第四十三話 一人と一門を生贄に
ストラスパール州ベリエ要塞、指揮所。ローゼリア陸軍第10師団を指揮するガンツェル中将は、要塞防衛隊長ロウル大佐より説明を受けていた。
「これより防衛指揮はこの私が執る。ロウル大佐、君には私の指揮下で存分に活躍してもらいたい」
「これより、よろしくお願いいたします、ガンツェル閣下!」
「うむ、期待している。それで現在の状況はどうか」
「はっ。やはりプルメニア軍の展開速度は異常です。すでにドリエンテの各市を陥落させ、兵を結集、我が方へと侵攻を開始しております」
「その報告は聞いているが。展開速度が速い理由は掴めているのか?」
「確定情報ではありませんが、線路とやらを平野部に敷き詰め、それに乗せた輸送車両を魔力で撃ちだしているとか。遠方からの偵察なので、まだ詳しいことは分かりません。その輸送車両は損傷激しく、いずれも使い捨てているようですが……」
「ほう、使い捨てと。だが、実物を見ないことにはなんとも言えんな」
「こちらも未確認ですが、新型大砲が投入された可能性があります。使用はされなかったようですが、ドリエンテ防衛戦の際に目撃したものがおりまして、『かなりの大きさだった』との報告が」
困惑した様子のロウル大佐。ガンツェルは禿げ頭をぽんぽんと叩いた後、軽く頷いた。これ以上考えても仕方がない。敵が驚異的な速度で迫っているのは確かだ。
「なにか新技術を生み出したのだろうがよくあることだ。過剰に恐れることもない。敵国の技術とはいえ、我らも取り入れればよいだけのこと。大陸各国が、ニコレイナス所長が生み出した長銃、大砲を模倣したときのようにな。丁度良い、可能ならば鹵獲してしまうとしよう」
「はっ、承知しました!」
そこに、ノックをした後、一人の男が入ってくる。大佐の階級章に、煌びやかなブルーローズの紋章を胸に付けている。ローゼリア七杖家に連なる大貴族の証明だ。将官を前にしても遠慮のない態度がその証左でもある。
「失礼します。ブルーローズ州駐屯地よりまいりました、グリエル・ブルーローズ・クローブ大佐です。我が精鋭たる騎兵500が着任いたしました」
「おお、よく来てくれた、グリエル大佐。息災そうだな」
「はい、閣下もお元気そうでなによりです」
「ありがとう。それと、お父上のことは残念に思っている」
「そのお言葉だけで、亡き父ギルモアも喜んでいることでしょう。父に代わり、閣下のお手伝いが出来ること、光栄の極みです」
「ははは、いつも厄介事を押し付けられる性分でな。ギルモア卿にはその度に面倒を掛けてしまった。いやいや、老人は愚痴が多くなっていかん。……さて早速本題に入ろうではないか」
軽く愚痴った後、グリエル、ロウルに椅子に腰かけるように告げる。そして机の上の地図を見る。
「偵察騎兵からの報告を聞く限り、敵勢はおよそ1万程度、大砲20門弱がこのベリエ要塞に向かっているらしい」
「私の騎兵500を合わせれば、およそ7000の戦力がこの要塞の防衛にあたることになります。十分に守れるかと」
「ストラスパール市を落とすのであれば、この要塞を避けることはできません。時を稼げば、我が方の増援もさらに到着します。我らには距離の利点があります。敵の進撃もここまででしょう」
グリエル、ロウルが続けて意見を述べる。ストラスパール市と、それに繋がる街道を見下ろすようにこのベリエ要塞は築かれた。ここを無視して都市を攻撃することは無謀である。大砲の射的距離内であり、さらに高所からの一斉射撃が迎え撃つ。わざわざ挟撃されにくる馬鹿者はいない。つまり、この要塞を必ず落とさなくてはならない。
「ふむ。向こうも優勢を保ちつつの講和を狙っているのかもしれん。この要塞の攻防で膠着させれば、敵は陥落した西ドリエンテの支配を強めることができる」
「なるほど。それが敵の狙いですか」
「ここで抑えている間に、我が軍の師団が西ドリエンテを狙う段取りと聞いておりますが」
そんな戦力が本当にあるならここに回せとガンツェルは思っているが、言ったところでどうにかなるものではない。方針を決定するのは七杖の貴族、それを承認するのが国王、どうにかして達成するのが他の人間の仕事である。異議を述べたりすれば睨まれて地位を追われかねない。貴族だって楽に生きているわけではない。軍人であり貴族のガンツェルは色々と悩みを抱えながら生きている。
