まらないし止められないし止めるつもりもない。


「じゃあ、決起の時、私も色々と協力しますよ。その方が、平等の証になっていいんじゃないですか? まぁ、私はなんちゃって貴族なんですけど」

「馬鹿なことを言うな。お前は七杖家の一員だぞ。それが我々に加わるなどありえん」

「そうですか。じゃあ折角ですから、私の首を持って行くのはどうです。一応ブルーローズ家当主だから士気が上がるかもしれません。今が、将来の禍根を断つ最大の好機です。手柄にもなりますし、お土産にどうぞ」 


 こちらに銃口が向くように短銃を手渡そうとする。サンドラはどうするかな? 最初の選択だよ。私を殺せるかって? 良い感じに揺らいでいるから死ぬかも! サンドラとその他大勢も死ぬと思うけど最善の選択だと思うよ! 


「ふざけるな。冗談でもやめろ」

「なんでです? 短銃を置いたのはサンドラじゃないですか。この距離なら外さないでしょう。どうぞ遠慮なく眉間にぶち込んでください。さぁ」

「私は、何もする気はないという意味で置いたんだ。友人を犠牲にしてまで、上にあがるつもりはない! 見損なうな!」

「そうですか。サンドラは良い人なんですね。でも、後悔しますよ」

「うるさい黙れ!」


 友達のサンドラは顔を真っ赤にして、私に蜂蜜酒の詰まった瓶を投げつけてきた。おかげで私は蜂蜜まみれである。学長室もなんだか甘い匂いが染みついてしまった。可哀想なパルック学長。


「あはは、びしょびしょです。サンドラはひどいですね。冷たいのは相変わらずです」

「先ほども言ったが、変わらないのは貴様の方だ。この地獄のような王都で、そんなに呑気に笑っているのはお前だけだろう。多分、どこかが壊れているんだろうな」

「そうですか?」


 流石サンドラは鋭い。でも壊れているところが多すぎて、どこがまともか分からない。私ではわかりかねるので、まともなサンドラにいつか判定してもらいたい。


「ああ、間違いない。だが、お前らしい気もする。何より、そのお前に助けられた者がここには大勢いる。その場しのぎのパンかもしれないが、それは誇るべきだ」

「褒めてるのか貶してるのか分かりませんよ」

「ほぼ貶しているんだ、この馬鹿者め。少しは先を考えろ! これだけの人数、どうやって養うつもりだ!」

「でも先のケーキより、今のパンですよ。お腹が減ると、考える余裕もなくなりますしね」

「やはり、お前は貴族に向いていない。王妃も人を見る目がないな」


 サンドラが大きくため息を吐いた後、ようやく笑った。私が手を差し出すと、しぶしぶといった感じで握り返してくる。仲直りの契約だ。しかし、他の共和派の偉い人は、私が目障りらしい。というか、上院議会でも市民議会でも私たちのことを邪魔だと思う人が多い。じゃあどうするかって? 今を楽しめるように、頭のおかしい人たちと考えるよ!

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