第三十三話 プレゼント
――王国魔術研究所。ニコレイナスは珈琲を片手に、ミツバの様子についての報告を受けていた。情報源はパルック学長の下にいる話の分かる事務官である。彼に手間賃を渡して成績やら授業態度やら近況やらを入手しているのである。ニコレイナスの最近の楽しみといえば、この報告を受ける時間である。彼女のやることなすこと、何もかもが驚きに満ちている。取り組んでいた研究が完成したときと同等、いやそれ以上に心が沸きたつのが分かる。今はハルジオ村反逆事件の顛末を副所長から聞いていたところである。
「ふんふんなるほど。それはまた、派手にやらかしたようで。私もこの目で現場を見たかったですねぇ」
「村は死体の後始末が大変だったようです。派遣された警備兵が惨状に泣き言を漏らしていたとか」
「それはそうでしょうね。平和の代償というのはいつも高いものですよ。で、治安維持局はなんて言ってるんです?」
「はい、タルク少尉については、廃人化したために情報を得るのは難しいと。尋問による内通者の割り出しは困難なため、調査が終了次第処刑されるようです」
「いえいえ違いますよ。裏切者の顛末とか内通者とかどうでもよくてですね。ミツバに対して何か言っていましたか? 私が興味があるのはそこだけです」
「学生が一人で緑化教徒を壊滅させたことを訝しんでいるようです。ですが将来的には治安維持局に採用したいと称賛の声が大半です。ただ、ごく一部に身内切りの可能性があると疑う者がおりまして。信頼を得るために、用済みの緑化教徒を処分したのではと」
それを聞いて、ニコレイナスは思わず噴き出した。見当外れにも程がある。緑化教徒の連中が聞いても憤慨するに違いない。その一部の人間の頭を切り開いて脳を是非見てみたいものだ。きっと虫食いのように穴が開いていることだろう。
「あはははっ。それは中々愉快な発想ですが、絶対にありえませんね。彼女の反カビ思想の強烈さは間違いないようですから。とはいえ余計な疑いが掛かっては可哀そうです。では王魔研所長の太鼓判つきの書状を送って差し上げなさい。絶対にありえないと」
「分かりました。しかし、彼女はなぜあそこまでカビ共を憎むのでしょうか。彼女と緑化教会に直接のつながりはないはずなのですが。今回はともかく、それまでは自爆現場を目撃した程度でしょう」
副所長が眉を顰めているが、別に大した問題ではない。
「何かを好きになったり嫌いになったりするのに、深い理由はいらないんですよ。直感でそう思ったなら、それでいいのです」
「王魔研所長ともあろうお方のお言葉にしては、少々短絡的な気がしますが」
「ふふ、不老の処置を行っているとはいえ、私もただの人間ですからねぇ。奇人だの天才だのと人様から持ち上げられていますが、根っこはそうなのです。実は、私もか弱い女なんですよね」
「…………」
「今のは笑うか気の利いたことを言うところですよ?」
ニコレイナスがおどけてみせるが、生真面目な副所長の表情に変化はない。こういうところがイマイチだと思うが、気に入っているところでもある。信頼がおけるから、全ての研究に携わらせている。ミツバの件も大体は知らせている。いずれは所長を任せても良いと思っているが、本人は確実に辞退するだろう。生真面目で極めて沈着冷静に見えるが、馬鹿がつくほどニコレイナスへの忠誠心がある。研究のために死んでくれと言ったら、普通に死にそうである。――と思わせておいて裏切られても面白い結末だ。何が起こるか分からないというのは、この身をもって学んでいるのでどうでもよい。
「話を続けさせていただきます。彼女は対象が緑化教徒か判断がつくと言っているようです。なんでもさわやかで鼻につく臭いがすると」
「さわやか、ですか? うーん、それは良く分からないですねぇ。連中、何か妙な香水でも使ってましたっけ? それか嗅覚が犬並みに優れているとか」
「犬、ですか。その可能性は低いと思いますが」
香水云々は適当に言っただけだ。緑化教にそんな記憶はない。もしかすると、染みついた魂の臭いで判断しているのか。もしくは、ミツバだけに分かってしまう何か。彼女の在り方を考えると、それも十分に考えられる。
「犬云々は冗談ですよ。ま、私も緑化教会が嫌いなんでいいじゃないですか。ええ、それはもう死ぬほど嫌いでしてね。嫌いすぎて優先的に実験材料に使いたくなるくらいです」
「……長い付き合いですが、そこまでお嫌いというのは初耳です」
「それは王国に逆らう罪人なんですから、憎んで当然でしょう? 実は話題に出すのも憚られるほど嫌いですよ」
「所長がそこまで嫌いと断言するのは珍しいですね」
ニコレイナスの狂信者である副所長の言葉には重みがある。これでいて妻子持ちだから世の中分からない。
「まぁ、緑化教との間には私も色々ありましてねぇ。そういうわけで、彼女には深い共感を持ちますね。どんどん隠れ教徒を見つけ出して始末してくれると嬉しいです」
ミツバがカビを毛嫌いする理由は分かっている。憎悪の継承だ。だがそれを本人に伝えるつもりはない。自分で考え自分で判断して動くべきである。彼女は人形ではないのだ。勘の良い副所長は察してくれたらしく、次の話題に移ってくれた。こういうところが優秀な証拠である。
