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第二十四話 招かれざる研修生

 ローゼリア治安維持局レッドローズ州リトルベル市駐在所。一個小隊30名の隊員を率いるモラン大尉は、送られてきた命令書を握りつぶし、怒りで顔を真っ赤にしていた。モランの年齢はすでに50歳。軍歴は30年を越えている熟練の軍人である。祖国ローゼリアへの愛国心は誰にも負けないと思っている。


「この糞忙しいときに、なぜ私が子守をせねばならんのだ! 確かに人員が足りないと文句は言ったが、11歳の子供を寄越せとは言っておらんぞッ!」

「どうか落ち着いてください隊長。お気持ちはわかりますが、たった一週間ではないですか」


 副長のタルク少尉がなだめてくるが、怒りは収まるところを知らない。


「ほんの僅かだと頭では理解しているが、感情が承服せんのだ! なぜ餓鬼を我々に押し付ける! 暇を持て余している王都警備局の連中にでも押し付ければいいだろうがッ!」


 モランは人一倍の愛国心を持っているが、悲しい事に市民階級の出であった。たったそれだけで、輝かしい出世街道を歩む道はほぼ完全に閉ざされてしまった。出自がどうであろうと軍歴さえ積めば、大尉にまではほぼ自動的に上がっていく。士官学校を卒業すれば准尉からスタートし、少尉、中尉、大尉と上がっていく。貴族階級に生まれればあっと言う間に佐官に到達だ。

 だが、市民階級出が佐官に上がるには何か特別な功績をあげなければならない。将官になどは奇跡的な事態でも起こらない限り不可能だ。例えば、ニコレイナスほどの功績をあげる必要がある。当然、能力的には特筆すべきところがないモランには不可能であり、こうして小さな市の駐在所に配置されたという訳である。プルメニアやリーリアとの戦争にはさすがに駆り出されたが、特に交戦することもなく停戦が行なわれる始末。予定では、後数年このリトルベル市で過ごした後、晴れて退役を迎える事になる。


「いいか、私にはこの市を守るという義務がある。それに心血を注いできたつもりだ。この情勢下、いつ不測の事態が起きてもおかしくないからな」

「はっ、良く存じております」

「それを呑気に実地研修だと? 最近の不穏な状況を上の連中は理解しているのか? 頭のおかしいカビに、聞き分けのない共和主義者、食い詰めた浮浪者などがいたるところに溢れかえっている。外に一歩出るだけで頭痛の種ばかりなのだぞ!」

「……職を求めて王都に集まったものの、望む仕事につけるのは僅か一握り。市民の生活は悪化するばかりです。それに比例して緑化教徒の数も増えておりますし。共和主義者などは臆面もなく白昼堂々演説する始末です」



 貴族の土地から逃げ出した農奴どもが、職を求めて王都ベルに集まってくる。そこでも食い扶持を得られなかった者は、浮浪者となりスラムに住みつくか、またどこか棲家を求めて拡散していく。その繰り返しだ。それもこれも貴族が悪いとモランは思っているが口には出さない。最後は親愛なる王家に対する愚痴になってしまうから。

 市民には、まず国税が掛かり、その次に州税と市税が被さってくる。当然モランも支払っている。これを滞納した者を取り締まるのも治安維持局の仕事だからだ。この3つの税だけでもかなりの負担だが、戦争が起これば更に戦争税が課される。特に理由もなく、適当な名前の税が増えたこともあった。その度に不平不満の徒が大暴れするので、治安維持局は大忙しである。

 貴族の土地に暮らす農奴は更に悲惨である。上記の税に加えて、貴族への土地代も払わなければならない。余裕などある訳がない。当然不作時などは餓死者が多発する。それを免れようと子供を人買いに売ったり、宛てもないのに逃げ出したり、自棄になって緑化教徒になるのがこの類だ。共和主義を唱える連中は、まだそこまで追い詰められてはいない。だがそれも爆発寸前のように思える。


「ああ、子守などしている余裕がないことを理解してくれて、心から嬉しく思うよ少尉。それで、もう一度言うが、このミツバとかいう研修生、一体何歳だと思う。11歳だぞ11歳。士官学校の教官共は頭がどうかしているぞ!」

