第二十七話 ミツバの刻印
紫色の靄がかかった場所に私はゆらゆらしながら立っている。なんだか見覚えのある場所。そうだ、ここははじまりのあの場所だ。でもなんだか高いところにいるような浮遊感。高い場所から世界を見下ろしているような。でも下には何もない。そして、気が付いたらとても見知った顔が二つあった。私も入れれば全部で三つ。私はとりあえず挨拶をすることにした。
「こんばんは、ですか? こうやって面と向かって話すのは初めましてですかね」
「いつも一緒だからねー。とっても不思議で面白いね!」
「顔をつき合わせても私は私、だからどうでもいいよ。思考も最後は混ざるんだし」
「ここはなんなんです?」
「さぁ。しーらない」
「地獄じゃない? 天国はないけど地獄はあるってお母さんが言ってたし。だからここは地獄。私たちは地獄で生まれて地獄で死ぬの」
ろくでもないことを言う私。こんなにも暗い世の中、少しは明るくいきたいものである。
「それはそれとして、また死んじゃいました。申し訳ないです」
「そうだねぇ。穴だらけで痛いよねー。どうしてこんな目に遭うのかな? 本当に嫌だなー」
「私が呑気にしてるからだよ。いつも後手後手。先手を打って殺さないと駄目でしょ。だから死ぬんだよ」
私たちからの駄目出し。痛いところを突かれた私は話を逸らすことにした。
「ま、まぁまぁそう怒らないで。私だって死ぬぐらい痛かったんですから。ところでですね、この世界に神様はいるんですかね?」
「どうだろうねー。私には分からないよ。全然興味ないかなー」
「いないよ。どこにもいなかったもの。いたら殺せたのにね。残念だね。そうか、だから私は緑の連中が嫌いなんだね。いないモノをあんなに信じるなんて気持ち悪いし。あはは、気持ち悪いから全部殺さなくちゃね!」
私たちは全員がミツバでありミツバじゃない。不運にも魂を複製された私。執念に束縛され消滅できなかった私。生まれでることが許されなかったバラバラな私。全部私だけど思想や思考はみんな違う。穏健主義なのがこの私、あちらが今が楽しければ良いという享楽派な私、こちらが頭のネジが全部すっとんでる過激派な私である。いわゆる三頭制で、穏健派なこの私が主体なのである。やったね。でも私は私なので結局同じことなのである。残念。
「じゃあ私はなんで生きてるんです? 何度も殺されたと思うんですけど」
「さぁー。でも生きてるからどうでもいいんじゃないかなー。難しいことを考えると眠くなるよ」
「存在できてるならどうでもいいよ。まだ、この世界で何もしてないし。まだまだこれからだよ。何もせずに消えるなんてありえない。そんなのは嫌」
生と死への疑念を抱く哲学的な私に、どうでもいいと答える私たち。
「なんでかというとですね。死なないなら、もしかして私には神のご加護があるのかなって。それとも悪魔的な何かですか? ほら、魔法っぽい変な能力使えたりするし。きっとそうですよね」
「あー、私は馬鹿なんだね。でもいいと思うよ! 馬鹿な方が人生楽しいよねー。分かる分かる」
「私たちは神でも悪魔でもないよ。加護なんてないし、もちろん勇者でも死神でも魔王とかでもない。私たちは人間じゃないけど人間っぽいなにか。あははは。じゃあ一体なんなんだろう! いつかお母さんに聞いてみないとね!」
「……えっと。じゃあ、私は人間っぽいなにかとして。今までが超幸運で、そのうち死んじゃうってことですか?」
「さぁ。そんなの知ーらない。ふぁあーあ」
「あのね、何事にも代償は必要なんだよ。人を呪わば穴二つって言うんでしょ? 私たちはもっとたくさんの穴を作れるよね。でもね、お互いに呪われていることには変わりがない。だからね、そういうことだよ。あとねあとね、早く制御しないと、全部撃ち尽くしちゃうからね。でもこの悪意まみれの世界で制御できるかなぁ? あはははは! でもまだまだ沢山あるから大丈夫! 私も存分に撃てるね!」
手を銃の形にしてご機嫌にバンバンやっている過激派な私。享楽派の私は横になって眠ってしまったようだ。この話に飽きたらしい。
「あのね、私は平和に生きたいんでしょう? でも絶対に無理だよ。そんなのつまらないから私たちが許さないし。民主主義万歳だよね」
「……最後に一つだけ聞かせてください。結局、私に、どうしろっていうんですか?」
「あのね、この世界のいろんな人たちが私を作ってくれたんだよ。長い時間をかけて、血、肉、魂まで全部用意してくれたの。だからね、何もせずに消えるなんて嫌なんだよ。私もそうでしょう?」
