第二十八話 大尉の憂鬱
靄の掛かった意識が晴れてきた。朝焼け空がとても目に染みる。ついでに、大地には緑化教徒たちの死体で埋まっている。大体50人くらいだろうか。それはもう見事に死んでいる。
「うーん。私がやったんですけどちょっとやりすぎたような。片付けが大変そう」
ポリポリと頭を掻いて反省。反省だけなら猿でもできる。手には乾燥した赤茶けた血が付着している。ポンポンとはたくと、ペリペリとはがれていく。近くには涎を垂らしながら何かをぶつぶつ呟いているタルク少尉。愛する妻子の死で精神が崩壊してしまったようだ。それをやったのは私。記憶はしっかりある。でもまぁ同僚を殺した罰があたったということで。私が起きて頑張ってたから、惨劇の度合いもいつも以上になったのだろう。でも全部含めて私だから仕方がない。
「で、どうしたらいいと思います? 伯爵」
「ひ、ひいっ!」
「伯爵は緑化教徒じゃないでしょう? だから大丈夫です。そんなことより、どうしたら良いか考えはありますか?」
脅える伯爵一家に近づき、意見を求める。赤子を抱えた伯爵は顔面蒼白だったが、目がイッてしまっている息子を見て口を開く。
「と、とにかく息子を、アルストロを医者に見せなければ。それに、妻も! さっきから様子がおかしいのだ!」
「……ああ、女神様。どうか私たちをお救いください」
「女神様? どこに女神さまが?」
私に向かって拝んでいるご婦人に声をかけるが、特に反応はない。あちらの世界へいってしまっているようだ。一発ぶん殴れば治りそうだけど、やったら伯爵に怒られそうだからやめておこう。息子さんもほぼ一緒の症状。必死に拝んでいる。
「糞っ、どうして善良に生きてきた私たちがこんな目に遭わねばならん!」
「あの、伯爵の家に誰か残っていないんですか?」
「……全員裏切っていたのだ。あの薄情者共めらが!」
「もしかして全員緑化教徒だったんですか?」
「違う! 金で懐柔されていたのだ! 私たちを嘲笑した挙句、見捨てていきおったわ!」
「あちゃー」
私の予想だと給金を渋ったか、常日頃から嫌がらせをしまくったせいである。この自称善良な伯爵、ビックリするほど人望がなさそうだし。国のためを思うならここで死んでた方が良い気もするけど、別に潰さなくてもいいかもしれない。一匹寄生虫を潰しても、大して何も変わらないし。私に迷惑をかけなければどうでもいいのである。むしろ生きててもらえば、私が士官学校に戻ってから褒められるかもしれない。というわけで伯爵には生きて帰ってもらうとしよう。
「仕方ないです。じゃあ善良な伯爵様ご一家は私と一緒にリトルベルに帰りましょうか」
「わ、私たちに自分で動けというのか? しかも今から? この散々な有様を見てものを言っているのか?」
「別にここにいてもいいですけど。盗賊とか緑化教徒の残党が来て、皆殺しにされちゃっても文句言わないでくださいね。私は帰ります」
私がキッパリと告げると、伯爵は顔を青ざめさせた。大変危険な状況にいることにようやく気が付いたのかもしれない。別に気が付かなくても構わないけど。本当にどうでも良いからである。それに徹夜したせいか、普段の礼儀正しい対応ができていない。でも疲れてるから仕方ない。この人達が勝手に死んでも仕方がないことにしよう。世の中そういうものだし。
「わ、分かった。分かったから見捨てないでくれ。頼むから、私たちを連れて行ってくれ! 死ぬのは嫌だ!」
