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第三話 滾る野心

「それで。意識を取り戻したという報告は聞いていたけれど。最近の呪い人形の様子を詳しく教えてもらえるかしら」

「は、はい。ギルモア様はそれはもう毎日お幸せそうです。玩具を買いそろえるばかりでなく、つい先日も新しいドレスを新調なさいました。後は、絵師を呼び出して、親子の永遠の記録とすると仰られて」

「あ、そう。実に馬鹿馬鹿しいわね。そんなものを書き残したところでゴミにしかならないでしょうに。お前もそう思うでしょう?」

「は、はい」

「それにしても忌々しいわ。不愉快極まりない」


 ここはブルーローズ家別館。ギルモアの後妻であるミリアーネは、執事ピエールから報告を聞いて心底苦々しい顔をしていた。あの呪い人形が復活してから一ヶ月。――魔光石と子供の死骸から採取した触媒をブレンドした秘薬とやらを、約10年もの間投与されつづけてきた呪い人形だ。その顔はあの女――前妻ツバキに瓜二つ。その上、使用人たちの話ではまるで悪魔のような表情で笑うのだとか。悪評が広まるのも時間の問題だ。そんなことでブルーローズの名に泥を塗られてはたまったものではない。さっさと死なせてしまえば良かったものを。


「本当に救えないわね。金は減る一方なのに、本人にはまるで自覚なし。当主の資格があるのかしら?」

「…………」

「黙っているけど。お前も他人ごとではないのよ? 破産したらどうやって食べていくのかしら」

「し、しかし私どもにできることなど」

「まぁ期待などしてないけどね、愚痴ぐらい言いたくなるものよ」


 一体あの男は、どれだけの財産を浪費すれば気が済むのか。ブルーローズ家所有の芸術品、武具などはかなりの数が既に売り払われている。挙句の果てには、土地にまで手をつけようとする始末。これはミリアーネが裏で手を回して即座に握りつぶした。いずれこの土地は息子グリエルが継承するのだ。芸術品などはどうでもよいが、土地だけは絶対に許さない。貴族の誇りにして魂である。売り渡すなどありえない。


「とっとと後を追って死ねば良かったのよ。愚かなほど長生きするというのは本当なのかしら。羨ましい限りね」


 ピエールから差し出された報告書をビリビリと破くと、ぽいっと投げ捨てる。慌てて拾い集めるピエール。ピエールは外見だけみると誠実かつ忠誠心に篤そうに見えるが、中身と一致していない。保身が第一であり、ギルモアへの忠誠心はないと言っていい。現に逼迫していく資産を見てミリアーネ側に簡単についた。こいつだけではない、使用人の全てをミリアーネは引き込んでいる。報酬は、現在の給金とギルモア死後も引き続き雇用を続けるという保証だけ。これだけで、ギルモア周囲の情報が全て入ってくる。


「さぁて、どうしようかしら」


 イエローローズの家から政略結婚で嫁いだ身。二人の男子を儲けたことで十分にその役目は果たしている。ギルモアの役目ももう終わっている。後はとっとと引退、もしくは病死してくれれば全てが上手くいく。イエローローズ家は国王に近しい家、当然議会でも王党派の筆頭だ。中立を保つブルーローズ家を引き込む事ができれば、イエローローズ家にとって都合の良い政治が行なわれることになる。国王ルロイとの水面下での折衝も、父が終わらせている。ブルーローズの家を継ぐのはグリエルと報告済みだ。ギルモアがどれだけ抵抗しようと、ミツバなどという呪い人形がその座につく事は絶対にない。


「奥様、一つ悪い知らせがございます」

「あらあら、なにかしら。怖いわねぇ」

「青薔薇の杖の継承を、ギルモア様は既に行なわれたようです。杖の所有権は、その、ミツバお嬢様に。今ではお嬢様が常に持ち歩いていらっしゃいます」

「まぁ、それは大変。でも、そんな勝手なことをして、自分がどうなるか考えていなかったのかしらねぇ」


 ミリアーネは薄く笑う。由緒ある七杖家継承者の証である、各色の薔薇の杖。その杖は継承の儀式を行わなければ、握ることすらできない。薔薇の杖は持ち主を選ぶのだ。資質のないものが無理に握ろうとすれば死の代償を得ると伝わっている。ギルモアはその杖を死守することで、自分が当主であり、後継者を選ぶのも自分であると広言していた。


(余計な仕事を増やしてくれて。本当に面倒なことばかりしてくれるわね)


 だが、特に問題はない。杖が本物であろうとレプリカであろうと誰も気にしない。当主自ら先頭に立って戦場にでることはもうないのだ。ここ二十年で戦争は大きく様相を変えたから。だから、本物の杖を誰が持っていようが気にしない。ブルーローズの家に存在しているだけで良い。

