第二十三話 不自由な選択
――陸軍士官学校、校庭。
座学という名の一般常識勉強を終えた私たちは、外で持久走中だ。半年も経てば、授業の遅れも気にならなくなる。大して頑張ったわけでもないが、普通の学校とは違うのだ。軍人を育てる事が目的なので、やっぱり体力訓練、銃、大砲の扱い方がメインである。そして、お金も掛からず手間も掛からず、それでいて実戦的であり根性も鍛えられる持久走は、教官たちが大好きな訓練である。
「この校庭を走るのもいい加減飽きてきたよ。たまには王都の中を走るってのはどうだろうね」
「馬鹿も休み休み言え。ただでさえキナ臭い情勢だというのに、私たちが駆けずり回るなどいたずらに混乱をもたらすだけだ」
クローネにサンドラが突っ込んでいる。私は空を見上げて、気楽に走っている。全然疲れないので余裕である。スタミナがついてきたらしい。筋肉は増えてないし背も伸びてないけど。
「しかし平和ですねー」
「お、おい! なんでお前はそんなに余裕綽々なんだよ。はあっ、はあっ!」
「そりゃチビは小さいからでしょ。で、そっちは太ってるからその分疲れるんだよ。今何周遅れなんだい?」
「う、うるせぇな! はあ、はあ」
数周遅れの小太り体型の男子学生が嫌な顔をする。そちらから話しかけてきたのに。この小太りの名前はなんだったっけ。確か――。
「確か、ホットケーキ君だっけ。甘そうな名前の」
「違う! 俺の名前はポルトクックだ! お前は何度間違えるんだ!」
「そうなんですか。で、ポルトガル君はもう少し痩せたほうが良いですよ。なんか太陽が沈まない国の人にやられそうな名前ですし」
「ま、また訳の分からないことを、くっ、嫌味なチビと話したせいで、い、息が。も、もう無理っ」
ミスターポルトガルケーキ君が脱落していく。まだ一時間しか走ってないのに。膝をついたところを、教官が怒鳴りつけて容赦のない蹴りを入れている。可哀相だが自業自得である。手を振ってお別れを告げる。
半年もすると、私の雰囲気にも慣れてくるらしい。というより、クローネ、サンドラが気楽に話しているからだろう。最初はビビりまくっていた同級生ともこんな感じで一応話だけはできる。でも距離感は相当ある。残念ながら友達にはなれそうにない。
「チビはまたライバルを脱落させたのか。弁舌の才能もあるのかな?」
「……単純に口が悪いだけだろう」
「あ、サンドラも汗が凄いけど。大丈夫です?」
「……ふん、お前の挑発には二度とのらないからな」
この前サンドラをからかって、うっかり激昂させてしまった。逃げる私と追うサンドラ。しばらくしてスタミナを使いはたしてしまったサンドラは、先ほどのポルトケーキ君みたいに怒鳴られた後、腕立ての刑。女子だから蹴りはなしだったようだ。ガルド教官は見かけは粗野なのに結構紳士である。
「しかし、外を走るのはともかく、市街の警戒ぐらいはやってもいいと思うんだよね。私たち見習いもさ」
「それはどういう意味だ」
「糞カビどもだよ。この前なんか、私のお気に入りのパン屋で自爆しやがった。しばらくは休業だってさ。世知辛いねぇ」
悲しそうなクローネ。サンドラは鼻を鳴らして吐き捨てる。
「緑化教徒などと名乗っているが、その実態は狂人の集まりだ。徳を積んだ後に死ねば楽園に行ける、などと戯言をぬかしている。あんな連中は害虫と変わらん。片っ端から殺してしまえばいい」
「また過激だねぇ。ま、それをやりたくても見分けがつかないから無理だよ。一見しただけじゃ一般人と変わらないわけだし」
「尋問の手間があるのは確かだな。だが私ならもう少し上手くやるし、その自信もある」
眼鏡をクイッとあげるサンドラ。きっとえげつない拷問とかやるに違いない。多分じゃなくて絶対やる。
「あ、私も結構分かりますよ。あの人たち凄くさわやかな臭いがするから」
「お前は犬か? というか、何がさわやかだ。この大馬鹿者め!」
「あはははは! 緑化教徒の麻薬常習者は生活が破綻しているからね。そりゃ臭うのは間違いないけど、さわやかな匂いとは言い難いんじゃないかな」