「ちょ、ちょっと。顔が近いですから。そちらの奥様も近いですって。全員離れてください」
ゾンビみたいに顔を近づけてきたので、手で押し返す。夫人もゾンビみたいに近づいてきたので、ハルジオ伯爵を盾にして回避。だって、泥まみれで汚いし。私も血まみれだけど。
「ぶ、無礼なと言いたいが、命の恩人に失礼なことは言えんか。しかし、まぁ、派手にやったものだ」
「ええ、見事に壊滅状態ですよね。崩壊って感じで!」
「ああ、死ぬほど頭が痛い。物理的にも精神的にも私の懐的にもだ。これから一体どうしたらいいのだ。誰が補償してくれるんだ……」
死ぬ寸前だったのに呑気な伯爵。あっちの世界にいかない分、メンタルだけは強靭なようだ。
「さぁー。それも私は知らないですし興味もないです」
私は鞄を背負い、器具を担ぎ、大砲を押しはじめる。
「お、おい。まさか、それを持っていくのか?」
「ええ。大砲は高いですからね。命令がない限り放棄は許されないと教えられました」
「……そ、そうか。最近の兵士は実に敢闘精神に溢れているのだな。……すまんが、アルストロを大砲に乗せてやれないだろうか。も、もちろん私も押すつもりだ。つもりはある」
「ええー」
うっかり非常に嫌だという不満がもれてしまった。アルストロという青年は脂汗ダラダラで、今にも気絶しそうである。右足はなんだか凄い形に曲がってるし。伯爵も口ばっかりで手伝わないに違いない。
「頼む! この通りだ! 後でもちろん礼はする!」
「わ、分かりましたから、あまり近づかないでください。死ぬほど邪魔なんで。器具が落ちちゃいます」
「ほ、本当に無礼な娘だな」
「戦場に無礼も非礼もないです。生きてるだけでラッキーですよね」
私が言いきると、伯爵もしぶしぶ頷いた。仕方なくアルストロを砲身に乗せ、縄で落ちないように体を固定する。その時の振動で悲鳴があがるかと思いきや、特になにもなし。その目は虚ろで、何だかニヤニヤしていて気持ちが悪い。まぁ、これから地獄を味わうと思うので今は放置だ。道はそんなに整備されてなかったから、車輪はそうとう揺れる。振動はもろに伝わるわけで。それはもう超痛いだろう。
「よいしょ。これでできあがりですね」
「ああ、女神さまのお慈悲に触れることができるとは。もう、私は死んでも構いません!」
「……奥様はアルストロ君を横から支えてもらえます?」
「ええ、ええ。女神さまのお告げですわね。勿論従いますわ」
「……そ、そうですか。伯爵、この人たち、頭大丈夫ですか?」
「私に聞かれてもな。無事戻ったら医者に見せるつもりだ。追い詰められて精神が少々まずいことになっているようだ」
「そうですか。じゃあ、伯爵がタルク少尉を見張ってください。これから一緒に砲身に括り付けます。もちろん手足には枷をするので」
「わ、私が見張るのか?」
「他の二人はもう無理そうですし。宜しくお願いしますね。万が一悪さをしたら、このナイフで死なない程度にやっちゃってください」
「わ、分かった。任せておけ」
タルクを乱暴に大砲に括りつける。伯爵に拾ったナイフ、アルストロには、一応布を巻いた木の棒を渡しておく。
「多分、悲鳴をあげたくなるでしょうから、これをどうぞ」
「これは一体?」
「我慢できなくなったときに噛み締めると、気が紛れるかもしれません」
「おお、女神さまのお慈悲……。ありがとうございます。ありがとうございます」
木の棒で凄い感謝を頂いてしまった。彼には黄金の棒にでも見えているのだろうか。