「話は変わりますが、士官学校から公募についての企画書が届けられておりますが。ご覧になられますか?」
「公募? ああ、あの思い付きで始めたあれですか? ちゃんと形になっていたとは驚きですね」
発想が無限に閃く便利な道具でも欲しいと言ったら、研究員の一人が試しにやってみませんかと言ったので承認した気もする。それ以降何か指示をした覚えはない。
「はい、私の方で進めておきました」
「流石できる男は違いますねぇ。どれ、若き才能の輝きを見せてもらえますか? その後はいよいよ仕事に戻りますか」
「少々お待ちください。結構な量がありまして。ただいまお持ちします」
「休憩になりますから焦らないでいいですよ」
珈琲を飲みながら考えるとこれは実施して正解だ。面倒な段取りをしてくれた副所長には感謝しなければ。新しいものは常識の枠外から作り出されていくわけで。ニコレイナスも負けるつもりはないが、発想を練り上げていくということは、色々と切り捨てていくことだ。一度上手くいくとどうしても成功体験を元に作り上げてしまう。するとどうなるか。ローゼリアの新兵器はすべてニコレイナス属性に染まってしまう。多様性を維持することで、あらゆる事態に対処できるようにしておくことは重要だ。本音は、多様性がないとつまらない。
敵国プルメニアにはダイアンという頭のおかしい技術者が存在する。ローゼリアを一時滅亡寸前にまで追いやった、対魔障壁の生みの親だ。ニコレイナスが長銃を生み出すと、短期間で長銃を模倣し製造するだけでなく、対物障壁を繰り出してきた。それを潰すためにニコレイナスが大砲を用意すると、またも短期間で大砲を模倣製造した上で、騎兵の突破力を更に強化する突撃障壁を開発。こんなことの繰り返しである。勿論ニコレイナスもきっちり障壁をパクっているので、お互い様か。武器は発明、模倣、発展を繰り返して成熟していくのだ。これが模倣を正当化するときの持論である。ダイアンも同じことを言ってるから問題なし。
「こちらになります。かなりの量で申し訳ありません」
「本当に多いですねぇ。あー、私の開発したものを、こうすればいい、ああすればいいというのは今捨ててくださって結構ですよ。そんなことは私が一番分かっているので」
例えば参式長銃の欠点の重さだ。軽量化すればいいなどというのは、言われなくても承知している。だが、魔力を貯蔵装置分だけどうしても重くなる。現在の性能を維持したうえで軽い素材を使った場合、コストが嵩む上に耐久性に難が出る。貯蔵装置の容量をいくらか減らし、軽量化に努めた参式突撃銃は妥協の産物である。貯蔵弾数よりも突破力重視のプランだがなんというか元も子もないといえる。
「って、ちょっと待ってくださいよ? まだ冬期休暇はいってすぐですよねぇ。これだけの量をこんなに早く出してきた勤勉、もしくは適当な学生がいるんですか。大丈夫なんですか、これ」
「……私も見てみましたが、すぐに実現することも可能かと。しかも全部一人によるものです」
「ほうほう、それは凄いじゃないですか。いやぁ、若いって素晴らしいですねぇ。で、それは誰なんです?」
「はい、提出してきたのは先ほど報告したミツバです」
「それを先に言いなさい。最重要ですよ」
「先にお見せしたら、確実に他のことが目に入らず耳に入らなくなると思いましたので、休憩の最後にと」
「余計な気は回さなくて結構ですよ」
副所長から企画書の束を奪い取る。表紙には『知る人ぞ知る革新的で人道的な処刑器具、ギロチン』とデカデカと記されている。製造手順、使用方法にはどれも精密なイラストつき。大した材料は使わないし組み立ても労力は使わないで済む。人を見世物として殺すのに実に効率化されている。使用した場合の、人間が受けるであろう苦痛と、罪の軽重によりそれを和らげるための処置の必要性、群衆の沸き具合の予測が書かれている。そして開発した古の賢人の名前が記されているが、生憎ニコレイナスは聞いたことがない。
「どう思われますか?」
「うん。これ、作ってみましょうか。王魔研で冬期休暇中に作成して、彼女に見せるとしましょう。貴方は量産計画書の作成、それと治安維持局と王都警備局にお披露目の根回しを」
「お言葉ですが、現在取り組んでいる研究と実験で余力はありません。所長にも大量の開発依頼と実験と会議の予定が」
「そんなものより、こちらを作った方が楽しいですよ。最優先です」
「分かりました。多少調整が必要ですがスケジュールへの支障は最低限に抑えて見せます。所長のお力を借りなくても大丈夫です」
副所長の目に力が籠っている。周囲で聞き耳を立てていた研究員たちは死にそうな顔をしている。高給で激務、やりがいあふれる素敵な職場。これが王魔研である。当然その中には自分も含まれなければならない。
「全員、やる気に溢れて素晴らしいことです。でも私も手伝いますよ。楽しそうですからねぇ」
この完成品を見せたときミツバがどんな顔をするか、想像すると楽しみである。彼女の人生を見守ることは、ニコレイナスの趣味であり、権利であり、義務なのである。だって彼女を構成する3つのうちの一つは、間違いなくニコレイナスが生み出したものなのだから。