「……………………」
「だから、これからは私ももっと頑張って起きているから。一緒に、この世界に沢山刻み込もうね」
「世界に、刻む。いったい、何を?」
返答はとても素敵な私の笑顔だった。ブツンと視界が途切れて、私は目が覚めた。
◆
「……うん?」
見張りを続けていたタルクは、異変を察知した。夜だというのに、明るすぎるのだ。今日は確かに満月の夜だが、その類の明るさではない。何かもっと赤くて不吉な――。
「か、火事だ!! ディーガンの家が燃えてやがる!」
「早く水を汲んで来い! 男連中は消火作業に当たれ!! 女は怪我人の手当てだ!」
村で睡眠を取っていた大人たちが慌てて水の入った木桶を持って、ディーガンの家に向かっていく。タルクもそれに加勢しようとしたが止められた。
「私も手伝いますよ!」
「いや、アンタはハルジオの野郎を見張っててくれ。この屑共、まだ諦めてないみたいだからな」
「し、しかし」
「逃げられでもしたらそれこそ大変だ。こういうのはアンタが一番適任だ」
「……分かりました。ですが、皆さんも気をつけてください」
「分かってるよ。しかし無事に避難してるといいんだが。全く、こんなめでたい日になんてことだ」
見送った後、タルクは再び腰掛ける。そして、元豚小屋にぶちこまれているハルジオ一家を眺める。元というのは、家畜など食べてしまったため、とうの昔に存在しないからだ。今のこの村の生業は、葡萄や野菜の栽培と、『神の慈悲』の密造である。
「お、おい! もしかして王国軍ではないのか? 私たちを助けに来たのでは」
「ははは。生憎、ただの小火ですよ。ちょっとした火の不始末ですね。勝利した喜びで、つい気が緩んでしまったようで」
「ぼ、ぼや? く、くそがっ!」
顔面中に青痣が刻まれたハルジオが、口惜しそうに蹲る。息子は右足を圧し折られており、苦痛に呻くのみ。もう普通に歩くことは難しいだろう。夫人は髪を切り刻まれた挙句、全身に泥をぶちまけられている。ただ屈辱を与えるのが目的である。
タルクが見張りを続けながら、少し離れた場所で行われている消火活動の様子を見守る。
「うん? 何だか声が」
誰かの囁くような声が、近くで聞こえた気がした。小さな女の子のような声だ。その直後、ドンと何かが破裂したような音が響く。――そして、ディーガン家が爆散した。
消火活動に当たっていた大人たちは、一斉に地面に倒れ伏せ、悲鳴を漏らす。顔面には木片やら鉄片が食い込んでいる者もいる。四肢の一部が千切れた者もいる。
「……い、痛い。な、なんで、俺の腕が」
「ああああああ!! か、顔が焼ける!! 助けてくれ!!」
「神様!! お、お慈悲をッッ!!」
続けて破裂音。轟く爆発音。軽傷で救助に当たろうとしていた者たちが、再び吹き飛ぶ。タルクは唖然としながら、それを眺めることしかできない。そして、ふと疑念が頭によぎる。
「み、皆。そ、それに今のは、砲弾。まさか、本当に王国軍がやってきたとでも」
だがモラン大尉にそんな気概があるとは思えない。今回だって、適当に大砲の射撃を披露してやれと言っていたくらいだ。彼は現状維持することにしか興味がない。今までだって、緑化教徒をわざわざ捜索しようとはしてこなかった。こちらにも被害がでるから避けたいというのは明らかで、自爆を恐れているのも見て取れた。だからタルクは副長の地位を利用して、教徒のために色々と手を回してやったりもした。一々詮索してこないモラン大尉は実に理想的な上司であった。
しかし、極めて信じがたいが、現実はこの惨状である。誰かは分からないが、敵方は容赦なしに砲弾を撃ち込んできている。タルクは慌てて立てかけておいた長銃を手に取る。そして、気持ちの悪い声で笑い始めたハルジオを睨みつける。
「は、はははっ。やはり国は私を見捨てなかった。お前ら全員皆殺しだ! 貴様ら、一人たりとて逃げ――ぐえっ!!」
「黙れッ!」
檻を開けて、顔面を銃床で殴りつける。鈍い感触があったので、鼻の骨は折れているだろう。小うるさい口を足で踏みつけてやる。そのついでに、右足の折れている息子も蹴りつける。もちろん折れている足をだ。
「ぐああああッ! あ、足がああああああああ!!」
「や、やへて。む、むすこだへは」
「この寄生虫共が! 今度余計なことを喋ったら頭を撃ち抜くッ!!」