「ああ、私も詳しくはないが、奪還作戦を計画中らしい。いずれにせよ、我々の仕事はここの死守だ。功に焦って欲をかくつもりはないから、その点は諸君も理解しておいてほしい」
攻勢に出て敵を粉砕し西ドリエンテまで攻め込むつもりは毛頭ない。ガンツェルの第10師団の任務はストラスパール市とベリエ要塞の防衛である。これが及第点であろう。
「無論、承知しております」
「しかし、我が方の大砲は総数30門、内、使えるか分からん徴用品が10門か。……質は些か不安だが、要塞から撃つだけなら士官学校の若造どもでもできるだろう。実に不安極まりないがな!」
ガンツェルは吐き捨てる。ここの重要性を陸軍本部は理解しているのか。まかりまちがってベリエ要塞が陥落したら、連鎖してストラスパール市は落ちる。ストラスパールが落ちれば、各小都市は連なるように陥落していく。命を張って祖国を守り抜く、などという人間はほとんどいないからだ。市長や商人は真っ先に逃げ出し、市民は諸手を上げて降伏する恥知らずばかりである。その先にあるのは七杖領、最後が王都ベルである。ここが踏ん張りどころである。
「途中で見かけましたが、徴兵されてきた連中はあまりにひどいですな。銃を撃てるかすら怪しい。あまりに臭くて、浮浪者と間違えるところでしたよ」
グリエルが嘲笑するとガンツェルもため息を漏らす。
「君に言われずとも分かっている。可哀想だが、最前線に送り弾除け代わりになってもらう。要塞防衛戦の前に一当てして敵の勢いだけは削ぐつもりだ。最初から消極的なようでは士気がもたん。多少は役に立ってもらう」
銃すらまともに撃てない無駄飯喰らい1000人を、このまま大事に抱えておいても意味がない。ならば有効活用する。士官学校歩兵科の准尉たちに率いられた特別大隊1000人は第一陣の戦列だ。確実に敗走するが、その後には第10師団所属の正規の歩兵戦列を控えさせておく。敵が勢いに乗って突撃してきたらそこを狙い撃つ。弾除けどころか囮だが、敵の勢いを挫くには丁度良いとガンツェルは考えている。一度戦って死線を超えれば、多少は使えるようになるだろう。
「なるほど、それは素晴らしいお考えですね。ゴミどもに相応しい仕事かと」
「君は相変わらず言葉が過ぎる。否定はせんが、兵卒には聞かれんようにしろよ」
「はっ、申し訳ありません。つい本音が出てしまいました」
ガンツェルは軽く笑いながら釘を刺す。グリエルとはそれなりに長い付き合いだが、この男は特に差別的思考が強い。貴族以外は人間じゃないという目である。ガンツェルも貴族だが、多少は融通が利く方だと思っている。軍での生活が長いと、色々な経験をするからだ。
「ところで閣下。この要塞に、士官学校から奇妙な士官が送られてきていませんか。おそらく砲兵所属だと思うのですが」
「うん? ああ、確かに来ているな。ただでさえ使い物にならん若造ばかりなのに、子供まで准尉にして送りつけてきおった。士官学校の連中め、人を馬鹿にするにもほどがある。戻ったら学長の顔を全力でぶん殴ってやるわ!」
一応、どんな人間、編成で来るのかは聞いていた。だが、11歳の子供に大砲を撃たせているとはどういう了見だ。そもそも、士官学校では11歳の人間をどのような顔で教育しているのか聞いてみたい。引率してきた指揮官代行と連絡役の事務官を殴っておいたので、こちらの意思は伝わっているはずだ。
それもこれも、この状況下で軍事費を増強しない文官連中が悪い。これ以上の軍事費増強は認められないと士官数を増やそうとしない。大陸情勢は緊迫しているということを何も理解していない。金がないなら戦時税でも設ければ良い。国を守るのは軍、軍には最優先で金を回すべきなのである。それがガンツェルの持論である。
「その砲兵准尉についてなのですが。内密にお願いしたいことがありまして」
「ふむ、一体なんだというのかね。君が目障りだと言うならば喜んで叩き帰すつもりだが。最初から戦力には数えておらん」
「いえ、そうではありません。その者を、最前線に送り込んで欲しいのですよ。囮の戦列に、使い古しの大砲1門と一緒につけていただきたい」
