第三十八話 青き雌狐
王都、ブルーローズ家別宅。執務室で、ミリアーネは次男のミゲルと今後について話し合っていた。
「……母上。当主問題を表に出させないためには、王妃様への譲歩も必要かと。例えば、一時的に寛容派へ鞍替えするなど」
寛容派とは、マリアンヌが主導する、市民に寛容をもってあたるべしと主張する一派である。大きなくくりで言えば当然王党派だが、大多数の貴族から見れば異端といえる連中だ。上院、下院議会でも市民議会に迎合する鼻つまみ者に間違いない。なら市民から人気を得ているかといえばそれほどでもない。どっちつかずの中途半端な連中と認識されている。なぜかといえば、言っていることを実現することができていないから。つまり、力がない。そのくせしっかりと市民からは搾取しているわけだ。マリアンヌとかいう偽善者と、過激派からの標的になりたくない愚鈍で惰弱な連中の集まりという認識で全く問題ない。
「冗談でしょうミゲル。この世界が滅びようともありえないわ。あんな愚かな思想とは私たちは決して相容れない。市民階級は徹底的に支配して搾取しなければならない。甘さを見せればどこまでもつけあがるの。第一、そんなことをすれば、他の七杖家に主導権を握られてしまうでしょう」
「確かに。では、どうなさるおつもりなのですか? 杖の一件を持ち出されては不利なのはこちらです。突っぱねるという手もなくはないですが、私たちの評判が落ちるのは避けられません」
「私ができるだけ時間を稼ぎ、その間に青薔薇の杖をグリエルに継承させる方法を見つけ出させるわ。それと並行して、なんとかしてミツバを殺す。それが一番確実で早いわ」
「……母上。そこまでして、ミツバを目の敵にしなくても良いのでは? まだ会ったこともありませんが、一応は家族ではありませんか」
「私の息子ながら、本当に甘いわね貴方は。あれは、そんな生易しいものじゃない。放っておけば、私たちに破滅をもたらす存在になる。ギルモアの残した呪いそのものよ」
思わずこめかみに指をあてる。ミゲルが頭痛薬を用意してくれたので、それを水と一緒に飲み干す。最近は苛々すると頭痛が酷い。特にミツバ関連のこととなると頭が締め付けられる。これもすべてあの呪い人形のせいだ。考えるだけで憎悪が煮えたぎってくる。そして痛みが増々強くなる。
「ならば念には念をいれ、保険をかけるべきかしらね」
「継承が上手くいかなかった場合に備えてですか」
「その通りよ。忌まわしいことに、ミツバの生存能力は害虫そのもの。あの冷酷な兄でさえ仕留めきれなかったのだから。ならば別の手段を用意しておくのに越したことはないでしょう」
痛みが若干和らいだミリアーネは一息つき、ミゲルを見やる。
「よく聞きなさいミゲル。王党派の他の主流派閥を巻き込んで、プルメニアとの開戦を議会で声高に主張するのよ」
「放っておいても、勝手に戦になるとは思いますが」
「少し時計の針を早めることにする。寛容派はマリアンヌの意を受けて、戦争回避を強硬に主張してくるでしょう。市民の無益な血が流れるとか言ってね。そこを弱腰と徹底的にたたきなさい。『敵をつけあがらせれば巡り巡って市民が困窮することすら分からない愚物』とか、『流石はカサブランカ大公国に尻尾を振る狗共』だのと一斉に罵声を浴びせるの。数と勢いで圧し潰しなさい。開戦と同時に市民にも噂を流す。『口では綺麗事を言いながら、結局は戦争に市民を駆り立てた狡猾なカサブランカの女』と。ローゼリアとプルメニアを戦わせて、本当の祖国に利益をもたらそうとしている女狐とね。王妃の権威は自然と失墜、愚かな横やりも自然と引っ込むという訳よ」
結局ものを言うのは数なのだ。少数派である寛容派が、市民に肩入れする論をいくら述べようが無意味で無価値。実際に戦争は間近に迫っているのだから。それをどうやって回避するか、それに伴う不利益をどう解消するのか。誰がそれを実行するのか。それを明確に答えられないのだから本当に救えない。マリアンヌが本当に行いたいのが王権の強化なのは明らかだ。そのためには力を持ちすぎた七杖家とそれに率いられた王党派は邪魔なのだ。数には数と市民を味方につけたいらしいが、やはり救えない。
「なるほど。……ですが宜しいのですか? まず上手くいくとは思いますが、市民の反王家の感情が高まります。あまり煽りすぎると暴動になるのではないかと。そのとき、我らに矛先が向かないとは思えませんが」
「無力な市民に何が出来るというの。いざとなったら軍に命じて武力で鎮圧すれば良い。むしろ見せしめのために一度徹底的にやるべきと私は考えているわ」