「……そんなものより、連中の使っていたこの薬を使うのはどうだ? 痛みが紛れるだろう」
「駄目です。神の慈悲だろうがなんだろうが麻薬は駄目です。あ、緑化教に入信希望なら死刑です」
伯爵の提案を即座に却下。そして差し出してきた神の慈悲とかいう麻薬を地面に落として踏みつぶす。
「麻薬の使用は許しません。いずれ成分が調整されて鎮痛剤として出回ったらいいですね。というわけでこれは駄目です」
麻薬は、ダメ絶対である。なぜなら、麻薬をやる、頭がおかしくなる、緑化教徒になる、自爆する。この流れを止めないといけない。つまり、麻薬常習者は見逃さないし見逃せない。むしろ一度でも使ったら死刑にする法律にした方がいいと思う。サンドラにお願いしておこう。
でもなぜ鎮痛剤になったら許されるのかというと。お医者さまの言う通りに服用する限り、人に迷惑をかけないで済むからである。用法用量を正しく守りましょうということだ。いつか私もお世話になるかもしれないし。そういう研究がされているかはしらないけど。モルヒネとヘロインの違いと同じ。モルヒネ、条件付きで許可。ヘロイン、死刑。とても分かりやすい。
「じゃあそろそろ行きましょうか。しかし、なんだか酷い一日だった気がします」
「……全く同感だ。本当に酷い一日だった」
大砲を押し始めると、タルク少尉のうめき声と赤子の泣き声だけが響き始める。アルストロ君と夫人はなんだか讃美歌を歌い始めている。気持ち悪いのでこれ以上触れるのはやめておこう。赤子を背負った伯爵がヒーヒー言いながらタルク少尉を見張り、私は大砲をひたすら押している。意味が分からないが、これもある意味平等な社会かもしれない。サンドラが見たら手を叩いて称賛するに違いない。そんなことを思いながら、私は汗を拭いながら大砲を押すのであった。
◆
リトルベルに戻ると、それはもう大騒ぎになった。赤子を抱えたハルジオ伯爵が、それはもう怒涛の勢いでモラン大尉に詰め寄り、盛大に罵声を飛ばしたり、夫人とアルストロ君がまた讃美歌を歌いだしたり、赤ちゃんが大泣きしたりして面白かった。その後は、一家揃って案内された医者の下へ直行だ。多分そのお医者さんの専門は精神科に違いない。で、裏切者のタルク少尉はとりあえず牢獄行き。ぶくぶくと泡を吹いていたのがちょっと面白かった。そして、私は大尉直々に事情聴取である。
「……ミツバ研修生。伯爵が言っていたことは、その、本当なのか? タルク少尉が裏切っていた、しかも言うに事欠いて緑化教徒だっただと?」
「はい間違いなく。本当の本当です」
「全く信じられん」
「でも本当です。伯爵も言ってた通りです。というか、伯爵が嘘つく理由がないですし」
モラン大尉が黙り込んでしまった。やっぱり伯爵には生き残ってもらって正解だった。生き証人というのは重要である。
「…………」
「隊員の人は待ち伏せにあって全員死にました。私はたまたま生き残ったので、隙を見て大砲を奪って反撃したら上手くいっちゃいました。頑張りました」
「…………おお、神よ」
私は頑張ったことを強調したが、モラン大尉は両手で頭を抱えている。可哀相だけど、きっと責任問題である。副長に緑化教徒を据えてしまい、その上隊員十人戦死させちゃいましたとは悲惨である。伯爵から治安維持局本部に激烈な苦情も入るだろう。悲哀を感じる中間管理職である。しかし、私にはそんなに関係ないので知ったことではない。むしろ撃ち殺されたこちらが被害者である。訴えてやりたい。でも誰に? 王様とかかな?