「……しかし、書類を見る限りでは、かなり優秀と記載がありますが。銃、大砲の扱いに長け、持久力にも優れると」

「子供の遊びではないのだぞ。……だが命令は命令だ。我々は従わねばならん。軍人とは悲しいものだな」

「心中、お察し致します」


 嘆息するモラン。自重しようと努力するが、口からは愚痴しか出てこようとしない。だが一週間の辛抱だ。


「タルク少尉。悪いがこの研修生の面倒は君に一任したい。最初の挨拶以外は私の前につれてこないようにしてくれ。怒りで倒れてしまいかねん。退役前に憤死などという悪しき前例を作りたくないものでね」

「はっ、了解しました。私にお任せください」





 期待の新星、未来の大軍人――ミツバ嬢がいよいよ駐在所に到着した。なんと真新しい軍服まで支給されているではないか。こんな子供用の軍服があったのかと一瞬思ったが、良く考えると軍楽隊には普通に子供がいるのを失念していた。おそらくはそこから手配したに違いない。それと、何故か馬車の護衛には王国魔術研究所の魔術師どもがついていた。護衛の厳重さからミツバとかいう子供は貴族出身かとモランは一瞬考えるが、それはないとすぐに考えを否定する。この子供は砲兵科所属だからだ。泥臭い砲兵科に進む貴族などこの世には存在しない。まぁ、研修生に何かあったら面子が潰れると、士官学校側がわざわざ依頼したのだろう。最近は街道に盗賊団が出没することもある。そういう心配りができるなら少しはこちらに回せと、モランは更に腹立たしさを募らせる。


「……ようこそ、リトルベル市駐在所へ。町の外観はもう見たかな? ここは小さいが美しい町だろう。私の自慢の町なのだよ」

「はい、そうですね。とても綺麗な町だと思います」

「そう言ってもらえて光栄だ。……私が隊長のモラン大尉だ。これから一週間、君の面倒を見るように命令された。遺憾ではあるが、命令とあらば断わるわけにはいかない。お互いに不幸だとは思うが、前向きに行こうではないか」

「ありがとうございます、モラン大尉。私は研修生のミツバ・クローブです。短い間ですが、宜しくお願いします」

「なるほど。挨拶だけは立派なものだな。よく仕込まれている」


 踵をそろえて、敬礼をするミツバ研修生。さぞかし練習したのだろう、そこらの兵卒よりは上手い。なにやら色々な噂があるとタルク少尉が言っていたが、モランは全く興味がなかったので聞く耳を持たなかった。第一印象は『気味の悪いガキ』である。銀髪は肩位まで伸びており、邪魔くさい前髪は目元まで届いている。士官学校では髪の長さに決まりがないのだろうか。面倒なので余計なことは言わないが。それに特徴的なのがこの青い目だ。人形の瞳のように造りは綺麗であるのに、何故かは分からないが薄気味悪い印象を受ける。透き通るように青いのに、感情が読めない。ジッと見ていると、暗闇に飲まれそうになり寒気が走る。普通ならば、誰だってコレには関わりたくないと思うだろう。――呪いの人形。思わずそんなことまで考えてしまった。

 モランは慌てて余計な思考を振り払い、ミツバを上から見下ろして口を開く。


「……さて、君の面倒はこのタルク少尉が見てくれる。まだ若いが、経験豊富で優秀な男だ。更に少尉は士官学校歩兵科を実に優秀な成績で卒業している。年齢も私よりは近いから、話もさぞ合うことだろう。色々と勉強させてもらうと良い」


 モランはそう言い切ると、タルクに視線を向ける。それに頷くと、前へ一歩進み出て敬礼するタルク。


「私がタルク少尉です。ミツバ研修生、ローゼリアの治安を維持するのが我々治安維持局の役目です。ここはその最前線となります。君が将来どこの配属になるかは分かりませんが、この町での経験は必ず活かす事ができるはずです。一週間、共に頑張りましょう」