共和派の屑どもが最近は声がでかくなってきている。そろそろ貴族に対する罵声も聞き飽きた。見せしめに主導者は全員処刑、活動に参加していた市民共には銃弾を浴びせてやろう。王党派の全議員が賛成するに違いない。
「私から見れば、緑化教徒も共和派も全部同じよ。ローゼリアに蔓延るカビと害虫。そして救えないカサブランカ女。この機会に全部消毒してしまいましょう。徹底的に綺麗にすることで、このローゼリアは、さらに強く美しく栄えるに違いないわ」
「……母上は、ひどく残酷なお考えをなされます。時折、私は怖くなります」
「貴族とはそうあるべきよ。考えるべきはローゼリアを強国とし、私たちの力を高めて名誉を得ること。貴族のすべての行いはそのための戦いよ。ギルモアは愚かにもそれを放棄して、死にかけの人形に掛かりきりになった。だから無様な最後を遂げたのよ。戦うことから逃げてはいけないわ」
と、使用人が外からノックしてくる。客人がやってきたようだ。ミゲルにはこれ以上生臭い話は聞かせたくない。ミツバを殺すというのはすでに示唆しているが、その段取りまで見せることはないだろう。
「ミゲル、客人が来るから貴方は下がりなさい」
「はい、母上。私はこれから議会に行って、先ほどの件についてヒルード伯父上と相談してみます」
「よろしく。兄も否とは言わないでしょう。私と共通の利益がある限り、イエローローズとブルーローズは上手くいくわ。この国は王党派があるかぎり安泰よ」
ミゲルが頷くと、一礼して退出していった。ミリアーネは考えを巡らせる。
今までは黄・緑と黒・白が王党派の2大派閥として上院議会を牛耳っていた。赤・桃は寛容派などとぬかす愚かな少数派。そして青は中立として七杖家の調整の役割を担っていた訳だ。そこを、ミリアーネが青を乗っ取ったことで勢力図が一変した。青派にはその中立思考上、日和見議員たちが多いので実害を被ることを避ける傾向がある。ことなかれ主義の権化だ。自分の言うことを聞く限り、上院議員の地位は保証すると告げるだけでミリアーネに簡単に尻尾を振ってくれた。今の王党派の主流派は青・黄・緑。非主流派が黒・白となる。金と所有する土地の広さ、農奴の数、納めている税、獲得した名声、それらにより各七杖家に上院議員の枠が分配され、上院議員を独自に推薦することができる。最も重視されるのは納めた税金か。国王が後ろ盾なのに赤派閥が少ないのは、公平性を期すために国王推薦が定数5と定められているためだ。次の改選は3年後。それまでに白と黒を切り崩す。次の改選後は、白・黒は更に厳しい状況に追い込めることだろう。そして都合の良い政策を採用させ、利益を上げ、国に多額の税を納め、さらに枠を獲得する。この繰り返しで良い。ひたすら大多数の主流派を握り続けるだけで、国を動かすことができる。
ちなみに、下院については大した心配はない。大輪教会の聖職者、それに貴族の犬たちばかりである。最近は共和思想を推進すべしと妄言を吐く連中も現れてはいるが、何もできはしない。市民議会は言うに及ばずだ。上院議会は、下院、市民議会に対する優越権を持っており、何があろうと問題ない。何も変わらないし変えさせない。ローゼリアを動かすのは国王ではなく、上院議会。そして、その議員を選ぶのは我々七杖家の人間である。未来永劫、何も変わらない。
「失礼いたします、ミリアーネ様。お客様をお連れいたしました」
「入りなさい」
執事と、武装した使用人4人が1人の男を連れて入ってきた。王都での裏仕事をまとめている男である。名前はアイクとかいったか。スラム在住で身なりは浮浪者そのものだが、抱えている暗殺者は相当なものらしい。本人も筋肉質な体つきで、かなりの腕利きに見える。頬に深い傷跡があるのが、特徴的だ。
「お偉い貴族様が、この薄汚いアイクめを、直接お呼び出しとは一体どういうことなんですかね。このまま便所の掃除でもしたらよいですか? それとも墓穴でも掘りましょうかね」
「貴様、あれだけ無礼な真似は控えろと言っただろうに! 殺されたいのか!」
「汚れ仕事に無礼も糞もあるかよ。殺すか殺されるか、そのどっちかだろう。そのつもりなら刺し違えてやるからかかってきな」
思わず眉を顰めるが、これも裏稼業で生きていく手法なのだろう。舐められないためのだ。ここで無礼を働いても殺されないという読みがあるのだ。実際、この使用人4人がかりで殺せるか怪しいところ。下手をすると、アイクの潜ませた暗殺者が近くにいてもおかしくない。一応、この別宅はイエローローズの毒蛇に守らせてはいるが。兄を利用すると同時に、歯向かうつもりはないというアピールでもある。