面倒だったので説明しなかったが、違うのだ。本当に特徴的なさわやかな臭いがする。ミントを更に強力にしたような。さわやかすぎてひどく鼻につく感じ。そういう人は、今までの経験上大抵が緑化教徒だ。大抵というのは、実際に確かめることはできないから。自爆した死体は何回か見たし、リンチにあって意識のない緑化教徒も結構みた。斧で斬首される緑化教徒も見た。全員さわやかな臭いだった。普通の人からはしない。なんでかは分からないけど、麻薬探知犬のような特殊能力が私に芽生えたということにしておこう。結構便利だし。そういう臭いがする人には近づかなければ良い。自爆に脅える心配がなくなるし。もしくは先に撃ち殺すというのもありかも。あ、でも証明できないとただの殺人犯だった。
「ま、私から言わせれば共和派も似たようなもんだよ。段々活動も過激になってきてるしね。そのうち理想のために自爆しそうだよね」
「おい。今の言葉、直ちに取り消さないと許さんぞ。我々はあんな無政府主義者ではないし、無差別殺人も行なってはいない」
「今は、だろう? でも、そういうことならさっきのは取り消しておくよ。理不尽な粛清だけは勘弁ってね」
「…………」
クローネが目を細めてサンドラを嘲笑う。サンドラもそれに負けじと睨み返している。私がいなければ殺し合いになっていそう。怖い怖い。
「頑張っておくれよ、未来の議員様。ほら、どちらかというと、私も共和主義者だしさ、自由万歳ってね」
「ふざけたことを。貴様が共和主義者というならば、野良犬とてそうだろうな」
「おいおい、それはちょっと言いすぎだよ。野良犬よりは私の方が教養も常識もあるさ」
得意げなクローネに、サンドラは呆れて首を横に振るだけだ。ツッコミ役は主に私である。
「野良犬相手に勝って喜んでいていいんですか?」
「そりゃ勝つことが何よりも大事だからね。相手がなんであろうと関係ないのさ」
と、ガルド教官が笛を二回ならした。最後の突撃の合図だ。そういう意識を持って、全力で教官の下に集合しろということである。私がいち早く走り出すと、歩幅をいかしてクローネが余裕で追い抜いていく。体力を消耗していたサンドラは出遅れたため、女子ではビリ確定。あ、ポルトケーキ君がまた転んでる。凄い勢いでゴロゴロと。転がるだけで面白い人間である。私は拍手しておいてあげた。
「よーし、ご苦労だな諸君。だが、女子のクローネ、さらにはミツバにまで負けるのはいただけない。最近女性が強くなってきたとはいえ、体力の差はあるはずだろう? 男子諸君には淑女を守れる立派な紳士になってもらいたいのだ。というわけで今から校庭20周、いってこい!」
『そ、そんな。ぜ、全力疾走の後で、足が』
「泣き言など聞く耳もたんな。突撃後に相手の奇襲があったらどうする。全力で走った後なので無理ですと誠心誠意謝るつもりか?」
『……ううっ』
「分かったなら駆け足だ! 次に文句を垂れた奴には俺が鉄拳をくれてやる!」
笛の合図とともに、男子たちが死にそうな顔で校庭の外周に向かっていく。これから20周だと、お昼休憩は半分になるだろう。可哀相に。でも私には関係のないことなので、それ以上思うことはないのである。ちなみに、私の横ではサンドラがぜーぜー息を吐いている。体力に劣るわけではないが、クローネは体力馬鹿だし、私はスタミナ抜群。これに気力でついてきていた代償を払っているだけ。
「はは、無理しなければいいのに。頭でっかちで融通が利かないねぇ」
「…………」
クローネが茶化すが、無言で息を整えている。意地でも弱音を吐かないのはさすがである。ポルトケーキ君とは違うようだった。
「さてと。チビ、暇なら私と遊ぼうか。突撃っていったらやっぱり白兵戦だろうし。今回は、銃剣なしでやろう」
「素手で格闘戦ですか?」
「乱戦で落としたらそうなるし。さ、好きにかかってきな!」
「…………流石に体格差がありすぎますよ」
ファイティングポーズを取るクローネは180cmぐらい、私は140ないくらい。年齢的には平均的だと思うのに、周りからはチビ扱い。なぜなら、彼らとは5~6年の年齢差があるから仕方ないけれど。永遠に縮まることのない差である。
「こないのかい? じゃあ遠慮なくこっちから――」
「いきますね」
機先を制して突撃開始。クローネの大振りの一発を回避、懐に入ってボディーに一発。これでクローネはノックアウトである。
