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第四話 無念の死

 ――ブルーローズ家城館。普段は閑散としている大広間だが、今日は多くのテーブルが並べられ、豪勢な料理が用意されている。着飾った客人たちが、思い思いに歓談を行っている。だが、どれもこれも表情が硬いことに、当主のギルモアは当然気がついていた。原因はミツバに関する忌まわしい噂の数々である。母を呪い殺し、今度は父まで病に陥れているなど、と。それを聞いたときは、憤りのあまり一瞬気を失ってしまうほどだった。


(くだらぬ噂のせいで、折角の披露会にケチがついたわ。だが、それぐらいは構わん。女狐め、せいぜいふんぞり返っているが良いわ)


 ギルモアは、隣で扇子をあおっている女、ミリアーネを睨みつける。視線に気づいたのか、こちらに視線をむけると鼻で笑ってくる。あの不愉快極まりない噂をばら撒いたのは、間違いなくこの女狐である。今すぐにでも斬り殺してやりたいが、こいつの背後には武器を隠し持った使用人が常に控えている。外見は見目麗しい女使用人だが、正体はイエローローズの密偵である。この館はそんな人間ばかりだ。


「あら貴方、どうかなさいましたの?」

「……なんでもない。耳障りだから私に話しかけるな。今更私の機嫌を取る必要もなかろう」

「あらあら。もしかして、グリエルとミゲルがこなかったから怒っているのかしら。軍務と議会があるから来ることができないと、ピエールから説明を受けたのではありませんか?」

「妹が快復したというのに、一度も顔を見せないとは。お前に似て薄情な連中だ」


 ミゲルはともかく、グリエルはブルーローズ州駐屯地に滞在しているのだ。来れないわけがない。あれは自分を当主と見ていない。ミリアーネの命令にしか従わないのだ。そのミリアーネも当主代行などと名乗って口を挟んでくる。


「そうですわねぇ。じゃあ別の機会を設けますから、お怒りをお鎮めなさいな」

「その馴れ馴れしい口調を今すぐに止めろ。聞くだけで虫唾が走る」

「本当につれないお方。まったく、どうしてこうなってしまったのかしらねぇ」

「戯言をぬかすな。私の知らないところで好き勝手動いていることぐらい、百も承知なのだ。近いうちに全て掃除してくれる。覚悟しておけ」

「あらあら、それは怖い」


 肩を竦めて見せるが、全く恐れてはいないだろう。ミリアーネの後ろには実家のイエローローズがついているのだから。

 ブルーローズは王党派内で中立を保っている。黄、緑の派閥と、白、黒の派閥が2大巨頭。それに続くのが人数に劣る王家主導の赤と桃――最近は寛容派などというものを結成したらしいが。ギルモアが受け継いだ青の派閥は中立を保つことで、王家内の各派の融和を図ってきた歴史がある。それをこの女は変えようとしている。実家であるイエローローズのためだけにだ。


「私と貴様は水と油、最初から分かっていたことだ。私の最大の過ちは、王家や親族どもの圧力に負けて貴様を受け入れてしまったことだろうな。ツバキにもっと早く子が出来てさえいれば、貴様など誰が受け入れるものか!」


 ギルモアは最後まで断ろうと思っていた。だが、周囲はツバキに圧力を掛け始めたのだ。ゴロツキどもを使って石女などと罵声を浴びせたり、夫人同士のパーティで嫌がらせを行なったりだ。最後には、国家同士の揉め事に発展すると国王から脅しをかけられたツバキに、土下座されて頼まれた。表情はいつもと変わらなかったが、一番無念だったのは彼女だったろう。

 その後は第二夫人となったミリアーネが家のことを仕切り始め、二人の男子を儲けてしまった。本当に最低限の回数しか交わっていないのにだ。本当に自分の子かも怪しいところだ。今となってはどうでもいいことだが。


「お察しいたしますわ。ツバキ様のことは本当においたわしいことでした。私は今でも悲しく思っておりますのよ」

「――黙れ雌狐ッ!」

「声が大きいのは貴方でしょうに」


 クスクスと笑うミリアーネ。思わず怒鳴ると、周囲の視線が集中する。咳払いをして会釈すると、元の空気に戻る。


「ピエール、水を寄越せ。雌狐のせいで喉をやられたわ」

「は、はい。かしこまりました」


 喉が渇いたので、水を受け取り一気に飲み干す。一瞬ピリッとした感触が舌に走る。気持ちが引き締まる。魔術により冷やされた水が心地よい。後味も爽やかで、なんだか甘い香りがした。普段の酒のせいで、舌が馬鹿になっているのかもしれない。

 ミツバが目覚めるまで、酒の量は自然と増していた。薬の量も増えている。久々に大勢の前で挨拶をしなくてはならないのだ。気をしっかりもち、今日の会を立派に執り行わなくては。