「流石に豪胆なようね。呼び出したのは、中々良い返事を聞けないからよ。ならば、こうして直接話をしたほうがてっとり早いでしょう。無駄は嫌いなのよ」
「ほう。それは楽しみですな。想像はできるが一応言ってみてもらえますかね」
「陸軍士官学校に通うある学生を殺してほしいの。名前はミツバ・クローブ。手段は問わないわ。報酬は百万ベリー。どうかしら?」
子供一人の代金としては破格である。適当な浮浪者なら一万ベリーでも受けるだろう。
「は、ははははッ!! こいつは笑わせてくれるじゃないか。貴族様お抱えの密偵集団を半壊させた相手に、たったの百万だと? ふざけるなよ」
「あらあら。流石に耳が早いのねぇ」
「裏で生きる人間で知らない者なんていねぇよ。勇敢で挑戦的な思考の持ち主は、アンタとお兄様のおかげで絶滅しちまったよ。今いるのは冷静で命を大事にする臆病な人間だけだな」
兄が毒蛇を半壊させられた後、ミリアーネは三十人以上の暗殺者を送り込んでいた。どれもこれも失敗。緑化教徒の自爆に見せかけられて、凄惨な死体として広場に打ち捨てられていた。とにかくミツバは死なない。毒、銃、仕込み矢、靴に針を仕込ませたこともあったらしい。が、死なない。恐ろしいまでの悪運の強さに、ミリアーネは心底辛酸を舐めさせられていた。そして、そんなことが続けば裏社会で噂になる。ミツバ暗殺依頼は死への片道切符と。
「じゃあいくらなら引き受けてくれるのかしら。遠慮なく言ってごらんなさい。かなえてあげるわ」
「一億貰おうとも断る。やりたいなら偉そうに剣をぶら下げてる連中を差し向けろよ。これ以上俺たちを巻き込むな」
周囲の使用人4人を見る。全員顔を青ざめさせて、無理だとかぶりを振っている。やる前から分かる。こいつらでは無理だ。
「どうしてそこまで子供一人を恐れるのかしら。名前を売る絶好のチャンスとは思わない?」
「まったく思わないね。少なくとも俺は思わない。一度だけ、偶然あったことがあるんだがね。丁度カビが自爆したときだな。あいつ、死体を見ながら悪魔みたいに笑ってやがったぜ。たかが10そこそこの餓鬼相手に、心底肝が冷えた。……それだけで十分だ。関われば碌な目に遭わないのは確実だ」
「そう、残念ね。で、私の顔にこれだけ泥を塗って、そのまま帰れると思ってるのかしら」
「思ってないさ。だが、俺が死んだら残りの連中は刺客になるから楽しみに待ってろ。アンタだけじゃない。アンタの息子、家族、使用人、その家族に至るまで無差別に殺しに向かう。全員は難しいだろうが、10人くらいは地獄への道連れにしてくれるだろうぜ」
ただの脅しとは思えない。なるほど、面倒な連中だ。天秤に己の面子と、犠牲になるであろう10人の命を載せる。――ここは引こう。まだまだ手駒を失うには早すぎる。
「まぁ、今回はあきらめましょう。気が変わったら言って頂戴。お金は用意するわ」
「そいつは助かる。自殺志願者が出たらアンタんところに寄越すようにする。それで勘弁してくれ。俺もまだ死にたくはないんでね」
アイクが表情をわずかに和らげる。交渉は成立だ。お互いに水に流す。
「何か面白い話があったら、探っておいてくれるかしら。別途報酬は用意するわ」
「……承知しました。そういうことなら喜んで引き受けますよ。何か掴んだら追って連絡します」
アイクが礼をすると、使用人たちに連れられて退出していった。執事も後に続く。ミリアーネはしばらくそれを見ていたが、やがて両目を瞑り考え込む。
「……いっそ、私が直接殺してあげようかしら。安心させたところで、ぐさっと」
想像してみると、ちょっと楽しそうだった。直接人を殺した経験はまだない。毒殺はギルモアを含めて数回ある。最初に殺したのは利用価値がなくなった愚かな男だったか。初めての刺殺が呪い人形というのもまた趣があって良い。ミリアーネの裏社会での名声は天にまで届くだろう。成功すればだが。
「腕利きで、馬鹿な連中を探さないとね。外国の連中が良いかしら。それにしても、屑が知恵をつけるとろくなことにならない証明ね。飼い主に逆らおうとするんだもの。救えないわねぇ」
下賤な屑が貴族を脅迫するなどあってはならないことだ。いずれあのアイクには償ってもらおう。いつになろうが、必ず殺す。執念深いのがミリアーネの性格である。恐れる必要がなくなったときに始末する。それで良い。夫ギルモアもそうやって殺したのだから。