「うん。まぁ、狙いは分かるけどさ。頭を抑えればこうなるよね」
「はい、参りました」
大振りはもちろん牽制。その長い手で、私の頭は普通に抑えられていた。リーチの差というのはいかんともしがたいものだ。やはり文明の利器である銃や大砲を私は活用すべきであろう。
「うーん、チビがもう少しでかくなれば、格闘訓練もできるのにね。好き嫌いせずに牛乳も飲みなよ」
「あれは口に合わないので。生臭くて苦手です」
生命の源っぽくて苦手である。気分がひどく悪くなる。
「でも魚は食べてるよね。あれこそ生臭いと思うけど」
「魚は美味しいから大丈夫です」
「ま、それはいいことだよ。私は魚を骨ごとバリバリ食べるからね。これがデカくなる秘訣だね」
「私はまだ効果がでてないんですよ」
「チビは牛乳を飲まないからだろう。片方だけじゃ駄目なのさ!」
あははと笑いながら私の髪をぐしゃぐしゃにしてくる。その間にサンドラも回復したようだ。こんな感じで、私たちの訓練は終わりを迎えるのである。ちなみに、午後も同じ訓練である。隣の騎兵訓練場では颯爽と障害物を避けて馬を駆る男子たち。騎兵科である。コレを見ると、貴族様たちが歩兵、砲兵科に入らない理由も分かる。だって地味だし。
――もう嫌というほど走ったその翌日。朝礼時に、ガルド教官が珍しく困惑した表情を浮かべながら口を開いた。
「あー、今日は諸君に伝える事があるんだ。……正確にいうと、諸君というよりは特定の人間にだけなんだがな」
頭に疑問符を浮かべる学生たち。私は欠伸をしているので、全然聞いていない。隣のクローネも大欠伸。人間、朝は眠いのである。クローネと目があったので、親指をあげてニヤリと笑うと向こうも真似をしてくる。何のサインかとクローネがこっそり尋ねてきたので、勝利のサインだと教えてあげた。ちなみに、サンドラにもやったのだが『死んでもやらん。馬鹿馬鹿しい』とそっけなかった。真面目である。
「クローネ・パレアナ・セントヘレナ、サンドラ・テルミドーレ、ミツバ・クローブの三名は、一週間の実地研修に参加できることになった。諸君が学んでいる砲兵科が新設されてから2年目になる。初の女砲兵というわけではないが、今名を呼んだ女子諸君は先輩に当たる19期生以上に優秀な成績を修めている。よって、学長推薦により、特別に参加資格を得たという訳だ」
ガルドの話を聞いた学生たちがざわめく。驚きと嫉妬を含んだ視線が私たちに向けられる。女のくせにやら、女だから贔屓されている、という情けない言葉も聞こえてくる。当然クローネが黙っているわけもなく。
「ん、文句があるのかい? 私に喧嘩で勝てる奴がいるなら喜んで譲ってやるよ。ほら、今すぐ手を上げな」
『…………』
当然いない。体力だけじゃなく、体術、銃剣術の技術も抜群である。戦う為に生まれてきたような身体とセンス。クローネは間違いなく軍人として大成するだろう。太鼓判をおしてしまう。
「あ、じゃあ私も譲りますよ。無条件で。行きたい人は両手をあげてください」
その代わりにお手上げポーズくらいしてもらおうと皆に告げたら、全員一斉に視線を逸らした。少しは打ち解けてきたと思うのに、相変わらず悪評や噂については払拭できていない。
「申し訳ありませんが、私は参加を辞退します」
「理由はなんだ」
「自己都合です。強制ならば従います」
サンドラは普通に辞退を宣言した。本当にわが道を行く女である。極力余計なリスクを排除したいのか、もしくは勉強時間の邪魔とかいう理由かもしれない。軍で出世するつもりは最初からなさそうだし。
「……いや、強制ではないが。だが本当に良いのか? 卒業考査時に加点対象となるし、そうそうある機会じゃないんだぞ? 学長推薦だということも忘れるな」
「折角ですが私には必要ありません。加点頂かなくても十分卒業できますので。推薦頂いた学長には申し訳ありませんが」
学長からの覚えが悪くなろうがサンドラとしては全く困らないわけで。元々サンドラは勉強する為にここへ来ている訳だし。普通の学校と違ってお金がなくても勉強できるからだ。士官として数年働いたら、退役して議員を目指すと公言している。退役軍人が市民議員になるというのは珍しいことではないらしい。