貴族の蔑称、寄生虫。これ以上ない名前である。このまま撃ち殺してやりたい。だが今はそんなことより、命をかけて応戦しなくてはならない。倒れている人達はかわいそうだが、助けている余裕はない。それよりも、一人でも多く道連れにするべきだ。それでこそ緑の神への貢献に――。
「……え?」
タルクは一瞬己の目を疑ってしまった。燃え盛るディーガン家。その死角から、一門の大砲がのろのろと進み出てきたのだ。片手に呪紙棒をもっているのは、死んだ筈の少女――研修生ミツバ。彼女は大砲を止めると、口元を歪めて着火点に呪紙を当てる。すると、破裂音とともに、今度は散弾が飛び出した。最後の力を振り絞り立ち上がろうとしていた者達の身体が、一瞬で蜂の巣になる。断末魔の悲鳴すらあがらない。
「そ、そんな馬鹿な。あの子は、確かに、確かに死んでいた。何故生きている!?」
混乱するタルク。ありえない。確かに死んでいたし、そして埋めてやった。祈りも捧げてやった。だから生きているはずがないのだ。それに見てみろ、彼女の軍服は現に土まみれだし、銃弾の痕もあるじゃないか。それが生きているのはおかしい。ありえない。
「……どうして。なんでだ? 一体何が起こっているんだ。か、神よ」
幸い、ミツバはこちらに気付いていないようだ。と、何かを見つけたのか、その場に大砲を残して小走りで駆けていく。そして、縄と猿轡で拘束された二人の人間を引き連れて戻ってきた。それはとてもよく見知った人たちで。
「どこかに隠れているタルク少尉、聞こえていたら今すぐに投降してください。さもないとこの人達を殺します。貴方の大事な家族ですよね? これから十秒以内に出てこなかったら、まずこの子供から殺しますね」
「――な」
「それでは秒読みを開始します。10、9、8――」
妻ハンナと愛息を強引に跪かせると、その頭部に銃剣を突きつける。そして楽し気に秒読みを開始した。タルクは慌ててミツバに向かって照準を定める。この距離だ。当てるのは自分の腕なら難しくない。別に頭部じゃなくても良い。どこかに当たれば隙ができる。だが、本当にアレを殺せるのかという疑問は尽きない。なぜなら、殺したのに生きているから。それはおかしいのだ。なら自分はどうするべきか。何を選択するべきなのか。
「当たる。当たるはずだ。そうすれば殺せる。緑の神が私たちを見捨てるはずがない。これは神が与えた試練なのだ。神よ我らを導きたまえ」
手の震えが収まっていく。引き金に掛けた指に力を込めていく。そして、撃とうとした瞬間。ミツバと完全に目があった。青い目じゃない。深遠な黒が広がる、その絶望を湛えた目。その目が、タルクを捉えている。
「――ッ!!」
「ああ、そこにいたんですね。やっと見つけました」
ミツバは白い歯を見せて嗤うと、長銃を片手で構えて、引き金を引いた。
◆
タルクたちは、ミツバ一人の手によって壊滅させられていた。何が何だか分からないうちにだ。そして、意識のない者もある者も村の広場に集められた。ゴミでも打ち捨てるかのように。ハルジオ一家は救出されたらしく、近くの椅子に座りながら肩で呼吸を行なっていた。
「た、助かったぞ。こ、今回のことは、国への大きな貸しになる。この落とし前は必ずつけてやる!!」
「伯爵伯爵、まだ何も終わってないですよ?」
「な、なに? 一体何がだ。反乱はこうして無事鎮圧」
「緑化教徒の処刑ですよ。全員つれては戻れないし、自爆されたら厄介です。短い人生、リスクは早めに摘み取らないと」
「お、おい。勝手な真似をせず応援を」
動揺するハルジオを置いて、ミツバが一番近くの男に近づいていく。
「貴方は緑化教徒ですか?」
「…………」
「黙して語らずとは頭が良いですね。でもさわやかな臭いなので死刑です」
流れるような動作で銃剣を男の頭部に突き刺した。血が迸り、男は倒れ伏す。ハルジオもあまりの事態に茫然としている。
「な、なんてことを!!」
思わずタルクは声をあげる。右腕を撃たれ、更に両脚を拘束されているから、身動きすらできない。ハンナと息子を傍に引き寄せることぐらいしかできないのだ。
「心配しないでいいですよ、タルク少尉。私は緑化教徒を嗅ぎ分けられるんです。最初に言ったでしょう? さわやかな人ですねって。麻薬のせいか、それとも緑化教を信じるとあの臭いがつくんでしょうか。分からないけど、もしただの麻薬常習者でも別にいいですよね。錯乱して自爆する狂人なんですから。巻き込まれたらいやですし、死んだ方が世の中のためです」