「ほう?」
「率直に申し上げますと、その砲兵准尉を、今回の戦いで戦死させていただきたいのです。できるだけ早くが望ましい」
あまりの言葉に、ガンツェルとロウルは思わず顔を見合わせた。墓穴の方角には向かわせるが、墓穴に蹴落として埋めるつもりはない。同じことではあるが。だが、グリエルは意図的に殺したいと言った。
「些か穏やかではないと思うが、事情を聞かせてもらえるかな?」
「ええ、もちろんですとも。その砲兵准尉はミツバ・クローブという者なのですが、我が誇り高きブルーローズ家の名を汚し続ける愚か者でしてね。存在しているだけでも許しがたいことなのです。本来ならば私自ら手を下したいのですが、それでは些か世間体が悪い。ですので、名誉の戦死という形で花道を飾りたいのですよ。これが、誰も不幸にならなくてすむ終わり方です」
「……なるほどな」
そういえば噂で聞いたことがある。グリエルがブルーローズ家の当主に未だなれない理由だ。母ミリアーネが当主代行を務めているのは、青薔薇の杖をなんらかの理由で継承できないからだと。その理由が、呪い人形と忌避されるミツバの存在だ。亡きギルモアが勝手にミツバに継承を行ってしまったとか。今では色々な尾ひれがついて、殺そうとしたら死人が何百人でたやら、声を聴いたら発狂したやら、なにがなんだか分からなくなっているが。真実は分からないが、ブルーローズ家にとってミツバの存在は邪魔で殺したいほどだということは分かった。
「いかがでしょうか、閣下。上手くいった暁には、必ずお礼をいたします。勿論ロウル大佐にも受け取っていただきます」
「はっ、私は何も聞いておりませんでしたので、何もご心配には及びません。どうぞ閣下のお心のままに」
これはロウルへの口止めだ。世渡りでのできるロウルは即座に判断し、聞かなかったことにするらしい。配置変更ぐらい受けても特に問題ないとガンツェルも判断する。ブルーローズ家に恩を売っておいて損は何もない。ただ、ミツバ准尉と中古の大砲一門を弱兵戦列につけて敵にあたらせれば良い。後は運次第だ。生き死にがどうなろうとガンツェルのせいではない。どうなろうと本隊の情勢には影響しないし、要塞防衛も問題ない。たった一門での援護など大した効果も見込めないし、むしろ敵の大砲の集中砲撃を受けるに違いない。多分死ぬだろう。死ななかったらグリエルが次のやり方を考えるだけだ。
「まぁいいだろう。特別歩兵大隊1000人に、大砲一門と件の砲兵准尉をつけて最前線に送るよう命令を出すとしよう」
「ありがとうございます、閣下。このことは母にもしっかりお伝えします」
「なに、そんなに気にしないで構わんよ。嫌でも何百人と死ぬのだからな。だが、死ななかったからと言って、文句を言うのはなしにしてもらいたい。恐らく望みはかなうだろうが、こればかりは運もある」
「ええ、承知しておりますとも。後は、あの忌まわしい呪い人形の悪運がつきることを神に祈ることにしましょう。ここで、必ず死んでもらう」
ガンツェルは思わずため息を吐いた。自分のやっていることが、本国の議員や文官どもと同じだと気付いてしまった。前線で死ぬ兵のことなど何も考えていない。ただ世渡りのために、一門の大砲と一人の少女を生贄にした。それで罪悪感が特にわかない自分もどうかしているのかもしれない。世界がおかしいのか、自分がおかしいのか。
「さて、この件はもういいだろう。我々の最大の目的、ベリエ要塞防衛のために知恵を出し合おうではないか。ここを落とされることは、祖国ローゼリアの存亡にもつながりかねん」
「はっ。必ずやストラスパールは守らねばなりません。後ろに控えるは我が家が治めるブルーローズ州です。そのために私が来たのですから」
「微力なれど、ローゼリアのために全力を尽くします!」
「――諸君、ローゼリアに勝利を」
ガンツェルは、二人に視線を送った後、強く頷いた。勝利という目的については、貴族、軍人、議員の利害は大体一致している。勝たなければならない。勝てば利益という潤滑油で上手く回りだす。そしてなにより、プルメニアの野蛮人共に、この美しいローゼリアが蹂躙されるなどあってはならないのである。