 ミリアーネが、ギルモアの浪費に目を瞑っていたのは穏健に家督継承を済ませたかったからに過ぎない。医者が言うには、酒に溺れていたギルモアの内臓はボロボロとのこと。麻薬と言い換えることの出来る鎮痛剤を毎日飲んでいることも知っている。他にも重い病を患っている可能性も高い。だから見逃してきた。だが、それももう終わりだ。杖もなく、ひたすら財産を食いつぶす害虫。当主としての役割を何一つ行なうこともせず、呪い人形にかまけてきた哀れな男。そんな男の妻とされた自分も十分哀れだろうが、ブルーローズ家乗っ取りには成功した。何ら恥じることはない。


「……奥様?」

「ああ、少し考え事をしていたわ。……さて、お前の報告によると、来月お披露目のパーティを計画しているのだったかしら」

「は、はい」

「ふん。あの男、恐らくそこでミツバに家督継承を発表する気でしょうね。ふふふ、それはそれで面白いかしら。ならば、そこで決着をつけましょう」

「け、決着ですか」

「ええ。グリエルとミゲルは忙しいでしょうし、後で色々言われるのは可哀相だから欠席させましょう。いつものように、私が全部掃除しなくてはね」


 いずれにせよ、ことを行えば多かれ少なかれ悪い噂は流れる。ギルモアの今までの所業を利用して、自業自得という風に揉みつぶしていくつもりだが。くだらぬ悪評は母である自分が背負えば良いだろう。グリエルは立派な当主として、ミゲルには上院議員として立派に働いてもらいたい。そうすれば自分も報われるというもの。


「は、はい」


「さてピエール。あとであるモノを渡すから、それをあの男のグラスに仕込みなさい。臨時報酬は百万ベルよ。大変な仕事だけど、やってみたいかしら?」

「……それは、ま、まさか」

「ええ、そうよ。これはお前の忠誠心を試すためのテストでもあるの。勿論断ってもいいわよ。罪深い行為であることには違いないし。どちらにせよ、お前がしくじった場合に備えて、手の者を数人客として紛れ込ませるから心配は無用、結末は一切合切何も変わらない」


 そう言って笑うと、ピエールは暫し悩んだ後、跪いて頷いた。


「聞き訳が良くて助かるわ。色々あったけど、最後には全て上手く行きそうねぇ。後はあの呪い人形をどうするか、かしら。一緒に始末できれば良いのだけど、なにせあの女が目をかけているからねぇ」


 ミリアーネは髪を弄りながら、しばし思考する。ギルモアは確実に殺す。ついでにミツバも殺してしまいたい。だが、あれは王国魔術研究所が関与してしまっている。植物状態だったあれを無理矢理生存させてきた頭のおかしい連中だ。生贄の実験動物ではなく、魔術の観察対象としてみていた場合、後で揉めるはめになる。特に所長のニコレイナスと敵対するのは避けたい。あの女は近代の戦争のあり方を変え、王国躍進の一翼を担った天才。敵対よりは協調していったほうが得策だ。


「それとなく聞いてみるとしましょうか。ピエール、ニコレイナス所長に使いを出しなさい。娘のことで早急にお会いしたいとね」

「かしこまりました」


 ピエールが下がった後、机をトントンと叩いて命令する。前には誰もいないが、背後に複数の気配を感じる。


「呪い人形の悪評をばら撒きなさい。死体の血を啜って蘇った化け物、母親を殺し、次は父親を呪い殺そうとしていると。後はギルモアの体調が急激に悪くなっているともね」


 どうせ悪評は広まるのだ。ならば先手をうって操作してしまった方が良い。こちらには非が及ばないように浸透させる。


「…………対象地域は?」

「ブルーローズ州だけでなく、王都周辺にもよろしく。あそこに撒いておけば、ローゼリア全土に風評として流れる事でしょう。金はイエローローズの父に請求しなさいな。そっちの利益も大きいのだから、嫌とは言わせないわ」

「承知しました」


 背後から気配が消える。いわゆる子飼いの密偵だ。イエローローズから連れて来た連中。荒事からこういった裏工作までお手のもの。これで、来月のお披露目会までには愉快な風聞に塗れている事だろう。ギルモアはどんな顔をしてそれを聞く事になるのだろうか。実に楽しみなことである。ミリアーネは楽しそうに笑った。


「黄と緑に青が加わる。王党派内での勢いを増せば、私たちは更に栄える事ができる。国王も私たちの勢いを無視出来ないわ。まさに、ローゼリア万歳、議会政治万歳ってとこかしら」


 国軍結成による私兵所有の大幅制限。その代わりに受け入れさせた議会制。一時はどうなるかと思ったが、貴族の世はどうやら終わらないようだ。ローゼリアは大陸有数の強国となり、王権は制限され、貴族の力は更に強まっている。いずれは、自分も議員とやらになるのも悪くないかもしれない。可能性は十分にある。ミリアーネは湧き上がってくる大量の野心に、思うがまま身を委ねることにした。

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