笑いながら『神の慈悲』の花を握りつぶした後、ぐりぐりと踏みつけている。神への冒涜を聞いた怒りで思わず歯を食い縛るが、どうにもならない。どうしてたかが子供一人にここまでしてやられたのかも分からない。なぜこいつが生きているのかも分からない。分からないことだらけで、タルクは頭がどうにかなりそうだった。
「じゃ、どんどん行きましょう。貴方は、緑化教徒ですか?」
「そ、そうだけど、頼む、殺さないでくれ。お、俺は、まだ免罪符を」
「はい、死刑です」
また見知った顔が殺された。つづいてその妻、子供。真実を述べた者、嘘を吐いた者、老若男女の区別なく、ミツバは銃剣を突き刺して行った。何も答える事ができない重傷者は、葡萄の実を潰す作業のように容易く頭部を粉砕されていった。残りはミツバが抱えている赤子を除けば四名のみ。
「この赤ちゃんからは臭いがしません。ということで助けてあげます。ここの住民は貴方が管理するんですよね。はい、どうぞ」
泣き喚く赤子を、ハルジオへと差し出す。ハルジオは慌てて受け取るが、すぐに汚らわしいという表情で地面に投げ捨ようとするのを、ミツバが腕を掴んで制止する。
「なんで殺すんです?」
「ふ、ふん。は、反乱を起こした農奴の赤子など、生かしておいたところで!」
「赤ちゃんを殺したら許さない。何の罪もないのに。何もしてないのに。絶対に殺さないでください。……殺したら呪い殺す」
「ひ、ひいっ」
声色を変えたミツバが強く念を押し、顔を近づける。ハルジオは赤子を抱いたまま腰を抜かして泡を吹いている。アルストロと夫人などは、跪いてミツバに対しひたすら祈りを捧げている始末。
そして、ようやくタルクへと向き直り憐れみを帯びた視線を向けてきた。
「さて、いよいよタルク少尉の番ですね。何か言伝があればモラン大尉に伝えますよ。もう話す機会はないでしょうし」
「……なぜ」
「はい、なんでしょう?」
「なぜ、お前は生きているんだ? 確かに死んでたはずなのに。何故死人が蘇る!?」
「さぁ。神様がいるなら、まだその時じゃないって追い返したんじゃないですかね。まぁいないんですけど」
「ふざけるなッ!! お前の様な悪魔に、神が慈悲を掛けるわけがない!! 化け物め!!」
「自分だって仲間を殺したくせに、酷い言い草ですね。それと唾を飛ばさないでください。そのさわやかな香りが頭に突き刺さるんです。さわやかすぎるのも鼻に悪いですよね。なんだか頭痛もしてきました」
心底嫌そうにミツバが見下ろしてくる。さわやかな香りなど、知る訳がない。そんな香りは嗅いだこともない。ここにあったのは土と汗の臭い、そして今は血の臭いだけだ。
「こ、殺すなら殺すが良い。私たちは神に導かれ、楽園で過ごすんだ。徳は十分に積んだ。きっと救われる。私たちは救われる!」
「特別サービスで、良いことを教えてあげます」
「…………」
「天国なんてないんですよ。もちろん楽園なんて嘘っぱちです」
「黙れ!!」
「そんな大声を出して否定しても事実は変わりませんよ。貴方たちは緑化教の偉い人達に良いように使われて搾取されてきただけ。まともな思考は麻薬でかき消されちゃいましたか? それにほら、死んだあとに救われるって言っておけば、誰も否定できませんから。死人に口なしですね、あはははははははっ!」
「う、煩い!! 楽園はある! 神は確かに存在するんだ!! だって、私はこの目で見たんだ!!」
神の慈悲に触れたタルクは確かに見た。見たのだ。神は、いる。心の中に僅かに残っていた猜疑心の欠片は、自分の弱さの表れ。そうに決まっている。そうじゃなければ、あまりに救われないではないか。
「麻薬のやりすぎで頭がイってたんじゃないですか? そうか、だから自分の子供たちに麻薬を使っちゃったんですね。あははははは!! おめでとうございます。少尉は地獄行き決定ですね!」
拘束された身体でミツバに飛び掛ったが、頭部に激しい衝撃を受け、タルクは意識を失った。ハンナと愛息が絶命する際にあげた悲鳴だけは、なぜか頭に飛び込んできてしまった。そして、上機嫌なミツバの笑い声。きっと全てが夢なんだと、タルクは思う事にした。そうしなければ、精神を保っていられなかったから。
「天国はないけど、地獄はあるんですよ。これからしばらくの間、存分に味わってください。そうしたら、解放される瞬間だけは救われた気分になれるかもしれません。本当、良かったですね」
目の前で家族を失い、神の存在を悪魔に否定されたタルクの精神は完全に壊れてしまった。それが幸か不幸かは誰にも分からないし、もう本人にも判断できなかった。ただ、その表情はひたすら苦悶が溢れているものだった。