 そんなことを考えていたら、ミリアーネが隣に座っているミツバに声をかけていた。 


「貴方がミツバね。目覚めたと聞いて、いてもたってもいられなかったの。本当、ずっとお会いしたかったわ」

「……はじめまして」

「ええ、はじめまして。そのお人形さんのような目、本当にツバキ様に似ていらっしゃる。そうそう、私のことは母と呼んで構わないわ。私たちは家族になるのだから、敬語も必要ないわよ?」

「ミツバよ。この女のそばには今後は近寄らぬようにせよ。何をしでかすか分からんからな。この雌狐は笑いながら毒を盛れる女なのだ。そしてこいつからは何も受け取ってはならん。こいつこそが我が家に不幸をもたらした呪いの元凶よ」

「貴方。私はこの子の母になるのですよ? そのような粗野な言い方はおやめなさい。みっともない」

「笑わせるなよミリアーネ。ことが終われば、貴様らは全員追放する。今すぐ殺されないだけありがたく思え」

「まぁ。貴方は本当にお冗談がお好きで」

「精々笑っておけば良い。後で必ず思い知らせてくれる」


 ミツバはいつもと変わらぬ表情で、ミリアーネとのやりとりを眺めている。ツバキに似て感情をあまり表に出さない。淡々とした言葉遣いもだ。だが、ちょっとした仕草で何をしてほしいかが最近はわかるようになってきた。それもツバキに似ている。


(私は恐らく、それほど長くないだろう。だから、それまでに出来る限りの物を残してやらねばならん。最も重要な仕事は、この家に巣食う害虫どもを一掃することだ)


 ドレスを着飾ったミツバの腰には、青薔薇の杖が備え付けられている。客人達の目に嫌でも目に入るようにだ。これがどういうものかは、ここにいる上流階級の連中ならば誰もが知っている。つまり、次のブルーローズ家の後継者は、ミツバであると示しているのだ。

 ミリアーネは、口惜しさを隠すためか、笑顔の仮面を外そうとはしない。ギルモアの傍で控えているピエールなどは顔を真っ青にしているというのに。気配りができるが、小心な男だ。次期後継者がグリエルではないと知って驚愕しているのだろう。


「……ピエール、そろそろ乾杯の準備をしようではないか。客人の皆様に記念の酒をお配りしろ」

「承知いたしました」

「本当に奮発したのねぇ。どこに隠していらっしゃったのかしら」

「貴様に教える必要はない」

「これだもの。大事なことは何も教えてくださらない」

「こそこそ嗅ぎまわってる雌狐と野良犬にかける慈悲などない」


 この日のために用意して置いた、プルメニア産の高級ワイン。ギルモアがかつて指揮を執った戦いで勝利した際、先代国王から戦利品として賜ったものの一つ。有利な和平を結んだ際に、プルメニア皇帝から奪い取った代物だ。ギルモアの栄光を表わす酒。この日の為に寝かせておいた逸品だ。

 ピエールが、そのワインをギルモアのグラスに注いでくれる。宝石のような紫色の液体から、馨しい香りが漂う。普段の酒とは格が違う。ミツバの小さなグラスには、林檎ジュースが注がれる。


「お前にはまだ早いから、我慢してくれるか。後数年もしたら、共に飲むこともできよう」

「はい、お父様」

「良い返事だ。それとだ、今日でこの女とはお別れだからな。さようならを言ってあげなさい」

「…………」


 そうミツバに声をかけると、少しだけ眉を顰める。そして無言を維持する。意味を理解できているのだろう。さすがは賢い子だ。


「あら、貴方は頭の良い子なのね。口は災いのもとと、こんなに幼いのに理解できている。碌に教育も受けていないでしょうに。本当に賢い子」

「ふん、お前は最後まで理解できなかったようだがな。口で身を亡ぼすのだ」

「ふふふ。今日は本当に手厳しいですわね。いつにも増してお口が流暢ですわ」

「ああ、それはそうだろう。今日の私は開放感に包まれているからな。貴様の顔をもう見なくて済むかと思うと、思わず小躍りしたくなるほどだ」

「あら。それには同意見ですわ。珍しく気が合いますわね」

「ほう、そうかそうか。ならば、何も問題はないな。実にめでたいことだ。今ならお前と乾杯してやれそうだ」

「ふふ、素敵な提案ですがやめておきましょう。今更ですわ」

「実に同感だ」


 ギルモアはそう言い放ち、周囲を見渡す。客人たちの中には、七杖の各家から使わされた者や、王国魔術研究所のニコレイナスの姿もある。後でミツバのことについて相談しなければなるまい。彼女に後見役を頼む事ができれば全てが安泰だ。

 ギルモアは立ち上がると、グラスを手に取り挨拶を始める。


「今日は、我が娘ミツバのために皆様に集まっていただき、このブルーローズ家当主ギルモア、心から嬉しく思っております」


 感謝を伝える事からはじめ、ミツバについての紹介、巷で流れている噂をやんわりと否定する。あまりムキになって否定しても、こいつらの噂好きに火をつけるだけ。少しずつ鎮火を待つのが正解なのだ。