そこに、兵隊さんがやってくる。運よく遠征に行かなくて済んだので、この人はラッキーな人である。私にもおすそ分けしてほしい。
「大尉、準備が整いましたが……」
「ああ、嘆いていても始まらん。とにかく状況を調査し、直ちに本部に報告しなければ。話が本当ならば、部下の遺体も放置してはおけん」
「はっ」
と、大事なことを一つ思い出したので口を挟むことにした。
「そうだ。この町の食堂の従業員さんにも、緑化教徒がいましたよ。本部への連絡係だとかなんとか。さっきの大騒ぎで、逃げる準備をしてるかもしれないです」
「……食堂に直ちに兵を派遣しろ。村にも直ちに出発しろ! 怪しい奴は全員逮捕、歯向かったら撃ち殺して構わん!! やられる前に殺せ!!」
「りょ、了解しました!」
兵隊さんが飛び出ていく。モラン大尉の顔色は青くなったり赤くなったりと忙しい。
「……一つだけ尋ねたい。村人全員が緑化教徒だったのか? 生き残りは他にはいないのか?」
「あの赤ちゃん以外にはいませんね。全員処刑したので他の生き残りはいないです」
「全員、処刑しただと? 一体どういうことだ」
「はい。村の人全員に緑化教徒ですかと尋ねて、認めたら殺しました。認めなくても殺しました。だって、赤ちゃん以外は全員緑化教徒だったので。でもタルク少尉には証人として生き残ってもらいました。あんな感じで壊れちゃいましたけど。あはは」
淡々と報告する。カビが消毒できてハッピー! などとは言えない。降りかかる火の粉を払っただけである。そして、平和主義の私の意識はそのとき朦朧としていたので、あんまり自覚がない。完全に他人事なのである。
「なんということだ。あの魔術師たちの言った通りになってしまったとは。……いや、むしろ救われたとでもいうのか?」
「…………なんです?」
「……とにかく、君の報告は了解した。悪いが今日は宿に戻って休んでくれ。状況を確認次第、追って連絡する」
「はい、了解しました」
出て行って良いみたいだったので、とっととお暇することにした。――と。
「待ちたまえ」
「はい?」
「……村の反乱事件を解決し、ハルジオ伯爵一家を救ってくれたこと、心より感謝する」
暫く苦渋の表情を浮かべていたモラン大尉がのそっと立ち上がり、私に敬礼してきた。私も慌てて振り返り、敬礼する。なんだか軍人になったみたいで格好良かった。背が小さいので、兵隊さんごっこに見えるだろうが、それは仕方がない。ついでに一つおねだりしてみようか。心から感謝してくれたのだからもしかしたら聞いてくれるかも。
「あの、一つお願いが」
「……何かね」
「お借りしていたあの長銃、もしよければくれませんか? 手放すにはちょっと名残惜しいので」
「……好きにするといい。隊員も少なくなってしまったからな。……研修終了後、持ち帰れるように取り計らおう」
「ありがとうございます!」
私は最敬礼しておく。なんだかあの長銃に愛着が湧いてしまったのである。墓標になっていた銃なんて超レアものだし。倉庫には同じものが他にもあったけど、これは是非とも手元に置いておきたい。本当は大砲もほしかったけど、それは堪えよう。何せ高いから。
「それでは、失礼します」
「……ああ」
どっしりと座り込んで、上を向いてしまったモラン大尉。大変お疲れのようだ。それを一瞥した後、私は駐在所の外に出る。もう時間は夕方だ。美味しいシチューでも食べに行こうか。あれ、でも食堂には今兵隊さんが押しかけていたっけ。じゃあ私の晩ご飯はどうしたらよいだろうか。そんなことを悩みながら外を適当に歩いていたら、町の人が凍りついた表情で私を眺めてきた。そして、絶句したまま逃げていってしまった。
「あ」
結構大事なことを忘れていた。今の私の格好だ。私の軍服は血と土に塗れており、しかも穴まで空いている。表情は白いから、死体が動いているように見えたかも。長銃を担いだ少女のゾンビ。面白そうなので、このまま宿にいきたいところだが、これ以上大尉を追いこむと精神崩壊してしまうかもしれない。
私はこっそりと駐在所に戻ると、モラン大尉にお願いして替えの軍服をもらうのであった。『心からの感謝』の貸しはこれでチャラになったにちがいない。なんだか腑に落ちないところもあるけど、世の中というのはそういうものなのだ。