「……そうか。ならばいい、俺から学長には伝えておこう」
「教官! サンドラが行かないのであれば、僕達の中から選んではいただけませんか?」
意欲的な男子が立ち上がりアピールする。凄いやる気である。
「その意気込みは認めたいが、無理な話だな」
「それは何故ですか!」
「別に欠員が出ようが向こうとしては全く構わないからだ。ちなみに、20期の歩兵科、騎兵科、魔術科からも選抜された学生も研修に向かうことになっている。女子だから選ばれたという訳ではないことは言っておくぞ。あくまで成績、普段の訓練や学習態度などを考慮して選抜されている」
「…………」
不満そうな顔を隠そうとしない学生。ガルドが腕組みして睨みつける。
「大体だな、文句があるならせめてミツバに持久走で勝ってから言え。分かったか?」
「……はい」
「返事が小さい!」
「はい、教官殿!」
「よし、良い返事を聞いたところで話を戻すぞ。クローネとミツバは、今から言う三つの中から希望を述べるように。もちろん希望については前向きに善処するが、必ず叶う訳ではないことは理解しておけ。それが組織というものだ。ついでにこれ以上の辞退も認めない」
「あらら、ひどい話だねぇ。やだやだ、自由があるようで全然ないよ。もう辞退すらダメだってさ」
クローネがおどけてみせる。ガルドも冗談だと分かっているのでそれを咎めない。というか、教官が辞退は認めないと言ったとき、主に私に視線を向けていたような。もしかしてご指名だったりして。
「何事も早い者勝ちという奴だ。不満なら自分で選べるくらいに偉くなることだな」
「了解しました、教官殿っと」
「さて、では説明を始めるからよく聞け。まず一つ目が陸軍東部方面軍だ。プルメニア帝国との国境最前線、将来の激戦予定地だな。今のうちに遠足に行くのも悪くはない。戦争が始まったら景色を優雅に楽しむことはできないからな。やることは大砲や長銃の手入れが主になる。ここに行ったら一早く前線の空気を感じられるぞ」
うーん、そんなに行きたくない。クローネはここで決まりだという顔をしているが。よし、ここは友人に譲ってあげよう。遠足には興味を惹かれたけど、一人だけじゃつまらないので却下だ。
「二つ目は王都警備局だ。我らが首都の平和を守る誇り高き部署だぞ。ここにいけば警備兵になったつもりで、王都を散歩できる。やることは街の景観維持――ゴミ拾いと浮浪者の死体処理ってとこだ。市民から感謝されるとは実に羨ましい。間違っても王宮警備には回されないから心配するな」
これもそんなにやりたくない。普段は楽しみながら散歩しているので、任務や仕事になったらつまらないことこの上ない。王宮に入れるなら行っても良かったけど。できればパス。
「三つ、治安維持局。ここはどんな奴でも人気者になれるぞ。税金を滞納する不届き者を叩きのめしたり、馬鹿なゴロつきを締め上げたり、イカれた緑化教徒をぶちのめしたりする花形だ。ローゼリア中に出張って治安を妨害する連中を排除するんだ。恐らく武器弾薬を担ぐのが主な仕事になるだろう。そうそう、任務中以外でも逆恨みによる報復があったりするから、油断しないように気をつけろ」
なんとなくこれが一番楽しそう。報復は少し怖いけど、そうならないようにすれば良い。緑化教徒をどんな風にぶちのめしているのかは見に行きたいところ。是非ともこれからの参考にしよう。私のお気に入りの店や場所で自爆されたら嫌だし、先手必勝だ。さわやかな臭いの原因も知りたいし。よし、私はこれで決まりだ。
「騎兵科や魔術科の連中には王宮警備やら凱旋行進訓練なんて選択肢もあるらしいが、砲兵科は以上で終わりだ。どれもこれも魅力的な部署ばかりで悩むだろう。それじゃあ、クローネとミツバは帰りまでに考えておくように。男子諸君は嫉妬だけはするんじゃないぞ。男の嫉妬は醜い上に情けないからな!」
心配しなくても、さっきまでの妬みの視線は同情に変わっている。選ばれなくて良かったみたいな。一週間の遠足のつもりで精々楽しむ事にしよう。サンドラへのお土産も用意しなくては。適当な緑化教徒の首でいいかな。でも腐らせないようにするのは難しいかも。