 ここまでは順調だ。後はミツバに挨拶させ、青薔薇の杖を彼女に継承した事を発表するだけだ。あともう少し。――だというのに、何故か、ひどく喉が渇く。


「きょ、今日は、快気祝いを兼ねて、皆様に、重要な、は、発表が――。ご、ゴホッッ!!」


 咳が出る。隣で座っているミツバがこちらを見上げてくる。大丈夫、心配無用だ。そう目で伝える。咳がひどくなる。喉が渇く。焼けるようだ。咳が出る。血反吐がでる。


「わ、我が、ブ、ブルーローズのか、家督は――」


 手からグラスが零れ落ち、赤い印が点々とあるテーブルに酒が染みていく。身体が膝から崩れ落ち、テーブルごと前のめりに倒れこむ。悲鳴が上がる。来客席からニコレイナスや顔見知りの連中が近づいてくる。ミツバは心配そうに近くで佇んでいる。そして、視界に入ったミリアーネの顔は。――口が嗤っていた。


「ミ、ミリアァネェ……ッ!!」


(き、貴様の仕業か!! ミリアーネ、貴様という女はああああああッッッ!!)


「貴方、気をしっかりもって! 貴方がいなくなっては、ミツバはどうなるのです! 貴方ッ!!」

「ギ、ギギ、グアアアアアッ!!」


 手を握り締めてくるミリアーネ。ギルモアはその左手を取り、全力で握り締めてやる。呪いを篭められるなら、怨念全てを篭められるようにと。僅かに顔を歪めるミリアーネ。だが、表情はそれ以上変わらない。


「ああ、神よ! これは一体どういうことなのでしょう!! ミツバの快気祝いのめでたい宴の日に、なんというむごい事を! ああ、神よ!」


 演技ぶった口調のミリアーネが、偽りの涙を流している。ピエールは顔をどす黒くして、口元を抑えている。


『こ、これが呪い』

『お、恐ろしい』

『悪魔の所業よ』


 来客からは、呪い人形の仕業、父親まで呪い殺した、あの氷のような表情に虫みたいな目、悪魔が体内に潜んでいるに違いないなどと囁いている。

 違うのだ。全て、この女狐の仕業なのだ。誰か、気付いてくれ。お願いだから、ミツバを守ってくれ。私はまだ死ねないのだ。何も残していない、何もしてやれていない、このままではツバキにあわせる顔がない。誰か助けてくれ。


「お父様、大丈夫ですか?」

「ミ、ミツバッ。わ、わたしは、す、すまぬ。こ、こんなはずでは」

「……………………」

「ゆ、ゆるしてくれ」

「…………さようなら、お父様」


 薄れていく視界。灼熱が走る喉下。頬に感じた冷たい雫。そして、暗闇。何故か、今までの苦しみから解放されたような安堵。苦しみは一切なかった。最後にギルモアが感じていたのは、ミツバの小さな手の感触だけだった。


 ブルーローズ家当主、ギルモア・ブルーローズ・クローブ。プルメニア帝国、リーリア王国との戦で多くの戦功を上げた、優秀な軍人であり魔術師だった。だが、ツバキ夫人の死と娘の病で精神を衰弱させ、最後は最愛の呪い人形により魂を吸われて悲惨な死を迎えたと人々は噂した。

 当主代行にはミリアーネ・ブルーローズ・クローブが就任。軍務が落ち着き、国王の認可が下り次第、長男のグリエルに譲ると表明。既に名ばかりの当主であったため、特に州内に混乱が広がることはなかった。ミツバについては各種の疑いが晴れるまで隔離塔に幽閉と決まった。青薔薇の杖については、正式な当主が決定するまで城館で保管されることとなる。




「ピエールが死んでいたですって?」

「……はっ。いかがいたしましょうか」

「当初の予定通り、殉死ということにするしかないでしょう。こちらがやるべきことを減らしてくれたことには感謝すべきでしょうけど、少し気持ちが悪いわね」

「……調べますか?」

「適当でいいわ。毒の入手経路とピエールの周囲で不審な点がなかったかだけ報告しなさい。まぁ、無駄でしょうけどね」

「はっ」


――ギルモアの死の翌日。執事ピエールの死体が城館の執事室にて発見される。ギルモア毒殺の口封じのために、ミリアーネの放った刺客が、死体を発見したのだ。ピエールの死因は、ギルモアと同じ毒によるもの。その死に顔にはこの世にあらざるものを見たかのような恐怖が貼り付けられていた。ミリアーネがピエールに渡した毒は、ギルモアを殺すための量しかない。ピエールが同じものを手配することなど不可能である。手に入れようと動いていれば、必ずその動きを掴むことができるからだ。

 密偵たちはピエールの周囲を洗ったが、特に不審な点はなし。金周りがよくなってご機嫌だった、これからは死ぬほど贅沢すると吹いていたなどという情報だけである。

 結局、主ギルモアの後を追っての自殺として、ピエールの死は内密に処分されることとなった。ミリアーネの心中に僅かばかりの疑念を残して。

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