 タルクがにこやかに微笑み、右手を差し出す。ミツバは僅かに口元を歪めると、その手を握り返した。


「ありがとうございます、少尉。少尉はとても『さわやか』な方なんですね」

「さわやか? 私の匂いがかい? そんなことは初めて言われたけれども」


 タルクは自分の服をクンクンと嗅ぎはじめ、ミツバはそれを子供らしからぬ不敵な笑みを浮かべて眺めている。その理由がモランには読み取れない。自信過剰なのか、ただの馬鹿なのか、いずれにせよ生意気な子供だとモランは思った。タルクは穏やかな表情を変えていない。実に人間ができていると感心する。リトルベル市民からの信頼も厚い男であり、モランの後を十分に継いでくれるだろう。既に後釜の指揮官として本部に推薦済みである。


「はい、間違いなくさわやかな人です」

「ははは、悪い気はしないけどね。しかしいくら私を褒めても何もでないよ」


 そう軽く笑った後、こちらを振りかえるタルク。


「大尉、もう昼食の時間も近いですし、あの食堂に連れて行っても構いませんか? 最初ぐらい、歓迎も兼ねて御馳走といきたいのですが」

「ああ、構わんよ。私の目の届かないところで好きにやりたまえ」

「はっ、ありがとうございます。それじゃあ行こうかミツバ研修生。あの食堂の料理は絶品でね。その上値段もお手軽なんだ。近くの村々から届く美味しい野菜を使ってるかららしいけれど」

「そうなんですか。それはとても楽しみです」

「はは。子供は素直が一番だからね。腹ごしらえをしたら、早速町を案内しよう。他の隊員との顔合わせも行なわないといけないからね」

「ありがとうございます、少尉」


 実に和やかな雰囲気だ。タルクは特にミツバを不気味には思っていないようである。こちらに敬礼すると、二人仲良く出て行ってしまった。もしかして、自分がおかしいのだろうかと、護衛についてきた魔術師たちに視線を向ける。


「いやはや、変わった子供――いや、研修生でしたな。実に変わっている」

「…………」

「それで、だ。一つだけお聞かせいただきたいのですが、何故あの若さで士官学校に? 些か非常識なことだと思うのですがね。しかも治安維持の最前線に投入などと前代未聞だ」

「諸事情がありまして、その類の質問には一切お答えできません。ご容赦を」

「ふん、これは手厳しいですな。まさか、ニコレイナス所長の隠し子とかですかな? それならば話は分かりますがね」


 冗談がてら下賎なことを呟いてしまった。魔術師たちの表情がスッと変わる。怒らせてしまったかと思ったが、何かに脅えているようにも見える。


「……大尉殿。冗談でも、そのようなことは仰られない方が宜しいかと。たった一週間の辛抱です。彼女を刺激するような行動、言動は是非お控え下さい」

「それは一体どういう意味ですかな。なぜ大尉であるこの私が、たかが研修生の機嫌をとらねばならんのです。馬鹿馬鹿しい話だ」


 言葉に棘が混ざる。王魔研の職員、研究者たちは軍属ではないから階級はない。モランとどちらが偉いかなどというのは水掛論だ。職権外の場ではお互いに尊重するということが慣例だ。そしてここはモランの持ち場、遠慮しなければならないのは相手である。


「私はただご忠告申し上げただけです。後は大尉のお好きになされれば宜しいかと。……それでは、我らはお暇いたします。1週間後、何事もなければミツバ研修生を迎えに参ります。どうぞご無事で」

「おい、ちょっと待て。何事もなければとはどういう意味だ。この町は我らが心血を注いで治安を維持している。何事もあるはずがない。それをご無事でとは無礼であろうが!」

「とにかく我らはこれで失礼します。おい、引き上げだ!」


 吠えるモランを見向きもせず呟くと、護衛の魔術師たちは早足で退出してしまった。モランは訳がわからずに立ち尽くす。彼らの後姿が、恐ろしい何かから逃げ出すかのように感じたからだ。


「なんだというのだ。全く、訳が分からん。さっぱり訳が分からんわ!」


 そして、苛々を吐き出すように咳払いをしてから、乱暴に椅子に腰掛けるのであった。


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